担当者より:2010年にコラムニストの小田嶋さんが執筆した一文です。小田嶋さんの新刊『地雷を踏む勇気』(技術評論社)と『その「正義」があぶない。』(日経BP社)の二冊は好評発売中。この二冊に関連したインタビュー(聞き手は辻本力さん)もぜひどうぞ!

配信日:2010/02/17


今年に入ってから、朝青龍をめぐるあれこれやオリンピック関連のドサクサにまぎれてあんまり注目されていないが、子供をめぐるむごい事件が続いているように感じる。気のせいだろうか。代表的な例をひとつ。たくさん並べても良いのだが、イヤな気持ちになるだけなので。

《食事をするのが遅いことに立腹し、長男の東京都江戸川区立松本小1年、岡本海渡(かいと)君(当時7歳)に暴行したとして、東京地検は12日、同区の電気工、岡本健二(31)と妻の無職、千草(22)両容疑者を傷害罪で起訴した。警視庁小岩署は両被告を傷害容疑で逮捕し傷害致死容疑で送検していたが、地検は「暴行と死に因果関係があるとは言えない」とし致死罪での起訴は見送った。これにより裁判員裁判の対象ではなくなった。》
(毎日新聞2月13日東京朝刊)
 
1. 7歳の子の実母が22歳って……
2. 学校は何をしてたんだ? 児童相談所は無力なのか?
3. 父親は実父じゃなくて、母親がキャバ嬢をやっていた時代の客だと。なんという典型的な。
4. 「暴行と死に因果関係が無い」って、じゃあ、自然死だとでも?

……と、この事件は、ツッコミどころが多かったためか、テレビでも話題になったし、ネット上の掲示板でもかなり長い間粘着の対象になった。ひどい事件だった。親が子供を殺した事件に対しては、軽めの判決が降りるケースが多い。このことは、子供が親を殺した場合に重い罰が科されがちであることと対を為している。

戦前の民法には「尊属(←子から見た親)、卑属(←親から見た子)」という儒教由来の長幼の序列が設定されており、実際に、尊属殺人は、卑属殺人よりも重大な犯罪であるとされていた。が、戦後の民法には、尊属、卑属の区別はない。人は人。殺す場合も殺される場合も平等。そういうことになっている。にもかかわらず、親による子殺しには「情状」が酌量される場合が多い。「口減らし(←貧困家庭が生存のために乳幼児を殺すこと)が半ば常態としてあった時代の名残り」だと言っている学者さんもいる。本当だろうか。いくらなんでも21世紀にこんな常識が残っているとは思えないのだが。

ともかく、子殺しは減らない。ほかのあらゆるタイプの殺人が基本は減少傾向にあるのに、なぜなのか、これだけ少子化が進んでいるにもかかわらず、親による子殺しだけが、なぜか減っていない。ソースについては、そこいらへんをググってほしい(←って、どういう書き方だ《笑》)。これはどういうことなのであろうか。

この種の事件が起きると、「世相の乱れ」「地域共同体の崩壊」「若い世代の道徳的頽廃」「日教組が主導した個人主義教育の結果」みたいな結論に飛びつく人々が大きい声を張り上げる。まあ、まったく関係ないとは言い切れないのであろう。たしかに、地域共同体が機能不全に陥っているのは事実であるのだろうし、密室に取り残される孤独な親子の存在は、戦後社会の個人主義的傾向と無縁ではないのだろうからして。

とはいえ、戦前の古き良き日本に戻ればこのテの犯罪が減るのかというと、それはわからない。いや、もしかしたら子殺し自体は減るかもしれない。でも、その代わりに違うタイプの犯罪が増える気がする。たしかなところはわからないが。
 
私の思うところを述べる。子殺しは、非常に特殊な犯罪だ。だから、こういう特例を材料として、そのことをもって戦後社会を断罪したり、現代の世相を否定するのは、適切な態度ではない。無論、特例だからといって無視して良いということではない。ただ、この種の「特例」は、世相一般や、若者の典型とは切り離して考えなければならないはずなのだ。

