担当者より:経済学者の田中秀臣さんによる、先日お亡くなりになった岡田靖さんの活動についての原稿をアップいたしました。田中さんの新刊『デフレ不況 日本銀行の大罪』(朝日新聞出版)と併せてぜひお読みください。
配信日:2010/05/06
岡田靖(内閣府経済社会総合研究所主任研究官)さんがお亡くなりになってすでに一月近くが過ぎ去ろうとしている。時の流れはやはり情け容赦ないものだと思う。岡田さんは大和総研、クレディスイスファーストボストン証券(現クレディスイス証券)、学習院大学客員教授を歴任した後、内閣府で経済分析の仕事に携わってきた日本屈指のエコノミストであった。
野口旭氏(専修大学教授)が、「岡田さんは(民間)エコノミストでは日本で一番の人だった」といったことがあるが、僕も同じ考えを共有している。そして、また『夕刊フジ』の追悼文など各所で書かれているように、ネットの世界で「ドラエモン」としてその見識の高さを知られ、ネットを中心にしたいわゆる「リフレ派」「リフレ政策賛同者」たちに大きな影響を与えた人としてきわめて大きな功績をも残している。
ここでいう「リフレ」(リフレーションの略語)とは、日本の長期停滞がデフレとデフレ期待のまん延にあるとして、そこからの脱却を金融政策の転換と、それによる低インフレ状態で成し遂げようとする考えをいう。このリフレ派の経済学については、より詳しい解説をビジスタニュースに最近寄稿したのでそれを参照されたい。
僕が初めて岡田靖さんと出会ったのは、2001年の暮れのことである。当時、僕は野口旭氏と『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)を世に出したばかりだった。この本は当時の小泉純一郎内閣の「構造改革」を批判的に検証し、同時に日本の長期停滞を日本銀行の政策の失敗に求めたものだった。時を同じくして岩田規久男先生(学習院大学教授)の『デフレの経済学』も同じ版元と同じ編集者(中山英貴氏)によって企画編集され、世に問題提起をされたばかりであった。
岩田先生の本もいうまでもなく日本の長期停滞を日本銀行の事実上の金融引き締め政策の反映であること、その現れであるデフレーションを止めることを提言したものであった。中山氏の仲介で、その年の年末に岩田先生、野口氏、僕、そして岡田さんを加えて一席を共にすることになった。
その少し前に、野口氏から「苺経済板」というのがあってそこで書いているドラエモンという人がいて僕らと考えがとても似ている」ということを教わっていた。いまから思うと信じてもらえないかもしれないが、当時の僕はメール以外は、ネットにまったく興味がなく、もちろん掲示板にも関心がなかった。
その最初の会合で、後に『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社、2004年、日経経済図書文化賞受賞作)に結実することになる昭和恐慌の研究会をしようという話がでたことと、そして帰り際に野口氏が「岡田さんがドラエモンなんだよね」と教えてくれたことは覚えている。その日の深夜だったと思うが、初めて僕は「苺経済板」を見た。さっきまで一緒に食事をしていたはずの岡田さん=ドラエモンが、もう物凄い勢いで書き込みをしていた。
しかも経済問題を数字と理論、そして独特の語り口で、数多の名無し・匿名を相手に丁寧に経済問題を解説しているかと思うと、他方では(ちょっとしたユーモアを交えながら)次々と論破していった。これは面白い世界だな、と僕はとてもひきつけられたのである。
その後、「苺経済板」は2001年から04年冒頭ぐらいにかけて、ドラエモンを中心に非常な活況を呈した。もちろんその背景には、小泉=竹中構造改革、そしてなによりも速水優総裁下の日本銀行のずさんな政策、また後にテイラー・溝口介入としられる緩和政策の発動などが、話題としてあった。
