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<title>ビジスタニュース - 円堂都司昭</title>
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<title>円堂都司昭「清志郎が演じた一人二役」</title>
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<description>担当者より：刊行されたばかりの『ゼロ年代の論点　ウェブ・郊外・カルチャー』（ソフトバンク新書）が話題になっている、文芸・音楽評論家の円堂都司昭さんが2009年に忌野清志郎について書いた原稿です。円堂さんはブログの最新エントリー『ゼロ年代の論点』に書かなかった...</description>
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<dc:date>2011-03-07T23:00:41+09:00</dc:date>
<dc:subject>円堂都司昭</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[担当者より：刊行されたばかりの<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797362146/">『ゼロ年代の論点　ウェブ・郊外・カルチャー』</a>（ソフトバンク新書）が話題になっている、文芸・音楽評論家の円堂都司昭さんが2009年に忌野清志郎について書いた原稿です。円堂さんはブログの最新エントリー<a href="http://d.hatena.ne.jp/ending/20110306#p1">『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論</a>でも、この新刊に関して書いています。また、同じく<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797362146/">『ゼロ年代の論点』</a>については<a href="http://www.sbbit.jp/article/cont1/23052">「Google、ニコニコ動画、電子書籍、Twitter……メディア環境によって言葉の流通も変化する」</a>と題したインタビューがアップされています。聞き手は<a href="http://bisista.blogto.jp/archives/cat_40692.html">武田俊さん</a>です。<br>
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<u>配信日：2009/07/01</u><br>
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忌野清志郎の死には、私もショックを受けた。彼がロッカーとして注目を集めるようになった1980年頃は、ちょうど高校生だった私がロックをよく聴くようになった時期だった。だから、自分にとってのロックのイメージが形作られていく初期段階で、RCサクセションで注目されていた清志郎から影響を受けたことになる。<br>
<br>
『東京新聞』の清志郎追悼記事で、私はこの時期のRCサクセションに関し、日本においてローリング・ストーンズとセックス・ピストルズを同時に演じていたようなインパクトがあったとコメントした。今回はその意味について、もう少しかみ砕いて説明するとともに、彼が登場した時代をふり返ってみたい。<br>
<br>
70年代後半のロックをふり返ると、米英では新世代によるパンク・ロック・ムーヴメントがあった。特にイギリスでは、王室を攻撃した曲が放送禁止になったセックス・ピストルズを筆頭に、クラッシュ、ジャム、ダムドなどのパンク・バンドが次々に現れ、旧世代を揺さぶる展開になっていた。こうしてシーンに風穴が開いた結果、パンク以後にはニュー・ウェイヴと呼ばれる新世代の百花繚乱の時代が訪れた。<br>
<br>
これに対し、60年代には怒れる若者の代表だったローリング・ストーンズは、70年代後半には商業的成功を得て久しいバンドとして、業界にしっかり地位を確保していた。黒人のブルースから影響を受けたストーンズのロックンロールは、バンド活動の長期化に伴って初期の瞬発力を失い、伝統芸としての側面を強めていた時期である。そのように落ち着いた旧世代のストーンズは、パンク～ニュー・ウェイヴ世代にとって格好の攻撃対象となった。<br>
<br>
一方、日本のロックは米英からの影響下において発展してきたわけで、パンク～ニュー・ウェイヴに呼応した動きも当然現れた。東京ロッカーズ（フリクション、リザードなど）と呼ばれたパンク・バンド群はその典型だ。79年には東京ロッカーズのオムニバス・アルバムが発表され、それは国内ロック史においては重要な意味を持つのだが、世間一般へのインパクトということではなかったに等しい。つまり、アンダーグラウンドな動きにとどまっていたのである。<br>
<br>
その頃の日本のロックは、米英ほど層の厚いものではなかった。60年代以降、日本ではロックよりもフォークの方が人気はあったし、70年代にはフォークを洗練化したニュー・ミュージックなるものが歌謡曲と拮抗するという配置だった。このため、新世代のパンクが音楽シーンを揺さぶるというイギリスのようなことは、日本では起きなかった。<br>
<br>
そうした状況に、躍り出たのが、忌野清志郎率いるRCサクセションである。1970年にシングル・デビューした彼らは当初、フォークに分類される音楽性のグループだった。だが、徐々にアコースティックからエレクトリックへとシフトし、清志郎はパンクの影響で髪を短くしてツンツンと立て、グラム・ロックのようなメイクもし始めた。そして、ギターに仲井戸麗市が加入してからは、完全にロック・バンドへと脱皮。第２のデビュー・アルバムとして発表されたのが、80年のライヴ盤『RHAPSODY』だった。<br>
<br>
この頃、RCサクセションの演奏する映像は、テレビの音楽番組などでちらほら流されており、私もそれを見て面白がっていた。当時の清志郎は、その髪型、状況に反発する“痛快な無礼さ”などからパンクの人として扱われていた。日本においてパンクというイメージを広めたのは、東京ロッカーズ以上にRCサクセションだったのである。<br>
<br>
しかし、RCサクセションの音楽で、パンクと呼べる曲調は実は少なかった。基本線は、彼らがもともと好きだったブルースやソウルをベースにしたロックンロールであり、ストーンズのような伝統芸を日本において継承したのがRCサクセションだったともいえる。その意味で彼らは、日本のストーンズであり、日本のピストルズだった。<br>
<br>
80年代前半の『宝島』は、さながら日本版ニュー・ウェイヴに関する情報誌といった趣だったが、そこではイエロー・マジック・オーケストラ（YMO）とRCサクセションが二大巨頭といえる人気を誇っていた。清志郎とYMOの坂本龍一が組んで「い・け・な・いルージュ・マジック」（82年）をヒットさせたこともあった。そして、RCサクセションとYMOは、ロックンロールとテクノ・ポップで音楽性は異なっていたものの、その立ち位置には似たところがあったのだ。<br>
<br>
元はっぴいえんどの細野晴臣、元サディスティック・ミカ・バンドの高橋幸宏、東京藝術大学卒でクラシックの知識を持ち、セッション・ミュージシャンをしていた坂本龍一。いずれも前歴のある者たちが揃ったのがYMOだった。これはフォーク時代を通過した清志郎と元古井戸の仲井戸が組んだ新生RCサクセションが、すでに中堅といえる経験を持っていたのと同様である。<br>
<br>
パンクは本来、演奏技術のない若手が社会への反抗気分一発で突っ走るものだったが、RCサクセションはそうではなかった。また、テクノ・ポップも演奏技術の拙さを電子楽器の導入とアイデアにより補うものだったが、YMOもそうではなかった。RCサクセションもYMOもすでに能力の蓄積はあったのだ。<br>
<br>
しかし、東京ロッカーズよりもRCサクセションのほうが、当時の日本のパンクを代表したように、ヒカシュー、P-モデルといった若手以上にYMOのほうが日本のテクノを象徴したのである。<br>
<br>
