担当者より:詩人・社会学者である水無田気流さんが日本の若い女性は保守化したのかどうかに関して論じたものです。著書である『無頼化する女たち』(新書y)と併せて、ぜひお読みください。
配信日:2009/08/26
近ごろ、日本の若い世代の女性には保守化の傾向が見られる、と指摘される。専業主婦願望は再燃気味であり、「婚活」もさかんになっている。たとえば、内閣府の『平成21年版 男女共同参画白書』によれば、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」といった考え方について、20代女性は36.6%が「賛成」と答えた。不思議なことに、これは30~50代の女性よりも高い数値なのである。
この傾向は、雇用機会均等法世代以降の「負け犬」の艱難辛苦を目にしてきた反動かもしれないし、まだまだ女性には苛酷な雇用環境のせいかもしれない。情報化が進んだせいか、若い世代ほど、上の世代の轍を踏むことに対して、恐怖感が強いことも推測できる。
だが、おかしいではないか。女性たちは近年、独立心旺盛に見える。世間では、もはや女性が一人で生きていくことを前提に話が進んでいる。女性が独身でいることも、子どもを産まないことも、離婚することもタブー視されなくなってきた。
ここ数年の女性論関連ベストセラーも、酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社、2003)や上野千鶴子『おひとりさまの老後』(法研、2007)など、一人で生き、一人で死ぬことを表現するものが目につく。さらに、勝間和代のブームに代表されるライフスタイル指南書は、女性の自立を大々的に提唱している。
男に依存したいのか、自立したいのか、はっきりしやがれ! と、ツッコミを入れたくなる男性諸氏も多いだろう。あるいは、女性が依存志向と自立志向に二極化しているのだと考える方もいるだろう。だが、女子界のこのような「気分」――専業主婦志向と自立志向――は、実は同根だと私は考える。
端的に言って、若年層を中心に、ニッポン女子は今、猛烈に「安心したい」のである。「お金を稼ぐ」も、「生活防衛」も、「ビジネススキルを身につける」も、そして「稼ぎのいい男をゲットする」も、すべては安心へのパスポートなのだ。それは主として激しい経済社会環境の変化により、かつて「普通の幸福」であったものが、軒並み高騰していることに起因する。また女性は、自己防衛意識が男性より格段に強い。これは、「女性がか弱い」からというよりは、社会環境要因が大きいのである。そもそも日本の経済社会システムは、女性を積極的に守ってはくれない。
たとえば多くの女性は、企業では長年「主力」扱いされず、待遇も平均賃金も低いまま。とくに派遣法改正以降、女性の非正規雇用者は年々増加し、近年では過半数を超えている。そうでなくても、ローンを組もうとしても、起業しようとしても、男性より「信用」は低い。ましてや出産・育児の負担を抱え込めば、どうなるだろうか。雇用機会均等法や、男女共同参画社会基本法など、法制度は完備されても、実体はお寒い限り。なぜか? それは、女性を守るのは、基本的に社会(公的領域や市場など)ではなく、家族(私的領域)である、との暗黙の前提があるからである。
この前提は、70年代頃までは矛盾なく社会を覆っていた。このころ、男女とも30歳以上の既婚率は9割を超え、男性の就業状況も安定していた。だから、社会の側は、女性を経済活動の場でそれほど厚遇しなくても、夫である男性被雇用者を厚遇していれば、問題はなかったのである。
ついでに言えば、日本の妻は、通常夫の給料をそっくりそのまま預かり、そこから夫に「お小遣い」と称する小銭を渡して、残りの家計を「やりくり」するという慣行がある。だから、経済社会システム上の不公平は、日常生活において既婚女性には見えにくいし、不満も抱きづらい。ただし、稼ぎの安定した夫をつかまえている限り、なのだが。言うまでもなく、この前提は、第一に日本型雇用慣行の崩壊、第二に未婚化・非婚化によって大幅にゆらいできている。
多くの男性が、年々確実に上昇する賃金と、マイホームつきの安定した家庭生活を妻に提供できた時代、専業主婦はごく当たり前の女性のライフコースであった。だからこそ、雇用機会均等法施行直後は、希少種である「キャリアウーマン」が、輝いて見えたのである。