要するに日本の経済危機に多くの人々が不安を抱き、その不安の解消を求めて、ネットの世界を漂流していた。そして少なくない人たちが「苺経済板」にたどり着いていた。そこで新聞やテレビなどの既存メディアで喧伝されていた、構造問題、財政破たん、中国発デフレ説などなどと、違う見解を論じていたのが、苺のマスターことドラエモンであったのだ。
当時の「苺経済板」にはいろいろな匿名コテハンがいたのを思い出す、ドラエモン、すりらんか、一夢庵、ザモデルなどなど。彼・彼女らとの時に有益、時に無駄な論争は、いまはとても懐かしいし、またちょっと恥ずかしい(笑)。そして唖然とすることは、いまだにそこで論じられていた日本銀行の失政がまったく変わることなく繰り返されていることだ。
しかしそれでも世論の中では、日本の長期停滞にデフレが大きく関わっていること、そしてそのデフレ解消に日本銀行が責任を持つものであることが、次第に理解されてくるようになったと思う。特にいまのネット論壇(そのようなものがあるとしてだが)では、日本の経済問題をちゃんと論じることのできる人たちの圧倒多数がいわゆる「リフレ派」もしくは「リフレ政策賛同者」たちだ。
このネットの経済問題の世論形成に決定的な影響を及ぼしたのは、疑いなくドラエモンだろう。特にドラエモンとして「苺経済板」で思うままに論議する一方で、日本でも稀有な「実務家と同時に経済学者」(高橋洋一氏[嘉悦大学教授]談)の資質をフル回転していたクレディファーストボストン証券のチーフエコノミスト岡田靖として、その傑出した部下であった安達誠司氏(現ドイツ証券シニアエコノミスト)とともにこれまた惜しげもなくネットに送りだしてきた「日本経済ウィークリー」の名論説は、日本の草の根レベルの経済問題の意識を決定的に向上させたと思う。思えば(世の中は経済危機であったが、知的な意味では)幸福な時代だったと思う。
岡田靖=ドラエモンによって、日本に「リフレ派」が確固たる存在にネット世界ではなった。もちろん黒木玄氏(東北大学助教)、山形浩生氏らの活動も忘れてはならない。もちろん「リフレ派」などというものは、党派ではない。単にデフレ(デフレ不況)を、低インフレ状態に移行することで長期停滞を脱しようとする意見の人々を括っただけにすぎない。だからドラエモンは党派のリーダーでもなんでもなかった。彼は単に標準的な経済学を、エコノミストとしてのハードな本業の合間に、ほとんど不眠不休で掲示板に思うままに書いていたにすぎない。彼の意見に賛同する人たちは単に「ふつう」になっただけにすぎないのである。
ドラエモンは膨大な掲示板への書き込みを残した。検索によるとその数は2万件に迫る。またこれは2ちゃんねる掲示板に書き残された匿名氏による「経済学がこの世から消えたら・・・」もまたドラエモンの作品である。これは岡田さんから直接聞いたことなので確かだろう。
この掲示板の書き込みは経済学が禁止された近未来を描くもので、そこではまたデフレが超長期化した末の日本の国土崩壊を描いていた。批判精神とぴりりと利いたジョークが十全に発揮された短編だった。この空想小説を核にすると、ドラエモンとしての一連の書き込みもよく配置できるだろう。これは稲葉振一郎氏(明治学院大学教授)の指摘でもあった。
たとえば『夕刊フジ』での岡田さんの追悼記事(4月27日、中田達也記者)でもコメントしたことだが、ドラエモンとして一番ユニークな発言というのは、ネット社会で日夜流通している経済学の常識では考えられないようなおかしな議論を「トンデモ経済学」として批判したことと、あわせてその「トンデモ経済学」の由来である経済学者やエコノミストあるいは新聞やテレビでの記者や評論家たちの発言を容赦なく批判することであった。
このような試みは掲示板だけにとどまることもなかった。例えば、20世紀末からそのような「トンデモ経済学」を批判し始めていた野口旭氏の試み(『経済学を知らないエコノミストたち』[日本評論社]などとして結晶)とも共鳴し、それがやがて『エコノミスト・ミシュラン』(太田出版、2003年)にも結実していった。もちろん岡田さんはこの本にも重要な寄稿者として参加している。
