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<title>ビジスタニュース - 土佐有明</title>
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<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1329254.html">
<title>土佐有明「恋愛は二次元で事足りる、という時代は到来するか！？」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1329254.html</link>
<description>担当者より：主に演劇や音楽などの分野で活躍するライター・土佐有明さんが、現在の恋愛観について論じた原稿です。

配信日：2009/11/04


是枝裕和監督の最新作『空気人形』は、ダッチワイフが人間の心を持ってしまったら……という設定のファンタジー映画だが、そこに精神...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-08-03T13:00:18+09:00</dc:date>
<dc:subject>土佐有明</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>主に演劇や音楽などの分野で活躍するライター・土佐有明さんが、現在の恋愛観について論じた原稿です。<br>
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<u>配信日：2009/11/04</u><br>
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是枝裕和監督の最新作『空気人形』は、ダッチワイフが人間の心を持ってしまったら……という設定のファンタジー映画だが、そこに精神を病んだ男女のエピソードが挿まれることで、フィルム全体に索漠とした虚無感が漂っているのが印象的だった。<br>
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例えば、柄本佑演じるアニメオタクの浪人生が、美少女フィギュアのスカートの中を必死に撮影し、パソコンのモニターに大写しにするシーン。「それキモい！」と反応する女性も多いだろうが、結構、似たようなことをやっている男性はいると思う。かくいう筆者は実践したことこそないが、そんな彼の気持ちは、決して分からないではない。<br>
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クライマックスに近い場面では、ペ・ドゥナ演じる、心を持ってしまったダッチワイフに対して、かつて彼女の所有者だった男性がこんなことを言う。「人形に戻ってくれ、現実の女性は面倒くさいから好きじゃないんだ」、と。で、これまた困ったことに、その所有者の心情がまったく分からないとは言えない筆者である。<br>
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面倒で厄介な現実の女性と無理して付き合うよりも、自分の理想を過不足なく体現してくれるキャラクターや人形を愛玩するほうがずっとマシ。「萌える」という感覚が分からない方はピンと来ないかもしれないが、この感覚、非オタク層の間でも徐々に共有されつつあるように思う。　<br>
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2005年には既に、現実の恋愛に固執する不毛さを説き、二次元のキャラクターを愛でる「デジタル恋愛」を推奨した<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062759241/">『電波男』</a>（本田透著）なる本が話題となっているが、ここで展開された主張は、着実にスタンダードに近づいている。そう思わせる現象を、最近あちこちで見かけるようになったのだ。<br>
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最近の例で言えば、美少女との擬似恋愛をゲームを通じて体験する、『ラブプラス』というギャルゲーの爆発的人気。発売５日後に５万本を超える売り上げを記録し、ゲームにハマりすぎて現実の女性との付き合いがどうでもよくなってしまった、という男性が急増しているとか。<br>
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ちなみにその『ラブプラス』のキャラクターが表紙に登場した雑誌『TV Bros』（2009年10月３日号）では、「二次元で自慰できるか？」という趣旨のアンケート結果が示されており、「できる」と答えたのは、30代が45％、20代が75％、10代が85％と、若い層ほど高くなっている。アンケート結果がすべて現実の反映とは言えないが、先述の<br>
「デジタル恋愛」を違和感なく享受できる世代が育ちつつあることは確かだろう。<br>
