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<title>ビジスタニュース</title> 
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<modified>2012-05-22T00:23:45Z</modified> 
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<copyright>Copyright (c) 2012, bisista_news </copyright>
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<title>新雅史「新しい日本的経営？――非正規雇用の「囲い込み」をめぐって」</title> 
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<modified>2012-05-21T15:23:44Z</modified> 
<issued>2012-05-21T16:00:30+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1560290</id>
<summary type="text/plain">担当者より：初の単著『商店街はなぜ滅びるのか』（光文社新書）が話題の新雅史さんが、2008年に非正規雇用の問題について論じた一文です。ご著書とあわせて、ぜひお読みください！

配信日：2008/02/06


景気の雲行きが怪しいと言われる。だが、今のところ、新卒労働...</summary> 
<dc:subject>新雅史</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1560290.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>初の単著<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334036856/" target="_self" title="">『商店街はなぜ滅びるのか』</a>（光文社新書）が話題の新雅史さんが、2008年に非正規雇用の問題について論じた一文です。ご著書とあわせて、ぜひお読みください！<br>
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<u>配信日：2008/02/06</u><br>
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景気の雲行きが怪しいと言われる。だが、今のところ、新卒労働市場にさしたる影響を及ぼしていないようだ。昨年12月にリクルート・ワークス研究所が発表した<a href="http://www.recruit.jp/news_data/data/job/J20071225/docfile.pdf" target="_self" title="">『大卒者の採用見通し調査（2009年卒）』</a>によれば、前年より採用数を増やす企業（18.0％）が減らす企業（6.8％）を大幅に上回っている状況である。<br>
<br>
ひるがえって、こうした新卒市場の好況は、若年非正規労働力の奪い合いをもたらしている。とりわけ問題になっているのが、外食・流通・小売業の人手不足である。外食・流通・小売業は、非正規労働力を前提として、成長を遂げてきた。たとえば、オイルショック以降のスーパー業界は主婦のパート労働力を、バブル崩壊後のコンビニ・ファミレス業界は若年のアルバイト労働力を、その成長の原動力としてきた。外食・流通・小売業にとって、バブル崩壊はけっして否定的な出来事ではなかったのである。<br>
<br>
だが、時代はかわり、若年非正規労働力は安定的に手に入る代物ではなくなった。派遣の自由化・景気回復・2007年問題・フリーターに対する忌避――こうした複数の要因によって、若年非正規労働力は、希少財となった。その結果、非正規雇用を大量に必要とする外食・流通・小売業は、非正規雇用人材の確保で苦しんでいるわけである。<br>
<br>
それにくわえて、外食・流通・小売業は、非正規だけでなく、正規労働力の確保にも苦しんでいる。筆者が外食・流通・小売業の人事担当者にヒアリングをおこなったところ、かれらが指摘するのが、この業界が新卒者に不人気である、ということだった。ある人事担当者が証言するには、正社員になってまでアルバイトと同じ仕事をしたくない、と学生たちは考えているそうだ。<br>
<br>
では、非正規社員と正社員の確保に苦しんでいる外食・流通・小売業は、いかに対処しているのか。ひとつの対処方法として採られているのが、非正規社員に対する「キャリアラダー」の導入、である。キャリアラダーとは、職場での昇進・昇格を目的として非正規雇用の人びとにスキルや経験を身に付けさせることを指す。<br>
<br>
こうした制度を取り入れている代表例としてGAPがある。人事部長・中村豊氏によれば、GAPでは、本社スタッフをのぞいて、正社員採用を行なっていない。全員が時給９百円程度の非正規雇用（GAPではセールス・アソシエイトと呼ぶ）からスタートし、スキルを身に付けるたびに上の職階に昇る。そうしたスキル＝キャリアの積み重ねの先に「正社員＝ストアマネージャー」がある。すなわち、GAPではセールス・アソシエイトのときから正社員へのキャリアラダーを意識させる。そうすることで非正規雇用者のモチベーションを高めつつ、優秀な正社員を確保しようというわけである（中村豊<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4818522163/" target="_self" title="">『非正規社員を活かす人材マネジメント』</a>日本経団連出版）。<br>
<br>
GAPがとっている人事制度は、見方によっては、革新的である。前出の中村氏も述べるように、これまでの日本企業は、非正規社員を「補助的労働力＝使い捨て労働力」として取り扱い、その一方でスキルを持っていない新卒者を正社員として採用しつづけた。しかし、GAPは、そうした日本の雇用慣行に“NO”を突きつける。中村氏によれば、以前GAPで新卒採用を行なったところ、その半数が２年のうちに辞めたという。スキルのない若者、あるいはやる気のない若者を正社員にするくらいならば、セールス・アソシエイトでスキルを磨いたものを活用した方が賢明である、というわけだ。<br>
<br>
ちなみに、欧米では、小売・流通・外食業の非正規労働力を「デッドエンド・ジョブ」と呼ぶことがある。そうした職種は、低賃金労働という「袋小路＝dead end」からなかなか抜け出せないことから、その名が付されている。だが、GAPは、非正規社員を「デッドエンド・ジョブ」にしない。セールス・アソシエイトでも努力すればキャリアを積むことができる。それは、企業に対するコミットメントにつながり、ひいては顧客サービスの向上につながるというわけである。こうしたGAPのキャリアラダーは、非正規労働力を有効活用する制度として、多くの企業が取り入れるところとなった。<br>
<br>
しかし、一方で次のような点も考える必要があるだろう。それは、非正規雇用に、キャリアラダーを導入することの限界についてである。ここでは、その限界を、１「非正規労働力の囲い込み」、２「専門学校との構造的なつながり」の２点から指摘したい。<br>
<br>
１点目について説明しよう。当然ながら、GAPで非正規として働く者のすべてが、職階を昇ることができるわけではない。全員をストアマネージャーにするわけにはいかないし、途中で辞める人間も出る。GAPは、そうした人びとを前提として、この人事制度を導入している。中村氏は、セールス・アソシエイトの従業員比率が９０％を占めるとしたうえで、ストアマネージャーをめぐる競争が組織を活性化するのだ、と述べている（前掲書、第５章）。つまり、GAPのキャリアラダー制度は、落伍者を前提としているのである。こうした落伍者の履歴書には、「フリーター」というキャリア以外に何も残らない。むろん、GAPで積み重ねたキャリアは、GAP以外で評価されることはないのだ。<br>
<br>
これがGAPのキャリアラダー制度が抱える危うさである。つまり、キャリアラダー制度は、非正規労働力を「囲い込む」ことで、一企業でしか通用しない能力を持った人間を、大量に生み出す危険性があるのだ。非正規雇用者の多くは、現在の職場を離れる。本来ならば、そうした人びとにこそ、ひとつの企業を超えて評価される「キャリア」が必要であるはずである。<br>
<br>
こうしたキャリアラダー制度の危うさは、当事者もおそらく気付いている。だが、こうした職にかぎって、「夢」や「やる気」というコトバが瀰漫している。また、こうした職場では、キャリアカウンセリングの言説もあわせて準備されることが多い。キャリアカウンセリングの信念は、人は成長すべきである、というものである。いわく、非正規社員でも成長できる、非正規社員でも正社員になれる。そうした成長物語が大量に投げかけられる。若年者たちは、こうした物語によって、非正規職にしがみつく。これは、若年労働力が不足する時代だからこそ登場した、「非正規労働力の囲い込み」であるように思う。<br>
<br>
２つめに問題なのは、「非正規労働力の囲い込み」が、専門学校と構造的につながっていることである。前出の中村氏によれば、GAPではインターンシップの学生を受け入れているが、なかでも積極的に提携しているのが、ファッション系の専門学校である。こうした学校では、インターンシップを単位として認めるのがほとんどである。インターンを経験して卒業後に正社員になれればよい。だが、中村氏によれば、卒業した後もアルバイトをしつづける者が少なくないそうである。<br>
<br>
ちなみに筆者は、スポーツ系専門学校で教えているが、学生たちの多くは、「（新卒）就職活動」をおこなわない。彼らは、自らの専門性を活かすために、日ごろからスポーツ系のアルバイトに励んでいる。そして、幾人もが、卒業後も、そのままスポーツ系のアルバイトや契約社員として働きつづける。GAPのような企業でも、同様のことが起きていないか心配である。GAPの採用するキャリアラダー制度が、専門学校生のフリーター化の後押しをしているように思えるのは、筆者だけだろうか。<br>
<br>
これまでの議論では、正社員は「囲い込み」、非正規社員は「使い捨て」、という二分的な見方が大半であった。そして、社会学・経営学者たちは、そうした正社員を囲い込む企業の有り方を「日本的経営」と呼んできた。だが、新卒労働市場の好況は、非正規労働力の「囲い込み」という新しい事態を生み出している。もしかすると、それが「新しい日本的経営」と言い得るものなのかもしれない。<br>
<br>
<br>
●新雅史（あらた・まさふみ）<br>
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程（社会学）単位取得退学。スポーツ社会学、産業社会学を中心に研究を行い、変容する労働現場などについての論考を発表している。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334036856/" target="_self" title="">『商店街はなぜ滅びるのか』</a>、共著には<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4796702571/" target="_self" title="">『オリンピック・スタディーズ』</a>（せりか書房）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4790712370/" target="_self" title="">『グローバリゼーションと文化変容』</a>（世界思想社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4501620501/" target="_self" title="">『インターネットと〈世論〉形成』</a>（東京電機大学出版局）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062881365/" target="_self" title="">『大震災後の社会学』</a>（講談社現代新書）などがある。]]> 
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<title>山本一郎「ニュースまとめ斬り！」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1565288.html" />
<modified>2012-05-17T07:31:13Z</modified> 
<issued>2012-05-17T12:00:13+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1565288</id>
<summary type="text/plain">担当者より：ブロガーの山本一郎さんが、2009年に鳩山兄弟の政治活動を論じたものです（なお、初出時には関連ニュースへのリンクがありましたが、リンク切れのため見出しのみ掲載しています）。また、山本さんの話題の有料メルマガ「人間迷路」もよろしくどうぞ！


配信...</summary> 
<dc:subject>山本一郎</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1565288.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>ブロガーの山本一郎さんが、2009年に鳩山兄弟の政治活動を論じたものです（なお、初出時には関連ニュースへのリンクがありましたが、リンク切れのため見出しのみ掲載しています）。また、山本さんの話題の有料メルマガ<a href="http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/04/post-d6c1.html" target="_self" title="">「人間迷路」</a>もよろしくどうぞ！<br>
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<u>配信日：2009/06/10</u><br>
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<b>●総選挙前のクソ大事な時期に鳩二羽に国中がかき回されて国民が大困惑●</b><br>
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世襲政治の良し悪しは投票で国民が意志を示せばそれで済んじゃうじゃないかと思うわけですが、その肝心の世襲政治家の大物兄弟がわけの分からない主張を繰り広げていて迷惑この上ない状況になっており興味深いです。<br>
<br>
まず兄・鳩山由紀夫氏の件でいうと、日本最大野党の党首となり、総選挙を目前にその政策の内容や姿勢に関心が集まっているわけですけど、何を言うかと思ったら外国人地方参政権問題や、訪韓の話題が中心になっています。<br>
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<b>■【鳩山ぶら下がり】（１）韓国訪問「意義ある会談したい」（４日夕）■</b><br>
<br>
政治的課題としては決して軽視すべきものではないとしても、不況が深刻化し、財源問題や公務員制度に関する問題が山積している状況で、何よりも優先しなければならない事案が外国人参政権問題であると言わんばかりの態度には驚きを禁じえません。<br>
<br>
民主党の事務方が旧社民党の左派に牛耳られている側面も否定できない部分ではありますが、自民麻生政権が弱体化し、念願の政権交代が目前に迫っている状況で政治の中だけの政治的話題に終始されても困る、というのが実情だろうと思います。<br>
<br>
民主党に投票したいという層が39％と、自民29％を上回るという順調な状況なのに、党首・鳩山に期待できないと答える国民が60％台と、麻生政権の不支持率とあんまり変わらないあたりに病巣の深さを感じさせます。<br>
<br>
<b>■振り上げた拳どうする？日本郵政社長人事で鳩山総務相が苦悶の日々■</b><br>
<br>
次いで弟・鳩山邦夫氏については、よりレベルという点では低く感じる問題が勃発、これはこれで頭を抱える事態となっていて好感が持てます。正直言うと、どうしようもない話で、傾向としては外務大臣になっちゃって新しい事態が発生するごとに右往左往していた田中眞紀子元外相とタメ張れるぐらいの状況ですね。<br>
<br>
大臣が任免権があるのは当然としても、内閣として西川総裁留任を承認したのを大臣本人の感情的な問題で辞任強行を辞さないというのは結構凄いことです。よほどでっかいスキャンダルでも抱えているのかと思わせるのですが、そんなものがあるならとっくに出てきているわけで、要は好き嫌いってことなんだろうと。<br>
<br>
もちろん、西川総裁自身もどうしようもない御仁ではあるのですが、さして実入りのない郵政事業で晩節を汚すような真似はしたくないでしょう。これが西川さん自身の判断で降りることを期待しての高度な戦術を鳩山邦夫氏がとっている……わけないですねえ。これじゃ麻生政権の支持率なんて上がりようもないですよ。<br>
<br>
そういうわけなので、この二羽の鳩の飼い主は早く名乗り出て処分してもらいたいぐらいです。<br>
<br>
<br>
●山本一郎（やまもと・いちろう）<br>
イレギュラーズアンドパートナーズ代表取締役。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4166604694/">『“俺様国家”中国の大経済』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4166606670/">、『情報革命バブルの崩壊』</a>（ともに文春新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4569771785/">『ネットビジネスの終わり』</a>（PHP研究所）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4048861344/" target="_self" title="">『リーダーの値打ち』</a>（アスキー新書）などがある。<br>
ブログ：<a href="http://kirik.tea-nifty.com/">やまもといちろうブログ</a>]]> 
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<title>小田嶋隆「大日本観察」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1550348.html" />
<modified>2012-05-04T03:19:29Z</modified> 
<issued>2012-05-02T10:00:46+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1550348</id>
<summary type="text/plain">担当者より：コラムニストの小田嶋隆さんが、2007年に三原じゅん子とハッピハッピー。の離婚について書いたコラムです。小田嶋さんの最新刊の二冊『地雷を踏む勇気』（技術評論社）と『その「正義」があぶない。』（日経BP社）も要チェックです。