また掲示板では何度か有意義な「論争」が行われた。ドラエモンとしては、いわゆる「ザモデル論争」というものがあった。これは90年代から経済学の主流になったDSGE(動学的確率的一般均衡理論)をめぐる話題であった。
例えば、クルーグマンがデフレ不況脱出の処方箋として提起したインフレターゲットの理論的基礎を、掲示板レベルで再考する際の「勉強」レベルに注意を促したものであったと思う(詳細は矢野浩一氏[駒澤大学准教授]のブログのエントリーを参照)。日本ではこの話題については、特に加藤涼氏(日本銀行)の『現代マクロ経済学講義』(東洋経済新報社)を読めばある程度の見通しがつくだろう。
もうひとつの「論争」は、主に黒木玄氏の掲示板を中心に行われた塩沢由典氏のリフレーション批判をめぐってのものだ。詳細は黒木氏がまとめた岡田さんの発言リスト参照。または私の掲示板時代の経済学をまとめたブログエントリー参照。
これは事実上デフレのまま日本経済の清算をすすめるべきであるという塩沢氏の価値判断を炙り出す一方で、デフレから低インフレにするコストが社会厚生上ほとんど問題とならないことが「論争」の成果であった。
またこの論争のスピンオフとして掲示板や内閣府での報告などで黒木玄氏が、そして猪瀬直樹メールマガジンなどでの高橋洋一氏が、斎藤誠氏(一橋大学教授)のブラックホール仮説への批判を行った。簡単にいうとデフレ脱出の理論的可能性やハイパーインフレーションが貨幣的な現象か否かを争うものであった。これらは今でもネットでの経済問題の論議で何度も変奏曲を伴いながら語られていることでもある。その論議の中で岡田=ドラエモンは中心的な話題の提供と論議の方向付けを行っていた。
岡田さん自身の公表された経済学のスタンスは、もちろんリフレ派的な主張のものが大半である。日本のデフレがなぜ長期にわたり、なおかつ小幅なのか、という問題をめぐるものであった。その理論的な答は、日本銀行の政策スタンス=政策レジームにある、というのが岡田さんの結論であった。
もちろんこの点は昭和恐慌研究会でも多くのリフレ派、リフレ政策賛同者の間でも共通して抱かれている見解でもある。岡田さんはこの政策レジームの転換を通して、日本のデフレからの脱却を一貫して主張したのである。それも多くの人よりも先駆的で、なおかつ人並み外れて徹底的に考えていたと思う。その思索の方向を規定したのが、貨幣数量説への挑戦と、日本の停滞を構造問題に還元する様々な仮説との戦いを通してであった。
論文“Is the Persistence of Japan’s Low Rate of Deflation a Problem?”(翻訳)や、論文「バブルデフレ期の日本の金融政策」(浜田宏一先生[イェール大学教授]との共著。『デフレ経済と金融政策』[慶応義塾大学出版会]に収録)では、伝統的な貨幣数量説に依存せずに、日本銀行の金融政策の運営が90年代において変化したこと(「物価の安定」とされる政策目標が事実上0~1%になり、それ以前までの水準から大きくひきさげられた)、さらにその極めて低い「物価安定」でさえも日本銀行は達成することに失敗していること(=デフレとデフレ期待のまん延)を、理論・実証両面から明らかにした。
また浜田先生との一連の共著論文では、実質為替レートが90年代から今日まで高めに維持されていて、それが日本銀行の先のデフレ志向の政策スタンスと整合的であることを明らかにした(同時に交易条件と実質為替レートが異なるものであることにも注目していることも重要だろう。この点については岩田規久男先生の『国際金融論入門』[岩波新書]をぜひ読まれたい)。
この浜田・岡田論文で、日本の長期停滞を構造問題に求める一連の見解が事実上成立しないこと(貨幣的で国際的要因が長期停滞の真因であること)が確証されている。この貨幣的・国際的要因への注目は、もちろん同じく貨幣的・国際的要因がキ―であった昭和恐慌の研究の蓄積も貢献しているのは疑いない。