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二次元のほうが三次元よりも充足感を与えてくれ、時にはリアルに感じられる。そんな反転現象は例えば、ここ数年、カルチャー誌や映画誌で、生身の女優やグラビアアイドルに代わって、アニメやゲームのキャラクターが表紙を飾るようになったことにも象徴される。<br>
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タイムリーなところで言えば、先述の『TV Bros』の他、アニメ映画『サマーウォーズ』のヒロインが『映画芸術』の表紙になり、映画監督・青山真治らの非難を浴びたことも記憶に新しい。また、アニメやゲームをパロディのネタにしたAV（アダルトビデオ）も次々に作られ、TMA（トータル・メディア・エージェンシー）のように、その種のAVを専売特許にする会社も出てきた。<br>
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『涼宮ハヒルの憂鬱』（涼宮ハルヒの憂鬱）、『ロゼーン・メイデン』（ローゼンメイデン）、『きら☆すた』（らき☆すた）等々、タイトルからしてあからさまにネタを意識させる（カッコ内が元ネタの作品名）この類の作品はかなりコンスタントに量産されており、 需要と供給が一致していることを実感させる。ここで、先ほどの、「二次元で自慰できるか？」のデータを思い出して頂けると、納得がいくのではないか。<br>
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特に、大ヒットしたアニメ『けいおん！』のオマージュAV『軽音部！』は、キャラクターの容姿から台詞までを、笑ってしまうほど忠実に再現。冒頭部分はニコニコ動画にアップされ、膨大なアクセス数を記録した。更に言うなら、AVに限らず、『キューティーハニー』から『ドラゴンボール』に至るまで、アニメを半ば無理矢理実写化するという試みも、映画界において顕著だ。<br>
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2010年公開予定の実写版『時をかける少女』は、大林宣彦監督・原田知世主演のそれではなく、アニメ版『時かけ』のヒットを受けて制作されたものであり、内容も、アニメ版を踏まえたものになると予測される。<br>
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ところで、『週刊少年サンデー』で連載中の人気漫画<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4091214304/">『神のみぞ知るセカイ』</a>は、ゲームにしか興味がない二次元オタクが、地獄から飛来した少女の依頼を受け、「落とし神」として現実の女性を次々に口説き落とすという話だ。<br>
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ここで主人公の高校生・桂馬は、難易度の高い数々のギャルゲーを攻略する中で会得した人心掌握術を応用し、アイドルから女教師まで、「無理め」な女性の心を確実に射止めてゆく。<br>
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この漫画が面白いのは、どれだけ現実の女性が自分に振り向いてくれても、主人公の桂馬が彼女たちに一切恋愛感情を抱かないところである。せっかく生身の女性にモテまくっても、彼の関心はいつまでもゲームの中。そんな桂馬の姿は、「デジタル恋愛」の優位性を説く『電波男』の著者、ひいては『ラブプラス』やアニメのパロディAVにハマる男性諸氏ともダブって見える。桂馬はもちろん架空のキャラクターだが、そのメンタリティは現実を透写した結果とも言えるのではないだろうか？<br>
<br>
ここまで読まれた方はもうお分かりかと思うが、「デジタル恋愛」に没頭する男性に対して、「現実の女性に相手にされないから仮想現実に逃避してるんでしょ？」という、ありがちな意見はまったく意味を成さなくなっている。彼らは、三次元に相手にされないから二次元に逃避しているのではなく、二次元の女性のほうが魅力的だと思っているのだろう。言うなれば、三次元の女性が自分の理想通りに振舞ってくれたら乗り出してあげてもいいよ、くらいの感覚の人が増えているはず。<br>
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しかしこの状況、少子化を懸念する日本政府にとっては、かなり深刻な不安材料じゃないかと思うのだが。「子供手当て」の支給もいいけれど、まずは「デジタル恋愛」で充足してしまっている男性たちに、現実の女性に興味を持ってもらうことから始めて貰わないと……と、現政府には進言したいところだ。<br>
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●土佐有明（とさ・ありあけ）<br>
ライター。<br>
