担当者より:映画の分野を中心にご活躍中のライター、真魚八重子さんが「悪女」をテーマにご執筆くださった原稿を掲載いたします。また、四方田犬彦・鷲谷花編『戦う女たち』(作品社)にも真魚さんの論考が掲載されていますので、そちらもぜひご覧ください。
配信日:2009/05/27
今、テレビで想像通りの悪女を演じてみせている代表例が叶姉妹。その関係はイイ補完の役割が働いていて、いかにも男性を破滅に導きそうな魔性の女である恭子様に対し、穏やかでちょっと隙がある美香様の存在は、茶の間にとって多少親しみやすくする中和の役目を果たします。
実際、いつもカッと目を見開いている獰猛な印象の恭子様と比べて、先日テレビで見かけた美香様はメイド服を着せられており、司会者の「似合いますよ」の声に「そうかなあ(笑)」と砕けた口調で答え、テレて頭をボリボリ掻いていました。アア、この美香様の隙だらけな仕草がたまらない!
悪女にはいくつかのパターンや段階があります。一般的に、自分の欲望を最優先するエゴイスティックさが悪女とみなされる要素ですが、なかには「あの人が好きでたまらないから独占したい」という、なりふり構わぬ必死さで利己的な振る舞いに出る女性がいて、そういった悪女には〈けなげさ〉が滲みます。
映画においてはたとえば、いきなり濃厚ですが、大島渚の『愛のコリーダ』や田中登『実録 阿部定』。情事がエスカレートした挙句、相手を殺してイチモツを切り取ってしまった阿部定の実録犯罪モノです。過激な事件ではあるけれども、愛に耽って果てがなかった一途さが溢れるから、彼女の犯罪は何度も究極の恋愛劇として取り上げられます。
また、『清作の妻』(増村保造監督)の若尾文子も、狂おしい愛ゆえに常軌を逸した行動に出ます。貧しい家に生まれ、年寄りのもとへ妾奉公をさせられていたお兼(若尾)は、村に戻った今も村人から妾だったことで白眼視されています。そんな中、唯一分け隔てなく接してくれた清作(田村高廣)と恋に落ちますが、日露戦争へ出兵してしまう清作に対し、お兼は彼を失いたくない一心で、清作の身体を傷つける恐ろしい所業に及んでしまいます。そんな愛は到底周囲の理解の範疇を超えており、お兼も他人など度外視してひたすら愛のみを見据え続けます。この村人と女性本人の互いに対する無理解と無視が、一途で情の深すぎる女に「悪女」というレッテルをはることになるのです。
極端であっても、こういう素直な欲望が見える女性はけなげさが感じられます。しかし悪女には当然もっとタチの悪さがついて回るものであり、金や地位のため自らの肉体を武器にし、のしあがっていく者は悪女のステージがグレードアップします。この悪女には二タイプあり、一方は脊髄反射のように短絡的で、人を踏み台にすることになんの感覚もない女。そしてもう一方は知力で作戦を巡らし、男性をたぶらかしたり、人を踏み台とすることに楽しみや快楽を覚えるような女性です。
どちらがより悪いかは人によって判断が分かれるところでしょうが、映画作品において前者は『スサーナ』(ルイス・ブニュエル監督)、『私のように美しい娘』(フランソワ・トリュフォー監督)などのヒロインが典型的。とにかく利用できる男は虜にして使い捨て、彼女自身も目先の欲望に囚われるので、場当たり的な行動で結果的に自己破壊につながる場合もあります。本能的に狡猾ですが無思慮ゆえ、野蛮でエゴイスティックな印象です。