また日本銀行の政策スタンスをめぐる問題でも、渡辺努氏(一橋大学教授)との周到な論議の応酬を収録した『論争 日本の経済危機』(日本経済新聞社、2004年)、デフレが雇用の悪化、財政危機をもまねくことを説明した『まずデフレをとめよ』(日本経済新聞社、2003年)の中の論説、若い気鋭の論者たちと共同作業をした『経済成長って何で必要なんだろう?』(光文社、2009年)など、数は少ないながらも岡田さんの鋭い論説は繰り返し読まれる価値があるだろう。
ドラエモンとしての掲示板を中心とした活動はほぼ2004年を境として次第に落ち着いたものになっていった。これは荻上チキ氏(批評家、αシノドス編集長)とも話したことだが、ネットの中心が掲示版からブログへ、そしていまはTwitterなどで移行したことが大きいだろう。しかしいまでもブログやTwitterをみれば、そこで論理的に整合的で、なおかつ実証的な意識鋭く論をたてて元気に論争している多くの名無し・匿名または有名の人たちに、ドラエモンの「息子」「娘」の姿を認めないわけにはいかないだろう(岡田=ドラエモンについてのネットのまとめはBaatarism氏のブログ参照)。
岡田靖さんの未完の草稿はやがて飯田泰之氏・矢野浩一氏たちの手によってまとめられることだろう。いままでの珠玉の論文も一書にまとめるべきだろう。そしてできればドラエモンとしてのネットの活動も適切な解説とともにまとめることが重要だろう。それが彼から影響をうけた人たちのささやかだが大切な仕事ではないかと思っている。またこれからの大きな楽しみでもあるのだ。
時は情け容赦なく人を忘却の中に追いやっていく。しかし岡田靖とドラエモンが、日本のきたるべきデフレ脱却と、まともな経済政策の採用にむけた、学術的レベル・草の根レベルで果たした決定的な貢献を忘れてはいけない。それは単なる回顧を要求しているのではない。いまも私たち自身が取り組むべき多くの課題を思い出させてくれるからだ。
●田中秀臣(たなか・ひでとみ)
上武大学ビジネス情報学部教授。経済学者。
著書に『雇用大崩壊』(NHK生活人新書)、『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)、『偏差値40から良い会社に入る方法』(東洋経済新報社)などがある。
ブログ:Economics Lovers Live
配信日:2010/05/06
岡田靖(内閣府経済社会総合研究所主任研究官)さんがお亡くなりになってすでに一月近くが過ぎ去ろうとしている。時の流れはやはり情け容赦ないものだと思う。岡田さんは大和総研、クレディスイスファーストボストン証券(現クレディスイス証券)、学習院大学客員教授を歴任した後、内閣府で経済分析の仕事に携わってきた日本屈指のエコノミストであった。
野口旭氏(専修大学教授)が、「岡田さんは(民間)エコノミストでは日本で一番の人だった」といったことがあるが、僕も同じ考えを共有している。そして、また『夕刊フジ』の追悼文など各所で書かれているように、ネットの世界で「ドラエモン」としてその見識の高さを知られ、ネットを中心にしたいわゆる「リフレ派」「リフレ政策賛同者」たちに大きな影響を与えた人としてきわめて大きな功績をも残している。
ここでいう「リフレ」(リフレーションの略語)とは、日本の長期停滞がデフレとデフレ期待のまん延にあるとして、そこからの脱却を金融政策の転換と、それによる低インフレ状態で成し遂げようとする考えをいう。このリフレ派の経済学については、より詳しい解説をビジスタニュースに最近寄稿したのでそれを参照されたい。
僕が初めて岡田靖さんと出会ったのは、2001年の暮れのことである。当時、僕は野口旭氏と『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)を世に出したばかりだった。この本は当時の小泉純一郎内閣の「構造改革」を批判的に検証し、同時に日本の長期停滞を日本銀行の政策の失敗に求めたものだった。時を同じくして岩田規久男先生(学習院大学教授)の『デフレの経済学』も同じ版元と同じ編集者(中山英貴氏)によって企画編集され、世に問題提起をされたばかりであった。
