担当者より:2009年にサイエンスコミュニケーターの内田麻理香さんが、ファインマンを通して科学リテラシーについて書いた一文です。内田さんは、身近な科学の面白さを綴った『おうちの科学』(丸善出版)が好評発売中。また、『科学との正しい付き合い方』(DIS+COVERサイエンス)についてのインタビュー(聞き手は田島太陽さん)なども、ぜひあわせてお読みください。
配信日:2009/07/01
私の人生を狂わせ、未だに支配し続けている男について書いてみたい。20世紀の米国の物理学者、R.P.ファインマンだ。大学生の頃、エッセイ『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫、上下)を読み、たちまち彼に恋してしまった。
いたずらが大好きで、大人げなく、権威に反発するひねくれ者。遺された彼の写真はどれもこれも男前だ(たぶん、主観を排しても)。そんな色男であるにも関わらず、早世した最初の妻に対しては一途で、妬ましいほどの愛妻家ぶり。惚れた弱みで、彼の物理学の教科書5巻セットも買いこみ、ようやく私は物理の魅力を知ることができた。好きになった相手に合わせて、自分の趣味も変えてしまう主体性のない女の好例だろうか。
そんな不純な動機で科学の研究を志した。もちろん、その理由だけではないが。しかし、不純な動機だったせいか、道半ばで挫折した。しかし、科学への憧れの気持ちは依然として変わらないので、科学の語り部となるべく活動している。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』などの彼のエッセイ(正確には、彼の話を友人が書き起こしたもの)は、科学好きも、科学に苦手意識を持つ人も虜にする魅力満載だ(これは、主観を排しても)。金庫破りに精を出し、手間と労力と時間を費やして、とうとう金庫破りの名人になってしまうエピソードは圧巻だ。その熱中ぶりは「才能の不法投棄」とでもいうべき言葉を捧げるのにふさわしい。
このエッセイ集に収められた話を笑える冒険譚、として読むだけでも良い。ただ、私は何回も読み直すうちに、ファインマン関連本は「科学のセントラルドグマ」を伝える最高の教科書だと思うようになった。科学を志す人にとっては「科学に関わる上で大切なものは何か」を知ることができる。科学に興味がなかった人も「科学って意外と面白いかも」と気付くきっかけになる。
残念ながら、昨今では若者を中心に「理科離れ」、「科学離れ」の傾向が進んでいると言われるようになった。実際に昔に比べて「理科離れ」が進行しているのか? 「若者の科学離れ」は本当か? という点については議論の余地が大いにあるのだが、今回はペンディングしておく。ごめんね。
いずれにせよ「科学離れはまずいよね」といった問題意識のもと、第3期科学技術基本計画では「国民の科学技術リテラシーの向上」を目標に掲げることになった(科学技術基本計画とは、文部科学省が管轄となって科学技術基本法のもと施行されている計画で、第3期は平成18年度~平成22年度が対象となる)。そのための活動がここ数年で活発になっている……のである。その結果は、肝心な皆さんのところに届いていないかもしれないが、一部では猛烈に頑張っているのだ。ちなみに私もその末席を汚しているつもり。
そんな立場からファインマン関連本を読むと、爽快な自己否定の感覚を味わうことができる。なぜかというと「ファインマン関連本に科学リテラシーのほとんどが収められている」からだ。彼の奇行ネタは「謎を見つけるとどんなことでも解かずにはいられない」執念が源泉である。まさに、科学者の中の科学者、だ。その追究の姿勢は、「人が眠りに落ちる瞬間」から「スペースシャトル・チャレンジャー号の事故の原因」まで余すところなく発揮されている。まず疑問を持つ。仮説を立てる。自分の手足を使って確認する。トライ&エラーをくり返す。そして考え続けることを粘り強く継続する。どれも科学者に必須の要素であり、行動であろう。
科学リテラシーという言葉がある。リテラシーとは直訳すると識字、という意味。「メディア」「金融」などの用語と組み合わせて「ある分野のことを理解し、活用する能力」という意味で使われる。つまり、科学リテラシーは「科学を理解し、活用する能力」になる。
科学リテラシーを構成するものはおおざっぱに分類すると、「科学的思考法」と「科学的知識」の二つになると思う。そして、私は「知識」は「思考法」さえあれば、ごくごく最低限で良いと考える。知識なんてものは、あとからいくらでもついてくるのだ。百科事典のような人間になることを目指しているわけではないのだ。
「科学リテラシーの向上」という言葉だと面倒に聞こえる。そもそも上から目線だしね。しかし、科学の申し子・ファインマンが「科学的思考法」を駆使して人生を楽しむ様子を眺めてみれば……科学リテラシーは、単に「世の中を面白い角度で見るひとつの道具」と思えるに違いない。
私は、ときどき自らに「科学者以外は、科学なんて知らなくても、生きるのに不自由しないのではないか?」と問いかける。そして、それに対してまともな答えが見つけられない時に、助けを求めてファインマンの本に手を伸ばす。するとファインマンが「にやり」と笑いながら、「『ものをつきとめることの喜び』は最高の娯楽じゃないか、そうだろ?」と、べらんめえ口調で答えくれる気がするのだ。
彼は、「科学は楽しい」という、ひねりのないシンプルな答えをこちらの自問に対して、返してくれているようだ。それだけで十分なのかもしれない。
●内田麻理香(うちだ・まりか)
サイエンスコミュニケーター、サイエンスライター。
各種媒体を通じ、科学と社会の懸け橋になるべく活動中。