音楽誌、カルチャー誌に寄稿する他、CDのライナーも多数手がける。音楽を中心に、最近は劇評、書評、映画評なども執筆。音楽と文学と演劇と漫画の交錯点に興味を抱いている。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ariaketosa/">土佐有明のPlaylist</a>]]>
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</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1321754.html">
<title>土佐有明「金八先生 VS 夜回り先生」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1321754.html</link>
<description>担当者より：演劇や音楽などの分野を中心に活躍するライター・土佐有明さんが、人気ドラマの金八先生と夜回り先生こと水谷修氏を対比しつつ論じたものです。

配信日：2008/08/27


この夏は暑くて何もやる気が起きないので、ずっと熱心に追いかけてきた『３年Ｂ組金八先生』...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-07-09T17:50:19+09:00</dc:date>
<dc:subject>土佐有明</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>演劇や音楽などの分野を中心に活躍するライター・土佐有明さんが、人気ドラマの金八先生と夜回り先生こと水谷修氏を対比しつつ論じたものです。<br>
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<u>配信日：2008/08/27</u><br>
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この夏は暑くて何もやる気が起きないので、ずっと熱心に追いかけてきた『３年Ｂ組金八先生』（以後、『金八』と略す）のDVDをまとめて見直しながら、ぼんやりと考え事をしていた。<br>
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放映開始から30年近く経つこのドラマ、どのシリーズにもそれぞれ思い入れがあるが、内容の変遷を語るうえでもっとも重要なのは、当時まだ無名だった上戸彩が主役を張った第６シリーズだろう。上戸演じる鶴本直は肉体的には女性だが精神的には男性という、いわゆる性同一性障害に悩む転校生。障害に対する偏見から心を閉ざしている鶴本は、やがて金八やクラスメイトの理解と協力を得て、性転換手術に踏み切ることを決意する。なお、同シリーズでは他に児童虐待や発達障害などシリアスなテーマが扱われた上、レイプや殺人のシーンもあり、“行き過ぎではないか”とその内容を問題視する声も多数寄せられた。そして続く第７シリーズは、ごく普通の中学生が覚醒剤に溺れ、幻覚や妄想に悩まされる様子を生々しく描写し、更なる物議を醸すことになるのだった。<br>
<br>
ところが、2007年末から放映された、最新の第８シリーズではその反動からか、一転して牧歌的なトーンの学園ドラマへと様変わりする。第７シリーズの11話から、小山内美江子に代わって脚本・演出を担当することになった清水有生は、放映開始前、自身のブログで「ここ数回のシリーズで描かれているような、流血、レイプ、刺殺、陰惨な児童虐待、覚醒剤といった、おっかないエピソードは描かない」と語った。確かに、学校裏サイトやモンスター・ペアレントなど時事ネタも流用されているが、コミカルでのほほんとしたタッチのこのシリーズ、むしろNHKの『中学生日記』などに近い印象だ。<br>
<br>
薬物汚染、リストカット、援助交際、オーバードーズ、性感染症等々、中学生を取り巻く問題は深刻化の一途を辿っているにも関わらず、『金八』はそうしたヘヴィな現実を映し出すことを放棄した。いや、放棄したというよりはむしろ、現実に追い抜かれてしまったと見るべきかもしれない。そんなことを考えるようになったのは、夜回り先生こと水谷修（元夜間高校教諭・現花園大学客員教授）がマスメディアに度々登場し、子供たちの置かれている惨状を語るようになってからだ。以下、もう少し詳しく話そう。<br>
<br>
水谷は、15年以上に渡って深夜の繁華街を歩き、夜の世界に生きる子供たちを薬物や売春から守ってきた。彼が目の当たりにしてきた現実は、第７シリーズの『金八』が霞んでしまうほど壮絶であり、不謹慎な言い方をするなら、ドラマ以上にドラマチックである。子供を守る為に暴力団にわき腹を刺され、親指を潰され、ドラッグで30人以上の生徒を亡くしてきた彼の体験談は、正直、金八先生の説教よりも数倍の説得力と重みがある。<br>
<br>
多い時で１日1000通にも及んだという水谷への相談のメールは、リストカットや自殺を予告し、時に「死にたい」という文字で埋め尽くされていた。そして、水谷はそのメールすべてに返信をし、夜通し電話で相談を受け、年間300箇所で講演を行いながら、中学生／高校生と対話を重ねてきた。１日の平均睡眠時間が１～２時間という生活を長年続けた水谷は、既に余命いくばくもないという。<br>