岩田先生の本もいうまでもなく日本の長期停滞を日本銀行の事実上の金融引き締め政策の反映であること、その現れであるデフレーションを止めることを提言したものであった。中山氏の仲介で、その年の年末に岩田先生、野口氏、僕、そして岡田さんを加えて一席を共にすることになった。
その少し前に、野口氏から「苺経済板」というのがあってそこで書いているドラエモンという人がいて僕らと考えがとても似ている」ということを教わっていた。いまから思うと信じてもらえないかもしれないが、当時の僕はメール以外は、ネットにまったく興味がなく、もちろん掲示板にも関心がなかった。
その最初の会合で、後に『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社、2004年、日経経済図書文化賞受賞作)に結実することになる昭和恐慌の研究会をしようという話がでたことと、そして帰り際に野口氏が「岡田さんがドラエモンなんだよね」と教えてくれたことは覚えている。その日の深夜だったと思うが、初めて僕は「苺経済板」を見た。さっきまで一緒に食事をしていたはずの岡田さん=ドラエモンが、もう物凄い勢いで書き込みをしていた。
しかも経済問題を数字と理論、そして独特の語り口で、数多の名無し・匿名を相手に丁寧に経済問題を解説しているかと思うと、他方では(ちょっとしたユーモアを交えながら)次々と論破していった。これは面白い世界だな、と僕はとてもひきつけられたのである。
その後、「苺経済板」は2001年から04年冒頭ぐらいにかけて、ドラエモンを中心に非常な活況を呈した。もちろんその背景には、小泉=竹中構造改革、そしてなによりも速水優総裁下の日本銀行のずさんな政策、また後にテイラー・溝口介入としられる緩和政策の発動などが、話題としてあった。
要するに日本の経済危機に多くの人々が不安を抱き、その不安の解消を求めて、ネットの世界を漂流していた。そして少なくない人たちが「苺経済板」にたどり着いていた。そこで新聞やテレビなどの既存メディアで喧伝されていた、構造問題、財政破たん、中国発デフレ説などなどと、違う見解を論じていたのが、苺のマスターことドラエモンであったのだ。
当時の「苺経済板」にはいろいろな匿名コテハンがいたのを思い出す、ドラエモン、すりらんか、一夢庵、ザモデルなどなど。彼・彼女らとの時に有益、時に無駄な論争は、いまはとても懐かしいし、またちょっと恥ずかしい(笑)。そして唖然とすることは、いまだにそこで論じられていた日本銀行の失政がまったく変わることなく繰り返されていることだ。
しかしそれでも世論の中では、日本の長期停滞にデフレが大きく関わっていること、そしてそのデフレ解消に日本銀行が責任を持つものであることが、次第に理解されてくるようになったと思う。特にいまのネット論壇(そのようなものがあるとしてだが)では、日本の経済問題をちゃんと論じることのできる人たちの圧倒多数がいわゆる「リフレ派」もしくは「リフレ政策賛同者」たちだ。
このネットの経済問題の世論形成に決定的な影響を及ぼしたのは、疑いなくドラエモンだろう。特にドラエモンとして「苺経済板」で思うままに論議する一方で、日本でも稀有な「実務家と同時に経済学者」(高橋洋一氏[嘉悦大学教授]談)の資質をフル回転していたクレディファーストボストン証券のチーフエコノミスト岡田靖として、その傑出した部下であった安達誠司氏(現ドイツ証券シニアエコノミスト)とともにこれまた惜しげもなくネットに送りだしてきた「日本経済ウィークリー」の名論説は、日本の草の根レベルの経済問題の意識を決定的に向上させたと思う。思えば(世の中は経済危機であったが、知的な意味では)幸福な時代だったと思う。
岡田靖=ドラエモンによって、日本に「リフレ派」が確固たる存在にネット世界ではなった。もちろん黒木玄氏(東北大学助教)、山形浩生氏らの活動も忘れてはならない。もちろん「リフレ派」などというものは、党派ではない。単にデフレ(デフレ不況)を、低インフレ状態に移行することで長期停滞を脱しようとする意見の人々を括っただけにすぎない。だからドラエモンは党派のリーダーでもなんでもなかった。彼は単に標準的な経済学を、エコノミストとしてのハードな本業の合間に、ほとんど不眠不休で掲示板に思うままに書いていたにすぎない。彼の意見に賛同する人たちは単に「ふつう」になっただけにすぎないのである。