配信日：2007/06/20

...</summary> 
<dc:subject>小田嶋隆</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1550348.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>コラムニストの小田嶋隆さんが、2007年に三原じゅん子とハッピハッピー。の離婚について書いたコラムです。小田嶋さんの最新刊の二冊<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774148709/" target="_self">『地雷を踏む勇気』</a>（技術評論社）と<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822248828/" target="_self">『その「正義」があぶない。』</a>（日経BP社）も要チェックです。<br>
<br>
<u>配信日：2007/06/20</u><br>
<br>
<br>
三原じゅん子と元コアラ（ハッピハッピー。）の離婚について、テレビメディアの扱いはおそろしいばかりに冷淡だった。冷淡というよりも、事実上は黙殺というべきだったかもしれない。少なくとも私はこの二人についてテロップ付きで扱った番組はひとつも見ていない。<br>
<br>
「あっそう」と、そういう感じ。スポーツ新聞の見出しを形だけ読み上げつつ、２秒で納得して次の話題に移って行くぐらいな力加減ですね。まあ、双方の知名度を考えれば、仕方のないところではあるのだろう。三原じゅん子はともかく、亭主の方は、「元コアラ」と、「元」の名称で呼びかけてあげないと視聴者の記憶を喚起できない水準の芸人に成り下がっていたわけだし、現在の呼称である「ハッピハッピー。」にしたところで、いくつかのメディアが「ハッピーハッピー」と誤記する始末で、しかも、その誤記を指摘する声にしてからが、どこか恥ずかしげ（オレ、どうしてこんな名前知ってるんだろう？）だったりしたわけだから。<br>
<br>
もうひとつ、このキャスター泣かせの呪われた芸名「ハッピハッピー。」については、名付け親が細木数子だったという背景があずかっていて、そのことがスタジオでの扱いを腰の引けたものにしていた可能性もあわせて指摘しておかねばならない。コアラがハッピハッピー。に改名するに当たって、当初、細木数子に相談した時の理由は「夫婦としてしっかりやっていきたいから」というものだった。<br>
<br>
とすると、この、細木から貰った夫婦円満仕様の再出発芸名ハッピハッピー。を背負ったままで両名が離婚にたち至ったということは、夫婦の不始末である以上に、占い師細木数子の失態（それも、初めての失態でもない。改名失敗の例は、丁半コロコロ、と、どっちに転んでも負けのインチキバクチみたいな調子であまねく転がっている）ということになる。と、これは、テレビ局的には、とてもマズい。よって、スタジオとしては、当件は、数字を持っているコワモテのワガママタレントたる細木の逆鱗をあえて逆なでにしてまでＱシートに載せるべき話題ではない、と判断した。いや、憶測だけどね。<br>
<br>
ついでに申せば、三原じゅん子がメジャーだというお話も、対ハッピハッピー。比という反則みたいな仮定を持ち出してきた場合の、だまし絵じみた比喩表現に過ぎない。一般的には既にほぼ無名。おそらく、30歳以下の人々にとって、三原じゅん子というタレントさんの立ち位置は、「そういえば、ポストだか現代で脱いでた気がするけど、昔はアイドルだったんですか？　ヤマシタさん」ぐらいな位置づけになるはずで、聞かれたヤマシタ課長だって迷惑だと思う。<br>
<br>
「ああ、ずっと昔、オレが中学生だった頃、ツッパリ系のアイドルだったよ」と、一応の説明はするかもしれないが、「ツッパリって何ですか？」と追い打ちをかけられたら、ヘソを曲げるだろう。おまえなあ、課長をつかまえて、オヤジ週刊誌向け熟女ヘアヌードタレントの来歴だけでは飽きたらず、昭和の死語まで解説させるつもりなのか？　オレは社内ウィキペディアか？<br>
<br>
わかったオレが説明してやる。「ツッパリ」というのは、昭和の言い方で、今の言葉で言えば「ヤンキー」のことだ。不良、非行少年、レディース、ゾク、やんちゃ、と、色々と言い方のバリエーションはあるが、要するに世間並みの筋目の倫理観に背を向けた、思春期に特有な反抗的ライフスタイルならびにファッション傾向ないしは人生哲学の由だ。人はツッパリに生まれるのではない。ツッパリになるのだよ。ある日突然。子供からすんなりとうまい具合に大人になれなかった放課後の校舎裏で。哀しいよな。人間ってさ。<br>
<br>
さて、ツッパリあるいはヤンキーは、芸能界の一大鉱脈でもある。以前に、<a href="http://bisista.blogto.jp/archives/1550718.html" target="_self" title="">吉本興業の芸人について論じた原稿</a>の中で、芸人とヤクザの近縁性についてちょっと触れたが、女性の場合、ヤクザオリエンテッドなタレントは、ヤクザそのものとしてではなく、「ヤクザの情婦」ないしは、「姐御」の似姿として登場する。で、その彼女たちは、お笑いよりはセクシーに近い場所で、直接的な暴力よりはファッションリーダーの立場をより強調した存在として、タレント活動を展開する。<br>
<br>
こういうことについては、理屈を言っても仕方がない。実例をもって語るのが一番だ。レディース、ゾクあがり、ヤンキーっぽさを代表する女性タレントは、ブリッ子で清純派でよい子で優等生なカン高い声のアイドルさんたちに対するアンチテーゼとして、常に低めの声とテンションで一方の王道を形成している。<br>
<br>
古くは山口百恵。あるいは、もっとさかのぼれば、「小悪魔」の加賀まりこだとか、魔性の女・緑摩子だとかもこの系譜に連なっているのかもしれないが、私の年齢だと、百恵以前の人々については、正確なところの判断がつかないので、これ以上は触れない。<br>
<br>
ともあれ、デビュー当初の山口百恵は、モロにスケベな唄を歌っていた。エンジェルハットをかぶって登場した絵に描いたような清純派の桜田順子に対する逆位相の立ち位置だ。暗い不良性と性的放縦を匂わせる歌詞。ドスの効いた低音。無表情な目つき。折々に強調される母子家庭という背景。で、突然の引退。<br>
<br>
三原じゅん子（当時は三原順子と言った）は、その山口百恵の後継者として登場した。で、ほどなく金八先生の中でセーラー服の不良役（スケバン）を演じて当たりを取る。あとはご存じの通り。身を持ち崩したのか、行くべき道を行ったのか。スケバンの面目。引き返せるようなものは堕落とは呼ばない。以後、中森明菜、工藤静香、浜崎あゆみ、倖田來未という感じで、不良性の系譜は続く。最近はディーバとか言うみたいだ。歌姫。なるほどね。そういえばあの業界でも女の子たちは姫と呼ばれる。<br>
<br>
とすると、次は誰だろう？　キムタク＆静香だろうか。うん。二人とも頃合いにチンピラ＆チェンネエだし。３年後ぐらいに300ルピカかな。私個人としては、どんなに無名な夫婦でも離婚ということについては一通り騒いでみせるのが芸能ジャーナリズムの基本じゃないのか？　という思いが捨てきれない。だって、コトが離婚である限り、知名度がどうであれ、経緯やら裏事情やらを残らず知りたがるのがワイドショー視聴者という人たちのサガであるはずだからだ。それに、真っ昼間からテレビを見ている人たちの感覚からすると、離婚は結婚の10倍ぐらい身近な話題じゃないのか？<br>
<br>
ん？　身近過ぎるから、面白くない？　ふむ。そういうふうに考えればあるいはそうなのかもしれない。だから、細木関連の諸事情とか、有名無名ということを除けて考えても、離婚ネタそのものが、既に数字を獲れなくなってきている、と。というのも、いまや離婚は、あんまりありふれていて、理由から成り行きからがわかりやすすぎて退屈だから。<br>
<br>
つまり、アレだ。離婚ネタの非スキャンダル化は、誰もが好きなときに離婚できるようになったということの反作用なわけだ。不良じゃなくても、芸能人じゃなくても、有名じゃなくても金持ちじゃなくても、誰もが、普通に、嫌いな人間との結婚を、いつでも思い立った時に解消できるようになった……ということは、現代の人間はそれだけ自由になったということで、われわれは、離婚スキャンダルの地位低下を祝福すべきなのかもしれない。いや、ヘンな<br>
結論だけどさ。<br>
<br>
<br>
●小田嶋隆（おだじま・たかし）<br>
コラムニスト。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774148709/" target="_self">『地雷を踏む勇気』</a>（技術評論社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822248828/" target="_self">『その「正義」があぶない。』</a>（日経BP社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4121502310/">『テレビ標本箱』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4121502744/">『テレビ救急箱』</a>（ともに中公新書ラクレ）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4903186296/">『サッカーの上の雲』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4903186474/">『1984年のビーンボール』</a>（ともに駒草出版）など多数。共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062154374/">『人生２割がちょうどいい』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062164418/">『ガラパゴスでいいじゃない』</a>（ともに講談社）ほかがある。<br>
ブログ：<a href="http://takoashi.air-nifty.com/diary/">偉愚庵亭憮録</a>]]> 
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<title>神林広恵「かつての右腕が読む『編集長を出せ！』」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1561000.html" />
<modified>2012-04-24T02:29:51Z</modified> 
<issued>2012-04-24T12:00:57+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1561000</id>
<summary type="text/plain">担当者より：『噂の眞相』のデスクとして辣腕を振るい、現在はフリーライターとして活躍されている神林広恵さんが、2006年にかつての上司・岡留安則編集長の著書『編集長を出せ！』（ソフトバンク新書）をレビューしたものです。神林さんの『噂の女』（幻冬舎文庫）や、『噂...</summary> 
<dc:subject>神林広恵</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1561000.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>『噂の眞相』のデスクとして辣腕を振るい、現在はフリーライターとして活躍されている神林広恵さんが、2006年にかつての上司・岡留安則編集長の著書<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797333421/" target="_self" title="">『編集長を出せ！』</a>（ソフトバンク新書）をレビューしたものです。神林さんの<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344412370/" target="_self" title="">『噂の女』</a>（幻冬舎文庫）や、『噂の眞相』副編集長だった川端幹人さんの<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480066454" target="_self" title="">『タブーの正体』</a>などと併読すれば、より楽しめるかと！<br>
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<u>配信日：2006/03/22</u><br>
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「ふざけるな！　ぶっ殺してやる」「訴えるから覚悟しろ！」――こんな罵倒や抗議が日常的な編集部、それがスキャンダル雑誌『噂の眞相』だった。「人はそれをスキャンダル雑誌という」というキャッチフレーズのもと、1979年に創刊、一昨年の2004年3月末に異例の“黒字休刊”した『噂の眞相』は、政財界、官界、天皇制、芸能界、文壇といったマスコミタブーを斬りまくり、そのスキャンダル性ゆえか、多くのトラブルを抱えてきた。日常的な記事に対するクレームだけではなく、時には右翼団体からの流血の殴りこみ、警察のガサ入れ、民事訴訟や刑事訴訟などトラブルで満ち溢れていた“現場”でもあった。<br>
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そんな『噂の眞相』の名物編集長だった岡留安則が、幾多のトラブルや訴訟沙汰に、どう対処したかを徹底記録した<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797333421/" target="_self" title="">『編集長を出せ！』</a>（ソフトバンク新書）を読んで、久々にあのトラブルまみれの日々を思い出した。私自身、『噂の眞相』に16年間在籍した元編集デスクであり、某女流作家から「夜道には気をつけろ」と脅されたり、岡留と共に『噂の眞相』史上でも大事件のひとつに数えられる東京地検特捜部による不当捜査で、特捜部から何日もの事情聴取を受け、挙句の果てに10年もの裁判闘争をする羽目となり、目下懲役５カ月、執行猶予２年という“前科者”の身である（このことは幻冬舎から出た拙著<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344412370/" target="_self" title="">『噂の女』</a>に詳しく書いてあるので是非ご一読を！）<br>
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昨今、訴訟沙汰やトラブルを恐れ小さくまとまっている週刊誌などに比べ、「訴訟を抱えて一人前」という『噂の眞相』の編集方針・社風はひとえの編集長・岡留のキャラクターによるものだった。無視されて話題にもならない記事を書くより、訴訟のひとつやふたつを抱える編集者（記者）になれ、というのが『噂の眞相』の編集方針であり、岡留の凄いところだったと思う。<br>
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そんな『噂の眞相』史25年のトラブル対処術の集大成ともいえる<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797333421/" target="_self" title="">『編集長を出せ！』</a>は、『噂の眞相』のスリリングな体験を決して特殊なケースとしてではなく、多くの人々の身の回りに潜む、抗議・トラブルへの対処のヒントとして、またひとつの雑誌の舞台裏史としても楽しめるはずだ。犯罪者に仕立てられたけれど、元編集デスクの私が言うのだから、間違いない！！（笑）<br>
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●神林広恵（かんばやし・ひろえ）<br>
コピーライターなどを経て、2004年に休刊した伝説のタブーなき反権力雑誌『噂の眞相』に入社。デスクとして多くのスクープを飛ばし、休刊後はフリーライターとして活躍。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344412370/" target="_self" title="">『噂の女』</a>（幻冬舎文庫）がある。]]> 
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<title>木村カナ「Here Come the Girls！」</title> 
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<modified>2012-04-12T06:51:50Z</modified> 
<issued>2012-04-12T16:00:59+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1558942</id>
<summary type="text/plain">担当者より：フリーのライター・編集者である木村カナさんが2007年に文化系女子について綴った一文です。ご一読ください。また、木村さんが携わっている「西荻ブックマーク」では、ほぼ毎月、本にまつわるイベントが行われています。ぜひ、ホームページのチェックを！

