担当者より:コラムニスト・小田嶋隆さんが2008年の加勢大周逮捕の一件を通して、トレンディと日本のカッコイイ男について論じたものです。ご一読ください。

配信日:2008/10/15


「かせたいしゅう」と、タイプして変換キーを押してみると、果たして、わがATOKは、「貸せ大衆」という捨て台詞を返してくる。加勢大周を知らないのだ。で、言うに事欠いて、人民に借財を要求してみたりなどしているわけだ。しかも、そうする権利もないくせに姿勢だけはあくまでも高飛車に、だ。まったくブッシュ元大統領並みのプリオン脳ではないか。

あるいは、ワープロは、飼い主に似るのかもしれない。ともあれ、わがATOKは、ジャニーズの現役組や梨園出身の俳優の名前は諳んじていても、ちょいと二流の芸能人になるとてんで見当はずれの返事を寄越してくる。正直者。そして、俗物なのだな。つまるところ。

さて、加勢大周容疑者は、大麻取締法違反、および覚醒剤取締法違反の現行犯として、去る2008年10月の4日、世田谷区内の自宅で逮捕された。その時点で、私自身、ほとんど彼の名前を忘れていた。「おお、加勢大周じゃないか」と思ったのは、テレビのニュースで映像を見たからだ。トシを取ったイケメン。ゆんべの刺身ないしはハエのたかったケーキみたいに無残なその近影。会えて嬉しかったぜ、大周。

もっとも、私は加勢ファンではない。加勢通でもなければ加勢ウォッチャーでもなかった。彼が売れっ子の俳優であった当時、私は既におっさんの階段を登り始めている時期で、当然、加勢大周が属している世界に対して敵意を抱いている存在だった。でなくても、私は湘南の風をまとって世に出てくる若者に対しては、ごく若い時期から冷淡だったから。

で、記憶を呼び覚ますべくググってみると、おお、加勢君は懐かしい言葉で分類整理されているぞ。「トレンディ俳優」という。おおお、トレンディよ。どうしていたんだ? 死んでしまうとはなにごとだ。

そう、そんな言葉があった。トレンディ(笑)。いまの言葉でいえば、スイーツ(笑)のニュアンスに近い。そういう、ナマの会話では決して発音できない、恥ずかしい言葉だった。で、いまや、死語。というよりも、自身が意味するところのニュアンスから、最もかけ離れた地点に着地してしまっている究極の赤っ恥単語ですよ。

が、トレンディ(笑)は、バブリージャパンを牽引する黄金のコンセプトであり、若い都会派の人々を駆り立てる魔法のキーワードだった。であるから、トレンディドラマとか、トレンディスポットとか、バブル揺籃期のイエローメディアの皆さんは、二言目にはトレンドの風を吹き散らかせていたものだった。

『日経トレンディ』なんていう雑誌まであった。いや、まだある。かわいそうに、トレンドを読み違えたのだな。じきにトレンディでなくなることが分かり切っているうたかたの流行語を、雑誌のタイトルに持ってくるなんて。なんという判断ミス。「三年で廃刊」を自ら宣言しているみたいなものじゃないか。

でも、こんな名前で20年も雑誌を刊行し続けている彼らは、逆に偉いのかもしれない。いまや偉いモノのほとんどすべては、逆方向に偉い、と、そういうことになっているのかもしれない。厳しい時代だ。オレの関係の雑誌は続々とツブれている(←この半年で3つ消滅した)というのに。『日経トレンディ』。あるいは、彼らが正しかったのかもしれない。

いずれにしても、流行語はありがたい。流行っている間もそれはそれで便利だが、流行が去ってから再会するとなおうれしい。だって、言葉が指し示していた当のモノの馬脚から正体から尾羽打ち枯らした後ろ姿からが、すべて丸見えになっているわけだから。

トレンディ俳優・加勢大周、と、こうやって並べてみると諸行無常の響きが沙羅双樹の花の色とともに横溢してくるから不思議だ。ひとえに風の前の塵に同じ。まったく平家物語の序文は一分の隙もない名文だった。

トレンディみたいなタイプの流行語は、対象の全盛期を形容するためにではなく、むしろ、来たるべき末路をよりくっきりと際立たせるための時限爆弾として効果を発揮する。終止形のコードに先立つ代理和音みたいなものとして、だ。だから、トレンディの極を極め者は、宿命的に「ダサい」方向に向けてシフトせざるを得ない。で、結末は、「悲惨」だとか、「不憫」だとか、でなければ「滑稽」ぐらいなところに落ち着く。まさに平家物語以来の伝統だ。

加勢大周の末路。事務所脱退騒動。芸名争奪戦を模した出来レースっぽい報道合戦。お笑い結婚。隠し子爆弾の炸裂。ショボい弁解の記者会見。忘れた頃の台湾再デビュー。そして大麻。泣いてどうなるのか。まるで最初からシナリオがあったみたいに見事な転落ぶりではないか。二段落ち三段落ちの恥さらし劇場。花魁道中みたいな人生。

加勢大周とともに「トレンディ御三家」と呼ばれていた残りの二人も、それぞれに良い味を出している。腐敗発酵食品としてのトレンディ銘柄。吉田栄作、織田裕二。それぞれの放物線。