ドラエモンは膨大な掲示板への書き込みを残した。検索によるとその数は2万件に迫る。またこれは2ちゃんねる掲示板に書き残された匿名氏による「経済学がこの世から消えたら・・・」もまたドラエモンの作品である。これは岡田さんから直接聞いたことなので確かだろう。
この掲示板の書き込みは経済学が禁止された近未来を描くもので、そこではまたデフレが超長期化した末の日本の国土崩壊を描いていた。批判精神とぴりりと利いたジョークが十全に発揮された短編だった。この空想小説を核にすると、ドラエモンとしての一連の書き込みもよく配置できるだろう。これは稲葉振一郎氏(明治学院大学教授)の指摘でもあった。
たとえば『夕刊フジ』での岡田さんの追悼記事(4月27日、中田達也記者)でもコメントしたことだが、ドラエモンとして一番ユニークな発言というのは、ネット社会で日夜流通している経済学の常識では考えられないようなおかしな議論を「トンデモ経済学」として批判したことと、あわせてその「トンデモ経済学」の由来である経済学者やエコノミストあるいは新聞やテレビでの記者や評論家たちの発言を容赦なく批判することであった。
このような試みは掲示板だけにとどまることもなかった。例えば、20世紀末からそのような「トンデモ経済学」を批判し始めていた野口旭氏の試み(『経済学を知らないエコノミストたち』[日本評論社]などとして結晶)とも共鳴し、それがやがて『エコノミスト・ミシュラン』(太田出版、2003年)にも結実していった。もちろん岡田さんはこの本にも重要な寄稿者として参加している。
また掲示板では何度か有意義な「論争」が行われた。ドラエモンとしては、いわゆる「ザモデル論争」というものがあった。これは90年代から経済学の主流になったDSGE(動学的確率的一般均衡理論)をめぐる話題であった。
例えば、クルーグマンがデフレ不況脱出の処方箋として提起したインフレターゲットの理論的基礎を、掲示板レベルで再考する際の「勉強」レベルに注意を促したものであったと思う(詳細は矢野浩一氏[駒澤大学准教授]のブログのエントリーを参照)。日本ではこの話題については、特に加藤涼氏(日本銀行)の『現代マクロ経済学講義』(東洋経済新報社)を読めばある程度の見通しがつくだろう。
もうひとつの「論争」は、主に黒木玄氏の掲示板を中心に行われた塩沢由典氏のリフレーション批判をめぐってのものだ。詳細は黒木氏がまとめた岡田さんの発言リスト参照。または私の掲示板時代の経済学をまとめたブログエントリー参照。
これは事実上デフレのまま日本経済の清算をすすめるべきであるという塩沢氏の価値判断を炙り出す一方で、デフレから低インフレにするコストが社会厚生上ほとんど問題とならないことが「論争」の成果であった。
またこの論争のスピンオフとして掲示板や内閣府での報告などで黒木玄氏が、そして猪瀬直樹メールマガジンなどでの高橋洋一氏が、斎藤誠氏(一橋大学教授)のブラックホール仮説への批判を行った。簡単にいうとデフレ脱出の理論的可能性やハイパーインフレーションが貨幣的な現象か否かを争うものであった。これらは今でもネットでの経済問題の論議で何度も変奏曲を伴いながら語られていることでもある。その論議の中で岡田=ドラエモンは中心的な話題の提供と論議の方向付けを行っていた。
岡田さん自身の公表された経済学のスタンスは、もちろんリフレ派的な主張のものが大半である。日本のデフレがなぜ長期にわたり、なおかつ小幅なのか、という問題をめぐるものであった。その理論的な答は、日本銀行の政策スタンス=政策レジームにある、というのが岡田さんの結論であった。
もちろんこの点は昭和恐慌研究会でも多くのリフレ派、リフレ政策賛同者の間でも共通して抱かれている見解でもある。岡田さんはこの政策レジームの転換を通して、日本のデフレからの脱却を一貫して主張したのである。それも多くの人よりも先駆的で、なおかつ人並み外れて徹底的に考えていたと思う。その思索の方向を規定したのが、貨幣数量説への挑戦と、日本の停滞を構造問題に還元する様々な仮説との戦いを通してであった。
