担当者より:著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)が好評のブロガー、伊藤聡さんに映画監督ジャド・アパトーの作品について論じていただきました。なお、本文中で映画『スーパーバッド 童貞ウォーズ』『40歳の童貞男』のエンディングに触れておりますので、その点ご了承ください。また、伊藤聡さんの読書やブログに関するインタビューもアップされていますので、そちらも併せてご覧ください。

配信日:2010/01/27


ジャンルを問わず、あらゆる男性作家にとって、ひとつのむずかしい課題としてあるのは、いかに女性を描くかではないだろうか。映画であれ、小説であれ、女性をどれだけ現実離れさせずに、リアルに描くかは、作品の印象を決定づける重要な部分である。こうした作業に失敗した男性作家はおおむね、辛らつな批判や失笑にさらされる羽目になる。この作者の考えている女性像とは、しょせんこのていどのものなのか、というわけだ。

むろん、男性を描けない女性作家もあるていどは存在するのだろうが、こと男性作家が女性を描こうとすると、とたんにリアリティが欠如してしまうケースは多い。かなり人生経験を積んでいるように見える作者であっても、いざストーリーを語りはじめると、おもいのほか古くさく素朴な女性観で物語を進めてしまうことがあるのだ。ストーリーのなかで女性を動かしていこうとすると、なぜか想像上でこしらえた架空の存在のようになりがちであり、ほとんど空想に近いような非現実性をともなってしまう。

『40歳の童貞男』『スーパーバッド 童貞ウォーズ』などの作品で知られる、アメリカの映画監督ジャド・アパトーは、その極端に品のないコメディタッチの作風からは想像がつかないほど真摯に、ストーリーを通して、いかに女性を学び、どうつきあっていくかを考えていこうという姿勢を持つ作品を撮りつづけている。

登場する男性は、むさくるしくてだらしのない、デリカシーの欠如した男性ばかり。作品は、彼ら男性が陥りがちな恋愛の失敗をいくつも散りばめながら、男女関係、ひいては人間のコミュニケーションそのものについてあらためて考えさせるものである。

男性によく見られる失敗は、自分が想像のなかで作り上げた女性、イメージのなかの恋人に夢中になってしまい、現実の女性を見失ってしまうことだ。ぐうぜん、自分と音楽の趣味がほんのすこし似ている女性と知り合っただけで、彼女なら自分のすべてをわかってくれるはずだと一方的に期待してしまった、映画『(500)日のサマー』の主人公トム君のように、相手をきちんと見ずに、男性にとって心地よいイメージばかりを仮託
してしまい、結果としてただ空まわりするだけというケースは多い。イメージのなかの恋人とたわむれ、他者としての女性には到達できずに終わる男性たち。ジャド・アパトーは、男性が女性を知ることの困難を認めたうえで、ではいかに両者は歩み寄れるのかを探ろうとする。

『寝取られ男のラブ♂バカンス』では、失恋を乗りこえようとする男性を描くが、ミュージシャンである主人公が失恋を乗りこえるきっかけは、あたらしい恋人ではなく、長らく目標としていたロックオペラの上演に向けて準備を始めることだった。『無ケーカクの命中男』では、妊娠した恋人に寄り添い、彼女の不安を取りのぞく男性が主人公となり、妊娠から出産というできごとよって成長していく男女の姿が描かれる。

『40歳の童貞男』では、フィギュア収集が趣味の男性が主人公となるが、「未開封の箱入りフィギュア」に固執する主人公が、40歳で性経験のない男性というメタファーがおもしろい。彼らはイメージとしての女性像から脱却し、現実に向きあうことで成長しようとし、リアルな女性を知ろうともがくのだ。

また、ジャド・アパトー作品を特徴づけるモチーフとして、彼らが女性との関わり方を模索するあいだに、気がつけば男性同士の友情も深まっていくという展開が挙げられる。

『スーパーバッド 童貞ウォーズ』において、ふたりの主人公は、恋人を見つけるという共通の目的から行動するのだが、しだいに、他人に心を開くこと、他人を知ることのよろこびは、相手が男であっても女であってもさほど変わらないことを学ぶ。あれほどに夢見ていた恋人の獲得は、実はほろ苦い喪失感とともにやってくるものなのだ、というエンディングがすばらしい。

女性を知る、といっても、それはきっと、さほど大げさなことではないのかもしれない。わたしは大人になってみてはじめて、女性がいかにふだんからよく手を洗うのかを知った。女性はほんとうによく手を洗う。外から帰ってきたり、なにかをさわったりすれば、すぐに手を洗うが、こうした感覚は男性にはあまりないようにおもう。それを知ったとき、わたしはなんだかとてもうれしかったし、女性に近づいたような気がしたものだ。

『40歳の童貞男』のエンディングで、主人公は40歳にして初めての性行為を終え、その新鮮なよろこびは、人びとがうたい踊るゴージャスなミュージカルとして輝かしく表現され、華やかに映画は幕を閉じる。人より経験が遅かったからといって、それがなんだというのか。彼はついに性行為をおこなったのだ。すべての男女関係を祝福する、ハッピーな賛歌。そしてジャド・アパトーが描こうとしているのは、あいまいなイメージの向こう側にある、リアルな女性の息づかいなのではないか。


●伊藤聡(いとう・そう)
ブロガー。
著書に『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)がある。
ブログ:空中キャンプ