そして後者は『エヴァの匂い』(ジョセフ・ロージー監督)のジャンヌ・モローや、『氷の微笑』(ポール・ヴァーホーヴェン監督)のシャロン・ストーンが代表格でしょう。洗練された悪女で、悪巧みも高尚な趣味のひとつといった風情。叶恭子様はもちろんこの部類に入ります。
この両者のタイプに魅入られたら、社会的地位を失ってしまったり、貯金をむしり取られるぐらいのことは覚悟した方がいいでしょう。ただどちらも見た目からして悪女であり、用心深い男性なら避けて通れるともいえます。でもこの上に、まだもう一段階恐ろしい悪女がいます。それは見た目が悪女じゃない悪女。
『ガス人間第一号』(本多猪四郎監督)のヒロインを演じる八千草薫は、まさに絵巻物から抜け出てきたように美しく、品の良い日舞の家元。しかし人を寄せ付けない気位の高さが、どうやら一門の没落を招いたらしく、人をあしらう言動の端々に冷たさが匂います。そして人体実験の失敗でガス人間となった男(土屋嘉男)は、自分の体質を生かして銀行強盗を繰り返し、愛する彼女に貢ぎます。その金を別派の買収や黒塗りの大型車購入など、けっこう派手に使う八千草さん。
また、怪談映画『生きている小平次』(青柳信雄監督)でも、八千草さんが二股かけた男同士で殺し合いになってしまい、殺害された小平次が幽霊になって何度でも出てくるのを、八千草さんはもう一人の恋人に「出てきたらまた殺しゃいいじゃないか」と、可愛らしく上品なまま言い放っていました。この虫も殺さぬような可憐さ、最凶です。
悪女の条件はやはり、一般人から読み取れないモノが多いほどステージが上がっていきます。叶恭子様は理解の範疇を超えるという意味ではレベルが高いのですが、見た目がすでに悪女然としている辺り、まだ率直な自己表出といえます。やはり叶姉妹をしてもかなわないのは、死んだ小平次について、彼は幽霊になっても自分に惚れているから「あの人にはきっとわたしは殺せない」とたおやかに平然と口にする、八千草薫です。この可憐で上品に泥沼へ引っ張り込む恐ろしさは、悪女の最上ステージでしょう。
悪女は関わった人間の人生に波風を立てにやってくる、嵐のような存在です。しかし美貌やグラマラスな肉体、そしてあれよあれよという間に男性を絡めとる情念など、どのタイプであれ突出した引力を持つもの。彼女らの危険度を察知して、人生設計が破綻するような深みにさえはまらなければ、お付き合いはその魅力を堪能できる蠱惑的なひとときのはず。
ぜひ人生のうち一度くらいは、悪女にいざなわれて日常を逸脱する瀬戸際な経験もしておきたいですね。でも、その際も財布のヒモだけはくれぐれも、きっちり締めておいてください。
●真魚八重子(まな・やえこ)
ライター。
『映画秘宝』や『TRASH UP!!』などで映画に関する原稿を中心に執筆。
共著に『戦う女たち』(作品社)、『リビドー・ガールズ』(パルコ)、『市川崑大全』(洋泉社)などがある。
ブログ:アヌトパンナ・アニルッダ
配信日:2009/05/27
今、テレビで想像通りの悪女を演じてみせている代表例が叶姉妹。その関係はイイ補完の役割が働いていて、いかにも男性を破滅に導きそうな魔性の女である恭子様に対し、穏やかでちょっと隙がある美香様の存在は、茶の間にとって多少親しみやすくする中和の役目を果たします。
実際、いつもカッと目を見開いている獰猛な印象の恭子様と比べて、先日テレビで見かけた美香様はメイド服を着せられており、司会者の「似合いますよ」の声に「そうかなあ(笑)」と砕けた口調で答え、テレて頭をボリボリ掻いていました。アア、この美香様の隙だらけな仕草がたまらない!