だが近年、サラリーマン世帯であっても「共働き世帯」が「専業主婦のいる世帯」を大幅に上回るなど、家事専従の専業主婦は少数派である。早い話、稼ぎのいい夫を持ち、働かずに済む専業主婦は希少価値が高まり、それだけ若い女性の憧れも増しているのだ。
したがって、若い女性の専業主婦願望が高まっていると言っても、彼女たちは、「ガーデニングなどを楽しむ優雅なセレブ妻」になりたいのであって、「育児・家事を全面的に引き受けつつ低賃金のパート労働にいそしむ主婦」になりたいわけではない。情報化の進展は、とりわけ若年層にとって、かつてよりも格段に精度の高い「人生のシミュレーション」を可能にした。
だから、投入した努力に見合った成果が得られるかどうかに関して、今の若い世代はシビアである。女性の場合、せっかくがんばって働いても、縁遠ければ「負け犬」。しかも、男性に比べ、まだまだ努力に見合った社会的成功が得られる可能性が低いと判断すれば?
「婚活」ブームは、これらの事情を背景としている。だが、これも「需給のミスマッチ」感は否めない。東京では、20代後半~30代半ばの未婚女性は、約4割が相手の男性の年収「600万円以上」を希望しているが、その年代の男性で、それくらいの収入があるのは「3.5%」という調査結果もある(山田昌弘・白河桃子、2008『「婚活」時代』ディスカヴァー携書)。かくして「いい男がいない」が、未婚女性の口ぐせとなる。
少々話は飛ぶが、さきごろ5月7日に掲載された尾谷幸憲のコラムでは、女性の「スピリチュアル」好きが論じられていたが、この「希望」と「現実」の落差では、さもありなん。「札束(高収入)と花束(高いコミュニケーション能力+男性としての魅力)を背負ったいい男」は、希少種なのである。彼らをゲットしたければ、開運や呪術に頼るしかないのかもしれない。
興味深いことに、自立心を鼓舞する女性の生き方指南書も、恋愛に関してだけはある種運頼みである。たとえば、勝間和代『勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド』(2008、ディスカヴァー携書)では、インディペンデントな女性の生き方の条件として(1)年収600万円以上を稼ぎ(2)いいパートナーがいて(3)年をとるほど、すてきになっていくと述べている。
重要な三本柱の一本であるにもかかわらず、(2)いい男をゲットする方法についてだけは、他の2点に比べて、具体的メソッドの記述が乏しい。恋愛スキルよりも、「600万円以上稼げるようになると、つきあう男のレベルが変わってくるのです」と、まずは自分磨きを推奨するのが印象的である。ビジネススキルアップ法、能力開発法などについては、驚くほどきめ細かく具体的メソッドを述べているのに、なぜ? おそらく、勝間の分析力をもってしても、いい男を獲得するための方法論は、不確実要素があまりに
大きいのだろう。
実は、この「いい女になれば自ずといい男が寄ってくる」というのは、女子界では繰り返し述べられてきた神話である。「おひとりさま」という概念の発案者である岩下久美子の論旨は、その典型と言える。『おひとりさま』(2001、中央公論新社)では、「おひとりさま」を、「『個』の確立ができている大人の女性」「仕事も恋もサクセスするために、身につけるべき生き方の哲学」などと定義する。一貫した基調は、「個が確立できて初めて、本当の恋愛が成立する」という「自立=いい恋愛」信仰である。また、岩下も勝間と同様、若さだけを売り物にする女性は、いずれ限界が訪れる点を強調する。
だが、果たして本当にそうだろうか。読者諸兄におたずねします。もし結婚するのであれば、女子界で賞賛されるような「アラフォーで責任ある仕事につき知識も経験値も高い自立した美人」と、「20代の何でも素直に喜び自分を頼りにしてくれる可愛い女の子」と、どちらを選びますか?……おそらく、一般の男性には後者が圧勝と思われますが、どうでしょう。一も二もなく前者、というのは相当もの好……もとい、知的好奇心旺盛なナイスガイにちがいない。
多くの男性にとって、女性の価値はまだまだ「若さ」と「可愛げ」である。これらの価値は、経年と経験によって、どんどん逓減していく。悲劇的なことに、女性の場合、恋愛(そして結婚)市場においては、人間としての経験や魅力アップが、必ずしも女としての魅力に直結しない。
