担当者より:『日本を変えた10大ゲーム機』(ソフトバンク新書)などの著者である多根清史さんに、『ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』が発売された直後にご執筆いただいた原稿です。
配信日:2009/07/22
2009年7月に、国民的RPGといえる二つのうちの一つであるシリーズの最新作、『ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』が発売された。初週だけで実売230万本を超える貫禄を見せたが、一方でその評判はズダボロ。「アマゾンが事前レビューを禁じたのは、このゲームをめぐって荒れたからでは?」と憶測されていたけど、発売後のレビューも目を覆うひどさだ。
批判の矛先が向けられた最たるものは、ゲームにおいて脇役の一人である妖精のサンディ。ガングロ茶髪のギャル風メイクだけでも反感を買いやすいのに、あるキャラの死に人々が悲しみに沈んでいるときに「こうなったらせめて(主人公が依頼を果たしたことに対して、死んだキャラの父親から)お礼だけでももらわないと!」と人にあるまじき(妖精なんですが)無神経な発言がぞくぞく。ゲームの物語を進行させるナビゲート役とあっては口をふさぎもできず、「サンディ○ね」FLASHまで作られるアンチ人気ぶりだ。
また、ドラクエのようなRPGといえば、冒険の舞台であるダンジョン。日本語にすると「迷宮」と訳されるぐらいだが、これがからっきし迷わない。初めっからマップが丸見えで、見晴らしのいい洞窟をてくてく歩いて、曲がり角の先にある(本来は死角の)階段にまっしぐら。
さらに、今までのいきなり敵と出くわす「ランダムエンカウント」制から、画面上に敵の姿が視認できる「シンボルエンカウント制」に変わり、ムダな戦闘を避けられるようになってまぁ便利……ってバカにするなぁ!と、怒りに震えるベテランプレイヤーも多い。
せいぜい“不満”どまりの感情が“激怒”にいたっている背景には、「携帯ゲーム機のニンテンドーDSがプラットフォームに選ばれたこと」への鬱屈がある。5年ぶりのドラクエだもの、据え置きゲーム機のゴージャスなCGでやりたかったのに……そうした不服がこぼれんばかりの状態になっていたコップに、投じられた“最後の一滴”がガングロ妖精だったのだろう。
しかし、すべては「ドラクエ新時代」を迎えるのに一つとして欠かせない通過儀礼だ。今回のシナリオは、いつにもまして「ドラクエ」している。身内の死とひきかえに得られる思いやりや自分の意のままに動く魔物が人々の働く意欲をむしばむさまに戸惑う少女、しかし村人達は「おまえはそのためにいる」と無言の圧力をかける……そうした「人という存在の業の深さ」に浸れることが、一人遊び用RPGであるドラクエがシリーズを通して伸ばしてきた特質。
が、いつまでも悲嘆に暮れているだけだと世界は救えないから、従来のドラクエは「仲間との絆」を描くことでカウンターを当てつつ、物語をらせん状に深めていった。
ところが、「Ⅸ」は他の人との協力プレイを前提にしている以上、仲間は入れ替え可能の“容れ物”でしかなく、決まった人格を持たせられない。絶望に沈むプレイヤーを力ずくでも救世主に引きずり出す憎まれ役がいないと……そこでワリを食ったのがサンディというわけだ。
サンディに対する嵐のような拒否反応は、ある意味で正しい。そこに彼らが好きだった「一人で遊ぶドラクエ」が、違うものになろうとしている匂いをかぎ取っているかもしれないからだ。ネットゲームと融合した、見知らぬドラクエに対する恐怖を。
が、そんな恐れや不信感はドラクエの20年以上にわたる歴史を甘く見すぎだ。「しゃべらない主人公」や「仲間との連帯感のなさ」は、一人旅だった初代や、もの言わぬ仲間たちの「Ⅲ」への先祖帰りでもある。「せかいのはんぶんをおまえにやろう」という最小限のせりふでむき出しの世界と向き合ったドラクエの枠組みは、ネット対応ぐらいじゃ揺るぎはしない。
そもそもネット対応は、ドラクエ生みの親・堀井雄二氏の悲願でもある。「Ⅶ」で賛否両論のあった石版システム(新たな石版を回収すると世界が広がる)も、元々はニンテンドー64+外付け機器の64DDで、マップをダウンロード配信しようとした名残だ。Wi-fi経由でクエスト(特定の条件をクリアする短いシナリオ)を追加でき、友達同士でマルチプレイが遊べる「IX」は“つながる欲望”の正当な進化であり、そうした通信に強いDSが指名されたのもまた必然だ。
まだまだ「IX」は荒削りだ。従来の「一人遊び」と新しい「ネット対応」がちぐはぐで、無理に縫い合わせた感がぬぐえない。その引きつれた縫い目が「ガングロ妖精」なんだろう。
でも、未熟とは可能性であり、希望でもある。なんといっても鳥山明デザインの持ち味がモンスターだけじゃなく、人間のキャラでも醸し出されている! ファミコンのドット絵が逆立ちしてもできなかった技を、3Dのポリゴン文化は我がものとする域にまで成熟したのだ。後にこの「Ⅸ」は、初代~「Ⅷ」までと区別された、新生ドラクエの「Ⅰ」として振り返られるのではなかろうか。
●多根清史(たね・きよし)
ライター。
