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<title>ビジスタニュース - 大山くまお</title>
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<title>大山くまお「誰がために映画祭は開かれる」</title>
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<description>担当者より：『名言力』（ソフトバンク新書）の著者である大山くまおさんが、2008年に映画祭の役割について論じた原稿です。また、大山さんのお仕事としては、執筆協力した『Kalafina Record』（ソニー・マガジンズ）が近日発売！　また複数のインタビューを担当された『キャ...</description>
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<dc:date>2011-09-14T11:00:05+09:00</dc:date>
<dc:subject>大山くまお</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）の著者である大山くまおさんが、2008年に映画祭の役割について論じた原稿です。また、大山さんのお仕事としては、執筆協力した<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4789735036" target="_self">『Kalafina Record』</a>（ソニー・マガジンズ）が近日発売！　また複数のインタビューを担当された<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA-vol-2-%E4%B8%89%E6%89%8D%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-vol-432/dp/4861994012/ref=pd_rhf_p_t_3" target="_self">『キャストサイズ vol.2』</a>（三才ブックス）が今月後半に、ライナーを執筆したDVD<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B005AP1UDG/" target="_self">『映画クレヨンしんちゃん　嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦』</a>（バンダイビジュアル）が2011年11月25日に発売予定です。<br>
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<u>配信日：2008/11/12</u><br>
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先日、東京国際映画祭が閉幕した。今年はなぜかメインテーマに「エコロジー」を掲げ、レッドカーペットの色を緑色にしたりするトンチキぶりも発揮していたが、新設されたエコ作品特集「natural TIFF」で日本の誇るエコ映画『ゴジラ対ヘドラ』を上映する慧眼ぶりはさすがとしか言いようがない。硫酸ミストやヘドロ弾の危険性を全世界にアピールできたことだろう。<br>
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それはともかく。世界中には星の数ほど映画祭がある。大規模な国際映画祭から、単にシネコンでまとめて数本上映するだけのシンプルなものまで、千差万別、多種多様だ。映画祭の一覧を見ると、映画が世界中の人々に愛されている娯楽なんだと実感できて、ほっこりした気分になる。<br>
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映画祭が行われる目的は大まかに分けると、（１）映画の顕彰・広報、（２）特定ジャンルの発展・推進、（３）映画を通じた社会問題の啓発、（４）見たいものを見る、（５）町おこし、となる。大規模な国際映画祭の多くは（１）を主目的としている。アニメーションや自主映画、デジタルシネマなどに特化した映画祭は（２）で、女性問題や同性愛などをテーマにした映画祭は（３）だ。ホラー映画などを特集するファンタスティック系映画祭は（２）の要素も含まれるが主催者たちの目的意識は（４）に近い。地方都市で行われる映画祭のほとんどは（５）の要素を併せ持っている。<br>
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しかし、映画をたくさん集めました、上映しました、表彰しました、というだけでは多くの映画関係者は集まらない。では、現在の映画祭に重要視されている要素とは何か？　それはマーケットとしての側面である。カンヌ映画祭は世界最大規模の映画祭だが、同時に最大規模のマーケットを併設していることでも知られている。コンペティションなどとは別枠で、大勢の関係者が行き交って映画の配給権などを売買するのだ。カンヌとあわせて世界三大映画祭と呼ばれるトロント、ヴェネツィアにはこれほどの大きさのマーケットはない。だからこそカンヌに世界中の映画人がこぞって集うのだ。<br>
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映画祭の会場にフジテレビ映画の巨大なビルボードが立ち、呼ばれてもいないキムタクがレッドカーペットを闊歩したのは、ひとえに国際マーケットへの売り込みのためである。60周年記念式典に招待されていた北野武に「ただの観光客」呼ばわりされていたキムタクだが、別にそんなことを言われる筋合いはない。彼は自分の仕事をしただけである。そのかいあってか、彼が主演した<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B0011Z7ERK/" target="_self">『HERO』</a>は韓国や台湾などアジア各国で公開されることになったわけだが、「それってイ・ビョンホンが出演しているからじゃん」とか「もともとジャニーズのタレントが人気のある地域じゃん」なんてことは言いっこなしだ。<br>
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アジア最大の映画祭と自認している東京国際映画祭だが、国際マーケットであるTIFFCOMが開設されたのは2004年の17回大会からのこと。16回からゼネラルプロデューサー（現在はチェアマンに改称）に就任した角川グループ総帥、角川歴彦によって開設された。コンテンツビジネスに長けた角川グループならではの着目と言えるだろう（ただし、主に売買されているのは日本のアニメだという）。一方で、マーケットとは無縁な数多くの映画祭がある。その多くが地方都市で開催されているものだが、いずれも苦境にあえいでいるのが現状だ。<br>
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有名な例が、夕張市で行われているゆうばり国際ファンタスティック映画祭である。「炭坑から観光へ」をスローガンに、東京国際ファンタスティック映画祭などを参考にしたうえで90年よりスタートした通称“ゆうばりファンタ”は若手クリエイターの登竜門としても話題を呼び、人口１万5000人弱の小さな町に大勢の映画人と映画ファンが詰めかけた。クエンティン・タランティーノが<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B0000DKMK0/" target="_self">『キル・ビルVol.1』</a>に栗山千明扮するゴーゴー・ユウバリという名のキャラクターを登場させたことは、この映画祭の持つもっとも幸せなエピソードである。<br>
