担当者より:ライター・ドラマ評論家の成馬零一さんが、2010年3月に大河ドラマ『龍馬伝』を中心に論じた原稿です。成馬さんは、著書『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島新書)で多くのドラマを論じていますので、ご関心のある向きはそちらもぜひ。

配信日:2010/03/03


ゼロ年代以降、テレビドラマの評価を視聴率で計るのは難しくなっている。低視聴率でも後にDVD-BOXが売れた後に映画化され、レンタルや再放送で末永く愛されている『木更津キャッツアイ』(〇二年)のような長期的に愛されるブランド型の人気作が増えている一方で、メディアの多様化により、リアルタイムで高視聴率を獲得し、みんなが話題にするようなドラマは年々減ってきている。以前なら10%を切った時点で打ち切られていたものも多かったのだが、現在は放送されている半数以上の作品が10%以下という異常事態だ。だからこそ、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の平均視聴率20%以上という現在の状況は快挙だと言える。

『龍馬伝』は三菱財閥の創設者である岩崎弥太郎の視点から、坂本龍馬を描いた物語だ。主人公の龍馬を演じるのは福山雅治。脚本は『ガリレオ』(〇七年)で福山と組んだ福田靖。チーフ演出には『ハゲタカ』(〇七年)の大友啓史が参加している。高い評価を得た『ハゲタカ』の作り込まれた画面作りは『龍馬伝』でも健在で、プログレッシブカメラで撮影された泥と埃にまみれた土佐の風景は、近年のフラットな絵作りの大河には無い迫力だ。

そして女性人気が高い福山雅治を看板として、普段大河ドラマを見ない若い女性層を引き込み、作品自体の強度は、香川照之、大森南朋、寺島しのぶ、貫地谷しほりといった実力派の俳優で支える。これは『ガリレオ』の映画版『容疑者Xの献身』(〇八年)において展開された戦略であり、その意味において、大河ドラマとしてはもちろん、ここ数年のテレビドラマにおけるヒットのセオリーが総動員されている隙のない布陣だと言える。

民放でも龍馬を特集した番組が多く放送され、本屋にも『龍馬伝』ヒットに便乗した龍馬や幕末の本が多く並んでいる状況は、龍馬ブーム、幕末ブームと言っても過言ではない。しかし『大河ドラマ入門』(光文社新書)の著者・小谷野敦は幕末が舞台の大河ドラマは「一般大衆には複雑すぎるのか、あまりヒットしないそうだ(P27)」と書いている。

確かに歴代大河の中で人気があるのは『独眼流正宗』(八七年)などの戦国もので、幕末を舞台とした『龍馬がゆく』(六八年)は平均14.5%と、当時としては低調な視聴率で終っている。ではなぜ、近年の大河は幕末ブームなのか?

おそらく、流れが変わったのは『新選組!』(〇四年)からであろう。『新選組!』は『古畑任三郎』シリーズで知られる劇作家・三谷幸喜が脚本を書いた、新撰組局長・近藤勇を主人公とした物語だ。SMAPの香取慎吾や山本耕史、藤原竜也、オダギリジョーなどの若手俳優を大胆に起用し、幕末を舞台とした青春群像劇として描かれた本作は、平均視聴率こそ17.4%と、他の大河に比べ、突出したものではなかったが、熱狂的なファンも獲得し、今もアマゾンのドラマDVD-BOXランキングに名前がある息の長い人気番組として定着し、〇六年には続編にあたる『新撰組!! 土方歳三 最期の一日』も制作された。これは冒頭に書いたブランド型の支持を『新撰組!』が受けたということを意味する。

そして、幕末ブームを決定的にしたのが、宮尾登美子の小説『天璋院篤姫』(講談社文庫)を原作とした〇八年の『篤姫』だ。徳川家定の正室の御台所として徳川家と大奥を守り、大政奉還実現のため歴史の影で動いた篤姫の生涯を追った本作は、主演の篤姫を宮崎あおいが演じ、平均視聴率24.5%を獲得。全国でおこなわれた篤姫展には十代から六十代まで幅広い年齢層の視聴者が押し寄せた。

その意味で、『龍馬伝』の人気は一朝一夕のものでなく、昨年、TBS系列で放送され話題となった脳外科医の南方仁が、幕末の江戸にタイムスリップして活躍するSF時代劇『JIN-仁-』(〇九年)のヒットも含めた数々の積み重ねによって「幕末ブランド」が確立されたからだと言える。

また、幕末ものは一種の「シェアワールド」として視聴者に支持されているのではないかとも考えられる。シェアワールドとは、同一の時間軸、世界観の中で、違う登場人物の物語を次々と展開していく物語で、H・P・ラヴクラフトのホラー小説の世界観を元に他の作家によって書かれたクトゥルフ神話や、『機動戦士ガンダム』などのオタク系コンテンツで用いられているアイデアだ。

『新撰組!』『篤姫』『JIN-仁-』『龍馬伝』は直接的には制作スタッフもバラバラで、無関係の物語だが、幕末という同じ時間軸を舞台とし、どの作品にも坂本龍馬が重要な人物として登場する。そのため、続けて見ていると同じ物語を、違う視点から描かれた続編を見ているような錯覚を起こし、いつしか幕末という世界観に慣れ親しんでしまう。その意味で若い視聴者が順番に楽しむうちに、幕末という世界観を学習していったのではないかと考えられる。

