担当者より:山形浩生さんの2006年9月分の書評連載分をアップいたしました。あと、山形さんと守岡桜さん、 森本正史さんの訳した『ぼくらはそれでも肉を食う』は好評発売中!
配信日:2006/09/27
今月はなかなか脈絡がありません。まず、自分でやった本の紹介はちょっとイエローカードだが、おもしろいんですもの、というわけで紹介。最近、特急翻訳であげたのが拙訳ステーィブン・ジョンソン『ダメなものはタメになる』(翔泳社)。つい先日までやっていた東京ゲームショウにあわせて出ていて、まだ本屋には並んでいないところもあるのかな? でも週明けにはおそらく出回りはじめるので乞うご期待。
これは一時出回った(いまでも信者のいる)「ゲーム脳」に対する反論本とでも言おうか。ゲームやると頭がよくなるし、テレビだっていまの『24 -TWENTY FOUR-』を見て理解するにはどれだけ知性が必要なことか。とにかくこれまでのゲームやテレビ批判は、そうしたものにあまり触れていない年寄りや本の虫学者が書いた無知丸出しの本ばかりなんだけれど、本書はちゃんとゲーム世代が体験を交えつつ書くので説得力がある。そして本書の最大のテーゼは、ゲームやテレビにはいいところ「も」あるというのではなく、むしろそれが大衆の知能底上げにすら貢献しているのだ、というもの。さてそれを真に受けるかどうかはあなた次第。
ビデオやテレビのバーチャルな世界からリアルな世界へ、というわけではないけれど、ダニエル・リベスキンド『ブレイキング・グラウンド』(筑摩書房)。この人は、けったいな建築ばかり作っている現代建築家で、博物館とか非日常的な建築を作るにはいいけど、まともに人が暮らしたりする建築ができるとはだれも思ってなかった。その人が、NYの貿易センタービル跡地開発プロジェクトを仕切ることになってしまった。この本は、建築家特有の自意識過剰な自分語りに、唯我独尊の勝手な建築的思いこみをからめた設計プロセスを開陳して跡地開発プロジェクトについて述べた本。ぼくはこの人の建築も文も大っきらいだけれど、ちょっとおもしろいところもあるし、でかいプロジェクトがちょっとした偶然で変な方に転ぶ過程としてもおもしろいかも。
もう夏休みは終わってるし、夏休みの宿題に苦労する年代の人はこれを読んでいないと思うけど、もしまだの人がいればおすすめが『アリエナイ理科ノ教科書IIB』(三才ブックス)。まえのより少しおとなしめだけれど、相変わらず得体の知れないヤバい実験いろいろ。体内に眠る科学少年少女をよびさましたい方、是非どうぞ。気に入ったら前のやつもあわせて買うといいでしょう。
さて、ここ数カ月は小説方面でいくつか拾いものがあった。マーシャ・メヘーラン『柘榴のスープ』(白水社)、アウグスト・モンテロッソ『黒い羊 他』(書肆山田)、オクタビオ・パス『ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスの生涯―信仰の罠』(土曜美術社出版販売)、そしてアーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(白水社)。この最後のやつを読んで、ぼくは頭をかかえてしまったのだ。これはホメイニ革命下で弾圧された女性たちが集まって英米文学の読書会をする話なんだけれど、その人たちは『ロリータ』をはじめとする小説を、いまのぼくたちとは比較にならない切実さをもって読む。それは例えようもなく幸せな本との関係だ。本書は欧米でベストセラーになり、それを誉める人たちは「弾圧にもかかわらず文学の力はそれをはねかえしてすばらしい」という。
でも、それはウソなのだ。その人たちが文学のパワーをまざまざと体験することができたのは、まさに彼女たちが弾圧されていたから、なのね。弾圧されていたからこそ、文学は力を持った。文学は――そしてたぶん映画も――そういうものなのだ。そして文学の力の復権を望むことは、おそらくその抑圧の復権を願うことでもある。だからこそ、ブンガク屋の多くは、文明と豊かさを否定したがる。ゲームやテレビを批判し、株でお金を儲けている人たちを罵倒し、不幸をほめたたえる。冒頭の、ゲーム脳の人たちもそうだ。でも、それがいかに反動的で危険かを認識する必要がある。そして『テヘランでロリータを読む』は、それをあえて認識させずに目隠しすることで人気を得てしまっているんだが……。
●山形浩生(やまがた・ひろお)
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。