<br>
水谷が語る子供たちの惨状は、ドラマではなく現実だ。つまり、『金八』が描いてきたフィクションよりも、現実はずっとヘヴィだった。確かに、『金八』が現実をドラマに反映させようとする過程でドラッグを扱うのは必然だったのだろう。しかし、映し出される映像は水谷が語る実話に較べ、圧倒的にリアリティーに欠けている。例えば、覚醒剤を常用する生徒は注射針を（消毒もせずに）使用していたが、今若者の間で問題となっているのは、エクスタシー（MDMA）をはじめとする錠剤型の薬物、あるいは手軽に入手可能な大麻なのである。事実、2001年には北海道の高校で大麻やシンナーを79人が使用していたことが発覚している。<br>
<br>
高度経済成長のひずみが表面化し始めた1978年に始まった『金八』は、教育現場の実情を織り込んできた社会派ドラマとして、多くの時事問題を扱ってきた。校内暴力、受験戦争、教師による体罰、離婚率の増加、家庭内不和、不登校、ひきこもり、発達障害、ゆとり教育の弊害、出会い系サイト、情報教育、学校裏サイト等々……。今でこそ『14歳の母』なんてドラマが当たり前に放映されているが、中学生の妊娠・出産を扱った第１シリーズは78年当時としてはそうとうにラディカルであり、ロケ現場の学校から撮影使用を拒否され、番組には多数の抗議が寄せられた。<br>
<br>
その後も『金八』はより深刻化する現実に追いつくべく、シリアスな社会派路線へと舵を切ってきた。それは社会的意義のあったことだろうが、もはやドラマ（＝フィクション）は酷薄な現実に追いつかれ、そして追い抜かれてしまった。そう考えると、最新シリーズでコメディ・タッチの路線へシフトしたのは必然だったと思えてくる。<br>
<br>
そういえば、覚醒剤について扱った第７シリーズでは、水谷修の著作が参考文献として引用され、彼の功績がドラマの中で金八の口から語られていた。水谷は子供たちを薬物汚染から救うため、あらゆる違法薬物の化学式から効用に至るまでを徹底的に研究し、現在は日本でもその筋の権威にまでなっている。「ドラッグを憎め！」と感情的に連呼することで生徒を薬物から守ろうとする金八と、長年の実体験と研究を元に淡々とした口調で事実を伝える水谷修。どちらの語りに中学生が心を動かされるかは、明白だろう。<br>
<br>
坂本金八はドラマ上の年齢からすると、まもなく定年退職を迎える。『金八』は続いても、あと１シリーズか２シリーズではないか。第１～第２シリーズでは25％前後だった平均視聴率は、最新シリーズで遂に９％台まで落ち込んだ。『金八』が再び時代と、現実と、リンクする日はもうやってこないのだろうか？<br>
<br>
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●土佐有明（とさ・ありあけ）<br>
ライター。<br>
音楽誌、カルチャー誌に寄稿する他、CDのライナーも多数手がける。音楽を中心に、最近は劇評、書評、映画評なども執筆。音楽と文学と演劇と漫画の交錯点に興味を抱いている。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ariaketosa/">土佐有明のPlaylist</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1309494.html">
<title>土佐有明「『オリーブ』の遺伝子は何処へ」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1309494.html</link>
<description>担当者より：音楽や演劇などの分野で活躍中のライター・土佐有明さんが、『オリーブ』と雑誌文化に関して論じた原稿です。

配信日：2008/06/04


「雑誌難民」という言葉がある。愛読していた雑誌が休刊してしまい、やむなく違う雑誌を色々手にとってみるも、なんかどれも違...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-06-11T00:03:35+09:00</dc:date>
<dc:subject>土佐有明</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>音楽や演劇などの分野で活躍中のライター・土佐有明さんが、『オリーブ』と雑誌文化に関して論じた原稿です。<br>
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<u>配信日：2008/06/04</u><br>
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「雑誌難民」という言葉がある。愛読していた雑誌が休刊してしまい、やむなく違う雑誌を色々手にとってみるも、なんかどれも違うんだよねー、と書店の隅で嘆息をついている読者たち、とでも言えばいいか。ほら、よくいるでしょう？　初期の『クイック・ジャパン』は良かったよなあとか、昔の『宝島』みたいな雑誌ってもう出てこないのかなあ、なんて、年中ぼやいている人。いや、ぼやいている程度で済めばいいのだが、もっと切実に特定の雑誌の不在を嘆き、路頭に迷っている人種がいる。<br>