配...</summary> 
<dc:subject>木村カナ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1558942.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>フリーのライター・編集者である木村カナさんが2007年に文化系女子について綴った一文です。ご一読ください。また、木村さんが携わっている<a href="http://nishiogi-bookmark.org/" target="_self" title="">「西荻ブックマーク」</a>では、ほぼ毎月、本にまつわるイベントが行われています。ぜひ、ホームページのチェックを！<br>
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<u>配信日：2007/07/11</u><br>
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「文化系女子」という言葉は、ネット上では、ある程度、定着している感もありますが、しかし、「文化系女子」って何？　誰のこと？　という疑問をお持ちの方が、おそらくは大多数なのではないでしょうか？　ということで、本稿では、「文化系女子」について、書かせていただきたいと思います。<br>
<br>
そもそも、「文化系女子」という言葉が、最初に活字媒体に登場したのは、『ユリイカ』2005年11月号の「文化系女子カタログ」特集によってでした。特集名に冠された「文化系女子」という言葉を考案したのは、この号の企画段階から深く関わった堀越英美（demi）さんだったそうです。この特集にぎっしりと詰め込まれた、多様にして複雑な、現在進行形の女子文化をまとめあげる一語として提案され、採用されたのが、「文化系女子」というキーワードだったのだとか。<br>
<br>
「文化系女子」という言葉自体は、「文化系」と「女子」を組み合わせた、新語です。「文化系」というのは、主に高校の部活動・大学のサークル活動に関して、使用されてきた言葉で、運動部を中心とする「体育会系」の対義語です。「文科系」としばしば誤記されがちですが、文系／理系の区別とはほとんど無関係に、文化部的な傾向、広義の文化全般に関して興味・関心を持ち、何かしらの特定ジャンルを深く愛好しているという嗜好を持っていること、および、そうした趣味の持ち主を意味しています。<br>
<br>
また、文化を享受している消費者だけではなく、クリエーターとして、文化の創出に携わっている生産者も、そこに内包されています。「女子」については、「『少女』であることも『女性』であることも選びたくない若い女たちが、自称詞として選んだのが『女子』であろう」と上野千鶴子さんが、『ユリイカ』臨時増刊「腐女子マンガ大系」において指摘しておられましたが、まさにご明察、その通りなのではないかと。<br>
<br>
「女子」という言葉は、1970年代生まれを中心とする女性たちによって、「三十過ぎてもまだ『女子』って……？」という躊躇も含みつつも、話者の実年齢に関係なく、一般的に使用されています。『ユリイカ』「文化系女子カタログ」特集において、この「文化系女子」というキーワードが採用されたのは、集まった女性執筆者たちを、その下にカテゴライズしたり、ラベリングすることが目的だったのではなくて、これまではさほど重要視されることがなく、それゆえに長らく可視化されてこなかった、「女子文化」なるものを顕在化させるために、言及範囲を最大限に拡張することが要請されたからだった、と考えられます。<br>
<br>
しかし、その後、活字媒体においても、また、ネット上においても、「文化系女子」をめぐる2006年の状況は、実にめまぐるしく変わり、その最中で、「文化系女子」という言葉は、当初の企図からは離れて、カテゴリーとして受容されてしまいました。<br>
<br>
その一例が、「文化系女子」＝「モテ」狙いで文化を利用するズルい女、というネガティブな図式化でしょう。この図式化については、「文化系女子カタログ」執筆者のひとりであるわたしとしては、正直心外というか、ただただ困惑するしかありませんでした……（だって、今まで男の子にモテた覚えなんかないんですよ、実際！　というか、個人的に、モテとか非モテとか、本気でどうでもいいので……）。<br>
<br>
ですが、そうした経緯を経て、蔑称のニュアンスすらも帯びてしまった今日に至っても、「文化系女子」という言葉は、「漠然としたひとつの気分」（尾崎翠）を的確に表現している、という点において、他には代え難いキーワードであると、わたし自身は、考えています。<br>
<br>
文化（カルチャー）という言葉が光輝を放ち、また、権利として希求された時代は、すでに過去に属しています。文化とは憧憬の対象であり、文化的であるということは、近代的（モダン）であるということと、ほぼイコールの意味と価値をかつて担っていました（ちょうど文学における小説［ノベル］の誕生初期の取り扱われ方とほぼ同様に）。<br>
<br>
しかし、現代においては、文化にしろ小説にしろ、その地位は、ほとんど暴落しています。何もかもが文化となり得るし、どれもこれもが文化であり得る、ハイもサブも入り乱れて、大混雑した二十一世紀の現在。文化によって自己を特別な存在に見せるための「差異果てのゲーム」（岡崎京子）に飽きて呆れた現時点で、なおも「文化系」にこだわり続けること、そのことは、文化をあたかも自然であるかのように呼吸して生き延びてきてしまった、わたしのような人間にとっては、切実な宿題として、目の前に投げ出されているのでした。<br>
<br>
さらに、フェミニズムによる「女性」学、80年代から90年代の「少女」論、90年代以降の「乙女」カルチャー、そのすべてを経由した現在において、「文化系女子」という言葉が含有している幅広さや柔軟さの有効性は、未だに失われておらず、「女子」という言葉をあえて使用することによってしか切り開かれない、「女子文化」の新しい文脈は、今もほぼ手つかずに等しいままです。<br>
<br>
誰が「文化系女子」であるのかそうではないのか、重要なのは、そのような線引きではない。ほとんど誰もが「文化系女子」と呼ばれうるのだから。「文化系女子」とは、誰かによって代表されるものではないし、女性同士の連帯が取り結ばれるための旗印でもない。<br>
<br>
「文化系女子」という言葉は、自称詞としてではなく、他称詞としてしか機能しない。「文化系女子」として決して自己規定しない女性が、最も「文化系女子」的である、「文化系女子」とは、そんな風に逆説的にしか定義できないものなのかもしれない。「わたしを束ねないで」（新川和江）という心の叫びこそが、「文化系女子」の本音の核心なのかもしれない。「文化系女子」について、そんな屈折したことをしみじみと考えている、今日この頃です。<br>
<br>
「文化系女子」というパッケージは、一見、キャッチーでファンシー。でも、開けてみれば、そこから何が飛び出すかわからない、個々別々のブラックボックス。「カワイイ『文化系女子』としたい！」とか何とか、そんな軽い下心で飛び付いたら、彼女の中に広がっているのは、とんでもなくディープなダンジョンかも？　ちょっと仲良くして喰ってやるつもりが、気が付いたらいつのまにかガッツリ取って喰われちゃってたり……なんてね？<br>
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<br>
●木村カナ（きむら・かな）<br>
フリーのライター・編集者。本にまつわるイベントなどを行う<a href="http://nishiogi-bookmark.org/" target="_self" title="">「西荻ブックマーク」</a>にも携わっている。小説家・笙野頼子の非公式ファンページ<a href="http://restless-dream.net/" target="_self" title="">「RESTLESS DREAM」</a>管理人としての顔も持っている。<br>
ブログ：<a href="http://blog.so-net.ne.jp/gardenia/" target="_blank" title="">Kuchinashi Blog</a>]]> 
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<title>近藤正高「“広告ブーム”の総仕上げとしての細川政権」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1555301.html" />
<modified>2012-05-07T02:06:48Z</modified> 
<issued>2012-04-09T10:00:25+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1555301</id>
<summary type="text/plain">担当者より：ライターの近藤正高さんが、細川護煕元首相の政権の一側面について論じたものです。この原稿の補遺もございますので、そちらも併読ください（なお、2012年５月５日にさらに別の補遺が追加されました）。