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しかし、夕張市そのものの財政悪化にともない、2006年には市からの開催補助金が打ち切られるとともに、ゆうばりファンタは幕を閉じた。現在でも有志たちによって形を変えて存続が図られているが、以前のような活気を取り戻すまでには至っていない。<br>
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ゆうばりファンタだけではない。地方自治体の財政難は、町おこしを目的とした小規模な映画祭の運営を直撃している。世界的に知られている山形国際ドキュメンタリー映画祭も2009年からは従来通りの補助が見込めず、NPO運営による存続が図られている。京都映画祭や横浜フランス映画祭、神戸100年映画祭などの比較的大型だった地方映画祭も規模の縮小を余儀なくされており、それぞれ自治体からの補助に頼らない小規模映画祭としての出直しが図られている。<br>
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そんな地方映画祭受難の折、ひときわ気を吐いているのが金沢市で開催されているカナザワ映画祭だ。これは有志の集まりである、「かなざわ映画の会」が主催している。商店街の真ん中でヤコペッティの『世界残酷物語』を野外上映したり、ドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンの日本未公開作品を上映したり、鈴木則文、内田裕也、石井聰亙らの特集を本人を招いて実現したりと、主催者側の「見たいものを見る」姿勢で貫かれている映画祭なのだ。<br>
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マニアックなディレクションや企画が話題を呼び、全国から映画マニアたちが金沢に集結、大きな盛り上がりを見せた。不況下で地方自治体からの大きな援助が見込めない現在において、地方映画祭の躍進のカギとなるのは、地域に密着した地道な活動とディレクションの話題性、そして主催者側とファンの熱の共有である。<br>
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カナザワ映画祭の盛り上がりは、同じく「見たいものを見る」という理念でファンの支持を集めていた東京国際ファンタスティック映画祭の失速とは対照的だ。東京ファンタ中止の最大の理由はスポンサー離れによる資金難だが、それにも増して上映作品の話題の乏しさによってファンの熱が失われていたことが大きい。上映作品がマニアックなものであれ、映画祭の持つ熱は多くの人々に飛び火する。そこで初めて見ず知らずの映画に触れ、その興奮を味わう人々も少なからずいるはずである。<br>
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映画祭衰退の原因は資金難だけではない。ツタヤなどの大型レンタル店に行けば古今の名作がズラリと並んでおり、そうでなくてもシネコンでは最新の話題作が５本や10本は常に見られるような状態にある。娯楽としての映画が力を失ったのではない。従来の映画祭でおざなりに上映されていたような作品――つまり古典的な名作やマイナーな海外の作品に人々が関心を寄せなくなっているのだ。しかし、それもディレクションや企画次第では熱を持ちうることを、カナザワ映画祭は証明してみせた。<br>
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マーケットの隆盛は映画祭に映画業界人を多く集め、大きな話題を呼ぶ。しかし、マーケットそのものは映画祭を訪れる一般の映画好きの観客とは無縁な存在だ。話題性があれば協賛企業も多く集まり、開催資金も潤沢になる。大規模な映画祭はますます大規模になるだろう。そこで問われるのは、映画祭の方向性を決定づけるディレクションである。<br>
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しかし、今年の東京国際映画祭で何が上映されたか、複数のタイトルを挙げることができる人がどれだけいるだろうか？　プログラムに一貫性がなく、映画業界人に「有料試写会」と陰口を叩かれてきた東京国際映画祭で話題になったのが“グリーンカーペット”だけでは話にならない。水曜日のレディースデイに行列を作る映画好きのＯＬさん<br>
たちや、ビデオゲームに夢中になっている少年たちに新しい知見や大スクリーンで見る映画の楽しみを与えてこそ、映画祭としての価値があるはずだ。<br>
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●大山くまお（おおやま・くまお）<br>
ライター。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309271855/">『バンド臨終図巻』</a>（河出書房新社）がある。<br>
ブログ：<a href="http://kumaokumaokumao.blog97.fc2.com/">くまお白書３</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1306592.html">
<title>大山くまお「世界と人類のために疾走し続けた男・太田龍の軌跡」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1306592.html</link>
<description>担当者より：『名言力』（ソフトバンク新書）の著者・大山くまおさんに、太田龍について論じていただいた原稿です。

配信日：2009/06/24


2009年の４月、新書の原稿も書かずにゴロゴロしていた僕のところへ、とある雑誌から仕事の依頼があった。ユダヤ陰謀論がまたぞろ流行...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-06-07T12:41:59+09:00</dc:date>
<dc:subject>大山くまお</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）の著者・大山くまおさんに、太田龍について論じていただいた原稿です。<br>
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<u>配信日：2009/06/24</u><br>
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2009年の４月、新書の原稿も書かずにゴロゴロしていた僕のところへ、とある雑誌から仕事の依頼があった。ユダヤ陰謀論がまたぞろ流行りだしているので、講演会などの現場を取材してほしい、というのだ。僕の専門領域というわけではないのだが（そんなことを言ったら専門領域などない）、好奇心半分で出かけていった。それが太田龍の講演会だった。<br>
<br>
