担当者より:『究極の会議』(ソフトバンク クリエイティブ)の著者である鈴木健さんが、2006年に会議の目的について書いた原稿です。著書についてのインタビュー(聞き手は近藤正高さんです)もありますので、そちらも是非どうぞ。
配信日:2006/06/07
マイケル・ドイルらの『会議が絶対うまくいく法』(日本経済新聞社)では、会議とは「3人以上の人が集まって行う作業」と定義されている。もし2人しかいないのであれば、メールでもそこそこうまくいくことも多いし、わざわざ会議を開かなくてもすむかもしれない。3人以上になると、メールでは急に合意形成が難しくなる。これは、2人が話しているのを他の1人が聞いているので、客観的な視点からつっこみが入り、議論が収束しにくいからだ。
逆にいえば、3人以上がわざわざ集まる理由もここにある。会議をしているときにしか使われない脳の領域があるかどうかは知らないが、会議をしている時だけに起こるアイデアのイノベーションを、誰しも感じたことがあるだろう。
そもそも会議をしなくてはならないのは、非同期のコミュニケーションでは起こり得ないありとあらゆるダイナミクスが、ひとつの場所に集まることで生まれるからだ。会議のもつコミュニケーションの多様性こそが、会議が必要な理由なのだ。
会議は、議論をする場所だと思っている人がいるかもしれないが、3人以上が同じ場所に集まって顔をつきあわせて行う、ありとあらゆる作業が会議である。通常の会議が共同作業に感じられないのは、議論だけして何もアウトプットがでてこないからだ。ホワイトボードを使って議論をすれば、そこに残された情報を共同で作り出すことができる。
机を囲んで行う会議では、どうしてもパワーが目の前の反対意見を言っている人に注がれてしまい、なかなか共同作業をしているという感じがしない。ホワイトボードを中心にいすを半円形に配置してみよう。参加者の視線はホワイトボードに集中するので、みんなで共同作業をしているという感覚が生まれてくるはずだ。
そうした中には、会議中に議事録を書きながら会議を進めていくという議事録ドリブンという手法もある。議事録が目の前で書かれていくので、議論の流れが追えて脱線が起こりにくいし、後で言った言わないという話にもなりにくい。
昔の日本では、そういったことを回避するために別の方法が用いられていた。宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)の中に、村の寄り合いの風景が登場する。宮本が村の古文書を借りたいというと、寄り合いでそれを決めねばならないという。その風景たるや、トピックが次々と脱線し、いつまでたっても決まらず、とても生産性が低い。村という狭い世界において、後でいざこざが起きないようにするためには、とにかく長い時間をかけてみんなで決めたというプロセスが重要になってくるので、一概に悪いとはいえない。
今の会社は村ではないので、それではやっていけない。てきぱきと生産性の高い会議を行うことが求められるだろう。山崎将志 の『会議の教科書』(ソフトバンク クリエイティブ)には、そのためのノウハウやツールがぎっしりとつまっていて参考になる。そうやって会議の生産性をあげて長い会議を短くし、余った時間を使い、みんなで飲みにいった方が、今の社会では喜ばれるだろう。
人間関係のきしみを生み出してしまわないよう、アウトプットとプロセスのバランスをうまくとるのが、よい会議をするコツかもしれない。
●鈴木健(すずき・けん)
東京大学特任研究員・東京財団VCASIフェロー。
ウェブから貨幣まで情報社会におけるインフラを中心に先鋭的な研究を続ける論客として活躍中。
共著に『ised 情報社会の倫理と設計』倫理篇/設計篇(河出書房新社)、『NAM生成』(太田出版)、『進化経済学のフロンティア』(日本評論社)がある。
配信日:2006/06/07
マイケル・ドイルらの『会議が絶対うまくいく法』(日本経済新聞社)では、会議とは「3人以上の人が集まって行う作業」と定義されている。もし2人しかいないのであれば、メールでもそこそこうまくいくことも多いし、わざわざ会議を開かなくてもすむかもしれない。3人以上になると、メールでは急に合意形成が難しくなる。これは、2人が話しているのを他の1人が聞いているので、客観的な視点からつっこみが入り、議論が収束しにくいからだ。
逆にいえば、3人以上がわざわざ集まる理由もここにある。会議をしているときにしか使われない脳の領域があるかどうかは知らないが、会議をしている時だけに起こるアイデアのイノベーションを、誰しも感じたことがあるだろう。
そもそも会議をしなくてはならないのは、非同期のコミュニケーションでは起こり得ないありとあらゆるダイナミクスが、ひとつの場所に集まることで生まれるからだ。会議のもつコミュニケーションの多様性こそが、会議が必要な理由なのだ。
会議は、議論をする場所だと思っている人がいるかもしれないが、3人以上が同じ場所に集まって顔をつきあわせて行う、ありとあらゆる作業が会議である。通常の会議が共同作業に感じられないのは、議論だけして何もアウトプットがでてこないからだ。ホワイトボードを使って議論をすれば、そこに残された情報を共同で作り出すことができる。
机を囲んで行う会議では、どうしてもパワーが目の前の反対意見を言っている人に注がれてしまい、なかなか共同作業をしているという感じがしない。ホワイトボードを中心にいすを半円形に配置してみよう。参加者の視線はホワイトボードに集中するので、みんなで共同作業をしているという感覚が生まれてくるはずだ。
そうした中には、会議中に議事録を書きながら会議を進めていくという議事録ドリブンという手法もある。議事録が目の前で書かれていくので、議論の流れが追えて脱線が起こりにくいし、後で言った言わないという話にもなりにくい。
昔の日本では、そういったことを回避するために別の方法が用いられていた。宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)の中に、村の寄り合いの風景が登場する。宮本が村の古文書を借りたいというと、寄り合いでそれを決めねばならないという。その風景たるや、トピックが次々と脱線し、いつまでたっても決まらず、とても生産性が低い。村という狭い世界において、後でいざこざが起きないようにするためには、とにかく長い時間をかけてみんなで決めたというプロセスが重要になってくるので、一概に悪いとはいえない。
今の会社は村ではないので、それではやっていけない。てきぱきと生産性の高い会議を行うことが求められるだろう。山崎将志 の『会議の教科書』(ソフトバンク クリエイティブ)には、そのためのノウハウやツールがぎっしりとつまっていて参考になる。そうやって会議の生産性をあげて長い会議を短くし、余った時間を使い、みんなで飲みにいった方が、今の社会では喜ばれるだろう。
人間関係のきしみを生み出してしまわないよう、アウトプットとプロセスのバランスをうまくとるのが、よい会議をするコツかもしれない。
●鈴木健(すずき・けん)
東京大学特任研究員・東京財団VCASIフェロー。
ウェブから貨幣まで情報社会におけるインフラを中心に先鋭的な研究を続ける論客として活躍中。
共著に『ised 情報社会の倫理と設計』倫理篇/設計篇(河出書房新社)、『NAM生成』(太田出版)、『進化経済学のフロンティア』(日本評論社)がある。