ロックの歴史にまだ厚みのなかった日本では、メジャーに基盤のある中堅世代が新世代の音楽動向をとり入れることによってようやく、パンクや、テクノのようなニュー・ウェイヴが、世間に知られることが可能になったのだ。つまり、中堅ならではのしたたかさと、新世代のような“痛快な無礼さ”をあわせ持つ、ある種の一人二役を清志郎たちは演じていたのだ。ローリング・ストーンズとセックス・ピストルズの役割を同時に担った、と私がコメントしたのは、そういうことだ。<br>
<br>
もちろん、高校生の私が、テレビに映ったRCサクセションに目を奪われた瞬間、すぐにそんなことを考えたわけではない。時間が経ってふり返った時、そういうことであったのだろうな、と理解したのだ。そして、一人二役を理解する前も後も、清志郎をカッコいいと感じることに変わりはない。<br>
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●円堂都司昭（えんどう・としあき）<br>
文芸・音楽評論家。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797362146/">『ゼロ年代の論点』</a>（ソフトバンク新書）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ending/">ENDING ENDLESS 雑記帖</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1427346.html">
<title>円堂都司昭「亀田騒動で思う“親子物語”の消費地図」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1427346.html</link>
<description>担当者より：文芸・音楽評論家の円堂都司昭さんが2007年に当時起きていた亀田兄弟の騒動を通じ、親子の物語について論じたものです。また、円堂さんは新刊『ゼロ年代の論点　ウェブ・郊外・カルチャー』（ソフトバンク新書）を上梓したばかり。そちらもぜひご一読ください！
...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2011-02-19T01:00:11+09:00</dc:date>
<dc:subject>円堂都司昭</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[担当者より：文芸・音楽評論家の円堂都司昭さんが2007年に当時起きていた亀田兄弟の騒動を通じ、親子の物語について論じたものです。また、円堂さんは新刊<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797362146/">『ゼロ年代の論点　ウェブ・郊外・カルチャー』</a>（ソフトバンク新書）を上梓したばかり。そちらもぜひご一読ください！<br>
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<u>配信日：2007/11/14</u><br>
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父・史郎と興毅、大毅、和毅の息子３兄弟の亀田家が起こした騒動を眺めながら、これまでテレビが映してきた様々な親子のことを考えた。自分たちは、数々の特別な境遇にある“親子物語”をどんな風に消費してきたのだろうか、と。<br>
<br>
亀田家の場合、2007年10月11日の世界タイトル戦で、大毅がプロレスまがいの反則を行ったことが、彼らへのバッシングを加熱させた。その過程で、興毅と大毅がプロボクシング界に持ち込んだプロレス的パフォーマンスに関する是非論が蒸し返された。<br>
<br>
でも、それをいうなら、娘・京子が戦うアマチュアレスリング界に、プロレスラーの父・アニマル浜口がかかわることだって違和感があった。彼が「気合いだー」と吠えるおかげで、優勝した他の日本選手よりも途中敗退した京子のほうがマスコミ的に目立っていたのだから。ただ、彼女の場合、不可解な判定や相手選手の反則まがいの頭突きで敗れることが続き、結果的に、親子がバッシングされる以前に同情される側となった。ちょうど亀田家とは、逆の展開になったのだ。<br>
<br>
この二つの家族を見ていると、親子を“売り”にすることがどう転がるか、こればかりは水ものだなぁと感じる。また、親が子をしごく様子が早くからテレビを通して伝えられ、視聴者が子の成長をずっと見続けた例は、亀田家以外にもけっこうある。周囲からちやほやされた息子が増長してトラブルを起こし、父親にも不祥事が発覚したという、亀田家と似たケースもあった。歌舞伎の中村家である。<br>
<br>
今の勘三郎がまだ勘九郎を名乗っていた頃、勘太郎、七之助という息子二人を役者へとしつけていく過程は、何度もスペシャル番組になった。だが、2005年には、酔っぱらった七之助が警官を殴り逮捕される一方、勘三郎は脱税が発覚した。もちろん、彼らは批判された。しかし、中村家は亀田家ほどバッシングされなかったし、今では親子とも、なにもなかったかのごとく役者として活躍している。<br>
<br>
中村家の場合、芝居小屋から作ってしまう平成中村座や、斬新な演出を導入したコクーン歌舞伎など、勘三郎が次々に意欲的に取り組み、歌舞伎界で存在感を発揮してきた実績があった。このため、古いしきたりの残る歌舞伎界が、世間から中村親子を擁護する防波堤になってくれた面がある。<br>
<br>
この構図は、こぶ平が正蔵を襲名した際に脱税が発覚した林家と落語界、貴乃花の洗脳騒ぎや若貴兄弟の不仲で注目された頃の花田家と相撲界の関係とも近い。それぞれの騒動の当時、中村家、林家、花田家という個々の家族がいくら動揺したところで、歌舞伎界、落語界、相撲界という伝統的な“大家族”は揺るがないというような空気があった。そうした伝統の空気が、不祥事を起こした（でも実績のある）一家を守るように働き、彼らのその後の軟着陸を助けもした（若貴が相撲で実績を上げていた時期、花田家批判は引退後ほど激しくなかった。擁護派がかなりいた）。<br>
<br>
しかし、プロボクシング界には、そこまで伝統的で頑強な枠組みはない。しかも、上記３家族が親や先祖の代からその世界にいたのとは異なり、亀田家の父・史郎はプロボクシング界でリング経験がなかった。二宮清純などは、史郎にはもともとトレーナーライセンスもなかったと批判している。そんな風にボクシング界とつながりの薄い父親が、正規のジムではなく、「世界王者養成道場」と銘打った私的道場を息子たちの練習拠点にしていた。こうした背景もあり、プロボクシング界は亀田家を擁護せず、処分する側となった。<br>
<br>
これは、狂言の和泉家を思わせる展開である。和泉元彌は、ドタキャンなどのトラブルを繰り返し、2002年には能楽協会から退会命令が下された。その意味ではもう、元彌は正式な狂言師ではないし、伝統芸の世界からの庇護も失った。狂言師だった彼の父・元秀は95年に亡くなっているため、元彌の仕事を仕切るのは、自身は舞台経験のない母・節子という状態である。彼らを守る頑強な枠組みが存在せず、マスコミや世間が叩きやすい親子である点は、和泉家と亀田家はよく似ている。<br>
<br>
ここまで、テレビでよく知っている６家族について記してきたわけだが、世間は本当に親子の物語が好きだな、と実感する。親から子へなにかを引き継ぐということは、社会ではありふれた関心事なのだし、参照するモデルをテレビに求める気持ちもわからなくはない。その時、伝統芸能のように枠組みがはっきりしていれば、外野としては、親から子への継承劇に納得しやすい。しかし、そこに一般人は入り込めない。<br>
<br>
だから、史郎がマンガみたいな奇矯な特訓を息子たちに課し、成果を上げていくのを喜ぶ人たちも多かった。親自身の芸や能力を継がせるのではなく、親の脳内ファンタジーを子どもに伝え具体化しようとすること。そんな虫のいい願いが実現されていく光景に、やはりなにものでもない人々が希望を見出したのだろう。振り返れば、横峯良郎・さくらの父娘物語も、似たようなものだった。<br>
<br>
とはいえ、たとえ、歴史に残るほどの親が子を指導したとしても、大成しないものは大成しない。父と同様にプロ野球選手になったもののパッとしない一茂を、父で巨人監督だった長嶋茂雄は引き取った。でも、どうなるでもなかった。しかし、後に一茂は、芸能界で活動するかたわら、巨人の広報面のアドバイザーという、なんとも微妙なポジションは手に入れた。選手としては父の後継者になれなかったが、プロ野球関係者という意味では、父の精神の一部を継いだといえなくもない立場。これは、偉大なマンガ家・手塚治虫の息子・眞が、マンガに近いんだか遠いんだかわからない「ヴィジュアリスト」の肩書きで映像の仕事をしていることを連想させる。<br>