しかし、自分のこれまでの努力が無に帰すことほど、人間にとって悲しいことはない。それは、自己の人生の意味をそっくり否定されることだからである。だから、「自立した大人の女=いい恋愛」物語が、語り手を換えて何度も論じられる必要があるのだ。
けれども、今まさに若さの絶頂にある20代の女性は、この恋愛市場における男性の本音に敏感である。人間、これから得ようとする価値に手が届かないことよりも、今掌中にある価値が失われていくことのほうが、よほど恐ろしい。ましてや、経年と経験による魅力アップが、今もっている若さという価値に太刀打ちできないとしたら? そして、それと引き換えに得られる社会的成功が、結局のところ、結婚や「男性に選ばれる」価値より低いとみなされる社会だとしたら? いや上述したように、その社会的成功だって、能力とチャンスに恵まれた一部の女性以外には、まだまだ絵に描いた餅なのである。それらの結果が、この「保守化」現象と言えないだろうか。
もう一点。経済社会構造の変化に比して、人々の生活観や幸福観などの変化は遅い。ましてや家族生活は、子どものころからの刷り込みによって、無意識のうちに譲れない価値観を形成しているものである。今の20代は、50代、つまり高度成長期育ちの両親の価値観を基底に抱えている。したがって、それらの価値観を、自分の人生で実現することが難しいという困難も、抱え込んでしまっているのである。
時代が激しく移り行くとき、人は積極的に新しい価値観と幸福観を取り入れるだろうか。それが過去よりも、明らかに好ましいものであるならば問題はない。だが、経済も雰囲気も、何もかもが縮小傾向にある今日ではどうだろう。むしろ変化を恐れ、「過去の幸福な状態」を過剰に理想化し、模倣するのではないだろうか。少なくとも、人類史は直線的に進化の道をたどるというよりは、振り子のように矛盾と反動を繰り返しながら進んできた。無数の「時代遅れな希望」という、瓦礫の山を背景にして。
「歴史の天使は、顔を過去に向け、嵐のただ中を背が向いている未来に向かって飛ぶ」とはヴァルター・ベンヤミンの言葉である。これを受け、社会学者のジグムント・バウマンは言う。「魅力ではなく嫌悪こそが歴史の主要な駆動力である限り、歴史的変化が生じるのは、人間が、自分の状況のなかで感ずる苦痛や不快を悔しく思ったり、それにいらだったりするからである」と。進化は、希望よりはむしろ、思わず顔を背けたくなるような現実を離れるために、否応なく引き起こされて行く部分が大きい。その意味では、革新や保守化といった、まったく別物に見える表現形態も、同じ衝動に根ざしている。
私たちは、結局のところ過去しか見ることができない。同時に、どんなに幸福な場所にも、とどまることはできない。過去の幸福な主婦像にしがみつく女性も、雄々しく自立を目指す女性も、同じく「今、ここの厳しい現実」を逃れるため、見えない未来に向かって必死に羽ばたいている……。
少なくとも、私にはそう見える。
●水無田気流(みなした・きりう)
1970年、神奈川県出身。詩人、社会学者。
早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、東京工業大学世界文明センター・フェロー。
2003年、第41回現代詩手帖賞受賞。2006年、第1詩集『音速平和』で第11回中原中也賞受賞。2008年、第2詩集『Z境(ぜっきょう)』で第49回晩翠賞受賞。評論に『黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望』(光文社新書)、『無頼化する女たち』(新書y)がある。
サイト:INTERMEZZO
配信日:2009/08/26
近ごろ、日本の若い世代の女性には保守化の傾向が見られる、と指摘される。専業主婦願望は再燃気味であり、「婚活」もさかんになっている。たとえば、内閣府の『平成21年版 男女共同参画白書』によれば、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」といった考え方について、20代女性は36.6%が「賛成」と答えた。不思議なことに、これは30~50代の女性よりも高い数値なのである。
この傾向は、雇用機会均等法世代以降の「負け犬」の艱難辛苦を目にしてきた反動かもしれないし、まだまだ女性には苛酷な雇用環境のせいかもしれない。情報化が進んだせいか、若い世代ほど、上の世代の轍を踏むことに対して、恐怖感が強いことも推測できる。