著書に『プレステ3はなぜ失敗したのか?』(晋遊舎ブラック新書)、『日本を変えた10大ゲーム機』(ソフトバンク新書)など多数。
ブログ:SIZUMA DRIVE@ハテナ
配信日:2009/07/22
2009年7月に、国民的RPGといえる二つのうちの一つであるシリーズの最新作、『ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』が発売された。初週だけで実売230万本を超える貫禄を見せたが、一方でその評判はズダボロ。「アマゾンが事前レビューを禁じたのは、このゲームをめぐって荒れたからでは?」と憶測されていたけど、発売後のレビューも目を覆うひどさだ。
批判の矛先が向けられた最たるものは、ゲームにおいて脇役の一人である妖精のサンディ。ガングロ茶髪のギャル風メイクだけでも反感を買いやすいのに、あるキャラの死に人々が悲しみに沈んでいるときに「こうなったらせめて(主人公が依頼を果たしたことに対して、死んだキャラの父親から)お礼だけでももらわないと!」と人にあるまじき(妖精なんですが)無神経な発言がぞくぞく。ゲームの物語を進行させるナビゲート役とあっては口をふさぎもできず、「サンディ○ね」FLASHまで作られるアンチ人気ぶりだ。
また、ドラクエのようなRPGといえば、冒険の舞台であるダンジョン。日本語にすると「迷宮」と訳されるぐらいだが、これがからっきし迷わない。初めっからマップが丸見えで、見晴らしのいい洞窟をてくてく歩いて、曲がり角の先にある(本来は死角の)階段にまっしぐら。
さらに、今までのいきなり敵と出くわす「ランダムエンカウント」制から、画面上に敵の姿が視認できる「シンボルエンカウント制」に変わり、ムダな戦闘を避けられるようになってまぁ便利……ってバカにするなぁ!と、怒りに震えるベテランプレイヤーも多い。
せいぜい“不満”どまりの感情が“激怒”にいたっている背景には、「携帯ゲーム機のニンテンドーDSがプラットフォームに選ばれたこと」への鬱屈がある。5年ぶりのドラクエだもの、据え置きゲーム機のゴージャスなCGでやりたかったのに……そうした不服がこぼれんばかりの状態になっていたコップに、投じられた“最後の一滴”がガングロ妖精だったのだろう。
しかし、すべては「ドラクエ新時代」を迎えるのに一つとして欠かせない通過儀礼だ。今回のシナリオは、いつにもまして「ドラクエ」している。身内の死とひきかえに得られる思いやりや自分の意のままに動く魔物が人々の働く意欲をむしばむさまに戸惑う少女、しかし村人達は「おまえはそのためにいる」と無言の圧力をかける……そうした「人という存在の業の深さ」に浸れることが、一人遊び用RPGであるドラクエがシリーズを通して伸ばしてきた特質。
が、いつまでも悲嘆に暮れているだけだと世界は救えないから、従来のドラクエは「仲間との絆」を描くことでカウンターを当てつつ、物語をらせん状に深めていった。
ところが、「Ⅸ」は他の人との協力プレイを前提にしている以上、仲間は入れ替え可能の“容れ物”でしかなく、決まった人格を持たせられない。絶望に沈むプレイヤーを力ずくでも救世主に引きずり出す憎まれ役がいないと……そこでワリを食ったのがサンディというわけだ。
サンディに対する嵐のような拒否反応は、ある意味で正しい。そこに彼らが好きだった「一人で遊ぶドラクエ」が、違うものになろうとしている匂いをかぎ取っているかもしれないからだ。ネットゲームと融合した、見知らぬドラクエに対する恐怖を。
が、そんな恐れや不信感はドラクエの20年以上にわたる歴史を甘く見すぎだ。「しゃべらない主人公」や「仲間との連帯感のなさ」は、一人旅だった初代や、もの言わぬ仲間たちの「Ⅲ」への先祖帰りでもある。「せかいのはんぶんをおまえにやろう」という最小限のせりふでむき出しの世界と向き合ったドラクエの枠組みは、ネット対応ぐらいじゃ揺るぎはしない。
そもそもネット対応は、ドラクエ生みの親・堀井雄二氏の悲願でもある。「Ⅶ」で賛否両論のあった石版システム(新たな石版を回収すると世界が広がる)も、元々はニンテンドー64+外付け機器の64DDで、マップをダウンロード配信しようとした名残だ。Wi-fi経由でクエスト(特定の条件をクリアする短いシナリオ)を追加でき、友達同士でマルチプレイが遊べる「IX」は“つながる欲望”の正当な進化であり、そうした通信に強いDSが指名されたのもまた必然だ。
まだまだ「IX」は荒削りだ。従来の「一人遊び」と新しい「ネット対応」がちぐはぐで、無理に縫い合わせた感がぬぐえない。その引きつれた縫い目が「ガングロ妖精」なんだろう。
でも、未熟とは可能性であり、希望でもある。なんといっても鳥山明デザインの持ち味がモンスターだけじゃなく、人間のキャラでも醸し出されている! ファミコンのドット絵が逆立ちしてもできなかった技を、3Dのポリゴン文化は我がものとする域にまで成熟したのだ。後にこの「Ⅸ」は、初代~「Ⅷ」までと区別された、新生ドラクエの「Ⅰ」として振り返られるのではなかろうか。
●多根清史(たね・きよし)
ライター。
著書に『プレステ3はなぜ失敗したのか?』(晋遊舎ブラック新書)、『日本を変えた10大ゲーム機』(ソフトバンク新書)など多数。
ブログ:SIZUMA DRIVE@ハテナ