論文“Is the Persistence of Japan’s Low Rate of Deflation a Problem?”(翻訳)や、論文「バブルデフレ期の日本の金融政策」(浜田宏一先生[イェール大学教授]との共著。『デフレ経済と金融政策』[慶応義塾大学出版会]に収録)では、伝統的な貨幣数量説に依存せずに、日本銀行の金融政策の運営が90年代において変化したこと(「物価の安定」とされる政策目標が事実上0~1%になり、それ以前までの水準から大きくひきさげられた)、さらにその極めて低い「物価安定」でさえも日本銀行は達成することに失敗していること(=デフレとデフレ期待のまん延)を、理論・実証両面から明らかにした。
また浜田先生との一連の共著論文では、実質為替レートが90年代から今日まで高めに維持されていて、それが日本銀行の先のデフレ志向の政策スタンスと整合的であることを明らかにした(同時に交易条件と実質為替レートが異なるものであることにも注目していることも重要だろう。この点については岩田規久男先生の『国際金融論入門』[岩波新書]をぜひ読まれたい)。
この浜田・岡田論文で、日本の長期停滞を構造問題に求める一連の見解が事実上成立しないこと(貨幣的で国際的要因が長期停滞の真因であること)が確証されている。この貨幣的・国際的要因への注目は、もちろん同じく貨幣的・国際的要因がキ―であった昭和恐慌の研究の蓄積も貢献しているのは疑いない。
また日本銀行の政策スタンスをめぐる問題でも、渡辺努氏(一橋大学教授)との周到な論議の応酬を収録した『論争 日本の経済危機』(日本経済新聞社、2004年)、デフレが雇用の悪化、財政危機をもまねくことを説明した『まずデフレをとめよ』(日本経済新聞社、2003年)の中の論説、若い気鋭の論者たちと共同作業をした『経済成長って何で必要なんだろう?』(光文社、2009年)など、数は少ないながらも岡田さんの鋭い論説は繰り返し読まれる価値があるだろう。
ドラエモンとしての掲示板を中心とした活動はほぼ2004年を境として次第に落ち着いたものになっていった。これは荻上チキ氏(批評家、αシノドス編集長)とも話したことだが、ネットの中心が掲示版からブログへ、そしていまはTwitterなどで移行したことが大きいだろう。しかしいまでもブログやTwitterをみれば、そこで論理的に整合的で、なおかつ実証的な意識鋭く論をたてて元気に論争している多くの名無し・匿名または有名の人たちに、ドラエモンの「息子」「娘」の姿を認めないわけにはいかないだろう(岡田=ドラエモンについてのネットのまとめはBaatarism氏のブログ参照)。
岡田靖さんの未完の草稿はやがて飯田泰之氏・矢野浩一氏たちの手によってまとめられることだろう。いままでの珠玉の論文も一書にまとめるべきだろう。そしてできればドラエモンとしてのネットの活動も適切な解説とともにまとめることが重要だろう。それが彼から影響をうけた人たちのささやかだが大切な仕事ではないかと思っている。またこれからの大きな楽しみでもあるのだ。
時は情け容赦なく人を忘却の中に追いやっていく。しかし岡田靖とドラエモンが、日本のきたるべきデフレ脱却と、まともな経済政策の採用にむけた、学術的レベル・草の根レベルで果たした決定的な貢献を忘れてはいけない。それは単なる回顧を要求しているのではない。いまも私たち自身が取り組むべき多くの課題を思い出させてくれるからだ。
●田中秀臣(たなか・ひでとみ)
上武大学ビジネス情報学部教授。経済学者。
著書に『雇用大崩壊』(NHK生活人新書)、『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)、『偏差値40から良い会社に入る方法』(東洋経済新報社)などがある。
ブログ:Economics Lovers Live
