担当者より:月曜社にて多くの人文書を手がけられ、ご自身も本や書店に関する原稿を多く執筆されている小林浩さんが、新訳ブームについて2007年に論じた一文です。
配信日:2007/06/27
編集部のKさんから先日こんなお話があった。光文社古典新訳文庫(06年~)や、「マルクス・コレクション」(05年~、筑摩書房)、『カール・シュミット著作集』全二巻(07年、慈学社出版)など、すでに刊行されていた名著が新訳で出版されることがやや目立つようになってきているように思う。これは新訳ブームの到来と言っていいのだろうか、と。
恐らくはその通りだろう。ブームと言ってもおかしくはない。ただ、このブームの前にも、名著古典の新訳自体はあちこちで試みられているので、少し振り返ってみよう。
たとえば「マルクス・コレクション」の前には、金塚貞文訳『共産主義者宣言』(93年)や植村邦彦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』(96年)があった。いずれも太田出版の本で、柄谷行人や『批評空間』誌の志向性と合致していたと思う。東欧の自由化やソ連解体後の世界を読み解き、変革を展望するためには、いまこそマルクスを再読すべきである、という確信がそこにはあったろう。
柄谷はのちに『トランスクリティーク――カントとマルクス』(01年、批評空間)を上梓する。マルクス再読の機運は日本だけではなかった。アメリカでネグリとハートが『〈帝国〉』(原著00年、邦訳03年、以文社)を出版したのはその好例だろう。柄谷がマルクスとともに再評価したカントは、岩波書店で99年の年末から新訳全集が刊行開始され、ようやく06年に完結。ネグリが再評価しているスピノザは、しばらく前から新訳全集が某社で進行している。
マルクスはヘーゲル批判から出発した。そのヘーゲルの新訳で読書界の話題をさらったのは長谷川宏である。『哲学史講義』全三巻(92-93年、河出書房新社)から『哲学の集大成・要綱』全三巻(02-06年、作品社)に至る道のりの中で、私が作品社営業部に在籍していた折には、『精神現象学』(98年)が発売後またたく間に一万部を超えるのを目の当たりにした。このような硬いイメージの大著がよく売れたので、本当にびっくりした。
これら西洋哲学の源流とも言うべきギリシア・ラテンの古典については、京都大学学術出版会が一大シリーズ「西洋古典叢書」(97年~)で地道に新訳および初訳を刊行し続けている。
こうしてざっと、ここ十年ほどをかえりみるだけでも、人文書業界では名著古典の新訳がしばらく続いているのがわかる。それはいまなお続いている。燈影社版『シェリング著作集』や岩波書店版『フロイト全集』のように始まって間もないものがあるし、近刊予告が出ているものの中には、田川健三訳『新約聖書』全六巻(作品社)のような大企画がある。
過去をもっと遡るならば、大きな目印としては、60年代から70年代にかけて中央公論社版『世界の名著』や平凡社版『世界教養全集』があり、50年代から60年代にかけては河出書房版『世界大思想全集』があり、戦前には春秋社版『世界大思想全集』があった。多くの出版人や研究者による絶え間ない挑戦の苦闘のうちに継続されてきた事業、それが新訳ブームの真実の姿だと言えるのかもしれない。
ちなみに『カール・シュミット著作集』について一言述べておくと、これは新訳ではない。各出版社からかつて刊行され、現在はことごとく絶版になってしまったものを若干改訳し、合本して再刊するものだ(より正確に言えば全二巻二十二篇のうち一篇のみ新訳)。新訳だけでなく、こうした復刊事業にも大いに意義がある。新刊依存型のスクラップ・アンド・ビルド状態から出版界はいいかげんに脱したほうがいい。
慈学社出版では今秋、著作集の第II巻とともに、『大地のノモス』を再刊するそうだ。福村出版の二巻本はめったに古書市場に出回らない上に、価格が高かった。今回は一巻本で刊行されるとのこと。再刊、復刊されていいはずの名著古典は相当数ある。絶版にしたままでは先人の苦労が浮かばれない。翻訳出版の理想と現実についてはとても今回だけでは言い尽くせないので、機会があればまた書こうと思う。
●小林浩(こばやし・ひろし)
月曜社取締役。
人文系の書籍を中心とした本の編集をする一方で、雑誌や自身のブログなどで、国内外の多くの書籍を目利きとして紹介している。
