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<title>ビジスタニュース - 山本貴光</title>
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<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1514880.html">
<title>山本貴光「非モテと哲学者」</title>
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<description>担当者より：『デバッグではじめるCプログラミング』（翔泳社）などのご著書で知られ、上巻が現在発売中の『ルールズ・オブ・プレイ』（ソフトバンク クリエイティブ）の翻訳でもご活躍の山本貴光さんが、哲学者と非モテについて論じた一文です。ご著書『コンピュータのひみ...</description>
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<dc:date>2011-10-18T12:00:22+09:00</dc:date>
<dc:subject>山本貴光</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798114197/" target="_self">『デバッグではじめるCプログラミング』</a>（翔泳社）などのご著書で知られ、上巻が現在発売中の<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797334053" target="_self">『ルールズ・オブ・プレイ』</a>（ソフトバンク クリエイティブ）の翻訳でもご活躍の山本貴光さんが、哲学者と非モテについて論じた一文です。ご著書<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255005443">『コンピュータのひみつ』</a>（朝日出版社）についての<a href="http://www.sbbit.jp/article/cont1/22778">山本貴光さんのインタビュー</a>もご一緒にどうぞ。<br>
<br>
<u>配信日：2009/06/03</u><br>
<br>
<br>
非モテと哲学者。いやはや大変なテーマである。どうせ哲学だなんてことに手を染めている輩は、モテとはおよそ縁遠い非モテ・ライフを送っているだろうから、このテーマもネタには事欠かないにちがいない……と、ビジスタ編集部が考えたかどうかはともかく、言うところのモテ／非モテ問題は、哲学においても古来少なからぬ思索とインクが費やされてきたテーマなのである。<br>
<br>
プラトンの<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4003360133/" target="_self">『饗宴』</a>（岩波文庫ほか）は、なぜ恋人同士が惹かれあうのかについての奇説が提示されるじつに面白い恋愛談義だし、つい先だってもジャン＝リュック・ナンシーが子どもたちに向けて行った講演記録<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4794808011/" target="_self">『恋愛について』</a>（新評論）が翻訳されたところだ。というよりも、第一、哲学者だって人間だから、恋もすれば失恋もする。<br>
<br>
例えば、作家のルー・アンドレアス・ザロメに求愛してフラれたニーチェなどは、非モテの典型みたいなものだろう。言い遅れたけれど、ここで「非モテ」とは、小谷野敦が言う「もてない」状態＝「好きな女性〔男性〕から相手にしてもらえない」という意味で捉えておこう。そうかと思えば、一旦は10歳下のレギーネ・オルセンと婚約しておきながら、一方的に破棄してしまうキルケゴールのような強者がいる。<br>
<br>
また、ハイデガーとハンナ・アーレントの恋仲は、いわゆる先生と生徒のイケない関係の哲学版だ。哲学史を見ればこれには先例があって、12世紀のアベラールが弟子のエロイーズと恋に落ちたケースは経緯も壮絶であった。サルトルとボーヴォワールのカップル、アルチュセールが書いた500通に上るラヴレターの山（ルイ・アルチュセール<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4894343975/" target="_self">『愛と文体――フランカへの手紙』</a>、藤原書店）等々、挙げてゆけば哲学者にまつわるモテ／非モテのエピソードはいくらでもある（あれ？　これじゃニーチェだけが非モテか！）。再び言えば人間だもの。哲学者にとっても他人事ではないトピックなのだ。<br>
<br>
では、そんなかれらはモテ／非モテについてどう考えていたのだろうか。それこそソクラテス以前から21世紀現代思想まで、ご紹介したい話は山ほどあるのだけれど、その辺のことは本田透による、哲学者の恋愛史としても読める<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062137763/" target="_self">『喪男の哲学史』</a>（講談社）を参照していただくとして、今回は「万学の祖」と言われたアリストテレス先生（以下、ア先生）ににご登場願おう。というのも、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4003360419/" target="_self">『ニコマコス倫理学』</a>（岩波文庫ほか）において、先生一流のやり方で愛（モテ）について論じているからだ。<br>
<br>
ア先生の言う「愛」は、友愛とか親愛といった広い意味なのだけれど、これを「恋愛」や「モテ」に置き換えて読んでも十分に意義があると思う。以下、「愛」を適宜そのように読み直していただきたい。さて、ア先生は「愛」をこんなふうに分析している。<br>
<br>
愛（モテ）とは、お互いに好意を抱いている状態のことである。それに対して、一方的な場合はせいぜい「好意を寄せている」（非モテ）状態に過ぎない。<br>
<br>
こう基本を押さえたうえで、ア先生は、愛の対象には、有用なもの、快適なもの、善きものの三つがあると、なんだか恐ろしいようなことをサラリとおっしゃる。このうち有用性や快適さを求める愛は、相手のためというよりは、自分のために愛しているようなものだ。例えば、一緒にいて楽しい人を愛するのは、その人の人物や存在の故ではなくて、自分を楽しませてくれるからこそ愛しているに過ぎないという次第。<br>
<br>