配信日：2007/11/28


今年もそろそろ新語・流行語...</summary> 
<dc:subject>近藤正高</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1555301.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>ライターの近藤正高さんが、細川護煕元首相の政権の一側面について論じたものです。<a href="http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/20071217/p1" target="_self" title="">この原稿の補遺</a>もございますので、そちらも併読ください（なお、2012年５月５日にさらに<a href="http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/20120505" target="_self" title="">別の補遺</a>が追加されました）。<br>
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<u>配信日：2007/11/28</u><br>
<br>
<br>
今年もそろそろ新語・流行語大賞が発表される時期となった。そこで、問題。次の三人の首相経験者のうち、一人だけ新語・流行語大賞の受賞経験がない人物がいます。さて、それは誰でしょう？<br>
<br>
１．中曾根康弘　２．細川護煕　３．小渕恵三<br>
<br>
正解は「２．細川護煕」である。中曾根は３回、小渕は２回、いずれも首相在任中に受賞している。しかし細川には受賞歴はない。これは彼の首相時代の人気ぶり（少なくとも中曾根や小渕よりは高い支持率をマークしている）を思えば、意外ともいえる。<br>
<br>
ここで細川についておさらいしておこう。彼が、自民党田中派所属の参院議員（1971〜83年）、熊本県知事（83〜91年）を経て、「日本新党」を結党したのは92年のことである。汚職事件が相次ぎ、政治への不信感が強まっていた時期に登場した日本新党は一躍脚光を集め、その年の参院選では細川自身を含めて４議席を獲得。さらに翌93年の総選挙では、自民党を離党した小沢一郎らの新生党や武村正義らの新党さきがけとともに新党ブームを巻き起こし、自民党を大敗に追いこむ。このときの選挙で衆院に鞍替えした細川は、８党派による非自民連立政権において首相に担ぎ上げられた。<br>
<br>
その在任中には、前任の宮澤喜一内閣からの懸案だった政治改革法の成立（これにより小選挙区制へと移行）とコメ市場の部分開放を実現させている。だがその後、「国民福祉税」構想の頓挫や、細川個人の佐川急便からの献金問題の発覚などで人気に陰りが出てくる。そして94年４月、細川は深夜に会見を開き、唐突に退陣を表明したのだった。<br>
<br>
ちなみに細川は、流行語大賞は受賞できなかったものの、ベストドレッサー賞（1993年）には選ばれている。現役の首相でこの賞を受賞したのは、いまのところ彼だけである。流行語大賞の複数回受賞者である中曾根や小渕、それに小泉純一郎ですらベストドレッサー賞は受賞していない。このことは政治家のパフォーマンスのスタイルを考える上で、何か示唆を含んでいるようにも思われる<br>
<br>
後述するように、細川はそのファッションも含め、政治的パフォーマンスに意識的であり、その能力にも長けていた。その点では小泉や中曾根と十分に比肩する。だが、小泉と中曾根が５年間にわたって政権を維持したのに対し、細川政権は一年にも満たない８ヶ月の短命に終わった。どうしてこのような差が生じたのか。もちろん最大の理由は、性格の異なる複数の党派による連立政権という基盤の不安定さにあるのだろう。しかしそれ以外に、細川の政治手法にも問題はあったのではないか。<br>
<br>
このあたりについては、政治学者の高瀬淳一が、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062583437/" target="_self" title="">『武器としての＜言葉政治＞』</a>（講談社選書メチエ）で明確に分析しているので引用しよう。なお書名や文中に登場する「言葉政治」とは、言葉を武器として政治を行なうことを<br>
指す高瀬の造語である。<br>
<br>
<i>「細川のケースから考えると、政治的パフォーマンスは、＜言葉政治＞の一環である場合にのみ、本当の有効性を発揮するといってよい。言葉で表現すべき政治的メッセージの一部がパフォーマンスによって代替されている場合はよいが、伝えるべきメッセージをもたないパフォーマンスはたんなる自己陶酔にすぎないからである」</i><br>
<br>
つまり、細川の政治的パフォーマンスでは言葉が有効的に使われなかった、というわけである。そういわれると、彼が流行語大賞を受賞できなかった理由も自ずとわかってくるというものだ。では、言葉が伴わなかった彼のパフォーマンスとはどのようなものだったのか、具体的に例をあげてみよう。<br>
<br>
●首相就任時、立ったポーズで記者会見を行ない、ボールペンで質問者を指名<br>
●組閣の際の記念撮影を、官邸内の中庭で閣僚らがグラスを持って行なう<br>
●初の首相補佐官（ただしまだ法的根拠はなかった）として田中秀征を起用<br>
●APECの第一回首脳会議に参加するにあたり、マフラー姿で登場<br>
●コメ市場開放の発表会見でプロンプターを使用<br>
●豪雨災害の被災地を、防災服ではなくスーツ姿で視察<br>
<br>
上記のうち、会見での立ちポーズやプロンプター、それに首相補佐官の設置などはアメリカ大統領を多分に意識したものである。プロンプターは定着しなかったが、立ったままでの首相会見はその後慣例となったし、首相補佐官も橋本龍太郎内閣から制度化された。その点では、細川のパフォーマンスはけっして一過性のものに終わったわけではないのだ。<br>
<br>
そもそも細川は首相就任以前より、パフォーマンスも含めたイメージ戦略に心を配ってきた。熊本県知事時代には県庁の広報課に大手広告代理店・電通から社員を出向させ、県の広報活動を任せていたという。具体的にはどのようなものだったのか、ある地元紙の記者は当時の様子をこう記している。<br>
<br>
<i>「全国からマスコミが集まってきた。これまで顔も見たことがない週刊誌や月刊誌の記者が広報課に出入りするようになった。週刊誌のグラビアでモトクロスやテニスをしたり、あるときは草原で握り飯をほおばる細川知事の姿が掲載されるようになった。まるで、歌手か俳優のような写真である。その基本にあるのは「細川を売り込むことが熊本を売り込むことにもつながる」というものだった」</i><br>
（熊本日日新聞の元記者・坂本哲志の証言。真神博「エイリアン宰相　細川護煕の研究」『文藝春秋』1994年３月号）<br>
<br>
いわば細川は、のちの田中康夫や東国原英夫のような「タレント知事」の元祖でもあったのだ。こうした広告代理店との交わりや、メディアへの積極的な露出により、細川は自己プロデュースの術を磨いていったのである。メディアの側としても、細川は格好のタレントであったに違いない。何しろ、彼は肥後熊本藩主の末裔であり、加えて文化的な素養もあった。<br>
<br>
ここで思い出すのは、細川が首相に就任したときの雑誌<a href="http://bisista.blogto.jp/archives/1366095.html" target="_self" title="">『広告批評』</a>の異様なまでのはしゃぎっぷりだ。同誌は80年代、糸井重里・仲畑貴志・川崎徹といった広告クリエイターたちを中心に起こった広告ブームの一端を担う<br>
とともに、広告業界にとどまらない分野横断的な誌面づくりでサブカルチャーの時代をリードした。<br>
<br>
それが細川政権のころには、首相就任直後の細川へのインタビューを掲載したほか（93年９月号）、「細川護煕の広告的研究」と題して、細川と従来の政治家との違いを大々的に“広告”するなどしている（94年２月号）。こうした同誌の姿勢には、『噂の眞相』誌や民俗学者の大月隆寛などから批判の声もあがった。しかしそれは時代の流れを考えると、ある意味必然であったのかもしれない。<br>
<br>
70年代以降、本格的に大量消費社会が到来すると、あらゆる商品において、本来の使用価値とは別に、ブランドなどの付加価値が求められるようになった。商品を売るにあたっても、そうした付加価値の部分でいかにほかの商品と差異化を図るかが重視されるようになり、広告表現も単に商品の使用価値を説明するのではなく、イメージを重視した感覚的なものへと変化していく。このような変化のなかで広告業界には新たな才能が続々と登場し、やがてブームを起こすにまでいたった。<br>
<br>
その流れに完全に乗り遅れた領域が政治だった。そもそも80年代末に冷戦が終結するまで、政党はイデオロギーにより明確に二分されており、わざわざ広告で差異化を図る必要性はなかったといっていい。それが冷戦終結後、イデオロギー対立が徐々に無化されていくに伴い、保守とも革新ともつなかない新党が出てきたことで、ようやく広告の入りこむ余地が出てくる。なかでも細川率いる日本新党は、党首自身の毛並みのよさ（いわばブランドだ）や文化的雰囲気といったイメージに加え、既成政党の垢にまみれていないところも、広告の業界人たちには魅力的に映ったことだろう。<br>
<br>
細川もそのへんについては十分に意識的であったと思う。自分の立ち上げた新党をいかに既成政党と違ったものに見せるか、新たな「商品」として売り出すべく、自らさまざまなクリエイターに声をかけている。たとえば、80年代にチェッカーズや無印良品などのプロデュースを手がけたメディアプロデューサーの秋山道男は、党名の発案などのイメージ戦略を細川から請け負っている（ただし細川は同じ注文を電通EYEの脇田直枝にも出しており、結局は秋山を切ってしまうのだが）。また、前述の広告ブームの立役者の一人であるコピーライターの仲畑貴志もやはり細川直々の依頼で、日本新党の広告ポスターを手がけた。<br>
<br>
こうして見てくると、細川護煕の新党旗揚げから首相となるまでの過程は、80年代の広告ブームの総仕上げでもあったのではないか、という気もしてくる。だが、細川のイメージ戦略は、政権運営にはほとんど無力であった。それは80年代的な広告の手法の限界をも示していたのかもしれない。<br>
<br>
首相を辞めてからの細川は、94年末に日本新党を解党し新進党に参加。しかし97年に離党し、フロムファイブ、民政党を経て、98年4月には民主党に合流するが、その直後、突如として議員辞職した。引退後は、陶芸家として“第二の人生”を歩んでいることは周知の通りである。<br>
<br>
ところで、細川は、少年時代からチャーチルの回顧録などを愛読していたという。彼の“回顧録”好きについて、実弟の近衛忠てる（現・日本赤十字社社長）※はかつて、「彼の頭の中には欧米の政治家が辞めた後回顧録を書くということがあって、自分もそれでいこうというところがある」（真神、前掲記事）と発言している。が、弟の予想に反して、政治家を辞めたのちの細川は、政治について発言することを避けるようになり、回顧録にいたってはいまだに書かれてはいない。しかし政治家として現役時代、十分に言葉を武器にすることができなかったのであればこそ、細川は回顧録という形でいま一度あらためて言葉と真摯に取り組むべきなのではないか――そう思うのはぼくだけではあるまい。<br>
<br>
※近衛忠てるの「てる」の正しい表記は、火へんに軍。<br>
<br>
<br>
●近藤正高（こんどう・まさたか）<br>
ライター。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797346604/">『私鉄探検』</a>（ソフトバンク新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/433018110X/">『新幹線と日本の半世紀』</a>（交通新聞社新書）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/">Culture Vulture</a>]]> 
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<name>bisista_news</name> 
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<title>山形浩生「山形月報！」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1556886.html" />
<modified>2012-04-02T03:27:32Z</modified> 
<issued>2012-04-02T12:00:26+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1556886</id>
<summary type="text/plain">担当者より：山形浩生さんの書評連載「山形月報！」の2007年２月分です。また、先日刊行された、山形さんの訳による『要約　ケインズ　雇用と利子とお金の一般理論』（ポット出版）に続いて、ケインズの『雇用、利子、お金の一般理論』（講談社学術文庫）も上梓されました！...</summary> 
<dc:subject>山形浩生</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1556886.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>山形浩生さんの書評連載「山形月報！」の2007年２月分です。また、先日刊行された、山形さんの訳による<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4780801710/" target="_self" title="">『要約　ケインズ　雇用と利子とお金の一般理論』</a>（ポット出版）に続いて、ケインズの<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062921006/" target="_self" title="">『雇用、利子、お金の一般理論』</a>（講談社学術文庫）も上梓されました！<br>
<br>
<u>配信日：2007/2/28</u><br>
<br>
<br>
今回はガーナの奥地からなので、がんばって新刊書をあさるわけにいかないのがつらいところ。持ってきた本で何とか間に合わせるしかないのです。<br>
<br>
で、今回まとめて読んでいるのが、ライダー・ハガード。といって知らない人は、たぶんかれが創造した大冒険家アラン・クォーターメインと言っても知らないんだよな。しばらく前に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B003N1Y0JA/" target="_self" title="">『リーグ・オブ・レジェンド』</a>というどうしようもない映画があったのをご記憶の不幸な方もいるかと思う。透明人間とジキル／ハイドとドリアン・グレイとネモ艦長と吸血鬼カーミラとハックルベリー・フィンとが徒党を組んで悪と戦うというどうしようもない設定の代物だけれど、その徒党の親玉役をやったのがショーン・コネリー演ずるアラン・クォーターメインだった。透明人間とか、ジキル／ハイドといえば、ガキ向けのジュブナイル版で多くの人がすでに知っていると思うけれど、たぶん欧米ではいまでもそれに並ぶ知名度のキャラクターだから、そんな映画が成立するわけだ。<br>
<br>
ハガードの<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/448851801X/" target="_self" title="">『ソロモン王の洞窟』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4488518036/" target="_self" title="">『二人の女王』</a>そしてアラン・クォーターメインのシリーズではないけれど<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4488518028/" target="_self" title="">『洞窟の女王』</a>（いずれも創元推理文庫）をわかりやすくいえば、深みのあるインディ・ジョーンズとでも言おうか。語り手兼主人公は、ふつうの人間で何ら超自然力があるわけでもない。それが伝説（および諸般の縁）でアフリカの奥地に向かい、苦闘の末にそこに知られざる高度文明を発見するが、主人公たちの活動のせいもあってその文明への道は失われ、二度と外界と接触することはない――そのプロセスで、活躍の主役は必ずしも語り手ではない。仲間のほうが、美女と恋に落ちたり玉座についたりと、いい目にあっている。<br>
<br>
語り手はむしろ傍観者の地位にとどまり、そしていずれも回想記の形式をとっていることで、懐かしさと悲しさが全編を覆っている。あのとき、あの場に何とかして戻れないものだろうか――そしてその気分に対応する、西洋文明社会への違和感とほとんど嫌悪といってもいいような感情。それがインディ・ジョーンズにはない深さを醸し出している。<br>
<br>
アフリカのサハラ砂漠の縁でこのシリーズを読むのは、ちょっと不思議な感じだ。少なくともこのあたりには、もはやこんな幻想の成立を許すような余地は残っていない。それはアフリカの進歩なのか後退なのか。ハガードのアフリカ観、そしてそれに熱狂したかつての人々が抱いていた幻想は、もはやあとかたもない。<br>
<br>
それとはぜんぜんちがう方向の本として、レイ・カーツワイル<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4140811676/" target="_self" title="">『ポスト・ヒューマン誕生』</a>（NHK出版) はなかなかおもしろい。人工知能が発達し、ナノテクが進歩して、いま人々が抱えているあらゆる問題は解決される。その後の生物学を超えたところに出た人間を考察した、まれにみる技術的楽観主義の一冊。ＳＦじみたおもしろさだけれど、それがあと40年ほどで実現すると宣言して見せたことで俄然おもしろみが出ているし、まじめに考える余地も出てきている。春休みの読書に是非ともどうぞ。<br>
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<br>
●山形浩生（やまがた・ひろお）<br>
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。<br>
サイト：<a href="http://cruel.org/jindex.html">YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page</a>]]> 
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<title>大熊信「今、そこにある『タブーの正体！』をどう読むか」</title> 
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<modified>2012-03-28T03:28:47Z</modified> 
<issued>2012-03-28T12:00:23+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1555300</id>
<summary type="text/plain">担当者より：『噂の真相』の副編集長だった川端幹人さんの話題の本『タブーの正体』について、ライターの大熊信さんが書評したものです。随所に存在する“タブー”をどう読み、いかに向き合うべきなのか――ご一読ください。

