担当者より:コラムニスト・小田嶋隆さんによる連載コラムをアップしました。ぜひご覧ください。
配信日:2010/01/20
Googleが中国市場から撤退することになるかもしれない。とすると、これは大事件だ。
以下、記事を引用する。
《Googleは昨年12月中旬に中国を起点とするサイバー攻撃を受けた。Googleの調査によると、攻撃者は中国の人権擁護活動家のGmailアカウントをねらっており、米国、中国、ヨーロッパのGmailユーザーのうち、中国の人権擁護の支援者のアカウントも第三者にアクセスされていたという。Googleは、この問題は単なるセキュリティ被害にとどまらないと判断。中国政府と話し合いを行うとしているが、中国における攻撃と検閲の状況が変わらなければ、中国でのサービス提供を断念する可能性があるとしている。》(以上、1月19日15時0分配信 MarkeZine)
中国政府は、当然、自国のインターネット政策を擁護している。概要は以下の通り。
《中国外務省の姜瑜副報道局長は14日の定例記者会見で、「中国は他国と同様、法律にのっとってインターネットを管理している」と述べた。同副報道局長は中国のインターネットはオープンだと指摘し、ハッキングなどのネット犯罪を取り締まる法律もあると述べた。――後略――》(ウォールストリートジャーナル日本版1月15日)
でもって、Googleは中国市場からの撤退を示唆し、中国は中国で、自分たちこそがサイバー攻撃の最大の被害者である旨を強調している。面白い展開だが、さらに興味深いのは、日本の主要マスコミが、一連のニュースに関して冷淡であることだ。事実、私が引用した記事も、主要メディアからのものではない。
三大紙(「五大紙」という言い方はまだ有効なのだろうか)の扱いが小さいこともさることながら、テレビの扱いはさらに露骨だ。ほとんど黙殺している。まあ、気持ちはわかる。テレビの客にアピールしそうなニュースではないと、彼らはそういうふうに判断したのかもしれない。でなくても、彼らはネット関連のニュースを伝えることには普段からあまり熱心ではない。
しかも、今回のネタは中国がらみだ。ということになると、ますますオンエアする理由は希薄になる。Googleの機嫌を損ねるのはなんとなく気持ちが悪いし、中国政府に敵視されるのも同様。首筋が寒い。それに、中国がらみの話題は、扱い方を間違えるとネトウヨを呼び寄せることになる。これは非常に面倒くさい。
ということであれば、このテの行ったり来たりの出来事は、事態が落ち着くまで様子見を決め込んでおくに限る。あえて渦中の栗を拾ったところで、どうせ焼き栗の中味は黒こげに決まっているわけだから。
いつの頃からか、中国にまつわる話題は非常に扱いの難しいマターになってしまっている。私自身、彼の国の政策や現実について、思うところが無いわけではないのだが、ふだんは口を閉ざしている。理由は、たった一言、面倒くさいからだ。あの国で起こっていることや、かつて起こったと言われているあれこれについて、多少とも正直な発言を漏らすと、四方八方から論敵が湧いてくることになっている。右から左から。上から下から。悪くすると裏から表から。前門のネトウヨ、後門の極左。絶体絶命だ。であるから、そういう人々の相手をするのが億劫で、つい黙ってしまうのだ。
つまり、結果として検閲は成功している、と? いや、そんな大げさな話ではない。ネット世論というものが形成されるようになって以来、言論は、自由になったようでいて、その実、不自由(というよりも厄介)になっているということを私は申し上げている。
いくつかの話題は、議論のテーブル自体が戦場になってしまっていて、うっかり発言できない場所になってしまっている。非常に残念なことだが。だから、南京大虐殺について、私は、ノーコメント以上の言葉を持たない。南京虫大虐殺についてもだ。何を言ったところで、左右両方向から十字砲火を浴びることがわかりきっているからだ。この論争は、もはや、発生の経緯や犠牲者の人数について検証する議論ではなくなっているようだ。一種外交カードみたいなものになってもいれば、踏み絵じみた使い方をされてもいる。
であるから、「少なく見積もっても三十万。大きめに考えれば六十万人が虐殺された」
と、あくまでも最大限の人数を言い張る人々がいる一方で、「虐殺は捏造。そもそも報道自体が根も葉もないデタラメ。誰も死んでいない」と、主張する人々がいたりもする。