ちょっとドキっとさせられる話だけれど、ア先生は追求の手を緩めない。こういう有用性や快適さを求める愛は、すぐに終わってしまうものだとダメを押している。なぜかといえば、相手が提供してくれる有用性や快適さは、いつまでも保たれるとは限らないから。先ほどの例の続きで言えば、楽しい人だから愛していたのに、気づくと退屈な人になっていて、愛も終わるというところだろうか（「楽しい人」というところにいろいろ当てはめてみていただきたい）。ア先生、実生活でなにかあったのかとつい余計な心配をしてしまいそうになるけれど、御説ごもっともである。<br>
<br>
それなら、長持ちする愛はないのかと言えば、それが「善きもの」を求める愛である。ただし、この場合の「善きもの」とは、自分にとっての善きものではなく、相手にとって善きもの、というところがミソだ。こういうケースでは、人は有用性とか快適さといった目的のためではなくて、相手の人間（存在）そのもののゆえに、愛しているというわけだ。そういう愛であれば、その人の属性（例えば外見や年齢）が多少変わったとしても、そのことで愛は終わらない、はず（リクツの上では）。<br>
<br>
たしかにそうかもしれない。でも、こういう愛は、希有であるだけでなくて、時を経ながら親しく打ち解けて、互いに信頼を勝ち得ることが必要とのことだから、ハードルは高い。要は、有用性や快適さといった属性を求めるだけに終わらず、じっくり時間をかけて互いの人となりを気に入るような愛であれば、長く続く可能性があるよね、ということだ。さすが存在論の哲学者というべきか。「愛の願望はただちに生ずるが、愛というものは、しかし、そうはゆかないのである」（高田三郎訳、岩波文庫）とは、けだし名言である。<br>
<br>
ん？　待てよ。要するに、愛は成りがたいのだから、非モテだからって嘆くなと言っているのかしら。<br>
<br>
<br>
●山本貴光（やまもと・たかみつ）<br>
コーエー（ゲーム開発）を経て、フリーランスの物書き。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798114197/">『デバッグではじめるＣプログラミング』</a>（翔泳社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255005443/">『コンピュータのひみつ』</a>（朝日出版社）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480688021/">『ゲームの教科書』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ともにちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は書物、映画、音楽、美術、ゲーム、カステラ、原節子など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/">作品メモランダム</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1380923.html">
<title>山本貴光＋吉川浩満「貧困と哲学者」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1380923.html</link>
<description>担当者より：『問題がモンダイなのだ』（ちくまプリマー新書）などの著書がある山本貴光さんと吉川浩満さんが、哲学者と貧困の関係について考察した一文です。また、『コンピュータのひみつ』（朝日出版社）を上梓された山本貴光さんのインタビューをアップいたしました。そ...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-12-22T19:00:50+09:00</dc:date>
<dc:subject>山本貴光</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）などの著書がある山本貴光さんと吉川浩満さんが、哲学者と貧困の関係について考察した一文です。また、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255005443">『コンピュータのひみつ』</a>（朝日出版社）を上梓された<a href="http://www.sbbit.jp/article/cont1/22778">山本貴光さんのインタビュー</a>をアップいたしました。そちらもぜひご覧ください。<br>
<br>
<u>配信日：2008/10/15</u><br>
<br>
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人はパンのみにて生くるものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらず――河上肇<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4003313216/">『貧乏物語』</a><br>
<br>
貧困と哲学者たちといえばまっさきに思い浮かぶのは、紀元前４世紀ごろの古代ギリシアで活動したとされるディオゲネスという哲学者。物質的生活はおろか文化的生活をも無用とするキュニコス派（犬儒派）の哲学者らしく、樽のなかに住んで犬のような暮らしをしていたこという。そこから、「樽のディオゲネス」とか「犬のディオゲネス」などとも呼ばれた。<br>
<br>
とにかくこのディオゲネスという人物、おかしなエピソードには事欠かない。たとえば、かのアレクサンドロス大王から「なにか希望はないか？」と尋ねられたとき、「そこに立たれると日陰になるからどいてくれ」と答えたとか（彼は日向ぼっこをしていたのである）。あるいは、広場でものを食べているのを見られて、「まるで犬だな」と罵られたとき、「人がものを食っているときに集まってくるお前たちこそ犬みたいじゃないか」と言い返したとか（ものを食べるのが自然な行為であるかぎり、どこでなにを食おうがおかしなことではないという理屈）。<br>
<br>
まあ、ほとんどの逸話は作り話なのだろう。でも、モノや知識や権力などなくとも満ち足りた生活を送ることは可能であり、むしろそうした生活こそ「徳」の実現だとする彼の思想をよくあらわしていることはたしかだ。一見バカバカしいその逸話にひとしきり笑ったあとで、じわじわと腑に落ちてくる。彼が犬（キュオーン）と呼ばれることをどう思っていたかはともかくとして、その「犬の生活」から見れば、金やら名誉やら権力に振り回されて泣いたり笑ったりしている人間の暮らしぶりこそ滑稽なのではないか。はたしておかしいのはどちらか。<br>
<br>