正直、まだ現役だったのか、と驚いた。ベストセラーになった、と学会の<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4896911660/">『トンデモ本の世界』</a>で槍玉にあげられたのが1995年。今から14年前（！）のことである。その時点で老境にさしかかっていたはずだ。<br>
<br>
結論から言うと、残念ながら、太田は講演会場には現れなかった。僕の潜入取材がバレたからではない。今思えば相当体調が悪かったのだろう。この日の講演キャンセル以来、そのまま公の場に姿を現すこともなく、５月19日に没している。享年79歳。そんな歳になっても、太田はライブでユダヤ人の陰謀を人々に伝えようとしていた。出版活動も旺盛で、対談本（ベンジャミン・フルフォード、船井幸雄ら）、翻訳本を含め、ここ数年だけで軽く10冊を超える書籍を刊行している。では、一体何がそこまで太田を突き動かしていたのだろうか？<br>
<br>
太田は1930年、樺太にて８人兄弟の末っ子として生まれた（出産後、間もなく死亡した２人を含めると第10子にあたる）。家族ともども千葉に引き揚げた太田だったが、次兄である東洋の影響で、戦中にも関わらずマルクス・レーニン主義に傾倒する。まだ中学２年生の頃の話だ。<br>
<br>
日本の敗戦を級友たちに予告して上級生によるリンチを受けながらも、太田は敗戦後の共産主義革命を待ち望んでいた。そして、1945年８月15日を迎える。「私はその日から全速力で疾走しはじめた」（<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B000J6PNE8/">『私的戦後左翼史』</a>）。<br>
<br>
戦後、太田は日本共産党に入党し、活発な左翼活動を開始する。兄・東洋が共産党から除名されても太田の「疾走」には影響を与えなかった。しかし、マルクス原理主義者である太田にとって、台頭するスターリニズムは受け入れられるものではなかった。<br>
<br>
「反米帝、これは良い。なにもそれについて恐れるものはない。しかし、同時に、ソ連一辺倒、スターリン一辺倒となるには、問題が多すぎる」（同上）。ならばと、太田はトロツキーに傾倒していく。共産党との決別はもとより、愛する恋人とも別れてまでトロキツズム運動にすべてを傾けようと決意する。ここで、マルクス・レーニン主義やスターリニズム、トロキツズムについて詳述するつもりはない。ただ、太田の闇雲なパワーを感じてもらえればいいと思う。「おそらくは私は三十歳までは生きないだろう。よろしい、私の短い生涯を、悔いなく悪戦苦闘のうちに、革命へのエネルギーを年少しつくしてかけ抜けよう。（中略）私の人生は決まった」（同上）。太田龍、22歳の誓いである。<br>
<br>
その後の、太田のウヨ曲折の左翼活動も割愛する。しかし、大きく親米路線に舵をとる日本政府と日本国民に対して、そしてそれに相対する左翼陣営に対しても、日に日に絶望と諦念が深まっていったようだ。「左翼も、右翼も、共にその独自の型を失ない、美学を忘れ、その言動、一挙一動がみにくく、汚らしくなって来る」（同上）。<br>
<br>
また、太田は労働者階級の賃上げ闘争に対しても、疑問を持つようになっていた。それは単なる自らの帝国主義化なのではないだろうか？　このままでは第三世界との格差は開くばかりではないだろうか？　所得倍増、高度成長に沸き立つ日本の中で、太田は賃金切り下げ、世界的所得の平均化、地域資源の消費の切り下げ（エコ！）について考えるようになっていく。<br>
<br>
ここに至り、太田はマルクス主義からの脱却を図ろうとする。「原始共産制に向って退却しよう！　辺境最深部に向って退却しよう！　（中略）私は、これまで彼ら（筆者注。マルクス、レーニン、トロツキー）と同じ陣営にいたことを恥じた。彼らはアメリカインディアンを皆殺しにして来たヨーロッパ白人の一味であり、その特権の上に寄生して、ごたごたと文句をならべているごろつきどもと何も変わらない！」（同上）。太田龍、37歳の叫びである。極端だ。<br>
<br>
マルクスにも左翼にも共産党にも別れを告げ、自ら結成した「武装蜂起準備委員会プロレタリア軍団」に死刑宣告されるなど物騒な目にも遭うが、本人はどこ吹く風。チェ・ゲバラの生き方に心酔し、彼に「世界革命浪人」という称号を（勝手に）与えて、自らもそう名乗った。「まず、私自身が国境を超えて人類の共和国の人民に志願しよう！」（同上）。太田龍、41歳の目覚めであった。<br>
<br>
太田は男性中心主義を反省し、引き揚げを目指す在韓日本人妻らのために活動をはじめる。同時に政治運動家であり映画評論家の松田政男の紹介でドキュメンタリー映画『アイヌの結婚式』の試写会に招かれ、そこでアイヌ問題に取り組むことを決意する。<br>
<br>
ここからが太田の真骨頂。アイヌなど「日本原住民」の問題に取り組みながら、同時に日本の「食」についての思索を深めていった。安藤昌益、桜沢如一、藤井平司らの江戸から昭和にかけての思想家、食文化研究家たちを「食革命家」と名づけ、食品汚染問題や食料危機問題に対する一つの回答としてエコロジー運動、マクロビオティック運動を推進した。今から20年以上前のことである。<br>
<br>
これらの運動の背景には、太田なりの環境や食に対する問題意識もあったが、当然のように「反米帝」の思想もあった。アメリカによって国家神道と日本人の食べ物に対する宗教感覚（水田稲作農耕のお祭りなど）が破壊されてしまった。マクドナルドに代表されるように食べ物に関しても唯物論的物質至上主義になってしまい、そこから食品汚染問題が広がっている、と憤慨しているのだ。<br>
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80年代に入ると、家畜や害虫、微生物の解放と人類との共存を説く<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4787786091/">『日本エコロジスト宣言』</a>（84年）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B000J6R8L4/">『家畜制度全廃論序説』</a>（85年）を立て続けにリリース。しかし、時まさにバブル前夜。そんな折に「ゴキブリの解放を！」と叫んでも、誰も聞く耳はもってくれなかった。<br>
<br>
今でこそ、マクロビオティックは多くの人に支持され、食虫芸人・佐々木孫悟空と立教大学教授・野中健一らによる「食虫大学」の面々がゴキブリなどの害虫と人類の共存を語っているが、ハッキリ言って太田はその20年先を「疾走」していたのだ。<br>
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80年代後半から90年代前半にかけては、折からのミニ政党ブームに乗って、環境問題を主眼にした「日本みどりの党」を結成し、自らも参議院選挙、東京都知事選挙などに打って出るがいずれも落選。その惨敗劇がこたえたのかどうかわからないが、この時期、太田はユダヤ陰謀論に目覚めてしまった。<br>