今回のGoogleをめぐる論争は、南京マターほど荒れているわけではない。が、南京問題と同じ種類の面倒くささを発生当初から放射していて、だから、マトモな人は言及しなくなっている。
と、この種の問題を取り上げたがるのは、党派的な企図を抱いた連中だけということになって、結果、中国にかかわる話題は、さらに極論しか存在しない場所へと運ばれていく。なんだか、辛い料理を出す店の料理が、店に集まるマニアの好みに合わせて、ますます辛くなって行く過程と似ている。一般客は、一口食べて逃げ出す。と、店主は、一般客を見限って、さらに辛い味を追求せざるを得なくなり、マニアはマニアで、店主の出す味に追随すべく、より高い耐性を身につけて店に通う、と。ひどい話だ。
中国は、もはや「中国は」というひとくくりの主語で扱える対象ではなくなってきている。それだけ、多様で、巨大で、極端な国になってしまっているということだ。
たとえば、経済面に注目する向きは、この国で起こっている出来事を、基本的には容認する方向で見ようとする。だって、あまりにもデカい市場だから。だから、隅っこの方で怪しからぬことが起こっていようが、山奥で残酷な事件が発生していようが、そういうことにはあまりとりあわない。お客さんの家庭の事情には踏み込まない。それが商売人というものだ。お金を出して商品を買ってくれる以上、お客様は神様にになる。買った商品で何をしているのかは知らない。
一方、人権を問題にする人たちは、中国相手の商売にすら問題点を見出す。さらにやっかいなのは、中国政府のやり方に民族的な誇りを傷つけられていると感じている人々だ。彼らの目から見ると、中国は、軍事的な脅威であり、民族的自尊心を毀損する中華思想の深淵であり、犯罪者の供給源であり、極東アジア制圧を企む暴虐卑劣な暴君ということになる。
事実はどうなのか? すべて、だ。中国は、避けて通れない隣人であり、有望な顧客であり、わが国の経済の死命を決する市場であり、生産拠点であり、世界の農場であり、わが国の冷蔵庫であり、一方において、犯罪と汚染食物と粗悪な工業製品と、市場破壊的な低価格をもたらす厄災の源でもある。
で、その中国からやってくる中国人はどういう人々であるのかというと、これまたすべての要素を備えている。彼らは、信じられないほど優秀であり、一方において悪賢く、冷酷で、強欲でもあれば寛大な買い手でもある。勤勉な労働力であり、傲慢至極な取引相手であり、油断のならぬ詐欺師でもある。つまり、あの巨大な国からは、善悪美醜を問わず、あらゆる種類の人間がやってくるということだ。
つい先日、使っているPCが不安定になったので、メーカーのコールセンターに電話をしてみた。と、中国人が出てきた。
「リンと申しマス」と、先方は、若干たどたどしい日本語で、自己紹介をした。私は、ちょっとイヤな気持ちになった。なるほど。日本のメーカーのユーザーサポート拠点が中朝国境あたりのクソ田舎に建設されている噂は、ありゃ本当だったのか、と、そう思った。
が、しばらく話すうちに、私の懸念はすっかり晴れた。リンさんは、それほど優秀だったのである。サポセンの担当者が、トラブルをかかえた顧客の電話に対して、適切に対応するのは、そんなに簡単なことではない。顧客の技術レベルや理解力は一様ではないし、かかえているトラブルも千差万別だからだ。
が、彼女は、いくつかのやりとりの中で、こちらのPCに関するスキルと知識のレベル(←古い知識はあるが、実践的なスキルは無い。プライドは高いが対応力は低い)を素早く把握し、実に適確なアドバイスを授けてくれた。こういうことは滅多にない。っていうか、はじめてだ。サポセンの電話担当は、もったいぶって質問攻めにしてくる割には理解力に乏しく、おまけにバカっ丁寧な口のききかたをするくせに、最終的にはこちらを怒らせることになっている。
「まず確認いたしますが、電源スイッチはオンになっておりますでしょうか」と、いきなりケンカを売ってくるかと思えば「少々お待ちください」と言ったきり七分間にわたって待機メロディーを聴かせてくれたりする。そういう連中が標準なのだ。
が、リンさんは違った。たったの三分でこちらの状況を把握し、順序立ててひとつずつ解決策を示し、最終的に見事に問題を解決してくれた。天晴れ。知り合いの大学講師も、中国人留学生の優秀さに感銘を受けたという。レポートの日本語は、若干未熟なのだが、内容の豊かさは、そこいらへんの日本人学生とは比べものにならないという。