<br>
さて、亀田家に対するバッシングは、父・史郎不在の状態で興毅が謝罪会見をしたことで風向きが変わった。あの会見は、もうこれ以上批判しなくてもいいだろう、と多くの人に思わせるものだった。以前のがさつな振る舞いから、頭が悪そうにしか見えなかった若者が、家族の難局にあたって世間に向け、懸命に話している。父や弟のため、自分がしっかりしなければと背伸びしている。そのような興毅の謝罪会見は、どこか、長嶋茂雄が病に倒れた際、一茂が行った説明会見を思い出させた。<br>
<br>
一般人である我々が、彼らみたいに記者会見することはないだろう。だが、会見での興毅や一茂のような表情をする機会は、ありうる。それはいつかというと、親の葬式で子どもが喪主として挨拶する時だ。興毅にしろ一茂にしろ、父親が人前に出られなくなった結果、家族を引っ張る立場を長男である彼らが引き継がなければならない状況になったわけだ。したがって、父の不在を引き受けるという意味では、（父が生きているにせよ）比喩的には彼らの行為は、ある種の“喪主”挨拶だったといえる。そう考えれば、私たちの誰もが、いつか、親が不在となった時に子どもとして引き受けねばならないなにかが、興毅の会見には含まれていたと捉えられる。<br>
<br>
テレビで流れる「親子物語」に関して我々は、彼らの特殊な状態を面白がる一方、親子という主題の身近さに引き寄せられる。興毅の会見は、特殊さと身近さが他にない形でせめぎ合い、印象深いものになった。そのうえで彼らは、どんな物語をこれから紡いでくれるのだろうか。<br>
<br>
<br>
●円堂都司昭（えんどう・としあき）<br>
文芸・音楽評論家。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4797362146/">『ゼロ年代の論点』</a>（ソフトバンク新書）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ending/">ENDING ENDLESS 雑記帖</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1314722.html">
<title>円堂都司昭「東京ディズニーリゾートと浦安」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1314722.html</link>
<description>担当者より：文芸・音楽評論家の円堂都司昭さんが2008年に東京ディズニーリゾートと浦安の関わりについて論じたものです。また、円堂さんが速水健朗さんや大山くまおさんなどとの共著『バンド臨終図巻』（河出書房新社）に関するインタビューも併せてどうぞ。

配信日：2008/...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-06-23T15:49:35+09:00</dc:date>
<dc:subject>円堂都司昭</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[担当者より：文芸・音楽評論家の円堂都司昭さんが2008年に東京ディズニーリゾートと浦安の関わりについて論じたものです。また、円堂さんが<a href="http://bisista.blogto.jp/archives/cat_39004.html">速水健朗</a>さんや<a href="http://bisista.blogto.jp/archives/cat_39062.html">大山くまお</a>さんなどとの共著<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309271855">『バンド臨終図巻』</a>（河出書房新社）に関する<a href="http://www.sbbit.jp/article/cont1/21690">インタビュー</a>も併せてどうぞ。<br>
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<u>配信日：2008/01/30</u><br>
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毎年、１月になると成人式のニュースが流れる。そのなかで、千葉県浦安市を取り上げることが、すっかり定番になった。浦安市では2002年から、市内の東京ディズニーランドで成人式を催している。ディズニーといえば童心に返るための場所だ。しかも、東京ディズニーシーでは酒類が販売されているのに対し、東京ディズニーランドは基本的にアルコール禁止。大人になる日にお子様化してどうする？　という批判や揶揄は当然ある。<br>
<br>
だが、地元の新成人には好評であり、毎回の出席率は高い。周辺住民としては、沖縄みたいに酔った若者が暴れるわけでもないんだからいいんじゃない？　といったところだろう。また、浦安市民には、東京ディズニーリゾートの近くに住んでいることをどこか誇らしく思う人が少なくない。だから、成人式の話も、ちょっとした自慢のタネだったりする。<br>
<br>
とはいえ、よく考えると、浦安市民と東京ディズニーリゾートの関係には、親近感を抱き、友好的であるというだけではない微妙な要素もある。昔は漁村だった浦安の広大な埋立地に、東京ディズニーランドが開園してから今年で25周年。2008年には新たなホテル（東京ディズニーランドホテル）やシルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京の開業も予定されている。テーマパークだけでなく、ホテル群やショッピングモールなども含めた東京ディズニーリゾートとしての総合力が、一段と強化されようとしている。そんな節目の時期でもあるので、浦安市民である自分が、東京ディズニーリゾートと浦安の関係をあらためて考えてみたいと思う。<br>
<br>
さて、JR京葉線に乗ってランドやシーに出かけた人は多いだろうが、最寄りの舞浜駅では南口を利用することになる。駅を出ればすぐ、ランドやシーを経営するオリエンタルランドが作ったイクスピアリというショッピングモールがあり、ランドまで行く歩道橋の途中にボン・ヴォヤージュというディズニーショップもある。駅周辺のデザインといい雰囲気といい、思いっきりディズニーの色に染まっている。というか、駅舎や駅員の制服のデザイン、発車メロディからして、JRとオリエンタルランドとの協議でディズニー路線になっている。駅構内を清掃員だって、ランドと同じ制服である。駅に降りた時点で、あなたはもうテーマパークの住人なのだ。<br>
<br>
それでは、市外から舞浜駅に来た人で、ディズニー側とは逆の北口に出てみたことのある人はどれくらいいるだろうか。そこには、ある意味で驚くべき風景が広がっている。北口の駅前には、なにもないのだ。普通駅前にありがちなショッピングセンターやパチンコ屋がない。とにかく店の類がまるっきりない。バスやタクシーの乗り場は南口にまとめられているので、それらを待つ人が溜まっていることもない。ただ、駐輪場のスペースが広くとられている。そして、駅の前には線路と並行して湾岸道路のほか交通量の多い道路が何本か横切っており、それらを跨ぐ長い長い歩道橋の先に防音壁や緑地帯が見える。その向こう側に住宅地が広がり、浦安市民が暮らしている。でも、そんなことは、市外から来た人がちょっと北口に出ただけでは気づかないだろう。<br>
<br>
当たり前の話だが、東京に近い住宅地なので、舞浜駅から京葉線で通勤している人は大勢存在する。しかし、舞浜駅北口の風景は、東京ディズニーリゾートに訪れた客が、浦安市民の生活を目にしないように設計されている。ある種の分離政策が行われているといってもいい。イクスピアリはあくまでリゾート客向けのショッピングモールであり、近隣住民が日常的に買物するような店はない。その種のスーパーは、北口の壁の向こう側に立地している。したがって、長ねぎや大根を入れた買物袋を持つ地元民の姿を、リゾート客が見ることはない。<br>
<br>