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実は太田は、ユダヤ陰謀論者としては後発の部類に属する。1986年に発売された、宇野正美による二冊の著書<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4195032474/">『ユダヤが解ると世界が見えてくる』</a><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4195033578/">『ユダヤが解ると日本が見えてくる』</a>は合計100万部を超えるベストセラーになっていた。宇野を嚆矢として、翌87年にはタイトルに「ユダヤ人」が含まれた書籍が82冊も刊行されるというユダヤ陰謀論の一大ブームが巻き起こった。アメリカはユダヤ人によるユダヤ国家であり、メディアも大企業も彼らが操っている、ついでに世界の政治と経済も操っている、などがその論旨である。<br>
<br>
この一大ブームの背景には、バブル経済の栄華をほしいままにする日本とアメリカの政治・経済における緊張関係があると言われている。つまり、ユダヤ人は日本をこのままにはしておくまい、いずれ日本を壊滅に導くに違いない、という陰謀論だ。これらはビジネス書の形をとって書店のベストセラーコーナーを賑わし、多くのマスコミまでがこのブームを煽り立てた。<br>
<br>
太田が彗星のようにユダヤ陰謀論ワールドに登場したのは、バブル経済が崩壊した90年代に入ってからのことである。ここでも太田は「疾走」する。またたく間に刊行点数はユダヤ陰謀論の先達である宇野と肩を並べるほどになった。ちなみに後で触れるが、思想家としての太田を徹底的にこき下ろした呉智英の<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/457571075X/">『バカにつける薬』</a>が88年に刊行されているが、そこではまだユダヤ陰謀論者としての太田については触れられていない。<br>
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太田の語るユダヤ陰謀論は、宇野らのものと比べてもよりスケールがデカく、トンデモ度も高い。それ以前のユダヤ陰謀論本は、一応ビジネス本の体裁をとっており、購買層も一応世界経済の仕組みを知ろうとするサラリーマンたちだったりした。しかし太田は書籍を通して、とにかく闇雲に日本の、世界の、そして地球の危機を訴え続けた。<br>
<br>
宇野はキリスト教原理主義者であり、根本的にはそれを否定していない。と学会の山本弘は太田について、「他の陰謀論者と違うところがあるとすれば、ユダヤだけでなく、キリスト教をも陰謀の一部と考えているところだろうか。『キリスト教的宇宙観と、その延長線上の欧米科学の支配』に反対し、仏教的宇宙観の復活を説いている」と述べている（<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4896911660/">『トンデモ本の世界』</a>）。<br>
<br>
太田によるもっとも初期のユダヤ陰謀論本<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4795247552/">『ＵＦＯ原理と宇宙文明』</a>は、前述の<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4896911660/">『トンデモ本の世界』</a>でも取り上げられ、徹底的にツッコミを入れられた。<br>
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「日本国内にも、人類を滅亡にむかって引きずっていく大悪魔、ロスチャイルド＝ロックフェラーのエージェント（手先）となっている小悪魔が、政官界、財界、学会、宗教界、マスコミ界、芸術界、教育界に植え込まれている。その固有名詞を列挙するとしたら、今日、日本の表舞台で派手に躍っている人々の九〇パーセントにも達するだろう」（<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4795247552/">『ＵＦＯ原理と宇宙文明』</a>／<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4896911660/">『トンデモ本の世界』</a>より孫引き）。<br>
<br>
太田がどこでどうなってしまったかはわからない。もう一つ、山本による指摘を引用しておく。実はこれが正鵠を射ていると思うのだ。<br>
<br>
「この<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4795247552/">『ＵＦＯ原理と宇宙文明』</a>を読んで驚くのは、太田竜氏が実に純真でだまされやすい人らしい、ということだ。コンノケンイチ、矢追純一、宇野正美、鬼塚五十一などの本の内容を頭から信じこみ、ＭＪ12も『シオン賢者の議定書』も、ファティマの預言も、『第３の選択』も、すべて事実だと思いこんでいるのだ」（<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4896911660/">『トンデモ本の世界』</a>）。<br>
<br>
太田龍はだまされやすい！　これは、まったくもって身も蓋もない指摘である。「一日16時間勉強していた」とも言われる太田だけあって、きっとユダヤ陰謀論について書かれた本も大量に読み込んだのだろう。そして自身の問題意識とブレンドされ、独自の世界観が形成されていったのだ。<br>
<br>
そのせいもあってか、日本におけるユダヤ人陰謀論について分析したデイヴィッド・グッドマンと宮澤正典による大著<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062095882/">『ユダヤ人陰謀説　日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』</a>においても、太田龍の扱いはほんの少しでしかない。宇野正美は大活躍（？）しているのに。ここまで太田の足跡を追っている身からすると、なんだか残念な気がするから不思議だ。<br>
<br>
太田の問題意識はユダヤ陰謀論にとどまらず、さらに拡大していく。96年に刊行された<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4812101980/">『日本型文明の根本原理』</a>という本は、反グローバリズム（世界主義）、反米（とそれを操るユダヤ悪魔主義世界権力）、古き日本文明回帰を謳ったものだ。<br>
<br>
2007年に刊行された書籍のタイトルは<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4880862193/">、『地球の支配者は爬虫類人的異星人である』</a>だった。比喩などではない。ズバリ、そのままの内容の本である。冒頭で述べた太田の講演会に行ったとき、僕が集まっていた人々に「地球って爬虫類人的異星人に支配されているんですか？」と聞いた瞬間の、彼らの苦笑いが印象に残っている。<br>
<br>
「太田竜の軌跡はこうだ。かわいそうな労働者がいる＝旧左翼→それに抑圧されている労働者がいる＝新左翼→だがもっと虐げられている人がいる→窮民革命論→しかしさらにかわいそうなのは動物だ＝菜食主義。自らの外部に立脚点をつぎ足していくことが思想の構築だと思っているバカの、哀れな末路である」（<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/457571075X/">『バカにつける薬』</a>呉智英）。<br>
<br>