ブログ:ウラゲツブログ
配信日:2007/06/27
編集部のKさんから先日こんなお話があった。光文社古典新訳文庫(06年~)や、「マルクス・コレクション」(05年~、筑摩書房)、『カール・シュミット著作集』全二巻(07年、慈学社出版)など、すでに刊行されていた名著が新訳で出版されることがやや目立つようになってきているように思う。これは新訳ブームの到来と言っていいのだろうか、と。
恐らくはその通りだろう。ブームと言ってもおかしくはない。ただ、このブームの前にも、名著古典の新訳自体はあちこちで試みられているので、少し振り返ってみよう。
たとえば「マルクス・コレクション」の前には、金塚貞文訳『共産主義者宣言』(93年)や植村邦彦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』(96年)があった。いずれも太田出版の本で、柄谷行人や『批評空間』誌の志向性と合致していたと思う。東欧の自由化やソ連解体後の世界を読み解き、変革を展望するためには、いまこそマルクスを再読すべきである、という確信がそこにはあったろう。
柄谷はのちに『トランスクリティーク――カントとマルクス』(01年、批評空間)を上梓する。マルクス再読の機運は日本だけではなかった。アメリカでネグリとハートが『〈帝国〉』(原著00年、邦訳03年、以文社)を出版したのはその好例だろう。柄谷がマルクスとともに再評価したカントは、岩波書店で99年の年末から新訳全集が刊行開始され、ようやく06年に完結。ネグリが再評価しているスピノザは、しばらく前から新訳全集が某社で進行している。
マルクスはヘーゲル批判から出発した。そのヘーゲルの新訳で読書界の話題をさらったのは長谷川宏である。『哲学史講義』全三巻(92-93年、河出書房新社)から『哲学の集大成・要綱』全三巻(02-06年、作品社)に至る道のりの中で、私が作品社営業部に在籍していた折には、『精神現象学』(98年)が発売後またたく間に一万部を超えるのを目の当たりにした。このような硬いイメージの大著がよく売れたので、本当にびっくりした。
これら西洋哲学の源流とも言うべきギリシア・ラテンの古典については、京都大学学術出版会が一大シリーズ「西洋古典叢書」(97年~)で地道に新訳および初訳を刊行し続けている。
こうしてざっと、ここ十年ほどをかえりみるだけでも、人文書業界では名著古典の新訳がしばらく続いているのがわかる。それはいまなお続いている。燈影社版『シェリング著作集』や岩波書店版『フロイト全集』のように始まって間もないものがあるし、近刊予告が出ているものの中には、田川健三訳『新約聖書』全六巻(作品社)のような大企画がある。
過去をもっと遡るならば、大きな目印としては、60年代から70年代にかけて中央公論社版『世界の名著』や平凡社版『世界教養全集』があり、50年代から60年代にかけては河出書房版『世界大思想全集』があり、戦前には春秋社版『世界大思想全集』があった。多くの出版人や研究者による絶え間ない挑戦の苦闘のうちに継続されてきた事業、それが新訳ブームの真実の姿だと言えるのかもしれない。
ちなみに『カール・シュミット著作集』について一言述べておくと、これは新訳ではない。各出版社からかつて刊行され、現在はことごとく絶版になってしまったものを若干改訳し、合本して再刊するものだ(より正確に言えば全二巻二十二篇のうち一篇のみ新訳)。新訳だけでなく、こうした復刊事業にも大いに意義がある。新刊依存型のスクラップ・アンド・ビルド状態から出版界はいいかげんに脱したほうがいい。
慈学社出版では今秋、著作集の第II巻とともに、『大地のノモス』を再刊するそうだ。福村出版の二巻本はめったに古書市場に出回らない上に、価格が高かった。今回は一巻本で刊行されるとのこと。再刊、復刊されていいはずの名著古典は相当数ある。絶版にしたままでは先人の苦労が浮かばれない。翻訳出版の理想と現実についてはとても今回だけでは言い尽くせないので、機会があればまた書こうと思う。
●小林浩(こばやし・ひろし)
月曜社取締役。
人文系の書籍を中心とした本の編集をする一方で、雑誌や自身のブログなどで、国内外の多くの書籍を目利きとして紹介している。
ブログ:ウラゲツブログ