ディズニーのテーマパークがなぜ成功したかについては、いろいろ指摘されている。その一つとして、客に夢と魔法の世界を経験させる点において徹底していることがある。ディズニーの空間では、従業員はみなキャストと呼ばれ、客はゲストと呼ばれる。キャストとゲストが共同で演じる非日常の夢舞台として、ディズニーの空間はある。だから、東京ディズニーリゾートでは、ディズニー的なもの以外、ゲストの視界に入らないよう入念に風景がデザインされている。ここでは、キャストでもゲストでもない浦安市民のただの日常など、排除すべき対象にすぎない。浦安の風景お断り、である。海のテーマパークであるディズニーシーでは東京湾を借景にしているが、それをもじっていえば東京ディズニーリゾートは浦安に対しては“断景”なのだ。北口から見える壁は、その象徴である。<br>
<br>
京葉線が開通する前、ディズニーランドの最寄り駅の仮称は、西浦安駅とされていた。その名称がマイアミをもじった地名、舞浜に変更されたことは、この地域を浦安の日常から分離する政策の始まりだった。巷間では、駅名を公募した際、ディズニーランドという名も候補に上がったが、そうなった場合、近隣の商店などがディズニーランド駅前店と名乗ることも予想され、自社ブランドを守りたいディズニー側が難色を示したといわれている。<br>
<br>
もともと、東京ディズニーランドが1983年に開業した時、JR京葉線はまだ開通していなかった。このため、より内陸部を通っている地下鉄東西線の浦安駅から海沿いの埋立地にあるランドまでシャトルバスを運行していた。客は浦安市を行き来し、ランド以外の市内にもお金を落としたわけだ。ところが、1988年に京葉線舞浜駅が開業し、ディズニーの客は浦安市を横断する必要がなくなった。また、2000年にはイクスピアリ、2001年に東京ディズニーシーとディズニーリゾートライン（この地域を循環するモノレール）が開業し、舞浜が総合リゾート地へと大きく変貌した。駅前に東京ディズニーランドというテーマパークが一つあるだけでなく、周辺一帯がディズニーの自治区のごとき状況になり始めたのである。この2001年に舞浜駅では従来の南口に加え、あの北口が作られた。同年を、浦安とディズニーの分離完了の年ととらえてもいいだろう。<br>
<br>
実際、舞浜駅近くの土地の大部分はオリエンタルランドが所有しており、この地区の開発における同社の発言権は大きい。舞浜駅北口に広がる風景があのようになったのも、オリエンタルランドと浦安市が協議した結果である。また、二つの地域を隔てる壁や緑地帯は、近隣住民のニーズにもあっていた。舞浜駅近くに住む人たちには、市外から訪れる大量の客に自分の暮らしを覗かれたくないという意識がある。実際、壁のすぐ向こうにある住宅街では、「監視カメラ作動中」の看板が多く、よそ者を排除し防御する身振りが目立つ。<br>
<br>
このようにディズニー側から一線を引かれている浦安だが、オリエンタルランドからの多額の税収のおかげで市の財政は豊かである。しかし、地元商店などには、東京ディズニーリゾートの客が、その他の浦安市内でも金を使って欲しいという思いが根強い。それが象徴的に現われていたのが、昨春の「街中がテーマパーク宣言」だった。<br>
<br>
JRと千葉県は2007年２～４月の３カ月間、「房総発見伝」と銘打ち、「ちばデスティネーションキャンペーン」という観光キャンペーンを行った。これは、房総半島を舞台にした曲亭馬琴の古典『南総里見八犬伝』のイメージを借りたキャンペーンで、県内各地でイベントや販促が展開された。その一環として浦安では、「レトロ（懐かしい街）＋フューチャー（新しい街）」をコンセプトに「街中がテーマパーク宣言」を打ち出した。当時、市の広報紙は、浦安にはディズニーのテーマパークがあるだけでなく、もう浦安全体がテーマパークなのだと高らかに宣言した。東京ディズニーリゾートの論理は、浦安市を外部ととらえ分離したというのに、浦安側は自分たちもテーマパークだと連続性を主張したのである。両者の関係は、微妙にねじれている。<br>
<br>
それでは、浦安市民のテーマパークに関する意識とはどんなものか。浦安市には、この地が昔、漁村だった頃の家並みを再現した郷土博物館がある。極めて小ぶりなテーマパークといえる施設だ。ただ、これに関しては、建設途中で郷土博物館は税金の無駄だと反対する候補が市長に当選し、結局、転用が不可能だったため当初の計画を縮小して決着した経緯がある。そうして郷土博物館がオープンしたのは、東京ディズニーシーと同じ2001年のことだった。<br>
<br>
この件に私は、複雑な思いがある。東京ディズニーランドには、西部劇の世界を再現したウエスタンランドのゾーンに典型的なように、アメリカの歴史を再現するというコンセプトがある。その雰囲気に好意的なランドのリピーターが市内にけっこう多く住んでいるというのに、市民は自分たちが暮らす地域の歴史にあまり関心を持っていない。アメリカの歴史に金を払うのはOKだが、地元の歴史に税金を使うのはNO。これは不健康な態度ではないか。財政に余裕があるなら郷土博物館を充実させてもいいだろうに、と自分は思うが。<br>
<br>
以上、みてきた通り、浦安と東京ディズニーリゾートの間には、なかなか微妙な距離感がある。毎晩８時半にランドのシンデレラ城付近に打ち上げられる花火の音を自宅で聞きながら、ふと、自分はディズニーに近いところにいるのか、それとも遠いのか、などと考える。もうじき25周年の東京ディズニーリゾートと浦安の共生が今後どうなるかわからないが、自分はもうしばらくそれにつきあうつもりだ。<br>
<br>
<br>
参考文献：浦安市『浦安市史』（1999年）、粟田房穂<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4492554254/">『ディズニーリゾートの経済学』</a>（2001年）など。<br>
<br>
<br>
●円堂都司昭（えんどう・としあき）<br>
文芸・音楽評論家。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ending/">ENDING ENDLESS 雑記帖</a>]]>
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</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1299201.html">
<title>円堂都司昭「『けいおん！』に勝てない日本のロック」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1299201.html</link>
<description>担当者より：音楽やミステリの分野でご活躍中の円堂都司昭さんに、日本のバンドブームに関する原稿をご執筆いただきました。タイトルは当初の「今世紀の『バンド』・ブームをめぐって」を改題したものです。また円堂さんは、話題の本『バンド臨終図巻』（河出書房新社）の共...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2010-05-18T21:27:49+09:00</dc:date>
<dc:subject>円堂都司昭</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>音楽やミステリの分野でご活躍中の円堂都司昭さんに、日本のバンドブームに関する原稿をご執筆いただきました。タイトルは当初の「今世紀の『バンド』・ブームをめぐって」を改題したものです。また円堂さんは、話題の本<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309271855/">『バンド臨終図巻』</a>（河出書房新社）の共著者でもあります。そちらも併せてどうぞ。<br>
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<u>配信日：2010/05/12</u><br>
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ふり返れば、ゼロ年代以降は、「バンド」ブームだった。昔からバンドというものは物語の題材にされてきたけれど、コミック、映画、小説などでこれほどバンドを扱ったヒット作、話題作が多かった時期はないのではないか。つまり、60年代のグループ・サウンズ、80年代のイカ天の頃みたいに実際にバンドが増えたからブームだというよりも、近年は「バンド」というイメージのほうが活気づいているように思う。<br>
<br>