つまりこういうことだ。メーカーのサポセンに派遣されている日本人は、これは、熱心でない人も多数いる。だから、投げやりな対応でこちらを怒らせる。一方、日本のメーカーのサポセンに採用される中国人は、言葉のハンデを乗り越えて合格してきているわけだから、たぶん、それだけで既に優秀なのだ。のみならず、彼らは野心的で勤勉で、頑張り屋だ。とすれば、オペレーターとしてどちらが優秀であるのかは、自明ではなかろうか。
留学生の場合も同様。日本の大学に通う日本の学生は、そこの大学の偏差値を反映しているに過ぎない。熱心でもない。だって、彼らは「必死だな(笑)」が嘲弄の言葉である世界で大きくなった子供たちだから。
他方、日本の大学にやってくる中国人の留学生は、全員がとは言わないが、少なくとも国費留学生は、エリート中のエリートだ。厳しい選抜をくぐり抜けてやってきた精鋭だ。しかも勤勉。「必死」と言っても良い。もちろん、語尾に(笑)は付かない。文字通りの必死。必死であることがまだ美しさを失っていない国の必死。
さてしかし、留学生やメーカーの社員になる中国人が優秀であるのだとしても、ストリートのチャイニーズについては、その限りではない。そういえば、レイモンド・チャンドラーは、その作品の中で、私立探偵フィリップ・マーロウにこんなセリフを言わせている。
「優秀なメキシコ人ほど優秀な人間はいない。手強いメキシコ人ほど手強い相手はいない。悪辣なメキシコ人ほど悪辣な人間はいない」
と、まぁ記憶からの再現なので、細かいところは若干違っていると思うが、要するに、マーロウが活躍した1940年代から50年代にかけてのカリフォルニアでは、メキシコ人は、そういう存在だったということだ。野心満々でやってくる非常に優秀な組の連中と、やけっぱちな犯罪者たち。つまり、両極端の人々。
中国人も同様だ。おそらく、日本にやってくる中国人犯罪者の残虐さは、日本のやくざのそれを上回っているのではないだろうか。窃盗犯の強欲さや、ひったくり犯の凶暴さ、性犯罪者のやり口の惨さも、だ。
一方、最も優秀な組の中国人学生や、最高度に洗練された研究者について言うなら、彼らは、わが日本のヌルいエリートよりずっと優秀である可能性は高い。あるいは、日本にやってくる中国人についてだけではなくて、このことは、中国人全般に言えることであるのかもしれない。すなわち、中国人は、世界一優秀で世界一俗悪な人々である、と。まあ、当然といえば当然。世界一人間が多いわけだから。
いずれにしても、われわれは、彼らを無視できない。のび太がジャイアンを無視できないのと同様。いや、われわれはのび太ですらないのかもしれない。なにしろ、ドラえもん(世界一の技術)を失いつつあるわけだから。
ずっと昔、われわれはのび太で、ジャイアンは、アメリカだった。中国は、メインキャストには組み入れられていなかった。せいぜいゲスト。それも悪役。それが、いつの間にやら、ジャイアンの座を奪っている。で、オレらは、のび太の立ち位置から、スネ夫の目線に、徐々にスタンスを移してきている。ひがみっぽくて、計算高く、そのくせいつも貧乏くじをひいている、みっともないおべっかつかいのスネ夫。一時期は、出来杉君に昇格したつもりになっていたのに。
いずれにしても、この先、物語は、ジャイアンを中心に展開することになる。永遠の「ジャイアン・リサイタル」。アメリカは、去ろうとしている。いいなあ、間にデカい太平洋があって。オレらの間には、一衣帯水のガス含みの海と、厄介な半島があるばかり。
ライバルでありたいとは思わない。友人になれる感じもあんまりしない。だから、せめて有益な取引先でありたい。お互いにとって。被害者だけはごめんだ。加害者も。いや、これは、しょせん無理だけど(笑)。
自虐史観? 違うよ。史観に基づく自虐。似たようなものだけど、こっちの方が若干芸が細かい。末尾に(笑)が付く。www。
●小田嶋隆(おだじま・たかし)
コラムニスト。
著書に『テレビ標本箱』、『テレビ救急箱』(ともに中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』、『1984年のビーンボール』(ともに駒草出版)など多数。
共著に『人生2割がちょうどいい』(講談社)ほかがある。