そしてもう一つヒントとなるのが、先に触れた『大河ドラマ入門』での小谷野による「近年の大河は江戸びいき(P127)」という指摘だ。確かに幕末を舞台としていながらも『新撰組!』と『篤姫』は、滅びゆく徳川幕府の視点から見た幕末モノとなっている。

『JIN-仁-』のキャッチコピーも「誰もが笑った 輝いた あの江戸へ」であった。一般的な幕末のイメージは、封建的で不自由な徳川の世が終り、新しい時代へ向う前向きなものだろう。だがそれは逆から見れば、平和な江戸時代が黒船という外国の脅威によって無理やり国際化され、武家社会の伝統が崩壊の危機に瀕している時代とも言える。その意味で、現在支持されているのは後者の幕末観ではないだろうか。

小説や評論における幅広い活躍で知られる作家・橋本治は八六年に刊行した『完本チャンバラ時代劇講座』(徳間書店)の中で、今の時代劇は明治時代に流行った講談や剣豪小説から生まれたものであり、過ぎ去った江戸時代を惜しむノスタルジーに支えられていたと指摘し、日本人は開国して欧米列強の仲間入りをするという近代化を受け入れる一方で、時代劇の中の江戸時代を懐かしみ、物語という形で愛好してきたのだと分析している。橋本の解釈にならうならば、当時の幕末と似た気分が、現在の日本を覆っていると考えられはしないだろうか?

現在の龍馬像を決定づけた小説に、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(文春文庫)がある。実は今回、はじめて本作に触れたのだが、明るく壮快な竜馬の物語に引き込まれる一方で、竜馬の語る理想(能力のある人間なら誰もが政治に参加できる世の中を作りたい。世界中を船で回って商売したい)に対して、なんとも歯がゆい気持ちとなった。

本作で竜馬を通して司馬が語る理想は、戦後民主主義と資本主義そのものであり、今でいうグローバリズムの概念そのものだ。だが我々は、自由で機会が平等に与えられた実力主義の世の中だからこそ、格差や戦争が横行している現在を、嫌という程知っている。その意味で司馬が描いた“竜馬像”は、ある部分の賞味期限が切れていると言える。それを考慮してか、脚本家の福田靖は『龍馬伝』HPのインタビューで、『竜馬がゆく』とは違う「普通の好青年としての龍馬を描く」と語っている。

あくまで第9回終了時点における印象だが、福山雅治演じる龍馬は、おそらく今までで一番頼りない龍馬だ。いつも迷い、喧嘩の仲裁役ばかりしているお人好しの男だ。しかし、そんな人間味のある部分が、福山/龍馬では丹念に描かれており、確かに作り手の「まず根源に立ち返ろう」という意志が感じられる。

もう一つ重要なのは、第1回から執拗に描写される、土佐藩における上士と下士の間に横たわる理不尽な身分差別だ。その重苦しい描写は、視聴者が漠然と抱いていた平和な江戸時代像を覆している。その意味で『龍馬伝』は階級闘争の物語であり、自由な世界で苦しむ私達に、果たして過去の日本は本当に幸せだったのかと再度、問いかけてくる。

最後に『龍馬伝』冒頭からも明らかなように、龍馬の名が一般に知られるようになったのは、その死後においてだ。明治十六年、自由民権運動家だった坂崎紫瀾は、高知で発行されていた「土陽新聞」の中で、新聞小説「汗血千里駒」を連載した。この小説で自由民権運動のシンボルとして始めて坂本龍馬は描かれ、広く知られるようになった。

次に龍馬ブームが起こったのは日露戦争の時だ。日本とロシアの開戦前夜、明治天皇妃である昭憲皇后の夢枕に坂本龍馬が立ち、「日本海軍の勝利」を語ったという話が新聞で広まり、海軍の守護神として、空前の龍馬ブームが起こった。そして戦後には、司馬遼太郎が書いた歴史小説『竜馬がゆく』が国民的小説として大ヒットし、今の龍馬像を作り上げた。CMや金八先生の影響で、武田鉄矢=坂本龍馬とイメージする人も多いだろう。

その意味で大衆が求める龍馬像は、時代ごとに大きく変化しており、日本人は龍馬の中にある謎の部分に自身の願いや希望を投影し、その時々における理想像を語ってきたと言える。

司馬遼太郎は『竜馬がゆく』一巻のあとがきで「竜馬は、生きている。われわれの歴史のあるかぎり、竜馬は生きつづけるだろう」と語っている。混迷する二〇一〇年。『龍馬伝』がどのような龍馬象を提示するのか楽しみだ。


●成馬零一(なりま・れいいち)
ライター、ドラマ評論家。
著書に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、共著に『クリティカル・ゼロ コードギアス反逆のルルーシュ』(樹想社)、『発掘 幕末の陰謀』(徳間書店)、『音楽誌が書かないJポップ批評』シリーズ(宝島社)などに執筆。
ブログ:はて☆なりま