それは、「大人のロック！」と題された雑誌が登場したことに象徴される通り、バンド好き中高年の存在が目立ち始めた時代でもあった。昨年、熊谷達也のバンド小説が<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4408535621">『オヤジ・エイジ・ロックンロール』</a>と真正面から命名され刊行されたあたりに、中高年の高揚した気分はうかがえる。バンドに関するマーケティングが、若年層と中高年層、二つの層に向けて展開されることになったわけである。この二つの層は嗜好性において、現在進行形の音楽と過去の音楽で別の領域を作っているかに思える。だが、意外と地続きな要素も観察できるのだ。<br>
<br>
バンド好き中高年は、基本的に自分が昔よく聞いた／よく演奏したロックやフォークに向かっており、そこにあるのはノスタルジーだ。バンドというものが、過去の象徴になっているのである。レコード会社のOLがネット動画で有力な新人パンク・バンドを発見したと思い、会ってみたらもう中年になっていた。彼女が観たその動画は25年前の映像だったという宮藤官九郎監督・脚本の映画『少年メリケンサック』。<br>
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あるいは、70年代の早すぎたパンク・バンドの行動が、めぐりめぐって2012年の未来に意外な影響を及ぼす伊坂幸太郎の小説<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4101250243/">『フィッシュストーリー』</a>（映画化もされた）。これらの作品は、登場した時には旧来のロックを過去に追いやる新しい動きだったパンクも、とっくの昔に過去になった事実を前提に物語を組み上げていた。<br>
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若年層向きのコンテンツも過去と無縁ではない。映画化もされ大ヒットした矢沢あいのコミック『NANA』は物語全体が、ロック・ヴォーカリストとその友だちの日々を回想するスタイルで描かれている。このため、話がどんどん前へ進んでも、後ろ向きのノスタルジックな雰囲気がところどころに漂う内容になっている。<br>
<br>
これも映画化された浅野いにおのコミック『ソラニン』では、バンド活動をしていた同棲相手が死んだため、彼の代わりに恋人の女性がヴォーカルになる展開だった。ここにも過去への想いがみられる。中高年層だけでなく若年層にとっても、過去というテーマとバンドは相性のいいものになっている。<br>
<br>
また、若年層、中高年層ともに楽器を買う人が増えたこととも呼応しているが、近年のバンドものでは、ロック・スターを扱ったもの以上に、アマチュアやセミプロの活動を描いたものに勢いがある印象だ。<br>
<br>
若年層向けで代表的な作品は、アニメ化もされたかきふらいのコミック『けいおん！』だろう。部室でだらだらすごす場面が多いのに、いざステージに登場すると上手に演奏してしまうご都合主義が楽しい。この作品や、アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』（原作谷川流）と映画『リンダリンダリンダ』の学園祭ライヴなど、学校という日常のなかのバンドをとらえていて記憶に残るシーンも少なくない。<br>
加えていうなら、学園祭のようなすぐ終わってしまうイベントとバンドとの親和性の高さが、前述のごときバンドと過去との相性のよさにもつながっている。<br>
<br>
昨年放送された「文化系トークラジオlife」のバンド特集などでも話題にされていたことだが、リアルな生活が充実している、いわゆる「リア充」の一つとしてバンド活動が存在している面がある。例えば、『リンダリンダリンダ』では、女子高生のバンドが困難を乗り越え演奏を成功させるが、観客の生徒たち全員が熱狂しているのではなく、学園祭らしくステージに関心を示さずだらけている生徒も映していた。バンド・メンバーたちがごく狭い範囲で充実している様子が、リアルにとらえられていたのだ。<br>
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これに対し、中高年のバンド活動を書いた小説にもリア充のテーマを含んだものが散見される。エド・はるみ主演で舞台化された五十嵐貴久<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4575235911/">『1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター』</a>は、いろいろ不満を抱えた主婦たちが集まりハード・ロックを演奏する話。バンドを通して主人公の日常がいかに活性化されていくかが焦点になっている。<br>
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また、月９ドラマ『月の恋人』の原作でも注目されている若手人気作家、道尾秀介の<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334925936/">『ラットマン』</a>は、社会人になってもバンド活動を続ける者たちの微妙な人間関係のなかで殺人が起きるミステリー小説だった。これらでは、中高年のバンド活動におけるリア充問題がテーマになっていたともいえる（『ラットマン』の主人公は三十歳なので中年扱いするのは可哀そうだが、作中では青春の終わりを迎えた「大人」として描かれている）。<br>
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また、近年は生演奏するバンドではなく、音声合成ソフトである初音ミクを使って作った曲、あるいは自分の歌や楽器演奏などをニコニコ動画にアップして楽しむ個人活動も広まった。それらのヴァーチャルなレベルでの音楽活動は、リア充的なバンド活動と対になっているようにみえる。<br>
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さて、ここまで若年層、中高年層双方の「バンド」イメージとアマチュアの音楽活動について触れてきたが、ではプロのバンドはどうなっているか。CD販売が減少するにつれてアーティストたちはライヴ重視の方向にシフトし、フェスが乱立するようになった。そして、フェスのなかではどの出演者もワン・オブ・ゼムであり、特に複数ステージが並行して進行する巨大フェスでは出演者同士で時間がかぶっているのだから、どれも選択肢の一つという位置づけになる。あとは、ライヴを楽しんでリアルを充実させたい観客の選びかた次第。この状況下では、すべての観客を圧倒するカリスマなどは出現しにくいし、むしろファンが近づきやすい敷居の低さのほうが、数多いバンドにとってプラスになる。<br>
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90年代まで、音楽は時代の先端をとらえているという感覚があったが、ゼロ年代以降はかつてのテクノやヒップホップほど目新しいムーヴメントはなく、そのぶん打ち込みではない、バンドという伝統的な形式が見直された面はあっただろう。その過程で音楽に先端性を求めるよりも、今ここでのリア充的な心地よさを求める傾向が強まったように感じられる。<br>
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また、ステージ上と客席の敷居をなくしたいと訴えるアーティストは昔からいたが、カリスマ不在とフェス乱立をみる限り、少なくとも意識のなかでは両者の間の敷居はかなり低くなったと思う。ライヴ会場では、ステージ上のスターのオーラやファンタジーよりも、観客たちのリア充気分のほうが重要になっているかのごとき現状がある。バンドそのもの以上に、「バンド」イメージのほうが活気づいてみえるのは、それが背景にあるだろう。<br>
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この点に関し、若杉公徳のコミックで映画版の松山ケンイチの怪演でも話題を呼んだ『デトロイト・メタル・シティ』は、皮肉な構図になっていた。顔にペイントして悪魔系デスメタルバンドのヨハネ・クラウザーII世になった時には圧倒的なカリスマ性があるのに、素顔の根岸崇一として大好きなオシャレ・ポップを歌うと周囲から相手にされず、女性ともうまくいかない悲喜劇。ステージ上でいくらオーラを放ち観客に熱狂されても、リアルが充実しない彼は不幸を抱えたままだというこのコミックは、今考えれば、意外な角度からバンドとリア充をめぐる現状をあぶり出していたのかもしれない。<br>
