担当者より:音楽やミステリの分野でご活躍中の円堂都司昭さんに、日本のバンドブームに関する原稿をご執筆いただきました。タイトルは当初の「今世紀の『バンド』・ブームをめぐって」を改題したものです。また円堂さんは、話題の本『バンド臨終図巻』(河出書房新社)の共著者でもあります。そちらも併せてどうぞ。

配信日:2010/05/12


ふり返れば、ゼロ年代以降は、「バンド」ブームだった。昔からバンドというものは物語の題材にされてきたけれど、コミック、映画、小説などでこれほどバンドを扱ったヒット作、話題作が多かった時期はないのではないか。つまり、60年代のグループ・サウンズ、80年代のイカ天の頃みたいに実際にバンドが増えたからブームだというよりも、近年は「バンド」というイメージのほうが活気づいているように思う。

それは、「大人のロック!」と題された雑誌が登場したことに象徴される通り、バンド好き中高年の存在が目立ち始めた時代でもあった。昨年、熊谷達也のバンド小説が『オヤジ・エイジ・ロックンロール』と真正面から命名され刊行されたあたりに、中高年の高揚した気分はうかがえる。バンドに関するマーケティングが、若年層と中高年層、二つの層に向けて展開されることになったわけである。この二つの層は嗜好性において、現在進行形の音楽と過去の音楽で別の領域を作っているかに思える。だが、意外と地続きな要素も観察できるのだ。

バンド好き中高年は、基本的に自分が昔よく聞いた/よく演奏したロックやフォークに向かっており、そこにあるのはノスタルジーだ。バンドというものが、過去の象徴になっているのである。レコード会社のOLがネット動画で有力な新人パンク・バンドを発見したと思い、会ってみたらもう中年になっていた。彼女が観たその動画は25年前の映像だったという宮藤官九郎監督・脚本の映画『少年メリケンサック』。

あるいは、70年代の早すぎたパンク・バンドの行動が、めぐりめぐって2012年の未来に意外な影響を及ぼす伊坂幸太郎の小説『フィッシュストーリー』(映画化もされた)。これらの作品は、登場した時には旧来のロックを過去に追いやる新しい動きだったパンクも、とっくの昔に過去になった事実を前提に物語を組み上げていた。

若年層向きのコンテンツも過去と無縁ではない。映画化もされ大ヒットした矢沢あいのコミック『NANA』は物語全体が、ロック・ヴォーカリストとその友だちの日々を回想するスタイルで描かれている。このため、話がどんどん前へ進んでも、後ろ向きのノスタルジックな雰囲気がところどころに漂う内容になっている。

これも映画化された浅野いにおのコミック『ソラニン』では、バンド活動をしていた同棲相手が死んだため、彼の代わりに恋人の女性がヴォーカルになる展開だった。ここにも過去への想いがみられる。中高年層だけでなく若年層にとっても、過去というテーマとバンドは相性のいいものになっている。

また、若年層、中高年層ともに楽器を買う人が増えたこととも呼応しているが、近年のバンドものでは、ロック・スターを扱ったもの以上に、アマチュアやセミプロの活動を描いたものに勢いがある印象だ。

若年層向けで代表的な作品は、アニメ化もされたかきふらいのコミック『けいおん!』だろう。部室でだらだらすごす場面が多いのに、いざステージに登場すると上手に演奏してしまうご都合主義が楽しい。この作品や、アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作谷川流)と映画『リンダリンダリンダ』の学園祭ライヴなど、学校という日常のなかのバンドをとらえていて記憶に残るシーンも少なくない。
加えていうなら、学園祭のようなすぐ終わってしまうイベントとバンドとの親和性の高さが、前述のごときバンドと過去との相性のよさにもつながっている。