更新日：2012/03/28


2011年12月、静岡県...</summary> 
<dc:subject>大熊信</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1555300.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>『噂の真相』の副編集長だった川端幹人さんの話題の本<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480066454" target="_self" title="">『タブーの正体』</a>について、ライターの大熊信さんが書評したものです。随所に存在する“タブー”をどう読み、いかに向き合うべきなのか――ご一読ください。<br>
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<u>更新日：2012/03/28</u><br>
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2011年12月、静岡県島田市がいち早く震災がれきの受け入れを表明すると、一部の市民からの反対運動が起こった。瓦礫が放射能汚染している可能性を危惧してだという。しかし受け入れる予定の瓦礫は岩手県大槌町、山田町のもの。事故の起きた福島第一原発からは直線距離で230キロ。そこまで汚染が広がっているとすれば、単純に考えるとほぼ同じ距離の東京も同程度に汚染されていることになる。<br>
<br>
しかし都内の建造物などが汚染されている、との声は聞こえない。仮に今東京に大量の瓦礫があったとしても、受け入れ拒否の運動が起こるとも思えない。震災直後マスコミでは「絆」という言葉が持て囃されたが、本当に絆を大事にしたいのならば、被災地のために瓦礫受け入れに反対する人の誤解を解くための報道があってもいいはずだ。しかし、マスコミで大槌町や山田町の瓦礫が汚染されていないという報道もほとんど見ることはない。いや、仮にあったとしても彼らの誤解を解くには至らないかもしれない。それほどマスコミの信用は失墜してしまった。<br>
<br>
本書<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480066454" target="_self" title="">『タブーの正体』</a>に書かれているのは、芸能ゴシップを始め、皇室や政治経済、官僚機構のスキャンダルを暴いた『噂の真相』の元副編集長、川端幹人が直面したメディアのタブーの数々だ。1982年から休刊までの22年間、著者が体験したのは「本当だろうか？」と疑いたくなるような、タブーを恐れるメディアの現実。そこには信用できないメディアの絶望的な実態がある。<br>
<br>
メディアはタブーの何を恐れているのか。著者はその要因を、大きく三つに分類している。その一つが「暴力のタブー」。触れると直接的な暴力を受けるタブーだ。例えば、メディアが皇室を扱うことをタブー視し始めたのは、「風流夢譚事件」がきっかけだという。その事件は1961年、中央公論に掲載された深沢七郎の小説『風流夢譚』が、天皇や皇室が惨殺されるシーンを描いていたことに端を発する事件。かつて右翼団体に所属していた17歳の少年が中公論社社長の家に押し入り、家政婦を刺殺し、社長夫人に重症を負わせた。その三カ月前には、日本社会党委員長の浅沼稲次郎が、公演中にこれまた17歳の少年に刺殺されるテロ事件が起きていた。<br>
<br>
このふたつの事件をきっかけに、マスコミは過剰なほど慎重に天皇・皇室を扱うようになる。過剰になったのはマスコミの側だけではない。<br>
<br>
<i>「右翼団体の抗議対象も広がり、「なぜこれが？」という程度の表現にまで攻撃が向かうようになり、メディアの側も「なぜこれが？」という表現を簡単に規制してしまうようになった」</i><br>
<br>
表現の自由をうたうメディアの側が引け腰になれば、右翼団体はそれにつけこんで抗議行動を行う。するとさらにメディアの腰が引ける。まさに負のスパイラルだ。著者本人が右翼団体の人間から暴力受けたエピソードは圧巻だ。きっかけは、ハミ出し記事で皇太子妃の名前を「雅子」と敬称を付けずに書いてしまったこと。<br>
<br>
それまで「自分は天皇主義者の主張も把握したうえで理論武装しているのだから、右翼だって説得できる」と考えていた著者は、右翼団体の人間に殴られ、蹴られ、刃物を突きつけられたことがトラウマになり、『転向』をとげてしまったという。著者が転向したことによって雑誌に与えた影響は、ほとんどの読者にとってわからないようなレベルだったようだが、しかし、著者は天皇制について書くたび「指先が固まってしまう」ようになったとも書いている。<br>
<br>
この出来事は、著者のような反権力雑誌の人間であっても、暴力の恐怖がいかに拭いがたいものであるかを表している。いや、それでも著者は怯えている自分に苛立ち、そのことに危機意識を持ち、自らの体験を本書で告白することで、その問題を明らかにしている。本当の問題は、直接的な暴力に怯えて自主規制してしまうことよりも、「風流夢譚事件」のように、「なぜこれが？」という程度のことまで規制してしまうことではないだろうか。抗議を先回りして自主規制することが常態化すれば、なぜそれがタブーなのかということが議論されなくなり、いつしか誰も理由を知らないままタブーだけが残る。<br>
<br>
<i>「メディア・タブーはこれから先、いくらでも人為的に創りだすことができるし、その領域を拡大することができるからだ。しかも、それは伝言ゲームのように歪められ、実態の何倍もの巨大なタブーになってしまう。」</i><br>
<br>
タブーが理由を失ったまま肥大化していくことはとても危険なことだ。だが、著者が二つ目に挙げる『権力タブー』は理由さえ存在しない。新聞やテレビが報道するニュースの大半は、検察と警察によってももたらされる。特に検察は、政治家や有名企業の関係した大事件を担当しており、司法記者クラブに属するような記者にとっては絶対に逃せない情報ソース。検察のメディアに対する統制も厳しく、ほんの少しでも検察の意に沿わない記述があれば、取材拒否を言い渡される。どんなに国民が不利益を受けるようなスキャンダルがあったとしても、検察に触れる事自体がタブーになってしまうのだ。<br>
<br>
それでも何度かマスメディアは検察のスキャンダルを報じている。しかし検察のタブー自体を突き崩すことには至っていない。その原因は横並びから一歩も抜け出せていないメディアの体質によるものだと著者はいう。検察のスキャンダル報道があったとしても、覚悟を持って権力に対峙したメディアはごく一部で、ほとんどは「世論が騒ぎ始めたのを見て、くっついていっただけにすぎなかった」のだ。さらにメディアの問題点はそれだけではない。<br>
<br>
<i>「日本のメディアは孤立を異常に恐れる一方で、連帯して権力に対峙することをしない。（略）むしろ、権力側から切り崩しにあうと、必ず黄犬契約を結ぶメディアが出てくる。「特ダネをやるから」ともちかけられて、権力批判をやっている同業者の動向を探るスパイになったり、権力ではなく権力批判をやっている報道のあら捜しをするようになる」</i><br>
<br>
このようにして、権力タブーはさらに肥大化している。そして、著者が近年最もタブーを生み出している原因として考えているのが、三つ目の『経済タブー』。冒頭のような芸能界のタブーもこれに含まれる。中でも影響力が強いのは、マスメディアに対し広告出稿費を盾に批判を許さない大手企業の存在。特に各マスコミに年間1000億円ともいわれる広告を出稿し、原発批判を封じ込めてきた電力会社は、メディア関係者の再就職や広報誌作成のアルバイトまで斡旋し、勉強会やシンポジウムには各社の論説委員や編集委員を起用して高い謝礼を払っていた。<br>
<br>
そもそも1950年代に日本に原発を持ち込んだのは、読売新聞社社主の正力松太郎であり、現在もテレビ局の大株主に電力会社が名前を連ねている。震災以前どころか、日本に原発が生まれた瞬間から電力会社とマスメディアは“一体”だったのだ。震災以降は東電批判も行われるようになったが、偶然起きた事故によって原発批判が“解禁”されただけのこと。「世論が騒ぎ始めたのを見て、くっついていっただけにすぎなかった」だけだ。<br>
<br>
本書に書かれているのは、著者だからこそ知り得たメディアが抱える大きな問題だ。しかし本当の問題点は、我々のような普通の人間でもマスメディアに多くのタブーがあることを感じていたことではないだろうか。例えば、メディアがスポンサーを批判できないことは、少し想像すればわかる話だ。今まで散々原発推進の広告を流してきたメディアが、原発事故が起きたからといって正しい報道をしてくれるとは到底思えないだろう。<br>
<br>
ここで批判されているのはメディアだ。批判を通じてメディアが本来あるべき姿に戻るための提言でもある。メディア関係者にこそ読んで欲しい一冊だ。ではメディアとは関係ない一般の読者はどう受け止めるべきか。メディアは信用できないとか、「マスゴミ」と言い切ってしまっては本書を読んだ意味がない。実際に震災以降メディア批判が加速しているが、ありもしない陰謀論が毎日のようにソーシャルネットワーク上で広まっている状況が正しいのか。冒頭の瓦礫処理の問題も、このような状況から生まれてきているのではないだろうか。<br>
<br>
いくら信用を落とそうとも、一次ソースとしてのメディアはなくてはならないもの。メディアの自浄作用が期待できない今、清濁併せ呑んで付き合っていくしかない。そのためにも本書は、“正しい”情報を取捨選択するヒントになるはずだ。そして、ひとりでも多くの人にメディアを考える切っ掛けにしてもらいたい。<br>
<br>
<br>
●大熊信（だいくま・しん）<br>
1980年、千葉県出身。<br>
ライター、編集者。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/die_kuma/">ダイナミック大熊</a><br>
twitter：<a href="https://twitter.com/die_kuma" target="_self" title="">@die_kuma</a>]]> 
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<title>石原壮一郎「大人力とは何か」</title> 
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<modified>2012-03-23T03:54:05Z</modified> 
<issued>2012-03-23T13:00:46+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1554678</id>
<summary type="text/plain">担当者より：2005年にコラムニスト・石原壮一郎さんが、「大人力」について解説した一文です。大人げない世間と向き合うための力の精髄が綴られています。また、こちらのインタビュー（聞き手は辻本力さん）では、ビジネスマンと「怒り」についてお話をうかがっています。そ...</summary> 
<dc:subject>石原壮一郎</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1554678.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>2005年にコラムニスト・石原壮一郎さんが、「大人力」について解説した一文です。大人げない世間と向き合うための力の精髄が綴られています。また、こちらの<a href="http://www.sbbit.jp/article/cont1/23382" target="_self" title="">インタビュー</a>（聞き手は<a href="http://bisista.blogto.jp/archives/cat_42582.html" target="_self" title="">辻本力</a>さん）では、ビジネスマンと「怒り」についてお話をうかがっています。そして、石原さんの新刊<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4478020884/" target="_self" title="">『お金を極める１００の名言』</a>（ダイヤモンド社）は発売されたばかり。そちらもお読みください！<br>
<br>
<u>配信日：2005/08/24</u><br>
<br>
<br>
大人の力と書いて「大人力」。大きな人力ではありません。大人力とは、ひと言で言うと、大人が大人として生きていくために欠かせない智恵やテクニックの集大成です。この魔法の力を使いこなさずして、大人としての幸せをつかむことはできないと言ってもいいでしょう。<br>
<br>
仕事にせよ恋愛にせよ日常生活にせよ、大人の毎日には、さまざまな困難や苦しみがつきものです。上司とソリが合わない、恋人の気持ちが離れていった、持ち帰りのお弁当屋さんで注文するタイミングがつかめない……。そうした理不尽に存在する壁に、常に正面からぶつかっていくのは得策とは言えません。ぶつかろうとすること自体が、傲慢で図々しい発想であるケースもあります。いちいち打ちのめされたり、無駄にあがいて消耗したりするのも無意味。<br>
<br>
どうやって脇をすり抜けられるか、ストレスをいかに手なずけられるかを追求するのが、大人力的なアプローチであり、大人力の見せ所です。こう書くと、大人力とは「逃げ」や「ごまかし」のテクニックなのかと思われるかもしれませんが、そういうわけではありません。どうしようもないピンチから自分を救ってあげたり、強引に自分を守ったりするのは、十分に「攻め」の姿勢だと言えるでしょう。<br>
<br>
さらに大人力は、似合っていない服を「似合ってる」と言ってあげるなど、他人に対する「やさしさ」という形でも、大いに発揮されます。これも、相手を適当に喜ばせること以上に、そんなふうに言えた自分に満足感を覚えたり、喜ぶ様子に快感を覚えたりすることが最大の目的。<br>
<br>
仕事で失敗してしまったときには、謝りっぷりや怒られっぷりに、せいいっぱいの大人力を発揮しようとすることで、耐えるだけでなく、むしろこちらが主導権を握っている気になることもできます。上司や同僚、あるいは取引先と円滑なコミュニケーションを築く上で、大人力がどれだけ有効か、いかに欠かせないかは言うまでもありません。ウンザリする気持ちや小さな不愉快も、大人力を駆使すれば、大いに楽しんでしまうことができるでしょう。<br>
<br>
大人力を自分に対して発揮するにせよ、他人に対して発揮するにせよ、幸せを貪欲に追求するとは、きっとそういうことです。大人力の素晴らしさを理解し、楽しみながら会得してもらうために、私は日夜、検定問題の作成に勤しんでおります。もしよろしかったら、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4167713136/" target="_self" title="">『大人力検定』</a>や<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4167713217/" target="_self" title="">『大人力検定DX』</a>にチャレンジして、大人力を求める旅への第一歩を踏み出してください。大人力の何たるかを知ったあなたの行く手には、無限の可能性が広がっていると言えなくもありません。<br>
<br>
<br>
●石原壮一郎（いしはら・そういちろう）<br>
コラムニスト。<br>
月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』（扶桑社）でデビュー。以来、大人モノの元祖＆本家として、日本の大人シーンを牽引し、多くの媒体に登場。ビジネスから恋愛、教育など幅広い分野で活躍している。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4167713136/" target="_self" title="">『大人力検定』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4167713217/" target="_self" title="">『大人力検定DX』</a>（ともに文春文庫PLUS）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797346507/" target="_self" title="">『大人の合コン力検定』</a>（ソフトバンク クリエイティブ）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4478020884/" target="_self" title="">『お金を極める１００の名言』</a>（ダイヤモンド社）などがある。<br>
サイト：<a href="http://www.otonaryoku.jp/" target="_self" title="">石原壮一郎の大人マガジン</a>]]> 
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<title>成松哲「お姉さんは年下系!?」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1552757.html" />
<modified>2012-03-15T09:02:01Z</modified> 
<issued>2012-03-15T18:00:09+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1552757</id>
<summary type="text/plain">担当者より：2007年にライターの成松哲さんが、刊行直後から注目を集めた『CanCam』の姉妹誌『AneCan』について書いたコラムです。また、成松さんによる話題のミニコミ『kids these days!』vol.1（特集タイトルは「いまどきの10代に聞いたリアルな「けいおん！」の話。」）も...</summary> 
<dc:subject>成松哲</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1552757.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>2007年にライターの成松哲さんが、刊行直後から注目を集めた『CanCam』の姉妹誌『AneCan』について書いたコラムです。また、成松さんによる話題のミニコミ<a href="http://d.hatena.ne.jp/narima74/20200101/ktd" target="_self" title="">『kids these days!』</a>vol.1（特集タイトルは「いまどきの10代に聞いたリアルな「けいおん！」の話。」）も要チェックです。<br>
<br>
<u>配信日：2007/04/11</u><br>
<br>
<br>
エロマンガやエロゲームのようなタイトルでなんだが、今回本稿で取り上げたいのは、ファッション誌『AneCan』。山田優、蛯原友里らを抱え、現在20歳前後の女性に圧倒的な支持を集める『CanCam』の姉妹誌だ。2006年３月と９月に、山田、蛯原とともにカリスマ的人気を誇る押切もえを看板モデルに迎え『CanCam』別冊として発売され、ともに数十万部をわずか数日で完売。この３月からは月刊化され、その第一号となる４月号も、別冊同様ブレイクし、５日間で30万部を完売した。また『CanCam』がそうであるように、同誌で押切もえが身につけたアイテムが売り上げを大きく伸ばしたことは、中年男性ご用達のスポーツ新聞ですら大きく取り上げた。<br>
<br>
『AneCan』の「Ane」は、当然「姉」のこと。「お姉さん」と聞くと、雑誌『NIKITA』に登場するような、胸元の大きく開いたヴェルサーチのワンピースを着こなし、仕事をバリバリこなし、年下男を喰わんばかり勢いでグイグイリードする、それこそエロマンガ的な「お姉さま」をイメージしてしまう。しかも『CanCam』系とあれば『NIKITA』読者の「艶女（アデージョ）」ほど、お付き合いにカネはかからないはず。そんなエロくて、自立していて、しかも、僕らにも恋愛の可能性を感じさせてくれるお姉さまとの出会いに備えるべく『AneCan』を買ってみたのだが、それは所詮、男の浅知恵だった。『AneCan』の想定読者である25歳以上の働く独身女性「姉レディ」は、少々趣きが異なっていた。<br>
<br>
同誌が提案するスタイリングは「リアルクローズ」。本来、リアルクローズとは、パリやミラノのコレクションに登場するハイブランド系でありながら、実際の生活で使えるリアリティのあるデザインの服のことをいう。半年に一度、新聞の文化面に掲載されるパリ、ミラノコレクションレポートには「それ、どうやって着ればいいんだよ！」とツッコミたくなるアイテムが多々紹介されているが、これらモード系アイテムの対義語として生まれた。<br>
<br>
ところが、姉レディたちの手にかかると、その意味合いはちょっと変わってくる。彼女たちの「リアル」とは、現実の生活シーン。要は仕事やデート、合コン、週末の一泊温泉旅行だ。そのため、ここで言う「リアルクローズ」とは、これらの場面で使えて、しかも価格も「現実的」な服ということになる。『AneCan』５月号「人気10大ブランド発『Aneベーシックセット』本日発売」特集で押切もえが着こなすのは、1万5000円のサマーニット仕様のツインニットに、１万6000円のスカートと、値ごろ感のあるアイテムばかりだ。<br>
<br>
実は同誌で取り上げるアイテムは、その価格帯、コンセプトともに妹誌『CanCam』とそう大差がない。『CanCam』５月号「４月の１か月CD（コーディネート）対決」特集でエビちゃんOL役の蛯原友里は、１万3000円のシャツに、１万2000円のスカートを身につけている。それを披露するシチュエーションは職場やデート、合コンの場だ。<br>
<br>
しかも、両誌の今シーズンイチオシアイテムは、白い半端丈の「サブリナパンツ」に、ベルトがリボンになった「ドレストレンチコート」、そして、オーガニック素材の「カゴバッグ」と、やはり同じ。若干の違いといえば『CanCam』の方がパステルカラーのかわいらしい色が多く、『AneCan』は基本的にモノトーンやベージュ、シルバーといった渋い色で構成されているくらいのものか。<br>
<br>
『AneCan』のレストラン特集には「姉レディなら、カレをナビゲートするくらいアクティブに！」とか、ドライブデートのコーディネートを提案する企画には「『助手席ガール』を卒業」などと、一応「お姉さんっぽい」ことも書かれている。しかし、結局のところ「姉レディ」は、ワラサがブリに、フッコがスズキになるように『CanCam』読者の呼び名が変わっただけに過ぎないようだ。事実、前出・『AneCan』押切もえの写真の横には『CanCam』のキャッチフレーズである「愛され」の文字が踊っていた……。<br>
<br>
お姉さまとの恋愛指南書として『AneCan』を手にしてみたのだが、その当てはまったく外れてしまった。姉レディたちは、エロマンガのお姉さまのように自立したいのではなく、同じくエロマンガに出てくる妹キャラのようにステキな彼に愛され、庇護されたかったようだ。その受け身の姿勢は、フリーライターなんていう浮き草稼業にはなんとも荷が重い。姉レディとのステキな一夜は、広告代理店や商社勤務、はたまた公務員のような「堅実＝リアル」な男どもに譲ることにしよう。<br>
<br>
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●成松哲（なりまつ・てつ）<br>
ライター。<br>
著者に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797345896/" target="_self" title="">『凶暴両親』</a>（ソフトバンク新書）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309271855/" target="_self" title="">『バンド臨終図巻』</a>（河出書房新社）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/narima74/" target="_self" title="">三十路でアニメ</a>]]> 
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<title>横田真俊「Winnyが“技術革新”に与える影響」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1551760.html" />
<modified>2012-03-12T06:02:25Z</modified> 
<issued>2012-03-12T15:00:35+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1551760</id>
<summary type="text/plain">担当者より：『facebook 基本＆便利技』（技術評論社）などの本を出されて、IT分野を中心に活躍中の横田真俊さんが、2006年にファイル共有ソフトのWinnyについて論じた一文です。