<br>
その“特定の雑誌”とは、そう、『POPEYE』の別冊として1982年に創刊された、『オリーブ』のことである。00年に惜しまれつつ休刊、01年にリニューアルして復刊するものの、かつてのような支持を得られず、03年に再び休刊した。そんな『オリーブ』に人生を変えられ、今なおその呪縛から解放されていない読者たちは数知れない。年齢的には30代にさしかかり、オリーブおばさん、なんて呼ばれている同誌の元読者たちに今、拠り所となるような雑誌はあるのだろうか？<br>
<br>
結論から言うと、ポスト・オリーブ足り得る受け皿は、ないわけではない。ファッション誌に限って言うと、掲載されているブランドやコーディネートが比較的近いという理由から、『FUDGE』、『SPUR』、『装苑』、『GINZA』、『In Red』、『spring』あたりが好まれる傾向にある。あるいは、黎明期の『オリーブ』を支えていたスタイリストや編集者が関わっていることもあって、『クウネル』や『リンカラン』をはじめとするオーガニックでエコでロハスな雑誌もそれなりに売れている。だが寂しいことに、似ているようでやっぱりどこかが違う、と旧オリーブ少女たちは口を揃えてつぶやく。『オリーブ』がないから仕方なく、と彼女たちは妥協案的にそれらを手にとってゆくのだ。<br>
<br>
強すぎる思い入れの裏返しとしての、物足りなさとやるせなさ。例えば、ミクシィの『オリーブ』コミュニティに溢れる、「『オリーブ』みたいな雑誌があったら……」という無数の嘆き。モニタごしに溜息が聞こえてくるような悲痛なことばの数々。それは時に信仰告白のようですらあり、そこでは『オリーブ』はひとつの思想、いや宗教といった色彩すら帯びている。実際、僕は何人も知っている。『オリーブ』を復刊させたい一心で、就職浪人して二年連続でマガジンハウスの採用試験を受けた学生や、ネット上で復刊の署名運動に勤しんだ読者、いや、信者たちを……！　<br>
<br>
とはいえ、僕は決して悲観しているわけではない。『オリーブ』的な価値観が雲散霧消してしまったとは、決して思わないからだ。約20年かけてばらまかれたハート型の種子は、その後あちこちで蕾を膨らませ、時代に添って形を変えながらも、確実に花を咲かせているのだ。<br>
<br>
編集者、ライター、イラストレイター、カメラマン、スタイリスト……。マスコミ関係の仕事をしていると、『オリーブ』を読んでいたから今の自分がある、という女性と頻繁に出くわす。彼女たちは、クリエティヴな仕事に就き、『オリーブ』から学んだ感性を仕事に反映させることで同誌に恩返しをしている。コンスタントに刊行されている、ミニコミやフリーペーパーの類にも同様のことが言えるだろう。<br>
<br>
フリーペーパーの『Quest』は95年に関係者へのインタビューを掲載したオリーブ特集を組み、雑誌『フリースタイル』は06年4月号で「オリーブが教えてくれたもの」というテーマに18ページを割いている。また、『レタァ』という手作り感覚のミニコミは１号で「オリーブへのラブレタァ」なるテーマを掲げ、その後も「パジャマで過ごす夢見る時間」「おかっぱとみつあみ」など、『オリーブ』へのオマージュ的な誌面づくりで好評を博している。それらは、単なるノスタルジーの産物ではない。誌面をよく見れば、作り手が『オリーブ』という教科書を通して得たことを自らのマナーでアウトプットしていることが伝わってくるからだ。<br>
<br>
もちろん、結婚・出産を経て良き家庭人となった旧オリーブ少女もまた、具体的に創作に関わっている／いないに関わらず、日々のささやかな幸せを大切にするオリーブ・マインドを忘れてはいない。家事や育児の合間を縫って、手芸や裁縫や料理に没頭するひととき。多少値が張っても、料理にはル・クルーゼの鍋を、裁縫用の生地にはマリメッコを、彼女たちは選ぶだろう。<br>
<br>
『オリーブ』から巣立ったモデルや芸能人、コラムニストたちも、いまやメジャーな舞台で活躍している。機知に富んだ連載が大好評だった小沢健二……は雲隠れしてまったし、初代専属モデルだった元・花田勝夫人の栗尾美恵子……は別の意味で有名になってしまったけれど、観月ありさ、市川美和子、市川美日子、しまおまほ、酒井景都、緒川たまき、吉川ひなのなどは皆『オリーブ』卒業生だし、復刊後には今をときめく蒼井優も登場していた。<br>
<br>
かつてオリーブが提唱した美意識や価値観は、もはや充分に普及・浸透し、その核を失ったのかもしれない。逆に言えば、オリーブ的なるものは、あちこちに拡散することで、その役目を終えた、とも言えるだろう。そしてそれは、そんなに悪いことじゃない、と僕は思っている。<br>
<br>
さて、ここで話が終わればキレイだったかもしれないが、『オリーブ』が存続し得ないネガティヴな現状についても、多少は触れておくべきだろう。以降やや脱線するが、お付き合い頂ければと思う。<br>
<br>