太田の思想の歴史は、常に弱者のことと日本のことを本気で心配し、本気で「疾走」し続けた結果であるといえるだろう。その間、兄の東洋に影響され、マルクスに影響され、トロツキーに影響され、チェ・ゲバラに影響され、宇野正美らユダヤ陰謀論の面々やオカルトまがいの連中にも影響されていた。食の問題については<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4795812713/">『41歳寿命説』</a>で知られる食生態学者の西丸震哉に影響されていたようだ。ミニ政党からの出馬もまわりから影響されたことかもしれない。この影響されやすさは、勉強熱心であることの裏返しでもある。<br>
<br>
僕の手元に、最後の（行われなかった）講演会で配布されていた、太田の講義録の小冊子がある（2008年10月24日）。西洋文明の破綻とユダヤの陰謀（ここではイルミナティと呼びかえられている）、イルミナティに日本の文明を売り渡した天皇家への断罪、と従来の論旨を語りながら、そこから脱する希望を南米の歴史と文化に求めている。アンデスとインカ文明の復興を目する人々と連帯せよ。そう太田は呼びかけているのだ。爬虫類的宇宙人はどこへ行った？　飽きたのか？　いや、そうではないだろう。<br>
<br>
太田は50になっても60になっても70になっても、常に目覚めつづけてきた。そして死を間際にしながらも、まだ新たな情報を摂取しようとしていたのだ。太田が暮らした同じ東京の文京区白山に暮らす物書きのはしくれとして、彼の闇雲なパワーと旺盛な勉強欲は見習いたいものである。合掌。<br>
<br>
<br>
<u>※太田龍は、太田竜名義の著作も多いが、引用を除く本文では、太田龍に統一させていただきました。</u><br>
<br>
<br>
●大山くまお（おおやま・くまお）<br>
ライター。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）、共著に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309271855/">『バンド臨終図巻』</a>（河出書房新社）がある。<br>
ブログ：<a href="http://blog.livedoor.jp/oyamakumao/">くまお白書２</a>]]>
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<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1218668.html">
<title>大山くまお「今もテレビに残る山城新伍の遺伝子」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1218668.html</link>
<description>担当者より：『名言力』（ソフトバンク新書）の著者であり、ライターとしてご活躍中の大山くまおさんに、2009年に亡くなった山城新伍がテレビに残した影響について論じていただきました。

配信日：2009/11/18


2009年８月12日、山城新伍が亡くなった。70歳だった。

今年は...</description>
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<dc:date>2009-12-09T20:28:25+09:00</dc:date>
<dc:subject>大山くまお</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）の著者であり、ライターとしてご活躍中の大山くまおさんに、2009年に亡くなった山城新伍がテレビに残した影響について論じていただきました。<br>
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<u>配信日：2009/11/18</u><br>
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2009年８月12日、山城新伍が亡くなった。70歳だった。<br>
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今年は著名人の死者の当たり年だ。山城の直後には大原麗子が死に、その前には忌野清志郎、マイケル・ジャクソンまで死んでいる。とうとう森繁まで死んでしまった。<br>
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正直なところ、山城の死があまり大きな話題になったとは思えない。芸能界から現役を退き、老人ホームで独居生活を強いられていたことと妻子との確執がクローズアップされた程度だ。そんな山城の功績を、もう一度考えてみようというのが本稿のテーマである。<br>
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「ポエムだな～、メルヘンだな～」<br>
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若い読者は知らないかもしれないが、これが『笑アップ歌謡大作戦』（1978年～82年）などで使われていた山城新伍の必殺フレーズだった。平日の夜８時というゴールデンタイムにも関わらず平然と下ネタが飛び交い、それを受けた山城がにこやかに言う。正直、当時まだ子どもだった筆者のような視聴者には何のこっちゃわからない。<br>
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そもそも、薄いサングラスにオールバック、襟が大きく開いたスーツ姿の山城は、よく見るととてもゴールデンタイムのバラエティ向けの風体ではない。たたずまいや語り口も含め、いつも夜の匂い、淫靡な匂いを身にまとっていた。子ども受けのいいドリフターズとは違う種類の笑いをお茶の間に提供していたのが、山城新伍である。<br>
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山城のキャリアは映画から始まるが、ブレイクしたのはテレビ時代劇『白馬童子』（60年）の二枚目役だった。その後、長らく人気が低迷するも、70年代に入ると梅宮辰夫とともに東映の『不良番長』シリーズでアナーキーな役柄を演じて人気を博し、さらに『仁義なき戦い』シリーズ（73年～）にも出演。実録ヤクザ、空手、暴走族、女番長、異常性愛、常軌を逸したコメディなどが狂い咲いた東映の“不良性感度路線”を支えるキーマンとなった。映画の世界からテレビの世界へ都落ちしていた山城が、“ムービースター”の称号を得たのである。えらく泥臭いスターだが。<br>
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この頃、山城はもう一つの称号を手に入れている。それが“ポルノスター”という称号だ。山城はいわゆるポルノ男優ではないが、ポルノ的なイメージとかつての時代劇スターを結びつけたメディアの造語である。趣味と実益を兼ねた“トルコの指南役”（新人トルコ嬢に技術を教えて指南料をもらっていたらしい）だと公言し、72年には『ポルノギャンブル喜劇　大穴中穴へその穴』に主演。『トラック野郎　爆走一番星』（75年）の役名はズバリ、トルコの帝王・須間田三四郎だった。<br>
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さらに山城のポルノスターとしてのイメージを決定づけたのは、初めてテレビバラエティの司会に挑んだ東京12チャンネルの『独占！男の時間』（75～77年）である。女の裸はもちろん、男の裸（笑福亭鶴瓶が全裸になった）まで盛り込んだ、これまたアナーキーな番組だった。<br>