残念ながら彼が書いたものはなに一つとして残っていないが、３世紀ごろのディオゲネス・ラエルティオス（同じディオゲネスでも別人）が『ギリシア哲学者列伝』（岩波文庫）のなかで逸話の数々を伝えてくれている。また、山川偉也の労作<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4061598554/">『哲学者ディオゲネス――世界市民の原像』</a>（講談社学術文庫）を読むと、マケドニアが世界帝国へ向けて勢力を拡大する時代にディオゲネスが模索した「世界市民（コスモポリタン）」としての生き方が、まるで他人事ではないことに気づかされる。<br>
<br>
ついつい筆者お気に入りのディオゲネス先生の話が長くなってしまった。というのも、じつは哲学史において貧乏だった哲学者はあまり多くない。加えて貧困という現象にマトモに取り組んだ哲学者となると、ほぼ皆無にひとしいというのが実情なのだ。<br>
<br>
試みに、こんな折にいつもお世話になっている哲学事典を引いてみる。現代日本を代表する哲学事典<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4000800892/">『岩波哲学・思想事典』</a>（岩波書店）の1900ページのなかには、「貧困」やそれに類する言葉や概念の項目は見当たらない（ついでに言えば、貧乏哲学者世界代表ディオゲネス先生の項目もない）。よもや、と思ってもう一冊の虎の巻<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582100015/">『哲学事典』</a>（平凡社）を見ると、1700ページのなかにそれらしき項目はやはりない（ディオゲネスはあった）。合計3600ページの哲学・思想の解説に「貧困」が占める位置は、どうやらないようなのだ。これはしたり。 <br>
<br>
思えば、哲学の権化みたいなプラトンやアリストテレスにしても、自身は名門の出だったり医師の息子だったりするうえに、奴隷制度を是としてその国家論や政治論を構想していた。西洋の哲学は、中世においては教会の内部で、ルネサンス以降においては大学の内部で営まれてきた。哲学の担い手の大半は、いわば「良家の子女」であり「お金持ち」たちだったわけである。<br>
<br>
不幸続きの人生に見えるキルケゴールは裕福な毛織物商の末っ子で経済的には安定していたし、生は苦痛だと言ったショーペンハウアーは富裕な銀行家の息子だった。膨大な著作をものしながら貧困のうちに死んだカール・マルクスだって、もとは有力な弁護士の家に生まれ、貴族の娘と結婚した。20世紀最大の哲学者のひとりと言われるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインにいたっては、オーストリアを代表する鉄鋼王の末っ子で、宮殿と呼ばれる家で育ったという。<br>
<br>
マルクスやウィトゲンシュタインが結果として貧乏になったのは、おカネよりも価値のあるライフワークを見出したからにすぎない。言い忘れたが、ディオゲネス先生ももとはと言えば、いまで言う銀行家の父をもち、貨幣偽造の疑いで祖国を追放されて、流浪の乞食となり哲学を始めたのだった。<br>
<br>
もっとも、プルードンのように貧農の家に生まれて、苦学しながら『所有とは何か』（所有とは盗みである）、『経済的諸矛盾の体系あるいは貧困の哲学』という問題を提起した人がいなかったわけではない（彼を哲学者と呼んでよいかどうかという問題もあるけれど）。<br>
<br>
だが、やはりとりわけ近代以降において貧困とマトモに向き合ってきたのは、哲学者ではなく、むしろ宗教家や芸術家たちだろう。なんのことはない、筆者たちが「貧困の哲学」を求めて見出したのは、「哲学の貧困」（マルクス）なのであった。<br>
<br>
<br>
●山本貴光（やまもと・たかみつ）<br>
コーエー（ゲーム開発）を経て、フリーランスの物書き。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798114197/">『デバッグではじめるＣプログラミング』</a>（翔泳社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255005443/">『コンピュータのひみつ』</a>（朝日出版社）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480688021/">『ゲームの教科書』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ともにちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は書物、映画、音楽、美術、ゲーム、カステラ、原節子など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/">作品メモランダム</a><br>
<br>
●吉川浩満（よしかわ・ひろみつ）<br>
国書刊行会、ヤフーを経て、フリーランスの物書き。<br>
共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は哲学、ハーレーダビッドソン、ロック、映画、 犬など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/clinamen/">哲劇メモ</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1361329.html">
<title>山本貴光＋吉川浩満「フーコー徹底活用法――思想の武器庫を再点検する」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1361329.html</link>
<description>担当者より：『心脳問題』（朝日出版社）や『問題がモンダイなのだ』（ちくまプリマー新書）などの著書がある山本貴光さんと吉川浩満さんが、ミシェル・フーコーについて2007年に書いた原稿です。ご一読ください。

配信日：2007/09/19


ミシェル・フーコー（Michel Foucaul...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-11-12T18:30:18+09:00</dc:date>
<dc:subject>山本貴光</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）や<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）などの著書がある山本貴光さんと吉川浩満さんが、ミシェル・フーコーについて2007年に書いた原稿です。ご一読ください。<br>