私が中学生だった頃、私の通っていた中学はいわゆる「荒れた」学校だった。たとえば、こんなことがあった。私が中学一年生に上がった年、学校のすぐ隣に、巨大スーパーが出店した。で、近隣の小中学生は、しばらくの間、物珍しさから、そのスーパーの中を遊び場にしていた。エスカレーターに乗ったり、単に売り場を往復したり、エレベーターのボタンを押して逃げたり。まあ、他愛の無いガキの遊びだ。

が、中には、万引きをはたらく組の子供もいた。ある時、一斉検挙があって、子供たちが芋づる式に補導された。この時、私の中学の同学年の生徒が三十数名補導されたのだが、念のために申し上げると、私の学年の生徒数は総数で120名ほどだった。ということはつまり、私の同級生は三割以上が万引きでしょっ引かれたということだ。運良く捕まらなかった人数を勘定に入れると、あるいは、一度でもあの店で万引きをした生徒は、もしかして半数を超えていたのかもしれない。まあ、それほど、風紀が悪かったということだ。

私の学校は地域でも特別に悪い部類の学校で、その意味では特例ではあった。が、昭和四十年代当時の中学生(少なくとも東京の中学生)は、いまの中学生より、ずっと「悪かった」のである。ざっと考えて、同世代のうちの二割は、いわゆる「不良」だった。私の地域では三割がツッパリだった。

何の話をしているのかよくわからない人がいるかもしれない。私が言いたいのはこういうことだ。つまり、昔は、不良にも「ライト層」が多かったのである。実際、私の仲間内の不良は、たいしたワルではなかった。ヘアスタイルをリーゼントにして、太いズボンを穿き、「チョンバッグ」と呼ばれるペチャンコの革カバンを持ち歩いている彼らは、たしかに見かけの上ではいっぱしの不良だったが、なあに実際にはたいした悪さをしていたわけではないのだ。

同じような格好をしたライバル校のツッパリに対して「ガン」をつけたり(睨むこと)、学校帰りにゲーセンいたまったり、タバコを吸ったり、その程度だ。ちなみに言えば、私も特に不良だったわけではないが、タバコは15歳の時から吸っていた。結局、戦後すぐから昭和五十年代ぐらいまでは、優等生と不良の間に、なだらかな中間層が存在していた、と、そういうことなのである。であるから、本格派のワルや、手に負えない不良がいても、その、どうしようもない非行少年にしても、孤立せずに済んでいた。

私の同級生でも、最終的に暴力団の構成員になって刑務所のお世話になった人間が三人ほどいる。が、その彼らも、道で会えば、愛想良く挨拶をする。そういうふうに、マジな犯罪者と一般人の間にも、一定の行き来はあったりしたわけなのだよ。それが良いことなのかどうかはわからないものの、だ。

現在、不良高校生の数は、激減したと思う。タバコを吸いながら歩いているティーンエイジャーや、一見してヤバげな目つきで周囲を威圧している少年も減った。なぜだかはわからない。ただ総体として、少年犯罪は減っているし、町の風紀も良くなっている。が、その一方で、道を外れた少年は、同世代のコミュニティから完全に孤立してしまう。

たとえば、江戸川区の亡くなった子供の母親は、15歳で赤ん坊を生んでから後、同級生のコミュニティや地域社会のセーフティネットからこぼれ落ちていたように私には見える。父親も、だ。結局、ライト層の不良という通過儀礼として十代の反抗を演じる非行少年がいなくなったことで、一度コースを外れた人間から見ると、立ち直りに向けてのルートが閉ざされてしまったのである。

もちろん、本格派の落ちこぼれを救うために、ライトな不良を育成しようとか、そういう話をしているのではない。でも、とにかく、私の世代の人間から見ると、今の若いコたちはやっぱりなんだか哀れに見えるのだよ。カッコだけの不良ごっこを楽しむことができないわけだから。


●小田嶋隆(おだじま・たかし)
コラムニスト。
著書に『地雷を踏む勇気』(技術評論社)、『その「正義」があぶない。』(日経BP社)、『テレビ標本箱』『テレビ救急箱』(ともに中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』『1984年のビーンボール』(ともに駒草出版)など多数。共著に『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』(ともに講談社)ほかがある。
ブログ:偉愚庵亭憮録