配信日：2006/02/08


先日、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター（GLOCO...</summary> 
<dc:subject>横田真俊</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1551760.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4774144908/" target="_self" title="">『facebook 基本＆便利技』</a>（技術評論社）などの本を出されて、IT分野を中心に活躍中の横田真俊さんが、2006年にファイル共有ソフトのWinnyについて論じた一文です。<br>
<br>
<u>配信日：2006/02/08</u><br>
<br>
<br>
先日、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター（GLOCOM）にてWinnyの制作者である金子勇氏を迎えた研究会「P2Pインフラストラクチャ研究会」の第１回目が行なわれた。Winnyと言えば、P2P技術を利用したファイル共有ソフトとして有名なソフトウェアだ。新聞やテレビなどで「Winny」を知った方は、「著作権に違反したコンテンツをダウンロードするソフトウェア」として理解されている方もいると思う。そのため、どうして「違法コピーの温床となるようなソフトの制作者」を招いて研究会を行なうのか不思議に思う人もいるかもしれない。<br>
<br>
しかし、テレビなどのマスコミがWinnyを「著作権に違反したコンテンツをダウンロードするソフトウェア」と紹介する一方で、インターネット上では、このWinny制作者の逮捕がどのようなインパクトを与えるかについて議論が繰り広げられている。もちろん、この研究会でも非常に熱い議論が繰り広げられた。今回はこのディスカッションを振り返りながら、Winnyが与えたインパクトについて考えてみたい。<br>
<br>
Winnyを巡る議論で、大きく取上げられる物として「技術革新」の問題がある。今回のWinnyの事件をソフトウェアの開発者側から見れば「ただ、ソフトウェアを作っていたら逮捕されてしまった」ということになる。端的に言えば、単純にソフトウェアを作れば逮捕される可能性があるという事になる。これは極論に聞こえるかもしれない。しかし、実際にWinnyの制作者が逮捕されてから、ソフトウェアの公開を控える動きがあったり、Winnyに使われているP2Pという技術そのものが「違法なファイル交換」の事のように語られるケースも増えてきている。<br>
<br>
今回の研究会の討議で、GLOCOM主任研究員の山根信二氏は、Winny制作者の逮捕によって、匿名技術やP2P技術の開発者が萎縮している点を指摘したが、確かに、このような動きが進めば、革新的なソフトウェアを開発しようという意欲は無くなってしまうだろう。もちろん犯罪にならないように作れば良い、という意見もある。一見これはもっとものように聞こえる。しかし、Winnyのようなまだ評価が定まっていない技術の場合、早急に違法か法かを決めるのは難しい場合がある。<br>
<br>
例えば米国レコード協会は1999年にMP3プレーヤーの販売停止を求めて裁判を起こしている。現在のiPodの人気を考えると考えられないと思うが、当時はMP3プレーヤーの存在そのものを「違法」として考える人たちもいたということだ。この時はMP3プレーヤーを販売している業者の勝訴で終わったが、もしこの業者が負けてしまっていたら、我々はiPodなどのプレーヤーが使えなかったかもしれない。<br>
<br>
もちろん、このような「革命的」なソフトウェアは、作者にも想定できなかったような問題を生み出す可能性もある。今回の研究会では、産業総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員の高木浩光氏は「Winnyが積極的に他人のプライバシーを侵害する目的で利用されている」点を指摘している。実際にWinnyでは、自分のパソコンの中身をネットワーク上にばらまくウィルスが大量に発生しており、個々人の私的なデータはもちろんのこと、企業レベルの情報漏洩も連日のように起こっている。このような事態は、Winnyの作者も考えていなかったようで、制作者自身が書いた<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4756145485" target="_self" title="">『Winnyの技術』</a>（アスキー）の中でも「想定外のこと」としている。<br>
<br>
MP3プレーヤーやWinnyのような技術が合法か違法かといった事や、制作者自身が考えていなかったような事態が起こるのは、我々が「革命的なソフト」によって起きる「急激な技術の進化」に追いつけていないからだろう。今までの社会では、技術の進化は比較的ゆっくりと進化してきた。飛行機や車も登場してからすぐに普及が始まったわけではない。徐々に普及し、そこから法律や慣習が作られてきた。<br>
<br>
例えば江戸時代に突然自動車が大量発生した世界を想像してもらいたい。もし、そのような世界があったら、まともに自動車をコントロールできる人がおらず、事故や面倒な事態が多発するだろう。自動車は徐々に普及したからこそ、その時代にあった法律が生まれ、その時代に生きる人もそれに対応してきた。<br>
<br>
しかし、現在は違う。Winnyのように何百万人の人間が使うソフトが一人の人間によって作られ、それが一夜にして普及してしまう可能性がある。先ほどの「江戸時代に突然自動車が大量発生した世界」ではないが、Winnyというソフトウェアが一夜にして大量発生してしまったために、よく使い方やその可能性がわからず、とりあえず「ファイル共有」として使ってしまったがゆえ、今のような状況があるのだろう。<br>
<br>
また、研究会でも山根氏が指摘していたが、このような「革命的なソフトウェア」を作るのは、職業人だけでは無い。大学生や高校生が「ただ、楽しかったから」という理由でそのようなソフトウェアを作ってしまうかもしれないのだ。現に、インターネットの代表的な企業は、学生のベンチャーから始まったものも多いし、Linuxなど個人の趣味から世界的に普及したソフトも多い。技術さえあれば、誰でも「革命的なソフト」が作れてしまう世界になるかもしれない。<br>
<br>
これは、一見「素晴らしい世界」に見えるかもしれない。しかし(Winnyがそうであったように)文字通り「革命的なソフト」だった場合、果たして我々がその技術の進化に耐えられるか難しい場合もある。また、革命的であるが故に制作者にとっても予期できなかった事態になる場合もあるだろう。Winnyの問題は「Winnyだけ」を見た場合は、著作権侵害などの問題になりがちだ。しかし、その点だけを考えていてもWinnyのような「ファイル交換ソフト」の対策は考えられるかもしれないが、Winnyのような「革命的なソフト」への対応はできない。<br>
<br>
Winnyの問題の本質は、今後、Winnyのような「革命的なソフト」が登場した時に、どのように対応し、どのようにその技術を活かしていくか考えなければならないということなのだろう。それらを考えなければ、今後登場してくる「革命的なソフト」を活用することができず、我々の技術力は低下してしまう一方だろう。<br>
<br>
<br>
●横田真俊（よこた・まさとし）<br>
IT企業に勤務する一方で、P2PやSNS、クラウドコンピューティングなどに関する執筆や講演も行っている。<br>
著書は<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798025135/" target="_self" title="">『ツイッター仕事術』</a>（秀和システム）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4774144908/" target="_self" title="">『facebook 基本＆便利技』</a>（技術評論社）など。<br>
サイト：<a href="http://wslash.com/" target="_self" title="">P2Ptoday</a>]]> 
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<title>大宮冬洋「ある30代未婚男との対話」</title> 
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<modified>2012-03-07T10:01:40Z</modified> 
<issued>2012-03-07T19:00:35+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">担当者より：『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵〈ストーリー〉 』（ぱる出版）などの著者である、ライターの大宮冬洋さんが2006年に書いたコラムです。