だが、おかしいではないか。女性たちは近年、独立心旺盛に見える。世間では、もはや女性が一人で生きていくことを前提に話が進んでいる。女性が独身でいることも、子どもを産まないことも、離婚することもタブー視されなくなってきた。
ここ数年の女性論関連ベストセラーも、酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社、2003)や上野千鶴子『おひとりさまの老後』(法研、2007)など、一人で生き、一人で死ぬことを表現するものが目につく。さらに、勝間和代のブームに代表されるライフスタイル指南書は、女性の自立を大々的に提唱している。
男に依存したいのか、自立したいのか、はっきりしやがれ! と、ツッコミを入れたくなる男性諸氏も多いだろう。あるいは、女性が依存志向と自立志向に二極化しているのだと考える方もいるだろう。だが、女子界のこのような「気分」――専業主婦志向と自立志向――は、実は同根だと私は考える。
端的に言って、若年層を中心に、ニッポン女子は今、猛烈に「安心したい」のである。「お金を稼ぐ」も、「生活防衛」も、「ビジネススキルを身につける」も、そして「稼ぎのいい男をゲットする」も、すべては安心へのパスポートなのだ。それは主として激しい経済社会環境の変化により、かつて「普通の幸福」であったものが、軒並み高騰していることに起因する。また女性は、自己防衛意識が男性より格段に強い。これは、「女性がか弱い」からというよりは、社会環境要因が大きいのである。そもそも日本の経済社会システムは、女性を積極的に守ってはくれない。
たとえば多くの女性は、企業では長年「主力」扱いされず、待遇も平均賃金も低いまま。とくに派遣法改正以降、女性の非正規雇用者は年々増加し、近年では過半数を超えている。そうでなくても、ローンを組もうとしても、起業しようとしても、男性より「信用」は低い。ましてや出産・育児の負担を抱え込めば、どうなるだろうか。雇用機会均等法や、男女共同参画社会基本法など、法制度は完備されても、実体はお寒い限り。なぜか? それは、女性を守るのは、基本的に社会(公的領域や市場など)ではなく、家族(私的領域)である、との暗黙の前提があるからである。
この前提は、70年代頃までは矛盾なく社会を覆っていた。このころ、男女とも30歳以上の既婚率は9割を超え、男性の就業状況も安定していた。だから、社会の側は、女性を経済活動の場でそれほど厚遇しなくても、夫である男性被雇用者を厚遇していれば、問題はなかったのである。
ついでに言えば、日本の妻は、通常夫の給料をそっくりそのまま預かり、そこから夫に「お小遣い」と称する小銭を渡して、残りの家計を「やりくり」するという慣行がある。だから、経済社会システム上の不公平は、日常生活において既婚女性には見えにくいし、不満も抱きづらい。ただし、稼ぎの安定した夫をつかまえている限り、なのだが。言うまでもなく、この前提は、第一に日本型雇用慣行の崩壊、第二に未婚化・非婚化によって大幅にゆらいできている。
多くの男性が、年々確実に上昇する賃金と、マイホームつきの安定した家庭生活を妻に提供できた時代、専業主婦はごく当たり前の女性のライフコースであった。だからこそ、雇用機会均等法施行直後は、希少種である「キャリアウーマン」が、輝いて見えたのである。
だが近年、サラリーマン世帯であっても「共働き世帯」が「専業主婦のいる世帯」を大幅に上回るなど、家事専従の専業主婦は少数派である。早い話、稼ぎのいい夫を持ち、働かずに済む専業主婦は希少価値が高まり、それだけ若い女性の憧れも増しているのだ。
したがって、若い女性の専業主婦願望が高まっていると言っても、彼女たちは、「ガーデニングなどを楽しむ優雅なセレブ妻」になりたいのであって、「育児・家事を全面的に引き受けつつ低賃金のパート労働にいそしむ主婦」になりたいわけではない。情報化の進展は、とりわけ若年層にとって、かつてよりも格段に精度の高い「人生のシミュレーション」を可能にした。
だから、投入した努力に見合った成果が得られるかどうかに関して、今の若い世代はシビアである。女性の場合、せっかくがんばって働いても、縁遠ければ「負け犬」。しかも、男性に比べ、まだまだ努力に見合った社会的成功が得られる可能性が低いと判断すれば?