以前、某誌で僕は『オリーブ』について、こんなことを書いていた。「オリーブ少女なんて最初は実在しなかった。こんなコがいて欲しい、という願望と妄想で誌面を埋め尽くしたら、結果として現実が後から追いついてきた」――そう、現実は後からついてきたのだった。誌面を通して提示された、編集者やスタイリストの抱く理想＝ファンタジーとしてのオリーブ少女を、読者は熱心に学習し、追いつこうとする。そうするうちにいつしか、“ホンモノ”のオリーブ少女が街を闊歩するようになっていた。幻想が現実と化した瞬間だ。セントジェームスのボーダーやベレー帽など、オリーブ少女の定番ファッションだって、そもそもはそうやって根付いていったのではなかったか？　そこで思う。今、ポスト・オリーブ的な雑誌に決定的に足りないものがあるとしたら、ロマンやファンタジーではないか、と。<br>
<br>
具体例をひとつ挙げよう。実は筆者も一部の構成を担当していた復刊後の『オリーブ』は、古くからの読者にはいまいちウケが良くなかったが、嶽本野ばらは、その理由について、インタビューで以下のように述べている。<br>
<br>
そう、お洒落にしようとしたのが間違いで。雑誌ってたぶん二通りあって、その雑誌に載ってるお洋服を見て実際にそのお洋服を買おうっていう……『cawaii』とかああいう雑誌はそうだと思うんだけど。そうじゃなく、そこに載ってるお洋服をいいなぁと思っても、自分にはアバンギャルドすぎて買えなかったり、高すぎて買えなかったり、それでも「こういう世界に憧れてしまうの！」って憧れの対象として買っちゃう雑誌っていうのがあって。『olive』なんかは、実用的になろうとしているぶん、違ってきているなぁと思って。（出典：<a href="http://slack.ne.jp/novala/index2.html">嶽本野ばらインタビュー</a>）<br>
<br>
こうした実用指向への違和感は多くのオリーブ読者が述べているところだ。そもそも、84年に栗尾美恵子が専属モデルとなるまで、モデルは皆外国人で、初期の誌面には「リセエンヌ」（パリの女学生）なんて言葉が踊っていた雑誌である。シンプルだけどクセのある洋服を着こなし、おしゃれと恋に明け暮れる、優雅で洒脱な異国の女の子たち。まだ見ぬ芸術の都に対する憧憬の念を、誤解や妄想も込みで読者は抱いたことだろう。インターネット普及以前の80年代だから、そこにはなおさらロマンがあったはずだ。「リセエンヌ放課後の雑貨めぐり」「パリでオリーブ少女」「リセエンヌのおしゃれスナップ」「あこがれのパリ案内」なんて特集が、80年代半ばには幾度となく組まれている。当時、同誌が掲げていたキャッチコピーは、「Magazine for Romantic Girls」。これ以上しっくりくる形容があるだろうか？<br>
<br>
一方、昨今の女性誌やファッション誌は、ますます実用性を重んじる方向へとシフトしている。モテやセレブといった言葉の濫用。異性の視線を過剰に意識したコーディネート。旧オリーブ少女が昨今のファッション誌や女性誌に嫌悪感すら抱く理由のひとつは、たぶんそういった記事のつくりにある。実際、『オリーブ』の誌面にはセックスの匂いや生活感が希薄だった。恋愛や性を扱った特集もあるにはあったが、あくまでもそれはロマンティックなコピーやヴィジュアルでオブラートにくるまれた、理想の産物であった。そんな雑誌を読んで育った少女たちが、「明日、合コンに行くならこういうコーディネートで」と具体的かつ現実的に教えてくれる雑誌に馴染めないのは、当然といえば当然だろう。<br>
<br>
かつての『オリーブ』は、読者を先導した。それこそ姉妹誌である『POPEYE』や、あるいは初期の『宝島』がそうだったように、流行を“追いかける”のではなく、“作る”ような雑誌。読んだ次の日からライフスタイルや価値観が一変してしまうような記事が、そこには溢れていた。だが、今はどうだろう。多くの雑誌は、現実をトレースしたり、既にある流行を追いかけるのに精一杯で、価値観の提示を放棄してしまっているように見えてならない。そんな昨今の風潮と、かつての『オリーブ』が宿していた先鋭性や「フリルのついた暴力」（by岡崎京子）は、やはりどうしても相容れないものなのだろうか。<br>
<br>
「特集はメッセージ。雑誌は個々に“声”を持つべき」と言ったのは『バァフアウト！』創設メンバーの北沢夏音さんだが、確かに、かつての『オリーブ』には、魅惑的で刺激に満ちた声やメッセージが溢れていた。後ろ向きな懐古趣味に加担する気はないが、今でも『オリーブ』のバックナンバーを開くと、そこにはうっとりするようなメッセージで彩られた理想郷が広がっている。そして、ただひとつはっきり言えるのは、こぼれおちんほどの愛情とともに紙面に焼き付けられた、この理想郷は、今後永遠に褪色することはない、ということだ。<br>
<br>
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●土佐有明（とさ・ありあけ）<br>
ライター。<br>
音楽誌、カルチャー誌に寄稿する他、CDのライナーも多数手がける。音楽を中心に、最近は劇評、書評、映画評なども執筆。音楽と文学と演劇と漫画の交錯点に興味を抱いている。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ariaketosa/">土佐有明のPlaylist</a>]]>
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