主な著書は『カソウケン(家庭科学総合研究所)へようこそ』、『恋する天才科学者』(共に講談社)、『理系なお姉さんは苦手ですか?』(技術評論社)などがある。最新刊は『おうちの科学』(丸善出版)。
サイト:カソウケン(家庭科学総合研究所)
配信日:2009/07/01
私の人生を狂わせ、未だに支配し続けている男について書いてみたい。20世紀の米国の物理学者、R.P.ファインマンだ。大学生の頃、エッセイ『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫、上下)を読み、たちまち彼に恋してしまった。
いたずらが大好きで、大人げなく、権威に反発するひねくれ者。遺された彼の写真はどれもこれも男前だ(たぶん、主観を排しても)。そんな色男であるにも関わらず、早世した最初の妻に対しては一途で、妬ましいほどの愛妻家ぶり。惚れた弱みで、彼の物理学の教科書5巻セットも買いこみ、ようやく私は物理の魅力を知ることができた。好きになった相手に合わせて、自分の趣味も変えてしまう主体性のない女の好例だろうか。
そんな不純な動機で科学の研究を志した。もちろん、その理由だけではないが。しかし、不純な動機だったせいか、道半ばで挫折した。しかし、科学への憧れの気持ちは依然として変わらないので、科学の語り部となるべく活動している。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』などの彼のエッセイ(正確には、彼の話を友人が書き起こしたもの)は、科学好きも、科学に苦手意識を持つ人も虜にする魅力満載だ(これは、主観を排しても)。金庫破りに精を出し、手間と労力と時間を費やして、とうとう金庫破りの名人になってしまうエピソードは圧巻だ。その熱中ぶりは「才能の不法投棄」とでもいうべき言葉を捧げるのにふさわしい。
このエッセイ集に収められた話を笑える冒険譚、として読むだけでも良い。ただ、私は何回も読み直すうちに、ファインマン関連本は「科学のセントラルドグマ」を伝える最高の教科書だと思うようになった。科学を志す人にとっては「科学に関わる上で大切なものは何か」を知ることができる。科学に興味がなかった人も「科学って意外と面白いかも」と気付くきっかけになる。
残念ながら、昨今では若者を中心に「理科離れ」、「科学離れ」の傾向が進んでいると言われるようになった。実際に昔に比べて「理科離れ」が進行しているのか? 「若者の科学離れ」は本当か? という点については議論の余地が大いにあるのだが、今回はペンディングしておく。ごめんね。
いずれにせよ「科学離れはまずいよね」といった問題意識のもと、第3期科学技術基本計画では「国民の科学技術リテラシーの向上」を目標に掲げることになった(科学技術基本計画とは、文部科学省が管轄となって科学技術基本法のもと施行されている計画で、第3期は平成18年度~平成22年度が対象となる)。そのための活動がここ数年で活発になっている……のである。その結果は、肝心な皆さんのところに届いていないかもしれないが、一部では猛烈に頑張っているのだ。ちなみに私もその末席を汚しているつもり。
そんな立場からファインマン関連本を読むと、爽快な自己否定の感覚を味わうことができる。なぜかというと「ファインマン関連本に科学リテラシーのほとんどが収められている」からだ。彼の奇行ネタは「謎を見つけるとどんなことでも解かずにはいられない」執念が源泉である。まさに、科学者の中の科学者、だ。その追究の姿勢は、「人が眠りに落ちる瞬間」から「スペースシャトル・チャレンジャー号の事故の原因」まで余すところなく発揮されている。まず疑問を持つ。仮説を立てる。自分の手足を使って確認する。トライ&エラーをくり返す。そして考え続けることを粘り強く継続する。どれも科学者に必須の要素であり、行動であろう。
科学リテラシーという言葉がある。リテラシーとは直訳すると識字、という意味。「メディア」「金融」などの用語と組み合わせて「ある分野のことを理解し、活用する能力」という意味で使われる。つまり、科学リテラシーは「科学を理解し、活用する能力」になる。
科学リテラシーを構成するものはおおざっぱに分類すると、「科学的思考法」と「科学的知識」の二つになると思う。そして、私は「知識」は「思考法」さえあれば、ごくごく最低限で良いと考える。知識なんてものは、あとからいくらでもついてくるのだ。百科事典のような人間になることを目指しているわけではないのだ。
「科学リテラシーの向上」という言葉だと面倒に聞こえる。そもそも上から目線だしね。しかし、科学の申し子・ファインマンが「科学的思考法」を駆使して人生を楽しむ様子を眺めてみれば……科学リテラシーは、単に「世の中を面白い角度で見るひとつの道具」と思えるに違いない。
私は、ときどき自らに「科学者以外は、科学なんて知らなくても、生きるのに不自由しないのではないか?」と問いかける。そして、それに対してまともな答えが見つけられない時に、助けを求めてファインマンの本に手を伸ばす。するとファインマンが「にやり」と笑いながら、「『ものをつきとめることの喜び』は最高の娯楽じゃないか、そうだろ?」と、べらんめえ口調で答えくれる気がするのだ。
彼は、「科学は楽しい」という、ひねりのないシンプルな答えをこちらの自問に対して、返してくれているようだ。それだけで十分なのかもしれない。
●内田麻理香(うちだ・まりか)
サイエンスコミュニケーター、サイエンスライター。
各種媒体を通じ、科学と社会の懸け橋になるべく活動中。
主な著書は『カソウケン(家庭科学総合研究所)へようこそ』、『恋する天才科学者』(共に講談社)、『理系なお姉さんは苦手ですか?』(技術評論社)などがある。最新刊は『おうちの科学』(丸善出版)。
サイト:カソウケン(家庭科学総合研究所)