「婚活」ブームは、これらの事情を背景としている。だが、これも「需給のミスマッチ」感は否めない。東京では、20代後半~30代半ばの未婚女性は、約4割が相手の男性の年収「600万円以上」を希望しているが、その年代の男性で、それくらいの収入があるのは「3.5%」という調査結果もある(山田昌弘・白河桃子、2008『「婚活」時代』ディスカヴァー携書)。かくして「いい男がいない」が、未婚女性の口ぐせとなる。
少々話は飛ぶが、さきごろ5月7日に掲載された尾谷幸憲のコラムでは、女性の「スピリチュアル」好きが論じられていたが、この「希望」と「現実」の落差では、さもありなん。「札束(高収入)と花束(高いコミュニケーション能力+男性としての魅力)を背負ったいい男」は、希少種なのである。彼らをゲットしたければ、開運や呪術に頼るしかないのかもしれない。
興味深いことに、自立心を鼓舞する女性の生き方指南書も、恋愛に関してだけはある種運頼みである。たとえば、勝間和代『勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド』(2008、ディスカヴァー携書)では、インディペンデントな女性の生き方の条件として(1)年収600万円以上を稼ぎ(2)いいパートナーがいて(3)年をとるほど、すてきになっていくと述べている。
重要な三本柱の一本であるにもかかわらず、(2)いい男をゲットする方法についてだけは、他の2点に比べて、具体的メソッドの記述が乏しい。恋愛スキルよりも、「600万円以上稼げるようになると、つきあう男のレベルが変わってくるのです」と、まずは自分磨きを推奨するのが印象的である。ビジネススキルアップ法、能力開発法などについては、驚くほどきめ細かく具体的メソッドを述べているのに、なぜ? おそらく、勝間の分析力をもってしても、いい男を獲得するための方法論は、不確実要素があまりに
大きいのだろう。
実は、この「いい女になれば自ずといい男が寄ってくる」というのは、女子界では繰り返し述べられてきた神話である。「おひとりさま」という概念の発案者である岩下久美子の論旨は、その典型と言える。『おひとりさま』(2001、中央公論新社)では、「おひとりさま」を、「『個』の確立ができている大人の女性」「仕事も恋もサクセスするために、身につけるべき生き方の哲学」などと定義する。一貫した基調は、「個が確立できて初めて、本当の恋愛が成立する」という「自立=いい恋愛」信仰である。また、岩下も勝間と同様、若さだけを売り物にする女性は、いずれ限界が訪れる点を強調する。
だが、果たして本当にそうだろうか。読者諸兄におたずねします。もし結婚するのであれば、女子界で賞賛されるような「アラフォーで責任ある仕事につき知識も経験値も高い自立した美人」と、「20代の何でも素直に喜び自分を頼りにしてくれる可愛い女の子」と、どちらを選びますか?……おそらく、一般の男性には後者が圧勝と思われますが、どうでしょう。一も二もなく前者、というのは相当もの好……もとい、知的好奇心旺盛なナイスガイにちがいない。
多くの男性にとって、女性の価値はまだまだ「若さ」と「可愛げ」である。これらの価値は、経年と経験によって、どんどん逓減していく。悲劇的なことに、女性の場合、恋愛(そして結婚)市場においては、人間としての経験や魅力アップが、必ずしも女としての魅力に直結しない。
しかし、自分のこれまでの努力が無に帰すことほど、人間にとって悲しいことはない。それは、自己の人生の意味をそっくり否定されることだからである。だから、「自立した大人の女=いい恋愛」物語が、語り手を換えて何度も論じられる必要があるのだ。