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番組は過激さのあまり２年で打ち切りになり、最終回で公然と局批判を行った山城だが、これを契機にテレビの世界で活躍する場を増やしていく。78年にスタートした『笑アップ～』は日曜の昼に視聴率20％を獲得して、ゴールデンに昇格。裸こそないが、基本的には下ネタだらけで、「オチンチンから生まれた小林サチンコ（幸子）」などと毎週やっていた。「ゆとりあるデタラメこそ真の芸術」とは、毎回番組冒頭の山城のセリフだが、まさに東映の不良性感度映画を指しているような言葉であり、それをそのままテレビにスライドさせたような番組だった。ゴールデン昇格時も、山城は「規制があるなら司会を降りる」と言い放っている。<br>
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1970年代まで、テレビの司会者といえば高橋圭三に代表されるテレビ局のアナウンサーやアナウンサー出身者が主に務めていた。彼らのイメージは清廉潔白そのもの。山城と同じく俳優の司会者もいたが、関口宏や石坂浩二など、やはりスマートでクリーンな印象を持つ人物が多かった。笑いが必要な番組の司会者を落語家や漫才師が務めることもあったが、伝統文化の枠の中にいた彼らはやはり健全な笑いの提供者だった。<br>
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『不良番長』で『仁義なき戦い』な東映からやってきた猥雑さの塊のような山城は、当時のテレビの世界では明らかに異物だった。しかも司会の座に収まっていたのだからただ事ではない。フリートーク主体の司会は60年代に大橋巨泉と前田武彦が確立したものだが、山城の司会術はそれに輪をかけてフリーだった。番組中にテレビ局の批判までやってのける司会者は他にはいない。猥雑な雰囲気にソフトな口調、自在な話術に批判精神。これらすべてを兼ね備えたタレントが山城新伍だったのである。また、博識ぶりも買われ、多くのクイズ番組の司会にも起用されていた。<br>
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お茶の間の人気者となり“テレビスター”の称号を得た山城は、今度は映画への愛情を注ぎはじめる。初監督作は『ミスター・ムービー』と発表されていたが、CMに出演していた日清食品に制作費を出させたため『ミスターどん兵衛』（79年）と改題した。その後も、ロマンポルノを含めて７本の映画を監督している（出演作は約190本）。<br>
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その後、山城がテレビの世界で大きな光を放つのは、フジテレビの『笑っていいとも！』の裏番組、TBS『新伍のお待ちどおさま』（85～90年）である。『いいとも』が異常なまでの人気を誇り、他局が荒れ野のようになっていた平日昼12時の枠に敢然と挑んだ番組だ。<br>
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ここで山城は持ち前の批判精神を毒舌という形で炸裂させる。サングラスの奥で眉根をしかめ、カメラを見据えて政治、社会、芸能界を斬りまくった。それでいて軽妙さは失わないのが人気の秘訣である。自民党政治を手厳しく批判した後、軽いジョークを飛ばしておちゃらけるのが山城の常套手段だった。変わり身の早さは天下一品である。<br>
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『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』（88～96年）では司会ではなく解答者として登場。そこからしばらくは穏やかなタレントとしての一面を見せていたが、その一方で自ら製作した映画の完成披露でジャニーズ事務所を徹底的にこき下ろすなど、衰えぬ批判精神を発揮していた。しかし、テレビの世界の変化は山城の批判精神を無条件に受け入れることができなくなっており、病気（糖尿病）もあいまって、徐々にメディアからフェードアウトしていく。以上が、山城のテレビを中心とした活動履歴である。<br>
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現在、山城新伍のポジションをテレビの世界で受け継いでいるタレントは多数いる。<br>
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『お待ちどおさま』で見せた“権力者に楯突く庶民の味方”路線は、その後、みのもんたが継承した。カメラに向かってしかめ面を作って社会問題を斬り、スナックのママに目尻を下げる芸風は往時の山城そっくりだ。同じような芸風を持つ司会者に、やしきたかじんなどがいる。<br>
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『新伍＆紳助のあぶない話』（90～96年）で共演していた島田紳助も、山城の影響を色濃く受けているはずだ。山城が司会をしていた『アイ・アイゲーム』（79～85年）に解答者として出演していた島田は、90年代に入ると司会者路線に転向するが、その端緒が山城もよく出演していた『EXテレビ』であり、この『あぶない話』だった。<br>
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そういえば島田は羞恥心などバカキャラを売り出して成功したが、山城は『笑アップ～』ですでに岩城徳栄（ピーコ）というバカキャラをブレイクさせていた。<br>
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大御所ぶらず、周囲を立てながら硬軟使い分けて司会をするという意味では、中山秀征もかつての山城新伍のポジションの一翼を担っている。司会もこなせるエロ話が巧みな俳優という意味では、沢村一樹でさえ山城の後継者の一人だろう。<br>
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また、『笑アップ～』の出演者同士、しかも女性歌手らがお互いにプライベートを暴露しながら罵り合うというやり取りは、教室を一種の“ひな壇”と考えると、ロンドンブーツ１号２号の田村淳が司会を務める『ロンドンハーツ』の人気コーナー「格付けし合う女たち」などに引き継がれている。<br>
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かくも、山城新伍がテレビの世界に遺した爪あとは大きなものなのである。『白馬童子』の人でもなければ、老人ホームに棄てられた寂しい元タレントという枠組みだけで語るのは大きな間違いであるということがわかってもらえただろう。<br>
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山城は痛烈な批判精神の持ち主ではあるが、立川談志やビートたけしのような天才肌ではなく、天衣無縫でもない。山城の真骨頂は、バランス感覚であり、観察者としての優れた目にある。東映時代に師事していた若山富三郎とその弟、勝新太郎について書いた『おこりんぼさびしんぼ』（廣済堂文庫）という本を残しているが、そこで語られているのは、若山兄弟や共演者たちの破天荒なエピソードであり、その間をすいすいとすり抜けるように生きていた山城の変わり身の早さと立ち居振る舞いだ。暴力の吹き荒れる東映の撮影所で誰にも殴られたことのないのは自分だけだ、と山城は豪語している。<br>
