担当者より:文芸・音楽評論家の円堂都司昭さんが2008年に東京ディズニーリゾートと浦安の関わりについて論じたものです。また、円堂さんが速水健朗さんや大山くまおさんなどとの共著『バンド臨終図巻』(河出書房新社)に関するインタビューも併せてどうぞ。

配信日:2008/01/30


毎年、1月になると成人式のニュースが流れる。そのなかで、千葉県浦安市を取り上げることが、すっかり定番になった。浦安市では2002年から、市内の東京ディズニーランドで成人式を催している。ディズニーといえば童心に返るための場所だ。しかも、東京ディズニーシーでは酒類が販売されているのに対し、東京ディズニーランドは基本的にアルコール禁止。大人になる日にお子様化してどうする? という批判や揶揄は当然ある。

だが、地元の新成人には好評であり、毎回の出席率は高い。周辺住民としては、沖縄みたいに酔った若者が暴れるわけでもないんだからいいんじゃない? といったところだろう。また、浦安市民には、東京ディズニーリゾートの近くに住んでいることをどこか誇らしく思う人が少なくない。だから、成人式の話も、ちょっとした自慢のタネだったりする。

とはいえ、よく考えると、浦安市民と東京ディズニーリゾートの関係には、親近感を抱き、友好的であるというだけではない微妙な要素もある。昔は漁村だった浦安の広大な埋立地に、東京ディズニーランドが開園してから今年で25周年。2008年には新たなホテル(東京ディズニーランドホテル)やシルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京の開業も予定されている。テーマパークだけでなく、ホテル群やショッピングモールなども含めた東京ディズニーリゾートとしての総合力が、一段と強化されようとしている。そんな節目の時期でもあるので、浦安市民である自分が、東京ディズニーリゾートと浦安の関係をあらためて考えてみたいと思う。

さて、JR京葉線に乗ってランドやシーに出かけた人は多いだろうが、最寄りの舞浜駅では南口を利用することになる。駅を出ればすぐ、ランドやシーを経営するオリエンタルランドが作ったイクスピアリというショッピングモールがあり、ランドまで行く歩道橋の途中にボン・ヴォヤージュというディズニーショップもある。駅周辺のデザインといい雰囲気といい、思いっきりディズニーの色に染まっている。というか、駅舎や駅員の制服のデザイン、発車メロディからして、JRとオリエンタルランドとの協議でディズニー路線になっている。駅構内を清掃員だって、ランドと同じ制服である。駅に降りた時点で、あなたはもうテーマパークの住人なのだ。

それでは、市外から舞浜駅に来た人で、ディズニー側とは逆の北口に出てみたことのある人はどれくらいいるだろうか。そこには、ある意味で驚くべき風景が広がっている。北口の駅前には、なにもないのだ。普通駅前にありがちなショッピングセンターやパチンコ屋がない。とにかく店の類がまるっきりない。バスやタクシーの乗り場は南口にまとめられているので、それらを待つ人が溜まっていることもない。ただ、駐輪場のスペースが広くとられている。そして、駅の前には線路と並行して湾岸道路のほか交通量の多い道路が何本か横切っており、それらを跨ぐ長い長い歩道橋の先に防音壁や緑地帯が見える。その向こう側に住宅地が広がり、浦安市民が暮らしている。でも、そんなことは、市外から来た人がちょっと北口に出ただけでは気づかないだろう。

当たり前の話だが、東京に近い住宅地なので、舞浜駅から京葉線で通勤している人は大勢存在する。しかし、舞浜駅北口の風景は、東京ディズニーリゾートに訪れた客が、浦安市民の生活を目にしないように設計されている。ある種の分離政策が行われているといってもいい。イクスピアリはあくまでリゾート客向けのショッピングモールであり、近隣住民が日常的に買物するような店はない。その種のスーパーは、北口の壁の向こう側に立地している。したがって、長ねぎや大根を入れた買物袋を持つ地元民の姿を、リゾート客が見ることはない。

ディズニーのテーマパークがなぜ成功したかについては、いろいろ指摘されている。その一つとして、客に夢と魔法の世界を経験させる点において徹底していることがある。ディズニーの空間では、従業員はみなキャストと呼ばれ、客はゲストと呼ばれる。キャストとゲストが共同で演じる非日常の夢舞台として、ディズニーの空間はある。だから、東京ディズニーリゾートでは、ディズニー的なもの以外、ゲストの視界に入らないよう入念に風景がデザインされている。ここでは、キャストでもゲストでもない浦安市民のただの日常など、排除すべき対象にすぎない。浦安の風景お断り、である。海のテーマパークであるディズニーシーでは東京湾を借景にしているが、それをもじっていえば東京ディズニーリゾートは浦安に対しては“断景”なのだ。北口から見える壁は、その象徴である。