配信日：2006/08/02


僕の友人Ａ氏は今年で33歳。未婚。大手金融機関の地方支店で忙しく働きながらも...</summary> 
<dc:subject>大宮冬洋</dc:subject>
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<![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4827206406/" target="_self" title="">『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵〈ストーリー〉 』</a>（ぱる出版）などの著者である、ライターの大宮冬洋さんが2006年に書いたコラムです。<br>
<br>
<u>配信日：2006/08/02</u><br>
<br>
<br>
僕の友人Ａ氏は今年で33歳。未婚。大手金融機関の地方支店で忙しく働きながらも、35歳までには結婚したいと考えている。同期入社の友人たちはほとんど結婚済。日に日に焦りが募る。しかし、相手が見つからない。外見・人柄・学歴・収入も人並み以上なのに、ここ一年間は彼女すらいないという。知り合いのいない地方支店で働いているから出会いが少ないのだろう、と思って、僕の女友達（32歳、美人）を紹介したのだが、電話もしなかったようだ。なぜなのか？<br>
<br>
僕は2006年6月に上梓した<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4140881852/" target="_self" title="">『30代未婚男』</a>（共著／生活人新書）において、増え続ける30代未婚男たちの実態をレポートした。彼にも一冊渡したところ、こんな会話になった。<br>
<br>
「俺は恋愛対象を絞り込みすぎていることに改めて気がついたよ」<br>
「どんな点で絞っているの？」<br>
「やっぱり年齢かな。結婚をしようと思い始めたのが20代後半だったから今でも20台後半の女性を望んでしまうんだ。結婚して子作りすることを考えたら、外見も卵子も若いほうがいいからね」<br>
「自分は33歳なのに相手は20代がいいって？　贅沢だなあ」<br>
「同世代ではないので出会う機会が少ないのは事実だけど、不可能だとは思わないよ。５年前に比べて、今の自分が劣っているとは感じないから」<br>
「アハハハ。すごい自信だ。地方勤務になってただでさえ出会いが少ないのに、年齢で絞りをかけていい人が見つかると思うの？」<br>
「問題はそこなんだよ。こないだ紹介してもらった人みたいに、考え方がしっかりしていて話も面白い女性と出会うと、30代だったりするんだよね……」<br>
<br>
今年で30代未婚男に仲間入りする僕のひがみ混じりの印象だが、20代で早々に結婚する男女には計算高くて保守的で、なおかつ幸運な人が多い気がする。恋愛と結婚を分けて考えられるような理知的な人々だ。もしくは「大学時代から付き合っていた恋人とゴールイン」する幸運な人々。全然共感できない。<br>
<br>
逆に、30代の未婚男女は、仕事や趣味に没頭してしまっていたり、昔の恋人の面影が忘れられなかったりと、おバカで純粋な人が多いと思う。今までの仕事・恋愛経験を通して自我が確立しているので、結婚後も喧嘩が絶えないかもしれない。でも、そんな大人の関係から身をもって学べることも少なくないはずだ。<br>
<br>
「下」を見つめてもいいことがなかったら、肩の力を抜いて、横にも上にも目線を向けてみたい。意外なところで素敵な相手が微笑んでいるかもしれない。<br>
<br>
<br>
●大宮冬洋（おおみや・とうよう）<br>
フリーライター。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング（ユニクロ）に就職するがわずか１年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。『日経ビジネスアソシエ』、『プレジデント』、『きょうの料理ビギナーズ』、『dancyu』などで執筆。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4331514595/" target="_self" title="">『バブルの遺言』</a>（廣済堂出版）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4827206406/" target="_self" title="">『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵〈ストーリー〉 』</a>（ぱる出版）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4140881852/" target="_self" title="">『30代未婚男』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4140882271/" target="_self" title="">『ダブルキャリア』</a>（ともに共著、生活人新書）がある。 <br>
ブログ：<a href="http://syokulife.exblog.jp" target="_self" title="">「実験くん」の食生活</a>]]> 
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<title>小田嶋隆「大日本観察」</title> 
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<modified>2012-03-03T07:54:58Z</modified> 
<issued>2012-03-03T16:00:51+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1550718</id>
<summary type="text/plain">担当者より：2007年にコラムニストの小田嶋さんが、吉本興業の創業者一族と当時の経営陣の対立が報じられていた状況をめぐって書いたコラムです。小田嶋さんの『地雷を踏む勇気』（技術評論社）と『その「正義」があぶない。』（日経BP社）もぜひお読みください。また、小田...</summary> 
<dc:subject>小田嶋隆</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1550718.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>2007年にコラムニストの小田嶋さんが、吉本興業の創業者一族と当時の経営陣の対立が報じられていた状況をめぐって書いたコラムです。小田嶋さんの<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774148709/" target="_self">『地雷を踏む勇気』</a>（技術評論社）と<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822248828/" target="_self">『その「正義」があぶない。』</a>（日経BP社）もぜひお読みください。また、小田嶋さんへの<a href="http://www.sbbit.jp/article/cont1/24374" target="_self" title="">インタビュー</a>（聞き手は<a href="http://bisista.blogto.jp/archives/cat_42582.html" target="_self" title="">辻本力さん</a>）も！<br>
<br>
<u>配信日：2007/04/18</u><br>
<br>
<br>
吉本興業をめぐるスキャンダルは、このまま放置されることになるのだろうか。現在のところ、いくつかの週刊誌で代理戦争じみた口論が繰り返されてはいるものの、新聞はあんまり興味を示していない様子だし、テレビはテレビで、ほとんどスルーしている。経過や背景について突っ込んでいないだけではない。そもそも、内紛があったということ自体を完全にネグっている。<br>
<br>
それもそのはず、この種の問題においては、誰かの発言を紹介すればほかの誰かの機嫌を損ねる決まりなっている。と、そう思ってまわりを見回してみると、当スキャンダルの主要キャストは、いずれ劣らぬコワモテ揃いだ。現経営陣側、カウス周辺、創業者一族、あるいはそれぞれの人々の背後にいると思われている面々……考えただけで憂鬱になる。とすれば、波風を立てるのが大嫌いなテレビの連中が、そんな面倒な事件を報道するはずがないし、それ以前に、そんな物騒な現場を取材せねばならない道理が見つかりませんのですよ。<br>
<br>
波風はテレビのネタモトじゃないかって？　まあ、フィクションとしてはそうだ。が、リアルな波風は、ヤクザさんの専売特許だ。そう。トラブル・イズ・マイ・ビジネス。暴力団にとっては、波風こそが商売のモトだったりする。何も無い水面に、要らぬ波風を立てれば、そこに介入の余地ができる。で、カネに結びつく民事に暴力でもって介入することができれば、そこに彼らのシノギが成立するわけだ。<br>
<br>
であるからして、昔から興業の世界は、ヤクザものの黄金郷だった。誤解してはいけない。テレビ局がかかわっているオモテの世界のエンターテインメントにヤクザが食い込んだのではない。むしろ、ヤクザがやっていた興業のおこぼれを頂戴する形でテレビや映画をはじめとするエンターテインメント産業が成長してきたのであって、発生順を考えれば、むしろヤクザが本体で、オモテの芸能界の方が寄生虫なのである。<br>
<br>
……というのはいくらなんでも言い過ぎだ。うん。撤回する。しかしながら、オモテの芸能界と、ウラ社会の間の、どこからどこまでに、どういう付き合いがあるのかはとりあえず措くとして、だ。ここ最近の風潮で問題なのは、オモテの芸能界が、ウラ社会の代弁者の役割を果たしつつあることだ、と、当方は愚考している次第だ。<br>
<br>
たとえば、この5年ほどの間にドラマ化されたヤクザがらみの作品を見てみると、どれも暴力団を肯定的に扱っている。びっくりだ。マイ☆ボス マイ☆ヒーロー、セーラー服と機関銃、タイガー＆ドラゴン……どれを見ても、ここで描かれているヤクザは、「愛嬌があって」「正義感が強くて」「弱いモノいじめが大嫌い」という人物設定になっている。ただ、「カッっとなりやす」くて「後先を考えない」傾向があって、「ちょっと見栄っ張り」だったりする結果として、ついつい法律を犯してしまうこともあるわけですが……と、こんなバカな（←つまり、ヤクザにとってあまりにも都合の良い）設定があってたまるものか、と、たぶん、マル暴の刑事さんは心を痛めていると思う。<br>
<br>
だって、ガチなヤクザは、正義感のカケラも持たない、卑劣な、弱い者いじめ大好きの、どうにもならない根性ワルなのであって、多少ともマトモなヤクザがいるとしたら、そういう人間はさっさとアシを洗っているはずだからだ。では、どうしてこんな非現実的な設定がまかり通るのかというと、結局、ドラマの現場が「アンチヒーロー」を必要としているからなのですね。<br>
<br>
昭和の時代には、「アンチヒーロー」にも、いくつかのパターンがあった。ロックンローラーとか、革命家とか、脱サラ起業家とか、あるいは、冒険家や放浪の芸術家でも良かった。いずれにしても、既成の秩序になじまない、学歴社会やサラリーマン秩序とは別の枠組みで活躍する人間の生きざまを提示できれば、そのドラマはロマンチシズムを放射することができたのである。<br>
<br>
ところが、21世紀になってみると、世界はドン詰まりに陥っていた。一見自由になったように見えるわたくしどもの平成の社会は、その実、細かいところまで網の目が行き届くようになっただけの話で、結局のところ、規格外のヒーローみたいなものが生まれる余地は、ほとんどなくなってしまっていた。別の言い方をするなら、革命家のうさんくささやロックンローラーの空疎さが明らかになってしまった二十一世紀にあっては、昭和の時代みたいなクサい青春ドラマは通用しなくなったわけだ。<br>
<br>
で、こうした状況の中、テレビは、全世代の半数以上を占め、依然としてテレビ視聴者の大多数を形成している低学歴でうだつのあがらない下層市民に向けて、輝かしくもあらまほしき一発逆転のファンタジーを提供せねばならない。インテリでなくても、金持ちでなくても、それでも、そんなオレたちがこの窮屈な世の中をひっくり返す夢を見られるような……そんなファンタジーを、だ。<br>
<br>
でもって、ひねり出されてきた答えが「ヤ・ク・ザ」だったりするのは、確かに、猛烈に淋しい話だ。が、事実なのだから仕方がない。この窮屈な現代社会からの脱出口は、ヤクザ方向にしか開いていないわけなんだからして。てなわけで、ヤクザ者の美学（腕っ節の強さと女にモテることとカネと度胸を至上の価値とする弱肉強食のマッチョイズム）を体現するテのキャラクターがヒーローとして待望されることになるわけだ。<br>
<br>
……って、誰かに似てないか？　そう。吉本の芸人です。準構成員な着こなし（←千原兄弟）、チンピラなもの言い（←ロンドンブーツ）、ヤンチャな人生観（←紳助）、放埒な下半身（←さんま）、武勇伝な来歴（←カウス＆ボタン）、壮烈な死に様（←色々）。そして、マッチョな秩序感覚と弱肉強食の上下関係と、打てば響く抜け目の無さと目からハナに抜けるアタマの良さ。<br>
<br>
うん。結局、格差社会にこそダーティーヒーローが必要、と、そういうことなのだな。<br>
<br>
<br>
●小田嶋隆（おだじま・たかし）<br>
コラムニスト。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774148709/" target="_self">『地雷を踏む勇気』</a>（技術評論社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822248828/" target="_self">『その「正義」があぶない。』</a>（日経BP社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4121502310/">『テレビ標本箱』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4121502744/">『テレビ救急箱』</a>（ともに中公新書ラクレ）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4903186296/">『サッカーの上の雲』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4903186474/">『1984年のビーンボール』</a>（ともに駒草出版）など多数。共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062154374/">『人生２割がちょうどいい』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062164418/">『ガラパゴスでいいじゃない』</a>（ともに講談社）ほかがある。<br>
ブログ：<a href="http://takoashi.air-nifty.com/diary/">偉愚庵亭憮録</a>]]> 
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<title>小林浩「世界を編集する――書物、書棚から文化まで」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1550296.html" />
<modified>2012-02-29T09:42:49Z</modified> 
<issued>2012-02-29T19:00:51+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1550296</id>
<summary type="text/plain">担当者より：多くの人文書を世に送り出している月曜社の小林浩さんが、2009年に書いた「編集」論です。なお、2009年時のものに若干の加筆を行っております。そして、小林さんが担当した最近の書籍も紹介を。近藤和敬『構造と生成　I　カヴァイエス研究』（シリーズ「古典転生...</summary> 
<dc:subject>小林浩</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1550296.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b>多くの人文書を世に送り出している月曜社の小林浩さんが、2009年に書いた「編集」論です。なお、2009年時のものに若干の加筆を行っております。そして、小林さんが担当した最近の書籍も紹介を。近藤和敬<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4901477897/" target="_self" title="">『構造と生成　I　カヴァイエス研究』</a>（シリーズ「古典転生」）、ロドルフ・ガシェ<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4901477900/" target="_self" title="">『いまだない世界を求めて』</a>（叢書「エクリチュールの冒険」）、上村忠男編訳<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4901477919/" target="_self" title="">『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』</a>（シリーズ「古典転生」）などです。あと、岡本源太『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』（シリーズ「古典転生）も近日刊行との由。これらの書籍も関心ある向きはぜひ！<br>
<br>
<u>配信日：2009/07/22</u><br>
<br>
<br>
書物は二度編集される。一度目は、編集者によって。モノとしての書物がここで誕生する。二度目は、書店員によって。店頭で様々な書物と組み合わされて、関係性の網目の中で多様な生が実現される。前者は製作段階での編集であり、後者は販売段階での編集である。後者を「棚編集」と仮に呼ぼう。棚編集によって、紙の束であったモノとしての書物は、市場で新たな生命を獲得し、読者と出会う。出版人ばかりが編集者なのではない。書店員も編集者なのである。<br>
<br>
棚編集の重要性はいくら指摘しても足りない。個人の好みにかかわることなので一概に言えない部分もあるけれど、私の場合、棚が面白くない書店には魅力を感じない。棚は生き物であり、手塩にかけて育てられている棚は今にも語り出しそうな饒舌さを持っている。<br>
<br>
一冊の書物は、その他の様々な書物とのつながりの中でこそ活きてくる。書物とは関係性であり、結節点であり、触媒であり、可能性である。「書店は、書棚に魔法を満たすことも、嵐を吹かせることもできる」とアメリカの著名な書店人ロバート・ヘイルはかつて説いた（<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7E1PO" target="_self" title="">『書籍販売の手引き』</a>所収「書店人とは？」、日貿出版社、1982年）。<br>
<br>
棚編集、棚づくりは容易ではない。棚は、時代の推移に伴って変化し続けなければならない宿命を持っている。ただし、頻繁に変えてしまっては売場全体としてメンテナンスすることがより困難になる。書物を分類し、棚に振り分けるのは、いわば書物を定住させようとする試みだ。<br>
<br>
しかし、ジャンルというのは永遠不変のものではないから、いずれは壊し、組み替えねばならない。昨日までの約束事を破棄するのは簡単なことではない。「管理と改革」という二律背反の前で棚を衰弱死させないために、編集力が発揮されなければならない。<br>
<br>
書物を販売する際の編集力は、棚分類の見直し作業や新たなコーナーづくり、ブックフェアの企画などで発揮される。コーナーやブックフェアでの成功が、棚分類の見直しにフィードバックされることもある。<br>
<br>
版元営業の醍醐味は、そうした書店の現場での創意工夫に寄り添えるところにある。新刊の平積みの発注を何十冊取ってくるといった営業スタイルが一方であることも否定はしないが、書店員の棚づくりの苦労を見たらいい。版元が自社のみの利益にこだわっていると、そうした苦労は見えなくなりがちだ。<br>
<br>
版元にとっては自社本の売上アップが問題だから、受注冊数の多寡が気になるものだ。しかし、多種多様な書物を扱う書店にとっては一社の売上ばかりを気にしているわけではない。棚全体、売場全体の魅力が問題なのだ。利益観のこの温度差を営業マンは無視するべきではない。<br>
<br>
これまで私は書店の棚づくりに積極的にかかわってきた。それは、現場の苦労の声を聞いてそこに寄り添いたいと願った営業マンとしての信条からだけではなく、一読者として「魅力ある棚」への欲求を常に持っていたからだ。90年代後半には紀伊國屋書店新宿本店で「人文文庫棚」、00年代前半にはジュンク堂書店池袋本店で「人文洋書棚」、00年代後半にはジュンク堂書店新宿店で「反戦平和棚」の新設に協力してきた。<br>
<br>
一過性のブックフェアではなく、新規の常設棚の立ち上げに手間を惜しまないことは、やりがいのある仕事だと私は感じている。実は今も某書店のスタッフと組んで、まだどこの店舗でも常設に成功していない、とあるテーマの書棚の基礎を固めているところだ。<br>
<br>
新規の常設棚を企画する場合、数年で廃れてしまうようなテーマは選べない。たとえば「反戦平和」を巡る問いは、戦争や平和の形態が時代とともに変化していくにせよ、容易には克服されない人類的な課題として残り続けるだろう。そういう大きな問題に挑戦する楽しさは大書店だけが享受できるのではないか、と見る向きがあるかもしれない。街の小書店にそんな余裕はないと。私自身も零細自営業者なのでその気持ちが分からないではない。<br>
<br>
他方で、小さくても魅力的な書店があることも私は知っている。所詮版元である私に書店の皆さんの本当の苦労など知れたものではないにせよ、「余裕がないから」という理由で面白い仕事の追求を諦めるほうが利口だとは私には思えないのだ。<br>
<br>
書物は二度編集されると最初に書いた。実際にはそれに加えて少なくともあと二回、書物は編集されている。まず、書物の中身になる原稿を執筆する段階での、著者サイドの編集というものがある。そして、書店から買われたり、図書館で借りられたりして読まれる段階での、読者サイドの編集というものがある。<br>
<br>
読者に読まれるまで、書物は紙の束にすぎない。書物は読まれるその都度、新たに転生する。それは唯一の生ではなくて、数多くの転生である。ひとつの作品の読まれ方というのは実に多様だ。一人の読者においてさえ、時間の経過とともに感想は異なってくる。若いころに読んだ書物をあらためて読み直してみて新しい発見があるというのは、誰にでも起こりうることだ。<br>
<br>
「人間はすべて、自覚しないが、エディターである」と外山滋比古は述べている（<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4622074699/" target="_self" title="">『新エディターシップ』</a>、みすず書房、2009年）。松岡正剛が提唱する編集工学にも見られるようなこうした汎編集論は、人と人、人とモノ、モノとモノを結んだり分けたりする「編集」というわざの根本を見たものであると私は思う。汎編集論は天使messengerと媒介mediaを語るだろう。<br>
<br>
書物をつくることばかりが編集なのではない。書棚づくりも編集である。書物を通じて書物の「外」を編集すること、それは書棚づくりだけではなくて、書店づくり、ひいては書店のある街づくりともなっていく。編集力の影響範囲は地域貢献に留まらない。文化を編むこと、それが国づくりの基礎となる。国どうしもつながっているから、地球規模で文化を編集し続けることが、この星の運命を変え、織り直していく編集作業になるだろう。<br>
<br>
編集すること、それは介入することであり、変革することである。この介入と変革は、それを行う主体自身が変わることを伴う。世界を変えることは自分自身が変わることとつながっている。それはますます生きづらくなる現代社会において、生きることと働くことを喜びで結び直す作業である。これはスローガンなのではない。著者としてであれ、出版人としてであれ、書店人としてであれ、読者としてであれ、もしあなたが自分らしさを求め、同様に他人の自分らしさを認めるならば、そこには結び付け、立て分ける編集力が発揮されている。大いなる個人主義の時代は過ぎ去りつつある。現代人は「大編集時代」という名の共同性の季節を迎えているのではないか。<br>
<br>
<br>
●小林浩（こばやし・ひろし）<br>
月曜社取締役。<br>
人文系の書籍を中心とした本の編集をする一方で、雑誌や自身のブログなどで、国内外の多くの書籍を目利きとして紹介している。<br>
ブログ：<a href="http://urag.exblog.jp/">ウラゲツブログ</a>]]> 
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<title>山本一郎「ニュースまとめ斬り！」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://bisista.blogto.jp/archives/1549458.html" />
<modified>2012-02-25T09:24:00Z</modified> 
<issued>2012-02-25T17:00:10+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:bisista_news.1549458</id>
<summary type="text/plain">担当者より：『リーダーの値打ち』（アスキー新書）などの著書で知られるブロガーの山本一郎さんが、2009年当時の与謝野馨や日本共産党の動きについて触れたコラムです。