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二枚目スターから泥臭いヤクザ俳優へ、映画の世界からテレビの世界へ、毒舌司会者から穏やかなタレントへ。自身の初監督映画をスポンサーのために改題したり、政治批判の後に軽いジョークを飛ばすあたりにも、山城の軽い身のこなしは現れている。<br>
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主役ではなく常に二番手、偉そうな感じなのにどこか間抜け。テレビの世界での山城の立ち位置は東映映画で演じてきた役どころとまったく同じだ。司会者とは、常に主役をゲストに譲る立場である。バランス感覚に長けた山城にとってはうってつけのものだったのだろう。観察眼から生まれた豊富なエピソードも、テレビバラエティにマッチしていた。異物感丸出しなのに、いつの間にか馴染んでいる。それがテレビの世界における山城新伍の存在感なのである。<br>
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ポルノスターであり、ムービースターであり、テレビスターだった山城は、それぞれの世界を行き来する“変幻自在のトリックスター”だった。ついでに「オナラも隠せるバブルスター」でもあったが。混乱の70年代からバブルの80年代、90年代にかけて、時代のドサクサにまぎれて大いに活躍してきた山城新伍の功績を、今一度再確認していただけると幸いである。<br>
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※こんなことを真面目に考えている人がはたしてどれだけいるだろうと思っていたら、ポッドキャスト「東京ポッド許可局」のお三方（マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオ）が大真面目に語っておられたので、参考にさせていただいたことを記しておきたい。<br>
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※「バブルスター」とは、山城や千葉真一、松方弘樹らがCMに出演していた原ヘルス工業の家庭用超音波温水器。原社長も登場するCMで有名だったが、その後、薬事法違反で業務停止となった。<br>
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●大山くまお（おおやま・くまお）<br>
ライター。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/kumaokumao/">くまお白書</a>]]>
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</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1202025.html">
<title>大山くまお「メジャー映画評論家のいた時代」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1202025.html</link>
<description>担当者より：大山くまおさんは、新聞や雑誌、ネット媒体でサブカルチャーなどに関する原稿を精力的に執筆なさっているライターです。著書に『名言力』（ソフトバンク新書）があります。この原稿は、水野晴郎が亡くなってからしばらくした時期に、メジャー映画評論家の存在に...</description>
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<dc:date>2009-11-10T08:15:26+09:00</dc:date>
<dc:subject>大山くまお</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>大山くまおさんは、新聞や雑誌、ネット媒体でサブカルチャーなどに関する原稿を精力的に執筆なさっているライターです。著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）があります。この原稿は、水野晴郎が亡くなってからしばらくした時期に、メジャー映画評論家の存在について論じていただいたものです。<br>
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<u>配信日：2008/08/13</u><br>
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水野晴郎が亡くなって、早いもので二カ月が経つ。晩年は怪作『シベリア超特急』を作り続けるヘンなおじいちゃんとして有名だったが、30代以上の人々にとっては『水曜ロードショー』（後に『金曜ロードショー』に移行）の解説者としての顔のほうが印象深いだろう。<br>
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1972年生まれの私にとって、テレビの映画番組は非常に身近に感じられる存在だった。代表的なものを挙げると、TBS系の『月曜ロードショー』、日本テレビ系の『水曜ロードショー』、テレビ東京系の『木曜洋画劇場』、フジテレビ系の『ゴールデン洋画劇場』、そしてテレビ朝日系の『日曜洋画劇場』。私自身はほとんど記憶がないが、テレビ朝日系は土曜日にも『土曜洋画劇場』という映画枠を持っていた。<br>
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今思えば、実に多くの映画番組があったものである。そしてすべての枠に、午後９時からの２時間というテレビにとってもっとも視聴者を集める時間帯が用意されていた。これらの番組が出揃う1960年代後半から80年代にかけて、テレビにとって映画は花形プログラムだったのだ。<br>
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そのテレビでの映画放映に欠かせなかったのが、名物解説者たちである。『月曜ロードショー』の荻昌弘、『水曜ロードショー』の水野晴郎、『木曜洋画劇場』の河野基比古、『ゴールデン洋画劇場』の高島忠夫、『日曜洋画劇場』の淀川長治。彼らは本編開始前と終了後に軽妙な語り口で端的に映画の見所、作品の持つ意味合いや背景、主演俳優たちのプロフィールを語り、視聴者の関心を惹きつつ内容の理解を深めさせる、という役割を担っていた。<br>
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たとえば、荻昌弘は『ブレードランナー』を紹介するとき、『ブレードランナー』がアメリカのハードボイルド小説の作法を使っていることと、F・W・ムルナウやフリッツ・ラングらによって1920年代にドイツで作られていた怪奇映画に影響を受けていることを指摘していた。あるいは淀川長治は『荒野の用心棒』の解説で、監督のボブ・ロバートソンがセルジオ・レオーネの変名であることを楽しそうに明かし、原題『一握りのドルのために』を「ちょいと儲けたろうか」と意訳したうえで、「ちょいと儲けたろうか、と盗作したんですね」と『荒野の用心棒』が黒澤明の『用心棒』のパクリだとバラしてしまう（後に東宝にレオーネ側から挨拶があったことまでフォローしている）。また、淀川はほとんどの前解説で作品の製作年と製作国を視聴者に伝えているが、これは年代や国ごとの作品にあるムードを作品から読み取ってほしいからだと述べている。わずか数分の持ち時間で、彼らは映画の見方を伝えていた。<br>