<br>
<u>配信日：2007/09/19</u><br>
<br>
<br>
ミシェル・フーコー（Michel Foucault, 1926-1984）のポートレイトをご覧になったことがあるだろうか（まだの方は、YouTubeやGoogleイメージ検索で"Michel Foucault"を検索してみよう）。作家のポートレイトといえば、見るたび「どんだけヒゲ生えてるのよ！」とつっこみたくなるマルクスやニーチェなども忘れがたい風貌だけれど、このフーコーという人もまたそのスキンヘッドによって、作家ポートレイト史上に燦然と輝いている。<br>
<br>
などと言ったら冗談が過ぎるかもしれないが、往年のフーコーが街でデモに参加すると、彼を狙うパリ市警はそのスキンヘッドを目印にしたとかしなかったという話もあるくらいだ。<br>
<br>
ところでフーコーとは何者なのだろうか。フーコーが何者かを規定するのはむずかしい。学者といえば学者なのだが、さて何を専門とする学者と言うべきか。その頭部のようにつかみどころがない。ためしに彼の書物に冠された言葉を見てみよう。<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4105067028/">『狂気の歴史――古典主義時代における』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4622022176/">『臨床医学の誕生――医学的まなざしの考古学』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/410506701X/">『言葉と物――人文科学の考古学』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4105067036/">『監獄の誕生――監視と処罰』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4105067044/">『性の歴史』</a>……。タイトルからして歴史研究のように見える本が多い。「考古学」なんて言葉も見えている。<br>
<br>
ところが歴史研究だと思ってこれらを読んでみると、ちょっと不思議な読後感が残る。たしかに彼は厖大な歴史的文献を読みこなして、現代というよりは過去の話ばかりをしている。その意味で、これらの本はひとまず歴史書として読める。そこへもってきて文章も華麗そのもので、これが学者の文章かと思うほどだ（だなんて言ったら誰に失礼にあたるのか）。<br>
<br>
他方で、歴史研究というには何かそれにとどまらない思考が紙面の背後でブンブンと唸りをあげているのが否応なく感じられてくる。どうもフーコーの目線は、歴史的な事実そのものというよりも、ちょっとそこからずれたところにフォーカスされているようなのだ。<br>
<br>
フーコーは歴史を題材にしながら、社会のさまざまな場面で権力というものがどのように作動しているかとか、人がものを眺めるときに拠って立つ知の配置はどうなっていたかといったような、壮大かつ緻密な知性を要求する困難なテーマ群をターゲットにしているのである。<br>
<br>
そんなフーコーの仕事のサワリを、彼との対談で引き出してみせたのは、仏文学者で演出家でもある渡辺守章だ。その対談は、先ごろ大幅な増補改訂を施された<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255003904/">『哲学の舞台』</a>（朝日出版社）で読むことができる。<br>
<br>
対談からフーコーの言葉を一言だけ引いておこう。<br>
<br>
「私の知りたいことは次のようなことです。すなわち、病気というものを、狂気を、犯罪を、人はどのように舞台にのせたかということであり、言い換えれば、人が病気や狂気や犯罪を、どのように見、どのように受け取り、それらにどのような価値を与え、どのような役割を演じさせたのか、ということなのです」（pp.18-19）<br>
<br>
同書にはそのほか、フーコー来日時の講演、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4105067044/">『性の歴史Ⅰ――知への意志』</a>の訳者でもある渡辺によるフーコー読解、さらには、21世紀の初頭にフーコーを読むことの意義を論じた渡辺と石田英敬の対談などが収録されている。これからフーコーを読んでみようかという読者には、うってつけのイントロダクションとなるにちがいない。<br>
<br>
ところで、フーコーが没してはや四半世紀近くが経つ。その死後も、彼の新作が続々と刊行されていると言ったら驚くだろうか。<br>
<br>
ひとつは、『Dits et Ecrits』（全４巻）といって、生前には単行本に収録されなかったさまざまな論文、エッセイ、インタヴューなどを集めた書物。邦訳は<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480790217/">『ミシェル・フーコー思考集成』</a>（全10巻、筑摩書房）として刊行され、その後ハンディな文庫版<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480089918/">『フーコー・コレクション』</a>（全６巻＋別巻１、ちくま学芸文庫）に編みなおされている。一つ一つの文章は短いので、そのときどきの興味に合わせて拾い読みするのにも向いている。<br>
<br>
もうひとつは、彼がコレージュ・ド・フランスで行った講義録がある（全13巻の予定で目下刊行中）。<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480790446/">『ミシェル・フーコー講義集成』</a>（全13巻予定、筑摩書房）と題して邦訳も進められている。講義のほうは、週に一度、一般聴衆に語りかけるというスタイルで、しっかり整えられた著作とはまたちがった魅力がある。<br>
<br>
フーコーは遺言に「死後出版を認めず」と書いていた。だから、ことによってはこれらの書物はお蔵入りしたままだったかもしれない。ところがその後時が経ち、遺族の許可の下、遺言が解釈しなおされた。フーコーの生前とはまた異なるかたちで作品が刊行されているのは、このような事情による。作品は作家の死後も生きるとはよく言ったものだ。<br>
<br>
さて、先に見たようにフーコーの研究対象はもっぱら過去のものごとだった。だとすると、現代とはあまり関係のない話かと思うかもしれないが、さにあらず。おもしろいことに、彼が発見したり創出した概念は、ものを考えるための道具として今日ますますあちこちで使われるようになっている。<br>