配信日：2009/04/15


●日本経済の大番頭と化した与謝野さんと、資本主義の護り手となった共産...</summary> 
<dc:subject>山本一郎</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://bisista.blogto.jp/archives/1549458.html">
<![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4048861344/" target="_self" title="">『リーダーの値打ち』</a>（アスキー新書）などの著書で知られるブロガーの山本一郎さんが、2009年当時の与謝野馨や日本共産党の動きについて触れたコラムです。<br>
<br>
<u>配信日：2009/04/15</u><br>
<br>
<br>
<b>●日本経済の大番頭と化した与謝野さんと、資本主義の護り手となった共産党・大門先生●</b><br>
<br>
<br>
茶化しではなく、経済重要閣僚３つを兼ねて、少し前まで咽頭ガンが噂され、生きるか死ぬかとまで言われた与謝野馨氏が大奮闘しております。<br>
<br>
与謝野さんがこの難局で麻生首相から経済の舵取りを託され、将来の消費税増税を睨みながらもまずまずの働きをしており、霞ヶ関寄りだとか批判されつつも何とかなっているのは日本にとって僥倖の極みと思います。<br>
<br>
一方、国会質問で最近急激に存在感を増しているのが民主党……ではなく共産党の大門実紀史さんであります。大変に勉強されているのか、第117国会の参院財政金融委員会議事録などを読むに、極めて力強く、また正確な議論をなされ注目が集まっています。<br>
<br>
<a href="http://www.daimon-mikishi.jp/kokkai/k-kiji/090303.htm" target="_self" title="">■2009年３月３日　 財政金融委員会（給付金財源法案等）■</a><br>
<br>
<a href="http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/171/0060/17103300060013a.html" target="_self" title="">■第171回国会　財政金融委員会　第13号■</a><br>
<br>
SFCG問題然り、日銀の買いオペ然り、とても共産主義者とは思えないような、マーケットの理に適った質問を投げかけ、あるいはマスコミを批判し、日本は健全な市場機能を回復させるよう努力すべき、という驚きの正論を繰り広げます。<br>
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「そもそも論としてお聞きしたいんですけど、公的セクターが株式市場、ＣＰでも社債でもいいんですけれども、そこに介入するということそのものが、市場経済の中においてはそのものが自己矛盾を起こすわけですよね。（中略）市場の機能を壊さない程度に、機能を壊さない程度に介入すべきだと。こういう議論があるんですけど、効果が出たときは機能を壊しちゃっているわけですよね、市場の機能を、メカニズムを」<br>
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力強いです。まさか、この手の正論を正確に議論できる人材が、よりによって共産党から輩出されようとは。『蟹工船』ブームで党員も地味に増加したこの党から目が離せません。<br>
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●山本一郎（やまもと・いちろう）<br>
イレギュラーズアンドパートナーズ代表取締役。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4166604694/">『“俺様国家”中国の大経済』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4166606670/">、『情報革命バブルの崩壊』</a>（ともに文春新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4569771785/">『ネットビジネスの終わり』</a>（PHP研究所）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4048861344/" target="_self" title="">『リーダーの値打ち』</a>（アスキー新書）などがある。<br>
ブログ：<a href="http://kirik.tea-nifty.com/">やまもといちろうブログ</a>]]> 
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