京葉線が開通する前、ディズニーランドの最寄り駅の仮称は、西浦安駅とされていた。その名称がマイアミをもじった地名、舞浜に変更されたことは、この地域を浦安の日常から分離する政策の始まりだった。巷間では、駅名を公募した際、ディズニーランドという名も候補に上がったが、そうなった場合、近隣の商店などがディズニーランド駅前店と名乗ることも予想され、自社ブランドを守りたいディズニー側が難色を示したといわれている。

もともと、東京ディズニーランドが1983年に開業した時、JR京葉線はまだ開通していなかった。このため、より内陸部を通っている地下鉄東西線の浦安駅から海沿いの埋立地にあるランドまでシャトルバスを運行していた。客は浦安市を行き来し、ランド以外の市内にもお金を落としたわけだ。ところが、1988年に京葉線舞浜駅が開業し、ディズニーの客は浦安市を横断する必要がなくなった。また、2000年にはイクスピアリ、2001年に東京ディズニーシーとディズニーリゾートライン(この地域を循環するモノレール)が開業し、舞浜が総合リゾート地へと大きく変貌した。駅前に東京ディズニーランドというテーマパークが一つあるだけでなく、周辺一帯がディズニーの自治区のごとき状況になり始めたのである。この2001年に舞浜駅では従来の南口に加え、あの北口が作られた。同年を、浦安とディズニーの分離完了の年ととらえてもいいだろう。

実際、舞浜駅近くの土地の大部分はオリエンタルランドが所有しており、この地区の開発における同社の発言権は大きい。舞浜駅北口に広がる風景があのようになったのも、オリエンタルランドと浦安市が協議した結果である。また、二つの地域を隔てる壁や緑地帯は、近隣住民のニーズにもあっていた。舞浜駅近くに住む人たちには、市外から訪れる大量の客に自分の暮らしを覗かれたくないという意識がある。実際、壁のすぐ向こうにある住宅街では、「監視カメラ作動中」の看板が多く、よそ者を排除し防御する身振りが目立つ。

このようにディズニー側から一線を引かれている浦安だが、オリエンタルランドからの多額の税収のおかげで市の財政は豊かである。しかし、地元商店などには、東京ディズニーリゾートの客が、その他の浦安市内でも金を使って欲しいという思いが根強い。それが象徴的に現われていたのが、昨春の「街中がテーマパーク宣言」だった。

JRと千葉県は2007年2~4月の3カ月間、「房総発見伝」と銘打ち、「ちばデスティネーションキャンペーン」という観光キャンペーンを行った。これは、房総半島を舞台にした曲亭馬琴の古典『南総里見八犬伝』のイメージを借りたキャンペーンで、県内各地でイベントや販促が展開された。その一環として浦安では、「レトロ(懐かしい街)+フューチャー(新しい街)」をコンセプトに「街中がテーマパーク宣言」を打ち出した。当時、市の広報紙は、浦安にはディズニーのテーマパークがあるだけでなく、もう浦安全体がテーマパークなのだと高らかに宣言した。東京ディズニーリゾートの論理は、浦安市を外部ととらえ分離したというのに、浦安側は自分たちもテーマパークだと連続性を主張したのである。両者の関係は、微妙にねじれている。

それでは、浦安市民のテーマパークに関する意識とはどんなものか。浦安市には、この地が昔、漁村だった頃の家並みを再現した郷土博物館がある。極めて小ぶりなテーマパークといえる施設だ。ただ、これに関しては、建設途中で郷土博物館は税金の無駄だと反対する候補が市長に当選し、結局、転用が不可能だったため当初の計画を縮小して決着した経緯がある。そうして郷土博物館がオープンしたのは、東京ディズニーシーと同じ2001年のことだった。

この件に私は、複雑な思いがある。東京ディズニーランドには、西部劇の世界を再現したウエスタンランドのゾーンに典型的なように、アメリカの歴史を再現するというコンセプトがある。その雰囲気に好意的なランドのリピーターが市内にけっこう多く住んでいるというのに、市民は自分たちが暮らす地域の歴史にあまり関心を持っていない。アメリカの歴史に金を払うのはOKだが、地元の歴史に税金を使うのはNO。これは不健康な態度ではないか。財政に余裕があるなら郷土博物館を充実させてもいいだろうに、と自分は思うが。

以上、みてきた通り、浦安と東京ディズニーリゾートの間には、なかなか微妙な距離感がある。毎晩8時半にランドのシンデレラ城付近に打ち上げられる花火の音を自宅で聞きながら、ふと、自分はディズニーに近いところにいるのか、それとも遠いのか、などと考える。もうじき25周年の東京ディズニーリゾートと浦安の共生が今後どうなるかわからないが、自分はもうしばらくそれにつきあうつもりだ。


参考文献:浦安市『浦安市史』(1999年)、粟田房穂『ディズニーリゾートの経済学』(2001年)など。


●円堂都司昭(えんどう・としあき)
文芸・音楽評論家。
著書に『YMOコンプレックス』(平凡社)、『「謎」の解像度』(光文社)がある。
ブログ:ENDING ENDLESS 雑記帖