<br>
つい先ごろ刊行された論文集<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4766414047/">『フーコーの後で――統治性・セキュリティ・闘争』</a>（芹沢一也＋高桑和巳編、慶應義塾大学出版会）は、そんな実践の好例だ。同書は、上記した『講義集成』の出現によって明らかになってきたフーコー晩年の思考に焦点をあてて、現在の諸問題にそれを接続しようとする試みである。<br>
<br>
フーコーに限ったことではないけれど、現在自分がいる場所とは異なる状況下で誰かが考えたことを、そのまま鵜呑み請け売りするだけではつまらない。もっと言ってしまえば、フーコー学者ではないわたしたちとしては、フーコーその人も推奨するように、彼が提出した概念を自分の関心にしたがって換骨奪胎し、自分の現場でドシドシ活用してみるのが肝要ということだ。<br>
<br>
よりどりみどりの思考の武器庫、あなたなら何を取り出してくるだろうか。<br>
<br>
<br>
●山本貴光（やまもと・たかみつ）<br>
コーエー（ゲーム開発）を経て、フリーランスの物書き。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798114197/">『デバッグではじめるＣプログラミング』</a>（翔泳社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255005443/">『コンピュータのひみつ』</a>（朝日出版社）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480688021/">『ゲームの教科書』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ともにちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は書物、映画、音楽、美術、ゲーム、カステラ、原節子など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/">作品メモランダム</a><br>
<br>
●吉川浩満（よしかわ・ひろみつ）<br>
国書刊行会、ヤフーを経て、フリーランスの物書き。<br>
共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は哲学、ハーレーダビッドソン、ロック、映画、 犬など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/clinamen/">哲劇メモ</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1347626.html">
<title>山本貴光＋吉川浩満「お役立ち（？）トラブルシューター本ガイド」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1347626.html</link>
<description>担当者より：『問題がモンダイなのだ』（ちくまプリマー新書）などの著書がある山本貴光さんと吉川浩満さんが、トラブルシューティングに関わる書籍について2006年に紹介した原稿です。また、山本さんは
『コンピュータのひみつ』（朝日出版社）を上梓されたばかり。そちらも...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-09-15T15:00:19+09:00</dc:date>
<dc:subject>山本貴光</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）などの著書がある山本貴光さんと吉川浩満さんが、トラブルシューティングに関わる書籍について2006年に紹介した原稿です。また、山本さんは<br>
<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255005443/">『コンピュータのひみつ』</a>（朝日出版社）を上梓されたばかり。そちらも要チェックです。<br>
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<u>配信日：2006/12/20</u><br>
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世界に問題の種は尽きない。毎日のニュースや新聞の少なからぬ部分は、「こんな問題がもちあがった」だの「あの問題が解決した」という情報で埋まっている。はてなに代表される「お知恵拝借サーヴィス」（問題を抱えている人が問いをアップするとそれを見た誰かが答える）なども、じつにさまざまな難問奇問珍問愚問であふれている。<br>
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自分が遭遇している問題は、ひょっとしたらいつか誰かが通った道かもしれない。それならいっそのこと、先達にお知恵を拝借できれば解決の目処もたとうというもの。日頃からそうした知恵に触れておくにしくはない。今回は、そんなトラブルシューター本を何冊かご紹介してみたい。<br>
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<b>★J.ペイビン＋Ｄ.ボーゲニクト<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4794209886/">『この方法で生きのびろ！』</a>シリーズ（倉骨彰訳、草思社）</b><br>
もしも乗っている飛行機のパイロットが倒れたら？　もしも運転している車が海に飛び込んでしまったら？　んなことはアクション映画の中でしか起こらないと高をくくっているあなた。いざとなってから「あの本になにか書いてあったな（でも読んでなかった！）」と思っても手遅れ。冒険野郎マクガイバー（古っ）も真っ青の大ピンチを、この方法で生きのびろ！<br>
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<b>★伊丹十三<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4101167338/">『問いつめられたパパとママの本』</a>（新潮文庫）</b><br>
「空ハナゼ青イノ？」といった子どもの素朴な問題群に鬼才の映画監督が軽快に答えていく。サラッと読み流してしまえば、いわゆる「雑学本」のひとつに数えられそうな内容だけれど、注目すべきは、その独特の語り口とユーモアの感覚。世が変われば答えも変わるかもしれない。でも、伊丹氏が演じてみせる自由自在な問題さばき（＝パパとママのトラブルシューティング）は、刊行後40年ちかく経ったいまでも色あせることはない。<br>