けれども、今まさに若さの絶頂にある20代の女性は、この恋愛市場における男性の本音に敏感である。人間、これから得ようとする価値に手が届かないことよりも、今掌中にある価値が失われていくことのほうが、よほど恐ろしい。ましてや、経年と経験による魅力アップが、今もっている若さという価値に太刀打ちできないとしたら? そして、それと引き換えに得られる社会的成功が、結局のところ、結婚や「男性に選ばれる」価値より低いとみなされる社会だとしたら? いや上述したように、その社会的成功だって、能力とチャンスに恵まれた一部の女性以外には、まだまだ絵に描いた餅なのである。それらの結果が、この「保守化」現象と言えないだろうか。
もう一点。経済社会構造の変化に比して、人々の生活観や幸福観などの変化は遅い。ましてや家族生活は、子どものころからの刷り込みによって、無意識のうちに譲れない価値観を形成しているものである。今の20代は、50代、つまり高度成長期育ちの両親の価値観を基底に抱えている。したがって、それらの価値観を、自分の人生で実現することが難しいという困難も、抱え込んでしまっているのである。
時代が激しく移り行くとき、人は積極的に新しい価値観と幸福観を取り入れるだろうか。それが過去よりも、明らかに好ましいものであるならば問題はない。だが、経済も雰囲気も、何もかもが縮小傾向にある今日ではどうだろう。むしろ変化を恐れ、「過去の幸福な状態」を過剰に理想化し、模倣するのではないだろうか。少なくとも、人類史は直線的に進化の道をたどるというよりは、振り子のように矛盾と反動を繰り返しながら進んできた。無数の「時代遅れな希望」という、瓦礫の山を背景にして。
「歴史の天使は、顔を過去に向け、嵐のただ中を背が向いている未来に向かって飛ぶ」とはヴァルター・ベンヤミンの言葉である。これを受け、社会学者のジグムント・バウマンは言う。「魅力ではなく嫌悪こそが歴史の主要な駆動力である限り、歴史的変化が生じるのは、人間が、自分の状況のなかで感ずる苦痛や不快を悔しく思ったり、それにいらだったりするからである」と。進化は、希望よりはむしろ、思わず顔を背けたくなるような現実を離れるために、否応なく引き起こされて行く部分が大きい。その意味では、革新や保守化といった、まったく別物に見える表現形態も、同じ衝動に根ざしている。
私たちは、結局のところ過去しか見ることができない。同時に、どんなに幸福な場所にも、とどまることはできない。過去の幸福な主婦像にしがみつく女性も、雄々しく自立を目指す女性も、同じく「今、ここの厳しい現実」を逃れるため、見えない未来に向かって必死に羽ばたいている……。
少なくとも、私にはそう見える。
●水無田気流(みなした・きりう)
1970年、神奈川県出身。詩人、社会学者。
早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、東京工業大学世界文明センター・フェロー。
2003年、第41回現代詩手帖賞受賞。2006年、第1詩集『音速平和』で第11回中原中也賞受賞。2008年、第2詩集『Z境(ぜっきょう)』で第49回晩翠賞受賞。評論に『黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望』(光文社新書)、『無頼化する女たち』(新書y)がある。
サイト:INTERMEZZO