ブログ:偉愚庵亭憮録
配信日:2010/01/20
Googleが中国市場から撤退することになるかもしれない。とすると、これは大事件だ。
以下、記事を引用する。
《Googleは昨年12月中旬に中国を起点とするサイバー攻撃を受けた。Googleの調査によると、攻撃者は中国の人権擁護活動家のGmailアカウントをねらっており、米国、中国、ヨーロッパのGmailユーザーのうち、中国の人権擁護の支援者のアカウントも第三者にアクセスされていたという。Googleは、この問題は単なるセキュリティ被害にとどまらないと判断。中国政府と話し合いを行うとしているが、中国における攻撃と検閲の状況が変わらなければ、中国でのサービス提供を断念する可能性があるとしている。》(以上、1月19日15時0分配信 MarkeZine)
中国政府は、当然、自国のインターネット政策を擁護している。概要は以下の通り。
《中国外務省の姜瑜副報道局長は14日の定例記者会見で、「中国は他国と同様、法律にのっとってインターネットを管理している」と述べた。同副報道局長は中国のインターネットはオープンだと指摘し、ハッキングなどのネット犯罪を取り締まる法律もあると述べた。――後略――》(ウォールストリートジャーナル日本版1月15日)
でもって、Googleは中国市場からの撤退を示唆し、中国は中国で、自分たちこそがサイバー攻撃の最大の被害者である旨を強調している。面白い展開だが、さらに興味深いのは、日本の主要マスコミが、一連のニュースに関して冷淡であることだ。事実、私が引用した記事も、主要メディアからのものではない。
三大紙(「五大紙」という言い方はまだ有効なのだろうか)の扱いが小さいこともさることながら、テレビの扱いはさらに露骨だ。ほとんど黙殺している。まあ、気持ちはわかる。テレビの客にアピールしそうなニュースではないと、彼らはそういうふうに判断したのかもしれない。でなくても、彼らはネット関連のニュースを伝えることには普段からあまり熱心ではない。
しかも、今回のネタは中国がらみだ。ということになると、ますますオンエアする理由は希薄になる。Googleの機嫌を損ねるのはなんとなく気持ちが悪いし、中国政府に敵視されるのも同様。首筋が寒い。それに、中国がらみの話題は、扱い方を間違えるとネトウヨを呼び寄せることになる。これは非常に面倒くさい。
ということであれば、このテの行ったり来たりの出来事は、事態が落ち着くまで様子見を決め込んでおくに限る。あえて渦中の栗を拾ったところで、どうせ焼き栗の中味は黒こげに決まっているわけだから。
いつの頃からか、中国にまつわる話題は非常に扱いの難しいマターになってしまっている。私自身、彼の国の政策や現実について、思うところが無いわけではないのだが、ふだんは口を閉ざしている。理由は、たった一言、面倒くさいからだ。あの国で起こっていることや、かつて起こったと言われているあれこれについて、多少とも正直な発言を漏らすと、四方八方から論敵が湧いてくることになっている。右から左から。上から下から。悪くすると裏から表から。前門のネトウヨ、後門の極左。絶体絶命だ。であるから、そういう人々の相手をするのが億劫で、つい黙ってしまうのだ。
つまり、結果として検閲は成功している、と? いや、そんな大げさな話ではない。ネット世論というものが形成されるようになって以来、言論は、自由になったようでいて、その実、不自由(というよりも厄介)になっているということを私は申し上げている。
いくつかの話題は、議論のテーブル自体が戦場になってしまっていて、うっかり発言できない場所になってしまっている。非常に残念なことだが。だから、南京大虐殺について、私は、ノーコメント以上の言葉を持たない。南京虫大虐殺についてもだ。何を言ったところで、左右両方向から十字砲火を浴びることがわかりきっているからだ。この論争は、もはや、発生の経緯や犠牲者の人数について検証する議論ではなくなっているようだ。一種外交カードみたいなものになってもいれば、踏み絵じみた使い方をされてもいる。
であるから、「少なく見積もっても三十万。大きめに考えれば六十万人が虐殺された」
と、あくまでも最大限の人数を言い張る人々がいる一方で、「虐殺は捏造。そもそも報道自体が根も葉もないデタラメ。誰も死んでいない」と、主張する人々がいたりもする。