昨年放送された「文化系トークラジオlife」のバンド特集などでも話題にされていたことだが、リアルな生活が充実している、いわゆる「リア充」の一つとしてバンド活動が存在している面がある。例えば、『リンダリンダリンダ』では、女子高生のバンドが困難を乗り越え演奏を成功させるが、観客の生徒たち全員が熱狂しているのではなく、学園祭らしくステージに関心を示さずだらけている生徒も映していた。バンド・メンバーたちがごく狭い範囲で充実している様子が、リアルにとらえられていたのだ。

これに対し、中高年のバンド活動を書いた小説にもリア充のテーマを含んだものが散見される。エド・はるみ主演で舞台化された五十嵐貴久『1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター』は、いろいろ不満を抱えた主婦たちが集まりハード・ロックを演奏する話。バンドを通して主人公の日常がいかに活性化されていくかが焦点になっている。

また、月9ドラマ『月の恋人』の原作でも注目されている若手人気作家、道尾秀介の『ラットマン』は、社会人になってもバンド活動を続ける者たちの微妙な人間関係のなかで殺人が起きるミステリー小説だった。これらでは、中高年のバンド活動におけるリア充問題がテーマになっていたともいえる(『ラットマン』の主人公は三十歳なので中年扱いするのは可哀そうだが、作中では青春の終わりを迎えた「大人」として描かれている)。

また、近年は生演奏するバンドではなく、音声合成ソフトである初音ミクを使って作った曲、あるいは自分の歌や楽器演奏などをニコニコ動画にアップして楽しむ個人活動も広まった。それらのヴァーチャルなレベルでの音楽活動は、リア充的なバンド活動と対になっているようにみえる。

さて、ここまで若年層、中高年層双方の「バンド」イメージとアマチュアの音楽活動について触れてきたが、ではプロのバンドはどうなっているか。CD販売が減少するにつれてアーティストたちはライヴ重視の方向にシフトし、フェスが乱立するようになった。そして、フェスのなかではどの出演者もワン・オブ・ゼムであり、特に複数ステージが並行して進行する巨大フェスでは出演者同士で時間がかぶっているのだから、どれも選択肢の一つという位置づけになる。あとは、ライヴを楽しんでリアルを充実させたい観客の選びかた次第。この状況下では、すべての観客を圧倒するカリスマなどは出現しにくいし、むしろファンが近づきやすい敷居の低さのほうが、数多いバンドにとってプラスになる。

90年代まで、音楽は時代の先端をとらえているという感覚があったが、ゼロ年代以降はかつてのテクノやヒップホップほど目新しいムーヴメントはなく、そのぶん打ち込みではない、バンドという伝統的な形式が見直された面はあっただろう。その過程で音楽に先端性を求めるよりも、今ここでのリア充的な心地よさを求める傾向が強まったように感じられる。

また、ステージ上と客席の敷居をなくしたいと訴えるアーティストは昔からいたが、カリスマ不在とフェス乱立をみる限り、少なくとも意識のなかでは両者の間の敷居はかなり低くなったと思う。ライヴ会場では、ステージ上のスターのオーラやファンタジーよりも、観客たちのリア充気分のほうが重要になっているかのごとき現状がある。バンドそのもの以上に、「バンド」イメージのほうが活気づいてみえるのは、それが背景にあるだろう。

この点に関し、若杉公徳のコミックで映画版の松山ケンイチの怪演でも話題を呼んだ『デトロイト・メタル・シティ』は、皮肉な構図になっていた。顔にペイントして悪魔系デスメタルバンドのヨハネ・クラウザーII世になった時には圧倒的なカリスマ性があるのに、素顔の根岸崇一として大好きなオシャレ・ポップを歌うと周囲から相手にされず、女性ともうまくいかない悲喜劇。ステージ上でいくらオーラを放ち観客に熱狂されても、リアルが充実しない彼は不幸を抱えたままだというこのコミックは、今考えれば、意外な角度からバンドとリア充をめぐる現状をあぶり出していたのかもしれない。


●円堂都司昭(えんどう・としあき)
文芸・音楽評論家。
著書に『YMOコンプレックス』(平凡社)、『「謎」の解像度』(光文社)がある。
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