担当者より:音楽や演劇などの分野で活躍中のライター・土佐有明さんが、『オリーブ』と雑誌文化に関して論じた原稿です。

配信日:2008/06/04


「雑誌難民」という言葉がある。愛読していた雑誌が休刊してしまい、やむなく違う雑誌を色々手にとってみるも、なんかどれも違うんだよねー、と書店の隅で嘆息をついている読者たち、とでも言えばいいか。ほら、よくいるでしょう? 初期の『クイック・ジャパン』は良かったよなあとか、昔の『宝島』みたいな雑誌ってもう出てこないのかなあ、なんて、年中ぼやいている人。いや、ぼやいている程度で済めばいいのだが、もっと切実に特定の雑誌の不在を嘆き、路頭に迷っている人種がいる。

その“特定の雑誌”とは、そう、『POPEYE』の別冊として1982年に創刊された、『オリーブ』のことである。00年に惜しまれつつ休刊、01年にリニューアルして復刊するものの、かつてのような支持を得られず、03年に再び休刊した。そんな『オリーブ』に人生を変えられ、今なおその呪縛から解放されていない読者たちは数知れない。年齢的には30代にさしかかり、オリーブおばさん、なんて呼ばれている同誌の元読者たちに今、拠り所となるような雑誌はあるのだろうか?

結論から言うと、ポスト・オリーブ足り得る受け皿は、ないわけではない。ファッション誌に限って言うと、掲載されているブランドやコーディネートが比較的近いという理由から、『FUDGE』、『SPUR』、『装苑』、『GINZA』、『In Red』、『spring』あたりが好まれる傾向にある。あるいは、黎明期の『オリーブ』を支えていたスタイリストや編集者が関わっていることもあって、『クウネル』や『リンカラン』をはじめとするオーガニックでエコでロハスな雑誌もそれなりに売れている。だが寂しいことに、似ているようでやっぱりどこかが違う、と旧オリーブ少女たちは口を揃えてつぶやく。『オリーブ』がないから仕方なく、と彼女たちは妥協案的にそれらを手にとってゆくのだ。

強すぎる思い入れの裏返しとしての、物足りなさとやるせなさ。例えば、ミクシィの『オリーブ』コミュニティに溢れる、「『オリーブ』みたいな雑誌があったら……」という無数の嘆き。モニタごしに溜息が聞こえてくるような悲痛なことばの数々。それは時に信仰告白のようですらあり、そこでは『オリーブ』はひとつの思想、いや宗教といった色彩すら帯びている。実際、僕は何人も知っている。『オリーブ』を復刊させたい一心で、就職浪人して二年連続でマガジンハウスの採用試験を受けた学生や、ネット上で復刊の署名運動に勤しんだ読者、いや、信者たちを……! 

とはいえ、僕は決して悲観しているわけではない。『オリーブ』的な価値観が雲散霧消してしまったとは、決して思わないからだ。約20年かけてばらまかれたハート型の種子は、その後あちこちで蕾を膨らませ、時代に添って形を変えながらも、確実に花を咲かせているのだ。

編集者、ライター、イラストレイター、カメラマン、スタイリスト……。マスコミ関係の仕事をしていると、『オリーブ』を読んでいたから今の自分がある、という女性と頻繁に出くわす。彼女たちは、クリエティヴな仕事に就き、『オリーブ』から学んだ感性を仕事に反映させることで同誌に恩返しをしている。コンスタントに刊行されている、ミニコミやフリーペーパーの類にも同様のことが言えるだろう。

フリーペーパーの『Quest』は95年に関係者へのインタビューを掲載したオリーブ特集を組み、雑誌『フリースタイル』は06年4月号で「オリーブが教えてくれたもの」というテーマに18ページを割いている。また、『レタァ』という手作り感覚のミニコミは1号で「オリーブへのラブレタァ」なるテーマを掲げ、その後も「パジャマで過ごす夢見る時間」「おかっぱとみつあみ」など、『オリーブ』へのオマージュ的な誌面づくりで好評を博している。それらは、単なるノスタルジーの産物ではない。誌面をよく見れば、作り手が『オリーブ』という教科書を通して得たことを自らのマナーでアウトプットしていることが伝わってくるからだ。

もちろん、結婚・出産を経て良き家庭人となった旧オリーブ少女もまた、具体的に創作に関わっている/いないに関わらず、日々のささやかな幸せを大切にするオリーブ・マインドを忘れてはいない。家事や育児の合間を縫って、手芸や裁縫や料理に没頭するひととき。多少値が張っても、料理にはル・クルーゼの鍋を、裁縫用の生地にはマリメッコを、彼女たちは選ぶだろう。

『オリーブ』から巣立ったモデルや芸能人、コラムニストたちも、いまやメジャーな舞台で活躍している。機知に富んだ連載が大好評だった小沢健二……は雲隠れしてまったし、初代専属モデルだった元・花田勝夫人の栗尾美恵子……は別の意味で有名になってしまったけれど、観月ありさ、市川美和子、市川美日子、しまおまほ、酒井景都、緒川たまき、吉川ひなのなどは皆『オリーブ』卒業生だし、復刊後には今をときめく蒼井優も登場していた。

かつてオリーブが提唱した美意識や価値観は、もはや充分に普及・浸透し、その核を失ったのかもしれない。逆に言えば、オリーブ的なるものは、あちこちに拡散することで、その役目を終えた、とも言えるだろう。そしてそれは、そんなに悪いことじゃない、と僕は思っている。