今回のGoogleをめぐる論争は、南京マターほど荒れているわけではない。が、南京問題と同じ種類の面倒くささを発生当初から放射していて、だから、マトモな人は言及しなくなっている。
と、この種の問題を取り上げたがるのは、党派的な企図を抱いた連中だけということになって、結果、中国にかかわる話題は、さらに極論しか存在しない場所へと運ばれていく。なんだか、辛い料理を出す店の料理が、店に集まるマニアの好みに合わせて、ますます辛くなって行く過程と似ている。一般客は、一口食べて逃げ出す。と、店主は、一般客を見限って、さらに辛い味を追求せざるを得なくなり、マニアはマニアで、店主の出す味に追随すべく、より高い耐性を身につけて店に通う、と。ひどい話だ。
中国は、もはや「中国は」というひとくくりの主語で扱える対象ではなくなってきている。それだけ、多様で、巨大で、極端な国になってしまっているということだ。
たとえば、経済面に注目する向きは、この国で起こっている出来事を、基本的には容認する方向で見ようとする。だって、あまりにもデカい市場だから。だから、隅っこの方で怪しからぬことが起こっていようが、山奥で残酷な事件が発生していようが、そういうことにはあまりとりあわない。お客さんの家庭の事情には踏み込まない。それが商売人というものだ。お金を出して商品を買ってくれる以上、お客様は神様にになる。買った商品で何をしているのかは知らない。
一方、人権を問題にする人たちは、中国相手の商売にすら問題点を見出す。さらにやっかいなのは、中国政府のやり方に民族的な誇りを傷つけられていると感じている人々だ。彼らの目から見ると、中国は、軍事的な脅威であり、民族的自尊心を毀損する中華思想の深淵であり、犯罪者の供給源であり、極東アジア制圧を企む暴虐卑劣な暴君ということになる。
事実はどうなのか? すべて、だ。中国は、避けて通れない隣人であり、有望な顧客であり、わが国の経済の死命を決する市場であり、生産拠点であり、世界の農場であり、わが国の冷蔵庫であり、一方において、犯罪と汚染食物と粗悪な工業製品と、市場破壊的な低価格をもたらす厄災の源でもある。
で、その中国からやってくる中国人はどういう人々であるのかというと、これまたすべての要素を備えている。彼らは、信じられないほど優秀であり、一方において悪賢く、冷酷で、強欲でもあれば寛大な買い手でもある。勤勉な労働力であり、傲慢至極な取引相手であり、油断のならぬ詐欺師でもある。つまり、あの巨大な国からは、善悪美醜を問わず、あらゆる種類の人間がやってくるということだ。
つい先日、使っているPCが不安定になったので、メーカーのコールセンターに電話をしてみた。と、中国人が出てきた。
「リンと申しマス」と、先方は、若干たどたどしい日本語で、自己紹介をした。私は、ちょっとイヤな気持ちになった。なるほど。日本のメーカーのユーザーサポート拠点が中朝国境あたりのクソ田舎に建設されている噂は、ありゃ本当だったのか、と、そう思った。
が、しばらく話すうちに、私の懸念はすっかり晴れた。リンさんは、それほど優秀だったのである。サポセンの担当者が、トラブルをかかえた顧客の電話に対して、適切に対応するのは、そんなに簡単なことではない。顧客の技術レベルや理解力は一様ではないし、かかえているトラブルも千差万別だからだ。
が、彼女は、いくつかのやりとりの中で、こちらのPCに関するスキルと知識のレベル(←古い知識はあるが、実践的なスキルは無い。プライドは高いが対応力は低い)を素早く把握し、実に適確なアドバイスを授けてくれた。こういうことは滅多にない。っていうか、はじめてだ。サポセンの電話担当は、もったいぶって質問攻めにしてくる割には理解力に乏しく、おまけにバカっ丁寧な口のききかたをするくせに、最終的にはこちらを怒らせることになっている。
「まず確認いたしますが、電源スイッチはオンになっておりますでしょうか」と、いきなりケンカを売ってくるかと思えば「少々お待ちください」と言ったきり七分間にわたって待機メロディーを聴かせてくれたりする。そういう連中が標準なのだ。
が、リンさんは違った。たったの三分でこちらの状況を把握し、順序立ててひとつずつ解決策を示し、最終的に見事に問題を解決してくれた。天晴れ。知り合いの大学講師も、中国人留学生の優秀さに感銘を受けたという。レポートの日本語は、若干未熟なのだが、内容の豊かさは、そこいらへんの日本人学生とは比べものにならないという。
