担当者より:哲学者ジョン・サールの『MiND(マインド)――心の哲学』(朝日出版社)を翻訳をした山本貴光さんと吉川浩満さんが、哲学書を翻訳するという作業について書いた原稿です。2006年に『MiND(マインド)――心の哲学』が刊行された直後のものです。

配信日:2006/03/22


この3月に、朝日出版社からジョン・サール『MiND(マインド)――心の哲学』という翻訳書を刊行させていただいた。これはアメリカ哲学の大御所ジョン・サールによる魅力的な入門書。「心とはなにか?」という難問に挑戦する最新型の「心の哲学」だ。この場をお借りして、身の程をわきまえぬ翻訳で苦心惨憺七転八倒した顛末をちょっぴりお話ししたい。

よく哲学の本は難解だと言われる。たしかに、ものごとを徹底的に考えて、「それってどういうこと?」と問い詰めるのだからややこしくなるのは避けられない。しかし、哲学が難解に見えてしまうことには、もうすこし別の事情もからんでいる。

そもそも「哲学」という言葉からしてわけがわからない。「学」は「学問」の「学」だからまだよい。問題は「哲」のほう。実は「哲学」という日本語の歴史はそれほど古くない。この言葉が造られたのは明治のこと。津和野藩出身の西周(にし・あまね, 1829-1897)が、"philosophy"を「希賢学」と訳した。この言葉、もとはといえば漢籍から引かれたものだが、「賢を希(こいねが)う学」と読めば腑に落ちる。西はこれをさらに「希哲学」と変え、最後には「哲学」とした。

ところで翻訳談義でしばしば「翻訳者は裏切者」(Traductore traditore)というラテン語の格言(あるいはそのイタリア語訳)が引き合いに出される。翻訳をしようと思ったら、どうしたって裏切者になるというわけだ。

たとえば"idea"という言葉。「アイデア」と読めばだれでも知っている言葉だ。サールの本にもしばしば顔を出す。でもこれを日本語に訳すとなると話はややこしくなる。先ほどの西周はこの語に仏典から借りてきた「観念」という訳語をあてた。見事である。でもやがて時が経ち、仏典や漢籍の教養が一般的でなくなったとき、この訳語はいわばもう一度裏切ることになる。たとえば観念、形而上学、実存などと言えば、わけのわからない言葉の代表格のようなものではなかろうか。

自分で言葉をつくりながら翻訳した明治の先達の苦労には遠くおよばないものの、訳者がサールの翻訳で苦心したのもこの用語の問題だった。哲学書の伝統的な訳語に敬意を払いたい。でも予備知識がない人でも読めるようにしたい(わがまま)。

というのも『MiND』は、これから「心の哲学」について勉強してみたいと思う人に向けて書かれた入門書。最難問のテーマだけにしっかり考えさせられるけれど、サールの言葉は配慮が行き届いていてあくまでわかりやすい。

ホンヤクコンニャク(『ドラえもん』)とはよくいったもので(って原作の文脈とはまるでちがうけれど)、哲学のコトバたちを翻訳するときに味わうのは、まさに典型的なコンニャク体験だ。美味しいけれどなかなか噛み砕けない。なかなか噛み砕けないけれど、その作業はとても美味しい。

むずかしい問題をやさしくおもしろく語るというサール先生の高等テクニック、どこまでうまく日本語に移せたかはなはだ心許なくはあるけれど、邦訳版『MiND』がどんな書物にしあがっているか、ぜひ書店でご賞味いただけたらこれ幸い。


●山本貴光(やまもと・たかみつ)
コーエー(ゲーム開発)を経て、フリーランスの物書き。
著書に『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、共著に『ゲームの教科書』『問題がモンダイなのだ』(ともにちくまプリマー新書)、『心脳問題』(朝日出版社)などがある。
関心領域は書物、映画、音楽、美術、ゲーム、カステラ、原節子など。
ブログ:作品メモランダム

●吉川浩満(よしかわ・ひろみつ)
国書刊行会、ヤフーを経て、フリーランスの物書き。
共著に『問題がモンダイなのだ』(ちくまプリマー新書)、『心脳問題』(朝日出版社)などがある。
関心領域は哲学、ハーレーダビッドソン、ロック、映画、 犬など。
ブログ:哲劇メモ