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●円堂都司昭（えんどう・としあき）<br>
文芸・音楽評論家。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753/">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ending/">ENDING ENDLESS　雑記帖</a>]]>
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</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1214220.html">
<title>円堂都司昭「“この本がすごい！”がすごい！……？」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1214220.html</link>
<description>担当者より：円堂都司昭さんは音楽やミステリの評論などで活躍されている書き手で、著書に『YMOコンプレックス』（平凡社）や、第62回日本推理作家協会賞と第９回本格ミステリ大賞を受賞した『「謎」の解像度』（光文社）があります。この原稿は年末になると特に書店を賑わす...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2009-12-01T13:56:10+09:00</dc:date>
<dc:subject>円堂都司昭</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>円堂都司昭さんは音楽やミステリの評論などで活躍されている書き手で、著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753/">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）や、第62回日本推理作家協会賞と第９回本格ミステリ大賞を受賞した<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）があります。この原稿は年末になると特に書店を賑わすブックガイド・ムックを中心に出版の市場について論じていただきました。なお原稿は2008年のものですので、文中の「今年」が2008年、「昨年」が2007年を指すことにご留意ください。<br>
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<u>配信日：2008/12/10</u><br>
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毎年、年末のこの時期になると、書店の文芸書コーナーで人気ムック『このミステリーがすごい！』（宝島社）の選んだ年間ベスト10に基づくミステリー小説の陳列風景を目にすることになる。90年代の『このミス』全盛期に比べ同ムックの影響力は低下したし、ミステリー小説の市場自体も10年前の勢いは昔話となり、近年は停滞が続いている。したがって、『このミス』ランキングに沿った陳列例も減っているが、それでもミステリー業界では商売上、今でも気になる“お祭り”であり続けている。<br>
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書評家やマニアなど、読み巧者とされる人々の投票によりミステリーの年間ベスト10を決める『このミス』は、1988年からスタートし、今年で20周年を迎えた。一方、同ムックの影響力低下と入れ替わるごとく、近年、注目を集めてきたのが、2004年スタートの本屋大賞である。同賞は全国の書店員が「いちばん！売りたい本」を投票で選ぶものであり、ベスト10の結果は「本の雑誌増刊」（本の雑誌社）の形でやはりムック化されている（毎年４月）。こちらの“祭り”には、書店員による店頭の活性化という目的がある。<br>
<br>
今年６月４日に放送されたNHKクローズアップ現代「ランキング依存が止まらない～出版不況の裏側～」が、出版界では話題になった。このテレビ番組は、書店の売上ランキングに頼って読者が本を買う傾向の強まりを報じていた。また、POSデータによって売れる商品の選別と返品を行う体制が、書店で強化されている様子も紹介された。加えて、本屋大賞は、現状に対し新たな価値観を打ち立てることを目指したが、それ自体が新たなランキングとみなされる皮肉な結果になった――とも番組は伝えた。<br>
<br>
過去の経緯を思い返すと、本のランキングをめぐっては、どこか似た光景が繰り返されてきた。「週刊文春」（文藝春秋）で今も続いているミステリーベスト10に満足しない勢力が、かつて『このミス』を立ち上げた。だが、広義のミステリーを対象にした同ムックでは、事件の謎解きを主眼とする本格ミステリーが冷遇されていると考えた人々が、『本格ミステリ・ベスト10』（東京創元社→原書房）を96年分から始めた。次に『本格ミステリ・ベスト10』の投票結果に反発した一派が、合議で10作品程度を順位なしに選ぶ『本格ミステリー・ワールド』（南雲堂）を2007年からスタートしている。<br>
<br>
一方、ジャンル関係者が選ぶ既存のランキングは“通好み”すぎて一般の嗜好から離れているとして、読者も投票に参加する『ミステリが読みたい！』（早川書房）が昨年から市場に参戦している。“通好み”ではなく一般寄りのスタンスを謳った同ムックの登場は、本屋大賞の成功を意識したものだろう。<br>
<br>
このように、従来の価値観に対するカウンターとして新しいムックが登場しても、すぐにそれは既成の価値観とみなされ、次のオルタナティヴが登場することが反復されてきた。そして、ミステリー以外でも『ＳＦが読みたい！』（早川書房）、『このライトノベルがすごい！』（宝島社）、『このマンガがすごい！』（同）など、様々なくくりで同様の手法のムックがいろいろ作られ、ブックガイドが増殖乱立した現在のわやくちゃな戦場になっている。<br>
<br>
こうなったことには、それなりの理由や必然性があった。ある種の読書観、小説観を打ち出すにあたっては、長文によって思索を深めたり、歴史を概観したりする「批評」という方法もある。<br>
<br>
しかし、現在、重厚な「批評」は売れにくく出版もされにくいのが現実だ。その一方で、相対的に短い「書評」、「ブック・レビュー」のほうが「批評」より目立っており、「レビュワーの時代」と呼ぶ人もいる。その象徴が、大森望と豊崎由美が対談形式で各文学賞受賞作について片っぱしからコメントする『文学賞メッタ斬り！』シリーズ（PARCO出版ほか、2004年～）のヒットだった。<br>
<br>
「批評」を読んでじっくり考えるよりも、手っ取り早い見取り図が欲しい、ピンポイントでこれがいいと教えてもらいたい人が比率として増えたという体感が、批評家や書評家、出版関係者にはある。その結果、自分たちの読書観、小説観を打ち出すために、ブックガイド形式が重宝されるようになってきた。福田和也『作家の値うち』（飛鳥新社、2000年）がそうだったように、本来批評家体質の人が、あえてブックガイド的なスタイルで本を出す例も少なくない。投票によるランキングを軸にしたムックが増加したのも、書店の売上ランキングに依存するタイプの一般的読者層に、自分たちの読書観、小説観を伝えやすい・売りやすい形式はこれだ――そんな判断が関係者にあるからだろう。<br>
<br>
……と、ここまで客観を装って書いてきたが、私はムック制作の傍観者ではなく、当事者の１人である。前記『本格ミステリ・ベスト10』の編著者である批評家集団、探偵小説研究会に入会して以後、2000年度版から同ムックの制作にかかわってきた。ここまで書いてきたことには、その体験も反映されているし、以後の文章では自分が編著者の１人としてランキング形式のブックガイド・ムックについて考えてきたことを記したいと思う。<br>
<br>
よく指摘されることだが、新刊点数があまりにも多いため、どの本を選べばいいか迷う状況がある。だから、とりあえず売れている本を買う、よって売れる本が売れるという現象が起きる。これは出版界に限る話ではなく、インターネットの登場などで情報量が増大して以後は、どの分野でもみられる現象だ。情報が多すぎるため、ユーザーが自分にとって有益な情報を得ることが困難になっている。<br>
<br>