つまりこういうことだ。メーカーのサポセンに派遣されている日本人は、これは、熱心でない人も多数いる。だから、投げやりな対応でこちらを怒らせる。一方、日本のメーカーのサポセンに採用される中国人は、言葉のハンデを乗り越えて合格してきているわけだから、たぶん、それだけで既に優秀なのだ。のみならず、彼らは野心的で勤勉で、頑張り屋だ。とすれば、オペレーターとしてどちらが優秀であるのかは、自明ではなかろうか。
留学生の場合も同様。日本の大学に通う日本の学生は、そこの大学の偏差値を反映しているに過ぎない。熱心でもない。だって、彼らは「必死だな(笑)」が嘲弄の言葉である世界で大きくなった子供たちだから。
他方、日本の大学にやってくる中国人の留学生は、全員がとは言わないが、少なくとも国費留学生は、エリート中のエリートだ。厳しい選抜をくぐり抜けてやってきた精鋭だ。しかも勤勉。「必死」と言っても良い。もちろん、語尾に(笑)は付かない。文字通りの必死。必死であることがまだ美しさを失っていない国の必死。
さてしかし、留学生やメーカーの社員になる中国人が優秀であるのだとしても、ストリートのチャイニーズについては、その限りではない。そういえば、レイモンド・チャンドラーは、その作品の中で、私立探偵フィリップ・マーロウにこんなセリフを言わせている。
「優秀なメキシコ人ほど優秀な人間はいない。手強いメキシコ人ほど手強い相手はいない。悪辣なメキシコ人ほど悪辣な人間はいない」
と、まぁ記憶からの再現なので、細かいところは若干違っていると思うが、要するに、マーロウが活躍した1940年代から50年代にかけてのカリフォルニアでは、メキシコ人は、そういう存在だったということだ。野心満々でやってくる非常に優秀な組の連中と、やけっぱちな犯罪者たち。つまり、両極端の人々。
中国人も同様だ。おそらく、日本にやってくる中国人犯罪者の残虐さは、日本のやくざのそれを上回っているのではないだろうか。窃盗犯の強欲さや、ひったくり犯の凶暴さ、性犯罪者のやり口の惨さも、だ。
一方、最も優秀な組の中国人学生や、最高度に洗練された研究者について言うなら、彼らは、わが日本のヌルいエリートよりずっと優秀である可能性は高い。あるいは、日本にやってくる中国人についてだけではなくて、このことは、中国人全般に言えることであるのかもしれない。すなわち、中国人は、世界一優秀で世界一俗悪な人々である、と。まあ、当然といえば当然。世界一人間が多いわけだから。
いずれにしても、われわれは、彼らを無視できない。のび太がジャイアンを無視できないのと同様。いや、われわれはのび太ですらないのかもしれない。なにしろ、ドラえもん(世界一の技術)を失いつつあるわけだから。
ずっと昔、われわれはのび太で、ジャイアンは、アメリカだった。中国は、メインキャストには組み入れられていなかった。せいぜいゲスト。それも悪役。それが、いつの間にやら、ジャイアンの座を奪っている。で、オレらは、のび太の立ち位置から、スネ夫の目線に、徐々にスタンスを移してきている。ひがみっぽくて、計算高く、そのくせいつも貧乏くじをひいている、みっともないおべっかつかいのスネ夫。一時期は、出来杉君に昇格したつもりになっていたのに。
いずれにしても、この先、物語は、ジャイアンを中心に展開することになる。永遠の「ジャイアン・リサイタル」。アメリカは、去ろうとしている。いいなあ、間にデカい太平洋があって。オレらの間には、一衣帯水のガス含みの海と、厄介な半島があるばかり。
ライバルでありたいとは思わない。友人になれる感じもあんまりしない。だから、せめて有益な取引先でありたい。お互いにとって。被害者だけはごめんだ。加害者も。いや、これは、しょせん無理だけど(笑)。
自虐史観? 違うよ。史観に基づく自虐。似たようなものだけど、こっちの方が若干芸が細かい。末尾に(笑)が付く。www。
●小田嶋隆(おだじま・たかし)
コラムニスト。
著書に『テレビ標本箱』、『テレビ救急箱』(ともに中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』、『1984年のビーンボール』(ともに駒草出版)など多数。
共著に『人生2割がちょうどいい』(講談社)ほかがある。
ブログ:偉愚庵亭憮録