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<b>★矢沢久雄<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822281655/">『コンピュータはなぜ動くのか――知っておきたいハードウエア＆ソフトウエアの基礎知識』</a><br>
（日経ＢＰ社）</b><br>
トラブルシューティングといえば、まっさきにコンピュータのトリセツやマニュアルを思い浮かべる人も少なくないだろう。同時に、それらが役立つ範囲があんがい狭いこともわかるはず。問題解決の応用力を身につけるには、「いったいなぜ動かないのか」というその場の状況だけでなく、「そもそもなぜ動くのか」という物事の理路をはっきりさせておくことが重要だ。本書はその「理路」を教えてくれる好著。<br>
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<b>★<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B000JBFF6Y/">『アリストテレス全集 第11巻 問題集』</a>（戸塚七郎訳、岩波書店）</b><br>
「毛深い男性は好色」ってホント？　なぜ他の人にあくびはうつるの？　どうして人は10進法を使うの？　本を読むと眠くなるのはなぜ？　耳をほじると咳が出るわけは？　生命線が長いと長生きするのはどうして？　生物の脚はなぜ偶数本？　その他、人間のことから宇宙の謎まで800を超える難問の数々に、すべてアリストテレス先生がズバっとお答えします。一家に一冊、座右に置きたい問題集（ただし真偽は別途ご確認の上ご利用ください）。<br>
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●山本貴光（やまもと・たかみつ）<br>
コーエー（ゲーム開発）を経て、フリーランスの物書き。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798114197/">『デバッグではじめるＣプログラミング』</a>（翔泳社）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480688021/">『ゲームの教科書』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ともにちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は書物、映画、音楽、美術、ゲーム、カステラ、原節子など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/">作品メモランダム</a><br>
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●吉川浩満（よしかわ・ひろみつ）<br>
国書刊行会、ヤフーを経て、フリーランスの物書き。<br>
共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は哲学、ハーレーダビッドソン、ロック、映画、 犬など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/clinamen/">哲劇メモ</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1333918.html">
<title>山本貴光＋吉川浩満「極上翻訳エッセイ――読書へのアペリティフ」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1333918.html</link>
<description>担当者より：2006年に『問題がモンダイなのだ』（ちくまプリマー新書）、『心脳問題』（朝日出版社）などの著書で知られる山本貴光さんと吉川浩満さんが、翻訳エッセイの好著を紹介したものです。

配信日：2006/10/04


オオゲサに言うことをお許し願えば、翻訳とは、他人が...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-08-11T16:30:33+09:00</dc:date>
<dc:subject>山本貴光</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>2006年に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などの著書で知られる山本貴光さんと吉川浩満さんが、翻訳エッセイの好著を紹介したものです。<br>
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<u>配信日：2006/10/04</u><br>
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<br>
オオゲサに言うことをお許し願えば、翻訳とは、他人が何語かで書いた文章を、その時点までの自分（翻訳者）の全人生経験を駆使して、それ以外の言葉に移すことだ。しばしば翻訳者は黒子であると言われる。たしかに、著者の外国語をリーダブルな日本語に移すという意味では、誰が訳したかなんてことは、読者にとってはとりあえず関係がない。しかし、どんなに黒子に徹していても、翻訳には上記のような事情があるので、語彙の選び方や範囲、好んで用いる言い回しなど、端々に翻訳者の姿がにじみだす。<br>
<br>
今回は、ふだん訳書からは聞こえてこない翻訳者の肉声に触れることのできる貴重な本を何冊か紹介してみたい。翻訳をしない人にとっては関係ないと思われがちな話題なのだが、じつはさにあらず。良質な翻訳エッセイは、日本語力や文章表現を磨くための格好の読物なのだ。<br>
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<b>★柴田元幸<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4403210880/">『翻訳教室』</a>新書館、2006／03</b><br>
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本書は、翻訳の苦楽を味わうのにうってつけの一冊。オースターやミルハウザーほか、現代アメリカ小説の翻訳者として高名な柴田さんが、東京大学文学部で行った翻訳演習の講義録である。<br>