サイト:YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page
配信日:2006/09/27
今月はなかなか脈絡がありません。まず、自分でやった本の紹介はちょっとイエローカードだが、おもしろいんですもの、というわけで紹介。最近、特急翻訳であげたのが拙訳ステーィブン・ジョンソン『ダメなものはタメになる』(翔泳社)。つい先日までやっていた東京ゲームショウにあわせて出ていて、まだ本屋には並んでいないところもあるのかな? でも週明けにはおそらく出回りはじめるので乞うご期待。
これは一時出回った(いまでも信者のいる)「ゲーム脳」に対する反論本とでも言おうか。ゲームやると頭がよくなるし、テレビだっていまの『24 -TWENTY FOUR-』を見て理解するにはどれだけ知性が必要なことか。とにかくこれまでのゲームやテレビ批判は、そうしたものにあまり触れていない年寄りや本の虫学者が書いた無知丸出しの本ばかりなんだけれど、本書はちゃんとゲーム世代が体験を交えつつ書くので説得力がある。そして本書の最大のテーゼは、ゲームやテレビにはいいところ「も」あるというのではなく、むしろそれが大衆の知能底上げにすら貢献しているのだ、というもの。さてそれを真に受けるかどうかはあなた次第。
ビデオやテレビのバーチャルな世界からリアルな世界へ、というわけではないけれど、ダニエル・リベスキンド『ブレイキング・グラウンド』(筑摩書房)。この人は、けったいな建築ばかり作っている現代建築家で、博物館とか非日常的な建築を作るにはいいけど、まともに人が暮らしたりする建築ができるとはだれも思ってなかった。その人が、NYの貿易センタービル跡地開発プロジェクトを仕切ることになってしまった。この本は、建築家特有の自意識過剰な自分語りに、唯我独尊の勝手な建築的思いこみをからめた設計プロセスを開陳して跡地開発プロジェクトについて述べた本。ぼくはこの人の建築も文も大っきらいだけれど、ちょっとおもしろいところもあるし、でかいプロジェクトがちょっとした偶然で変な方に転ぶ過程としてもおもしろいかも。
もう夏休みは終わってるし、夏休みの宿題に苦労する年代の人はこれを読んでいないと思うけど、もしまだの人がいればおすすめが『アリエナイ理科ノ教科書IIB』(三才ブックス)。まえのより少しおとなしめだけれど、相変わらず得体の知れないヤバい実験いろいろ。体内に眠る科学少年少女をよびさましたい方、是非どうぞ。気に入ったら前のやつもあわせて買うといいでしょう。
さて、ここ数カ月は小説方面でいくつか拾いものがあった。マーシャ・メヘーラン『柘榴のスープ』(白水社)、アウグスト・モンテロッソ『黒い羊 他』(書肆山田)、オクタビオ・パス『ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスの生涯―信仰の罠』(土曜美術社出版販売)、そしてアーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(白水社)。この最後のやつを読んで、ぼくは頭をかかえてしまったのだ。これはホメイニ革命下で弾圧された女性たちが集まって英米文学の読書会をする話なんだけれど、その人たちは『ロリータ』をはじめとする小説を、いまのぼくたちとは比較にならない切実さをもって読む。それは例えようもなく幸せな本との関係だ。本書は欧米でベストセラーになり、それを誉める人たちは「弾圧にもかかわらず文学の力はそれをはねかえしてすばらしい」という。
でも、それはウソなのだ。その人たちが文学のパワーをまざまざと体験することができたのは、まさに彼女たちが弾圧されていたから、なのね。弾圧されていたからこそ、文学は力を持った。文学は――そしてたぶん映画も――そういうものなのだ。そして文学の力の復権を望むことは、おそらくその抑圧の復権を願うことでもある。だからこそ、ブンガク屋の多くは、文明と豊かさを否定したがる。ゲームやテレビを批判し、株でお金を儲けている人たちを罵倒し、不幸をほめたたえる。冒頭の、ゲーム脳の人たちもそうだ。でも、それがいかに反動的で危険かを認識する必要がある。そして『テヘランでロリータを読む』は、それをあえて認識させずに目隠しすることで人気を得てしまっているんだが……。
●山形浩生(やまがた・ひろお)
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。
サイト:YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page