さて、ここで話が終わればキレイだったかもしれないが、『オリーブ』が存続し得ないネガティヴな現状についても、多少は触れておくべきだろう。以降やや脱線するが、お付き合い頂ければと思う。

以前、某誌で僕は『オリーブ』について、こんなことを書いていた。「オリーブ少女なんて最初は実在しなかった。こんなコがいて欲しい、という願望と妄想で誌面を埋め尽くしたら、結果として現実が後から追いついてきた」――そう、現実は後からついてきたのだった。誌面を通して提示された、編集者やスタイリストの抱く理想=ファンタジーとしてのオリーブ少女を、読者は熱心に学習し、追いつこうとする。そうするうちにいつしか、“ホンモノ”のオリーブ少女が街を闊歩するようになっていた。幻想が現実と化した瞬間だ。セントジェームスのボーダーやベレー帽など、オリーブ少女の定番ファッションだって、そもそもはそうやって根付いていったのではなかったか? そこで思う。今、ポスト・オリーブ的な雑誌に決定的に足りないものがあるとしたら、ロマンやファンタジーではないか、と。

具体例をひとつ挙げよう。実は筆者も一部の構成を担当していた復刊後の『オリーブ』は、古くからの読者にはいまいちウケが良くなかったが、嶽本野ばらは、その理由について、インタビューで以下のように述べている。

そう、お洒落にしようとしたのが間違いで。雑誌ってたぶん二通りあって、その雑誌に載ってるお洋服を見て実際にそのお洋服を買おうっていう……『cawaii』とかああいう雑誌はそうだと思うんだけど。そうじゃなく、そこに載ってるお洋服をいいなぁと思っても、自分にはアバンギャルドすぎて買えなかったり、高すぎて買えなかったり、それでも「こういう世界に憧れてしまうの!」って憧れの対象として買っちゃう雑誌っていうのがあって。『olive』なんかは、実用的になろうとしているぶん、違ってきているなぁと思って。(出典:嶽本野ばらインタビュー

こうした実用指向への違和感は多くのオリーブ読者が述べているところだ。そもそも、84年に栗尾美恵子が専属モデルとなるまで、モデルは皆外国人で、初期の誌面には「リセエンヌ」(パリの女学生)なんて言葉が踊っていた雑誌である。シンプルだけどクセのある洋服を着こなし、おしゃれと恋に明け暮れる、優雅で洒脱な異国の女の子たち。まだ見ぬ芸術の都に対する憧憬の念を、誤解や妄想も込みで読者は抱いたことだろう。インターネット普及以前の80年代だから、そこにはなおさらロマンがあったはずだ。「リセエンヌ放課後の雑貨めぐり」「パリでオリーブ少女」「リセエンヌのおしゃれスナップ」「あこがれのパリ案内」なんて特集が、80年代半ばには幾度となく組まれている。当時、同誌が掲げていたキャッチコピーは、「Magazine for Romantic Girls」。これ以上しっくりくる形容があるだろうか?

一方、昨今の女性誌やファッション誌は、ますます実用性を重んじる方向へとシフトしている。モテやセレブといった言葉の濫用。異性の視線を過剰に意識したコーディネート。旧オリーブ少女が昨今のファッション誌や女性誌に嫌悪感すら抱く理由のひとつは、たぶんそういった記事のつくりにある。実際、『オリーブ』の誌面にはセックスの匂いや生活感が希薄だった。恋愛や性を扱った特集もあるにはあったが、あくまでもそれはロマンティックなコピーやヴィジュアルでオブラートにくるまれた、理想の産物であった。そんな雑誌を読んで育った少女たちが、「明日、合コンに行くならこういうコーディネートで」と具体的かつ現実的に教えてくれる雑誌に馴染めないのは、当然といえば当然だろう。

かつての『オリーブ』は、読者を先導した。それこそ姉妹誌である『POPEYE』や、あるいは初期の『宝島』がそうだったように、流行を“追いかける”のではなく、“作る”ような雑誌。読んだ次の日からライフスタイルや価値観が一変してしまうような記事が、そこには溢れていた。だが、今はどうだろう。多くの雑誌は、現実をトレースしたり、既にある流行を追いかけるのに精一杯で、価値観の提示を放棄してしまっているように見えてならない。そんな昨今の風潮と、かつての『オリーブ』が宿していた先鋭性や「フリルのついた暴力」(by岡崎京子)は、やはりどうしても相容れないものなのだろうか。

「特集はメッセージ。雑誌は個々に“声”を持つべき」と言ったのは『バァフアウト!』創設メンバーの北沢夏音さんだが、確かに、かつての『オリーブ』には、魅惑的で刺激に満ちた声やメッセージが溢れていた。後ろ向きな懐古趣味に加担する気はないが、今でも『オリーブ』のバックナンバーを開くと、そこにはうっとりするようなメッセージで彩られた理想郷が広がっている。そして、ただひとつはっきり言えるのは、こぼれおちんほどの愛情とともに紙面に焼き付けられた、この理想郷は、今後永遠に褪色することはない、ということだ。


●土佐有明(とさ・ありあけ)
ライター。
音楽誌、カルチャー誌に寄稿する他、CDのライナーも多数手がける。音楽を中心に、最近は劇評、書評、映画評なども執筆。音楽と文学と演劇と漫画の交錯点に興味を抱いている。
ブログ:土佐有明のPlaylist