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名物解説者たちの知名度はタレント並みに高く、淀川長治の決め台詞「さよなら、さよなら、さよなら」などは物真似されるほどの流行語になった。水野晴郎はＣＭにも起用されていたし、『土曜洋画劇場』で解説を務めていた元モデルで映画評論家の増田貴光はカメラをビッと指差し、「またあなたとお逢いしましょう！」と叫んでいた。これはちょっとやりすぎだと思うけど、とにかく毎週ゴールデンタイムに放映される人気番組のMCを務めているわけだから、知名度が低いわけがない。彼らの存在は“メジャー”だったのだ。<br>
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一方で、彼らは高島忠夫を除けば全員が本職の映画評論家でもあった。では、映画評論家とはいったい何か？　単に映画に詳しい人を映画評論家と呼ぶわけではない。映画評論を書き、発表していることが、ひとつの物差しとなるだろう。映画を紹介するだけなら、それはいわゆる映画ライターの仕事だ。<br>
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映画評論とは、１本の映画が生まれた背景や、監督や俳優たちの特徴、物語の組成などを読み解き、記していくことである。そして、彼らはいずれも映画専門誌に長文の評論を寄稿していた（逆にコラムみたいなのしか書いていなかった増田や『木曜洋画劇場』で河野基比古の後を引き継いだ木村奈保子などは、映画評論家と呼ぶには「？」と思われていた）。テレビの映画番組全盛時代は、同時にメジャー映画評論家、という存在を生み出していたのである。<br>
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彼らはテレビで“呼び込み”の役割を果たしていた。テレビで映画を楽しんだ視聴者は、自然に映画館にも足を運び、さらに映画について詳しく知りたくなれば『スクリーン』や『ロードショー』、そして『キネマ旬報』などの映画専門誌に手を伸ばす。そこで再び映画評論家としての彼らに出会うことになるのだ。<br>
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たとえば淀川長治は、テレビでは放映される作品にあわせてニコニコとオードリー・へプバーンやヒッチコック、ジョン・ウェインの西部劇やスピルバーグなどのメジャー作品をお茶の間に向けて語っているが、映画専門誌が舞台になると戦前から蓄積された映画知識を爆発させている。“映画の父”D・W・グリフィスを語り、ラオール・ウォルシュの男臭さを賛美し、男女の機微描くエルンスト・ルビッチを紹介し、美しい映画を作りつづけたジャン・ルノワールへの愛を記した。<br>
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もちろん、ちょっと映画が好きになったばかりの中高生にはハードルの高い内容であるが、けっして難解な文章ではない。それらの文章は、大勢の映画少年少女たちにとってのサーチライトであり、未知の映画世界を照らしていた。メジャー映画評論家たちの意識は、常に映画に興味を持つ大衆に向かっていたのである。<br>
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80年代より映画評論の世界で台頭した蓮實重彦は、その意味で“メジャー”ではない。逆に、映画番組の解説を務めてはいなくても、淀川や水野らと同時代に活躍した“おばちゃま”こと小森和子や「ぼくの採点表」で知られている双葉十三郎らはメジャー映画評論家と呼んでいいと思う。<br>
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つまるところ、メジャー映画評論家たちが活躍した60年代から80年代、90年代は洋画の時代だったと言うことができるだろう。洋画が大衆化した時代、と言ったほうが正確かもしれない。『ローハイド』や『逃亡者』など60年代前半に大ヒットした外国テレビドラマで日本人は洋画的なものに親しみを持ち、その後、老若男女誰でもがハリウッドやイタリアやフランス産の西部劇やメロドラマ、アクション映画に夢中になっていった。映画と大衆の橋渡し役になっていたのがメジャー映画評論家たちである。<br>
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しかし、荻昌弘、河野基比古、淀川長治と物故し、水野晴郎も亡くなった。小森和子も今はいない。彼らがいなくなったと同時に、メジャー映画評論家という存在も姿を消した。それは彼らのような資質を持った者がいなくなっただけではない。映画の楽しみ方そのものが変わってしまったのだ。<br>
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現在では、映画（特に洋画）について何かを知りながら楽しむこと、得た知識を語ることで楽しむことはマニアックな趣味になってしまった。難解さを排した映画評論を書き続ける町山智浩が映画オタクたちから愛されているのは、こうした映画の楽しみ方がマニアックなものになっていることを端的に示している。<br>
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もっと極端な例え方をすれば、今の映画は電車のようなものだ。電車にまつわる何かを知って楽しむことは“鉄オタ”たちのマニアックな喜びであり、一般の人々にとって電車は乗るものである。映画も同じく、一般の人々にとってはただ単に“観るもの”になってしまった。だから登場する俳優のプロフィールがあらかじめわかっている邦画がヒットし、物語や背景についての詳しい解説が不要なテレビドラマの映画版が好まれるのだ。<br>
一方、ヒットする洋画は昔の大ヒット映画の続編が多い。ハリソン・フォードやインディ・ジョーンズについて、詳しい解説は不要である。<br>
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「いやぁ、映画って本当にいいものですね」とは水野晴郎の決め台詞だが、この言葉をもう一度、人々の心に染み渡らせるには、メディアと語り手のそれ相応の努力が必要だろう。だけど、このままってのは、ちょっと寂しい。<br>
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●大山くまお（おおやま・くまお）<br>
ライター。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797354496/">『名言力』</a>（ソフトバンク新書）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/kumaokumao/">くまお白書</a>]]>
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