実際のところ、どうなのだろう。「トレンディ御三家」というキャッチは、マジでリスペクトの意味で冠せられたキャッチだったのだろうか。その実「あとで笑うために」仕掛けておいた時間差のスルーパスだったということはないのだろうか。だって、事実、20年を経過した今、われわれはトレンディ御三家のそれぞれの近影と足跡を吟味しながら、生温かく笑っているわけだし、彼らがトレンディでさえなかったら、現状だってそんなに劇的には見えていないはずなのだから。よくあるおっさんの日常。特に冴えないけれど、別に悲惨でもない、当たり前な老化と加齢臭の日々。いや、オレにしても若い頃カッコ良くなくてよかったのかもしれないぞ。

読者諸兄はおぼえておいでだろうか。吉田栄作が勘違いして人に説教を垂れる存在になって行った頃の経緯を。私はなぜかよくおぼえている。そして、業界で総スカンを食らい、干され、忘れられ、無視されたあげくに、ある日カッコつけまくって引っ込みがつかなくなって渡米した日々のことも。まったく素晴らしい見世物だった。ベストジーニストに選ばれて、下目遣いで気取っていた栄作。「オレは」と、一人称代名詞がやたらと多いしゃべり方で浮いていた栄作。なにもかもが懐かしい。

織田君も元気だ。つい最近もUZという覆面歌手(笑)名で「君の瞳に恋してる」をカバーして笑わせてくれた。字面を見て、UZ(うぜえ)かと思った。なあユージ、オレは、たった一人の部屋で、30秒笑ったよ。息がとまりそうだった。

ともあれ、一度「カッコ良い」という分類で頂点に持ち上げられてしまった人々は、そこから降りてくるための作業でとても苦労することになる。で、ほとんどの者は、しがみついたあげくに転落することになっている。加勢君は、疲れて自ら飛び降りた感じに近いのかもしれない。いま注目しているのは、木村君の降り方だ。

彼はどうやって降りてくるつもりなんだろう。そろそろうまいトシの取り方を研究しはじめてしかるべき時期なのに、彼は一向にそれをやろうとしない。いつまでも25歳設定で押し通そうとしている。で、自分で「欠点が無いのがオレの欠点」ぐらいに思っていて、その欠点の無いイヤミさをカバーするために、外部的欠点として嫁さんを輸入(違うか?)していたりする。そういうところの勘違いが、私にはとても痛く見えるのだが、当の本人はどうなのだろう。あのリーバイスのCMは、あれでオッケーなんだろうか? あの下目遣いのポーズは、ファンクラブ目線の人間以外には噴飯だとおもうぞ。

それにしても、日本のカッコイイ男は、どうしてこうもイタくて弱いのだろう。たとえば、昔綺麗だった女優さんたちの多くは、トシをとって綺麗でなくなっても、それはそれで自分の居場所を見つけてたくましく生きている。もちろん、石原真理子みたいに道を誤る例もあるが、多くの女優さんは、母親役をこなし、おばさんの立ち位置に慣れ、そうしながらきちんとした中年女にソフトランディングしている。

なのに、カッコイイ男は、カッコイイ中年になれない。これは、個々の男たちの責任というよりは、うちの国の文化の構造的な欠陥に由来する何かなのかもしれない。つまり、この国には、あらまほしきモデルとしてのナイスミドルの伝統がないのだ。

ハンサムで、イケていて、トガっている若い男の将来には、死んでしまうか、バカなオヤジになるか、いずれかの結末しか用意されていない。だから、尾崎豊は死んだのかもしれない。おっさんになるくらいならシャブ中の方がましだぜ、とか。全然マシじゃないのに。

トレンディドラマを振り返ってみると、あそこで描かれている男は、女目線で描いた理想の恋愛相手以上のモノではなかった。「稲村ジェーン」「はいすくーる落書き2」「いつか誰かと朝帰りッ」「ADブギ」「ポールポジション!愛しき人に」……と、wikiを頼りに加勢大周主演のドラマや映画を思い浮かべてみると、残念、何も思い浮かばない。空疎な語り口と、無駄に整った横顔と、自らの長身を意識し過ぎた歩き方が目に浮かぶばかりだ。
 
現在進行形のテレビの世界では、トレンディは既に消滅している。というよりも、90年代半ば以来の十数年にわたる不況をくぐり抜けて後、視聴者はテレビの号令に乗っかってトレンドを追い回すような生き方をあらためたのだと思う。シマウマじゃないんだし。

で、90年代のトレンディドラマが描いていた恋愛(「ラブ・アフェア」とか言ってましたね)もまた、バラエティの世界に引っ越している。結局、恋愛は、ドラマとして描かれる素材ではなく、バラエティの枠内で処理されるひとつのアイテムに化けたわけだ。あるいは合コンのネタ、ないしは、前交尾行動における儀式としてのプレゼンテーションのひとつぐらいな位置におさまったのかもしれない。

これが格下げなのか格上げなのか、私には判断がつかない。いずれにしても「恋バナ」(←「恋の話」の略。なんという気持ちの悪い造語だろうか)を語ることで名をなしてきた、久本やさんまといった芸人たちが、既に初老の域にさしかかっている以上、少子化の波はどうにもとどめようがないと思う。


●小田嶋隆(おだじま・たかし)
コラムニスト。
著書に『テレビ標本箱』『テレビ救急箱』(ともに中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』『1984年のビーンボール』(ともに駒草出版)など多数。
共著に『人生2割がちょうどいい』(講談社)ほかがある。
ブログ:偉愚庵亭憮録