<br>
ふだん私たちが目にするのは、翻訳者が作業を終えたあとの訳文だ。しかし、翻訳者はいったいどのようなプロセスを経てその訳文に至るのだろう。この本が愉快なのは、なんといってもその道中を垣間見ることができるところ。しかもそれが第一級の翻訳者の道中となれば、もう見逃すわけにはいかない。<br>
<br>
お題の英文に対して学生が出してきた訳文と柴田さん自身の訳文の両方を掲げながら、検討とコメントが加えられてゆく。学生たちがときに入れるツッコミも採録されている。講義の臨場感もさることながら、これを読んでいくと、議論の大半が訳語として充てられる日本語の語感の検討に費やされていることがよくわかる。翻訳者ルービンや村上春樹を迎えての特別講義も<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4166601296/">『翻訳夜話』</a>（文春新書）の番外編のようで楽しめる。<br>
<br>
<b>★大森望<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4327376965/">『特盛！ SF翻訳講座――翻訳のウラ技、業界のウラ話』</a>研究社、2006／03</b><br>
<br>
「SF？　関心ないなァ」だなんてスルーしてしまうともったいないのがこの本。最近、相原コージと竹熊健太郎の<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4091790097/">『サルでも描けるまんが教室』</a>（小学館）がめでたく復刊されたが、本書はその翻訳版だ（といったらどちらにも失礼か）。<br>
<br>
もとは『SFマガジン』（早川書房）に連載されたエッセイを中心に編まれた書物。一篇は短く気軽に読めるうえ、悪訳の基準、人称代名詞の減らし方、超訳ってどうよ、濡場やタイトルはどう訳す、翻訳稼業の実際といったウラ技、ウラ話が満載で飽きることがない。<br>
<br>
一見雑々混沌とした翻訳をめぐる四方山噺だが、そこにはサーヴィス精神という芯が一本通っている。原文の空気を読み、その狙いをふさわしい日本語で演出してサーヴする。このことの重要性を、大森さんはさまざまな角度から説いてくれる。エンターテインメント系の翻訳だからそうなるんだ、という話ではまったくない。日々の書き物にもそのまま通用するような文章作法として、とても参考になる。<br>
<br>
<b>★浅倉久志<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4336047766/">『ぼくがカンガルーに出会ったころ』</a>国書刊行会、2006／06</b><br>
<br>
　雨ニモデカケズ<br>
　風ニモデカケズ<br>
　雪ニモ夏ノ暑サニモマイル<br>
　ヒヨワナカラダヲモチ<br>
　慾ハアルガ<br>
　決シテ儲カラズ<br>
　イツモ絶版ヲオソレテイル<br>
　一日ニ原書四頁ヲ<br>
　スクナカラヌ味噌ヲツケテ訳シ<br>
　アラユルコトヲ<br>
　ジブンデハナニモワカラナイノデ<br>
　ツケヤキバデゴマカシ<br>
　ソシテワスレル……<br>
　サウイフモノニ<br>
　ワタシハナリタクナカッタ<br>
<br>
これは、翻訳道40年のヴェテラン浅倉久志がはじめて刊行した自著<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4336047766/">『ぼくがカンガルーに出会ったころ』</a>に収録された翻訳エレジイだ。一見、恨み節のようにも聞こえるが、もちろんそうではない。<br>
<br>
浅倉さんの海外小説翻訳への愛情と情熱のほどは、同書巻末につけられた44頁にわたる翻訳リストを眺めれば嫌でもわかるはず。クライトン、ヴォネガット、ディック、ライバー、ギブスン、フィニイ等々、これらの名前に見覚えのある読者も多いだろう。これは、翻訳の酸いも甘いもかみわけた著者一流の、力みのないユーモアなのだ。<br>
<br>
著者が翻訳のかたわら、訳者解説や雑誌に発表してきたエッセイを集成した本書を読むと、まだ見ぬあれこれの小説に手を伸ばしたくなること請け合い。読書の秋への絶好の食前酒としてお薦めしたい。<br>
<br>
翻訳をめぐる愉快なエッセイはまだまだ山ほどあるのだが、このつづきはまたどこかで！<br>
<br>
<br>
●山本貴光（やまもと・たかみつ）<br>
コーエー（ゲーム開発）を経て、フリーランスの物書き。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798114197/">『デバッグではじめるＣプログラミング』</a>（翔泳社）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480688021/">『ゲームの教科書』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ともにちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は書物、映画、音楽、美術、ゲーム、カステラ、原節子など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/">作品メモランダム</a><br>
<br>
●吉川浩満（よしかわ・ひろみつ）<br>
国書刊行会、ヤフーを経て、フリーランスの物書き。<br>
共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は哲学、ハーレーダビッドソン、ロック、映画、 犬など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/clinamen/">哲劇メモ</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1325549.html">
<title>山本貴光＋吉川浩満「哲学書翻訳顛末記――噛み砕けないコトバたち／ホンヤクのコンニャク」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1325549.html</link>
<description>担当者より：哲学者ジョン・サールの『MiND（マインド）――心の哲学』（朝日出版社）を翻訳をした山本貴光さんと吉川浩満さんが、哲学書を翻訳するという作業について書いた原稿です。2006年に『MiND（マインド）――心の哲学』が刊行された直後のものです。

配信日：2006/...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-07-18T16:00:48+09:00</dc:date>