これに対し、情報アーキテクチャの専門家、ピーター・モービルは、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4873112834/">『アンビエント・ファインダビリティ　ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』</a>（オライリー・ジャパン。原著2002年）において「アンビエント・ファインダビリティ」なる概念を提唱している。これは、「アンビエント＝環境」と「ファインダビリティ＝見つけやすさ」を組み合わせた造語。モービルは、ウェブ・デザインなどの情報アーキテクチャ、情報環境の側が、ユーザーに向けて「見つけやすさ」を構築するべきだと主張している。<br>
<br>
一方、情報アーキテクチャに関しては、近年、批評界で論じられてきたことに「環境管理型権力」の問題がある。これは、座りにくい椅子を用意することで客の回転率を上げるなど、ユーザーにそれと意識させず行動に影響を与える方法、つまり環境をデザインすることによって人間を管理することの是非を問う問題だ。そのウェブ上の例として、グーグルやアマゾンの検索結果などが指摘されてきた。ユーザーは自分で選んだつもりだが、限られた検索結果からしか選べないことによって管理されている。そうもとらえられるのである。<br>
<br>
考えてみれば、ランキング形式のブックガイドというものは「アンビエント・ファインダビリティ」、「環境管理型権力」をムックという媒体で擬態しているようなところがある。多数の書籍に対し、検索結果のごとく順位づけして並べ直し、ユーザーに「見つけやすさ」を与えようとする。それらのムックは、ミステリーやＳＦ、ライトノベルなど特定の嗜好性に基づいて編集されており、ユーザーにある種の読書観、小説観で働きかけよう、影響を与えようとしている点では、「環境管理型権力」に似ている。だからこそ、反「権力」的な反発も引き起こす。<br>
<br>
「管理」、「権力」といった言葉を用いた以上の分析だけでは、ネガティヴな印象を持たれるかもしれないが、これはブックガイド・ムックの一面にすぎない。モービルは「アンビエント・ファインダビリティ」をシステムの側の問題としてとらえているが、彼はもともと、この造語を音楽家のブライアン・イーノが提唱した「アンビエント・ミュージック＝環境音楽」から発想している。だが、イーノのコンセプトは、リスナーがそれに集中してもしなくてもいい音楽というものだった。それはリスナーの能動性を（弱い能動性も含め）肯定したものだった。したがってイーノのコンセプトにおいて、環境、音楽は、リスナーが能動性によって見出すものとしてある。環境には、システムが管理する側面と、ユーザーが見出す側面の両方があるわけだ。<br>
<br>
ランキング形式をとったどのブックガイド・ムックでもそうだが、順位づけされた作品以外を紹介するコーナーも用意されている。座談会やアンケート、コラムなどで、複数の評者、複数の尺度から多数の作品名があげられる。ムックの読者がそのなかから能動的に作品を見つけられる紙面環境を、編集側は用意しようとしているのである。読者にこちらの読書観、小説観を届けようと「環境管理型権力」を擬態したごとき側面と、読者の能動性に期待する側面の融合によって、二重の意味で「見つけやすさ」のあるブックガイドを編集する。これが、編著者としてかかわってきた自分のたどりついた一つの理想像であり、ブックガイド・ムックの可能性である。<br>
<br>
とはいえ、それは私個人の考えであり、『本格ミステリ・ベスト10』を編集する探偵小説研究会のメンバーが必ずしも意見を共有してきたわけではない。なかには、自分の担当する執筆スペースくらいにしか興味がなく、ムック全体の編集や意味を考える様子のないメンバーもいて苛立つこともあった。<br>
<br>
また、ランキング紹介以外にも記事は多く掲載しているというのに、結局、ランキングばかり云々されることにもうんざりさせられてきた。「ランキングに入った以外の小説は読まなくていい、といっているように思える」なんて声を業界関係者から聞き、げんなりしたこともある。<br>
<br>
『本格ミステリ・ベスト10』では、ランキング依存の傾向にある読者層に向けてランキング発表を軸にしつつ、ムックでは他の作品にも目を向けてもらえるように記事を構成している。つまり、ランキング形式にはもっと広い視野を提示するため、小説をめぐる「評」や「観」を伝えるための一つの方便という側面のあることが、一般読者ならともかく、状況を理解していそうな業界関係者にすら理解されていない例がある。ランキングには過敏なくせに、ムックの全体像は目に入っていない人々……（その意味では、『このミス』が昨年行ったリニューアルで周辺記事を大幅に削減し、本当にランキング中心の本になってしまったのは残念だった）。<br>
<br>
自分としては、今の市場で流通しやすく一般読者にも呑みこみやすい「書評」と、じっくり取り組んだ「批評」の往復運動で“読み”を活性化していくのがいいと考えている。だが、ランキング過敏症が引き起こした内ゲバなどもあって、ブックガイド・ムックは現状でこうして乱立している。あまりにも多すぎて、“この「すごい」がすごい！”というムックが必要だ、という冗談も冗談に聞こえなくなった。昨年はミステリー系の各種ベスト10投票を比較したり合算したり、トータルに検証しようとしたブログもみかけた（今年もやるのかな？）。<br>
<br>
このように混乱した現状をみると、ブックガイド・ムックはある種の過渡期を迎えていると感じざるをえない。しかし、それでも私はまだ、このメディア形式によってやれることはあると考えているし、今後もムック制作にかかわっていくだろう。あなたの“読み”の能動性に祝福あれ。<br>
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●円堂都司昭（えんどう・としあき）<br>
文芸・音楽評論家。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753/">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ending/">ENDING ENDLESS　雑記帖</a>]]>
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</item>
<item rdf:about="http://bisista.blogto.jp/archives/1200165.html">
<title>円堂都司昭「あれから逃げ切れたかな、ぼくたちは」</title>
<link>http://bisista.blogto.jp/archives/1200165.html</link>
<description>担当者より：円堂都司昭さんは音楽やミステリの評論などで活躍されている書き手です。著書に『YMOコンプレックス』（平凡社）や、第62回日本推理作家協会賞と第９回本格ミステリ大賞を受賞した『「謎」の解像度』（光文社）があります。この原稿は、逃走と若者というテーマを...</description>
<dc:creator>bisista_news</dc:creator>
<dc:date>2009-11-08T18:00:20+09:00</dc:date>
<dc:subject>円堂都司昭</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>担当者より：</b>円堂都司昭さんは音楽やミステリの評論などで活躍されている書き手です。著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753/">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）や、第62回日本推理作家協会賞と第９回本格ミステリ大賞を受賞した<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）があります。この原稿は、逃走と若者というテーマを論じていただいたものです。<br>
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<u>配信日：2008/05/07</u><br>