<dc:subject>山本貴光</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>哲学者ジョン・サールの<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255003254">『MiND（マインド）――心の哲学』</a>（朝日出版社）を翻訳をした山本貴光さんと吉川浩満さんが、哲学書を翻訳するという作業について書いた原稿です。2006年に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255003254">『MiND（マインド）――心の哲学』</a>が刊行された直後のものです。<br>
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<u>配信日：2006/03/22</u><br>
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この３月に、朝日出版社からジョン・サール<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255003254">『MiND（マインド）――心の哲学』</a>という翻訳書を刊行させていただいた。これはアメリカ哲学の大御所ジョン・サールによる魅力的な入門書。「心とはなにか？」という難問に挑戦する最新型の「心の哲学」だ。この場をお借りして、身の程をわきまえぬ翻訳で苦心惨憺七転八倒した顛末をちょっぴりお話ししたい。<br>
<br>
よく哲学の本は難解だと言われる。たしかに、ものごとを徹底的に考えて、「それってどういうこと？」と問い詰めるのだからややこしくなるのは避けられない。しかし、哲学が難解に見えてしまうことには、もうすこし別の事情もからんでいる。<br>
<br>
そもそも「哲学」という言葉からしてわけがわからない。「学」は「学問」の「学」だからまだよい。問題は「哲」のほう。実は「哲学」という日本語の歴史はそれほど古くない。この言葉が造られたのは明治のこと。津和野藩出身の西周（にし・あまね, 1829-1897）が、"philosophy"を「希賢学」と訳した。この言葉、もとはといえば漢籍から引かれたものだが、「賢を希（こいねが）う学」と読めば腑に落ちる。西はこれをさらに「希哲学」と変え、最後には「哲学」とした。<br>
<br>
ところで翻訳談義でしばしば「翻訳者は裏切者」（Traductore traditore）というラテン語の格言（あるいはそのイタリア語訳）が引き合いに出される。翻訳をしようと思ったら、どうしたって裏切者になるというわけだ。<br>
<br>
たとえば"idea"という言葉。「アイデア」と読めばだれでも知っている言葉だ。サールの本にもしばしば顔を出す。でもこれを日本語に訳すとなると話はややこしくなる。先ほどの西周はこの語に仏典から借りてきた「観念」という訳語をあてた。見事である。でもやがて時が経ち、仏典や漢籍の教養が一般的でなくなったとき、この訳語はいわばもう一度裏切ることになる。たとえば観念、形而上学、実存などと言えば、わけのわからない言葉の代表格のようなものではなかろうか。<br>
<br>
自分で言葉をつくりながら翻訳した明治の先達の苦労には遠くおよばないものの、訳者がサールの翻訳で苦心したのもこの用語の問題だった。哲学書の伝統的な訳語に敬意を払いたい。でも予備知識がない人でも読めるようにしたい（わがまま）。<br>
<br>
というのも<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255003254">『MiND』</a>は、これから「心の哲学」について勉強してみたいと思う人に向けて書かれた入門書。最難問のテーマだけにしっかり考えさせられるけれど、サールの言葉は配慮が行き届いていてあくまでわかりやすい。<br>
<br>
ホンヤクコンニャク（『ドラえもん』）とはよくいったもので（って原作の文脈とはまるでちがうけれど）、哲学のコトバたちを翻訳するときに味わうのは、まさに典型的なコンニャク体験だ。美味しいけれどなかなか噛み砕けない。なかなか噛み砕けないけれど、その作業はとても美味しい。<br>
<br>
むずかしい問題をやさしくおもしろく語るというサール先生の高等テクニック、どこまでうまく日本語に移せたかはなはだ心許なくはあるけれど、邦訳版<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255003254">『MiND』</a>がどんな書物にしあがっているか、ぜひ書店でご賞味いただけたらこれ幸い。<br>
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<br>
●山本貴光（やまもと・たかみつ）<br>
コーエー（ゲーム開発）を経て、フリーランスの物書き。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4798114197/">『デバッグではじめるＣプログラミング』</a>（翔泳社）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480688021/">『ゲームの教科書』</a>、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ともにちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は書物、映画、音楽、美術、ゲーム、カステラ、原節子など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/">作品メモランダム</a><br>
<br>
●吉川浩満（よしかわ・ひろみつ）<br>
国書刊行会、ヤフーを経て、フリーランスの物書き。<br>
共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480687521/">『問題がモンダイなのだ』</a>（ちくまプリマー新書）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4255002770/">『心脳問題』</a>（朝日出版社）などがある。<br>
関心領域は哲学、ハーレーダビッドソン、ロック、映画、 犬など。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/clinamen/">哲劇メモ</a>]]>
</content:encoded>
</item>

</rdf:RDF>