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速水健朗の『自分探しが止まらない』（2008年、ソフトバンク新書）は、自分探しという現象をめぐるあれこれを巧みに交通整理した好著だった。同書では、混乱の続くイラクで日本人が現地武装勢力の人質になった事件に言及していたが、そのことにある種の感慨を覚えた。人質となった若者たちは、まだ戦時下といえる中東の砂漠へ「自分探し」に出かけたわけだ。しかし、1980年代をふり返ってみよう。あの頃、砂漠はなにかを探しに行くところではなく、逃げていくべきところとイメージされていたのではないか。<br>
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80年代にニューアカデミズムのスターだった浅田彰は、ヒット作『逃走論』（1984年、ちくま文庫）で住むことや蓄積することに執着する「パラノ型の資本主義的人間類型」を批判し、「スキゾ的逃走」を称揚した。そして、彼の主著『構造と力』（1983年、勁草書房）では、砂漠の流動性や自由が賞賛されていた。『逃走論』には「砂漠の愛」なんて言葉も書きつけられていたし、浅田は砂漠にプラスのイメージを与えていた。<br>
<br>
彼は、「主体としての自己の歴史的一貫性」を求めるパラノ型をしりぞけつつ、スキゾ型の「疾走する非主体性」が逃走する先として砂漠を賞賛したのだった。つまり砂漠は、80年代には「自分」＝「主体」からの逃走先だったのに対し、ゼロ年代には「自分」＝「主体」を探しに行くところへとなぜか逆転してしまったわけだ。<br>
<br>
大澤真幸が最近刊行した『不可能性の時代』（2008年、岩波新書）は、この種の奇妙な意識変化を思想史的に位置づけようとしたものと読める。同書では70～90年代半ばまでを見田宗介の議論にならって「虚構の時代」と定義し、現実を相対化しすべてを虚構とみる態度の典型として、浅田の『逃走論』をあげていた。<br>
<br>
一方、大澤は90年代半ば以後を「不可能性の時代」と名づけ、リストカットなど極度に暴力的だったり激しかったりする現実に向かいたがる心性がせり出してきたと指摘する。そうした「虚構の時代」から「不可能性の時代」への変化に関し大澤は、「現実からの逃避」が「現実への逃避」にシフトしたと主張する。なるほど、戦場のような暴力的な場所へと自ら出かけた人たちの行為も、「現実への逃避」という言葉で説明できるかもしれない。<br>
<br>
しかし、ここでは思想的な議論に踏み込むよりも、まずバイクについて語りたい。浅田の『逃走論』刊行の前年にあたる83年の12月には、尾崎豊がデビューしていた。あの「盗んだバイクで走り出す」と歌ったことで有名な「15の夜」が、彼の第１弾シングルだった。<br>
<br>
軽やかかつクールに知と戯れた浅田彰と、当時の管理教育に汗臭く反抗した10代のカリスマ・尾崎豊では、それぞれのファン層がかなり違っていた。ただし、同時代には水と油にみえた彼らも、現在から考えれば自由への逃走を疑いなく肯定していた点では、価値観を共有していたといえる。<br>
<br>
ところが現在では、「盗んだバイクで走り出す」のフレーズは共感されるよりも、自己中心的な中二病的ふるまいの典型と揶揄されるほうが多い。今時の若者は、盗みを歌った詞に反発するともいう。そして、そんな反抗しない時代におけるバイクの今日的イメージのひとつに、バイク便ライダーがある。<br>
<br>
阿部真大は『搾取される若者たち　バイク便ライダーは見た！』（2006年、集英社新書）で、不安定な雇用状況にある彼らが自らワーカホリックに陥り、やりがいを搾取される様子を記していた。大澤真幸流にいえば、尾崎豊は盗んだバイクで「現実からの逃避」を目指したのに対し、ライダーたちは自費で維持するバイクによって「現実への逃避」を行っているのである。<br>
<br>
自分の好きなことを仕事にしたバイク便ライダーは、むしろ獲得したはずの自由に縛られている。雇用をめぐるそんな倒錯した環境があるからこそ、『フリーターズフリー』（2007年創刊）と名乗る雑誌も登場することになった。本来、自由に働く人をフリーターと呼んだはずなのに、その人たちが獲得すべき自由をあらためて問わねばならないという悲喜劇。同誌では「不安定」と「労働者」をあわせた用語「プレカリアート」も用いられていたが、自由に関する倒錯が広まった現状では「自由」を「不安定」と言い換える必要がある。<br>
<br>
『搾取される若者たち』によると、バイク便の発祥は82年創業のソクハイだという。考えてみればそれは、尾崎が「盗んだバイクで走り出す」前年のことだった。さらに、この時期には、もうひとつ象徴的な出来事があった。<br>
<br>
阿部真大は、バイク便ライダーの過酷な労働実態を読者に伝える『搾取される若者たち』という本を、「体験型アトラクション」に喩えていた。同書には、「さあ、アトラクションにご乗車のお時間です」という文章も出てきて、読者に追体験をうながす。<br>
<br>
あらかじめ作りこまれた風景や映像が用意された施設を、客が台車に乗って進んでいくアトラクションをライド形式と呼ぶ。阿部はライダーをテーマにした自著をこのライド形式になぞらえたわけだが、この方式で大成功を収めたのが東京ディズニーランドであり、同テーマパークの開園は「15の夜」や『構造と力』の発表と同じ83年だった。東京ディズニーランド以前に、ここまでライド形式を徹底させた遊園地は、日本国内に存在しなかった。<br>
<br>
では、ライド形式の利点とはなにか。アトラクションは冒険的な疑似体験を与えるために作られているが、決められた道順を通るので客の安全は確保されている。と同時に、来場者は自分のペースで歩くことは許されず、スピードがコントロールされた台車に乗せられているため、テーマパーク側は客を安定的に管理下に置くことができる。このことは、自由な働きかたをしているはずのバイク便ライダーが、疲れすぎて不安定かつ危険な走行をせざるをえなくなるのと、ちょうど反対の構図である。<br>
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80年代には尾崎が逃げる者の熱情をぶちまけ、浅田の『逃走論』が逃げることの理屈づけとして働いた。しかし、こうしてその後の時代推移をみると、彼らの逃走をめぐる欲望は、やがて不安定雇用における「現実への逃避」に接続されたか、テーマパークのごとく安定的に管理された「現実からの逃避」遊戯に継承されたか、どちらかでしかなかったように思える。<br>
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「住む文明」を批判し「逃げる文明」を持ち上げた『逃走論』について、「現実への逃避」どころかその現実に追いつめられた今のネットカフェ難民はどんな感想を持つだろう。赤木智弘は「丸山眞男をひっぱたきたい」と書いたけれど、むしろ浅田彰をひっぱたきたくなるのではないか。<br>
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ネットカフェ難民に対しては、そこに泊まれるほどの金があるなら、探せば借りられる安い部屋があるのではないかとの声も聞く。ルームシェアという方法も考えられる。それでも彼らがネットカフェを選ぶのは、そこが個人の趣味性に対応した安価なテーマパークだからだろう。追いつめられた現実と、「現実からの逃避」がかろうじて両立する場所として、ネットカフェは発見されている。<br>
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では、自由への逃走という、かつて夢見られていた逃走はどうしたのか。<br>
それこそ、どこかに逃げてしまったような気がするのだが……。<br>
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●円堂都司昭（えんどう・としあき）<br>
文芸・音楽評論家。<br>
著書に<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4582831753/">『YMOコンプレックス』</a>（平凡社）、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334975399/">『「謎」の解像度』</a>（光文社）がある。<br>
ブログ：<a href="http://d.hatena.ne.jp/ending/">ENDING ENDLESS　雑記帖</a>]]>
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