悪女にはいくつかのパターンや段階があります。一般的に、自分の欲望を最優先するエゴイスティックさが悪女とみなされる要素ですが、なかには「あの人が好きでたまらないから独占したい」という、なりふり構わぬ必死さで利己的な振る舞いに出る女性がいて、そういった悪女には〈けなげさ〉が滲みます。
映画においてはたとえば、いきなり濃厚ですが、大島渚の『愛のコリーダ』や田中登『実録 阿部定』。情事がエスカレートした挙句、相手を殺してイチモツを切り取ってしまった阿部定の実録犯罪モノです。過激な事件ではあるけれども、愛に耽って果てがなかった一途さが溢れるから、彼女の犯罪は何度も究極の恋愛劇として取り上げられます。
また、『清作の妻』(増村保造監督)の若尾文子も、狂おしい愛ゆえに常軌を逸した行動に出ます。貧しい家に生まれ、年寄りのもとへ妾奉公をさせられていたお兼(若尾)は、村に戻った今も村人から妾だったことで白眼視されています。そんな中、唯一分け隔てなく接してくれた清作(田村高廣)と恋に落ちますが、日露戦争へ出兵してしまう清作に対し、お兼は彼を失いたくない一心で、清作の身体を傷つける恐ろしい所業に及んでしまいます。そんな愛は到底周囲の理解の範疇を超えており、お兼も他人など度外視してひたすら愛のみを見据え続けます。この村人と女性本人の互いに対する無理解と無視が、一途で情の深すぎる女に「悪女」というレッテルをはることになるのです。
極端であっても、こういう素直な欲望が見える女性はけなげさが感じられます。しかし悪女には当然もっとタチの悪さがついて回るものであり、金や地位のため自らの肉体を武器にし、のしあがっていく者は悪女のステージがグレードアップします。この悪女には二タイプあり、一方は脊髄反射のように短絡的で、人を踏み台にすることになんの感覚もない女。そしてもう一方は知力で作戦を巡らし、男性をたぶらかしたり、人を踏み台とすることに楽しみや快楽を覚えるような女性です。
どちらがより悪いかは人によって判断が分かれるところでしょうが、映画作品において前者は『スサーナ』(ルイス・ブニュエル監督)、『私のように美しい娘』(フランソワ・トリュフォー監督)などのヒロインが典型的。とにかく利用できる男は虜にして使い捨て、彼女自身も目先の欲望に囚われるので、場当たり的な行動で結果的に自己破壊につながる場合もあります。本能的に狡猾ですが無思慮ゆえ、野蛮でエゴイスティックな印象です。
そして後者は『エヴァの匂い』(ジョセフ・ロージー監督)のジャンヌ・モローや、『氷の微笑』(ポール・ヴァーホーヴェン監督)のシャロン・ストーンが代表格でしょう。洗練された悪女で、悪巧みも高尚な趣味のひとつといった風情。叶恭子様はもちろんこの部類に入ります。
この両者のタイプに魅入られたら、社会的地位を失ってしまったり、貯金をむしり取られるぐらいのことは覚悟した方がいいでしょう。ただどちらも見た目からして悪女であり、用心深い男性なら避けて通れるともいえます。でもこの上に、まだもう一段階恐ろしい悪女がいます。それは見た目が悪女じゃない悪女。
『ガス人間第一号』(本多猪四郎監督)のヒロインを演じる八千草薫は、まさに絵巻物から抜け出てきたように美しく、品の良い日舞の家元。しかし人を寄せ付けない気位の高さが、どうやら一門の没落を招いたらしく、人をあしらう言動の端々に冷たさが匂います。そして人体実験の失敗でガス人間となった男(土屋嘉男)は、自分の体質を生かして銀行強盗を繰り返し、愛する彼女に貢ぎます。その金を別派の買収や黒塗りの大型車購入など、けっこう派手に使う八千草さん。
また、怪談映画『生きている小平次』(青柳信雄監督)でも、八千草さんが二股かけた男同士で殺し合いになってしまい、殺害された小平次が幽霊になって何度でも出てくるのを、八千草さんはもう一人の恋人に「出てきたらまた殺しゃいいじゃないか」と、可愛らしく上品なまま言い放っていました。この虫も殺さぬような可憐さ、最凶です。
悪女の条件はやはり、一般人から読み取れないモノが多いほどステージが上がっていきます。叶恭子様は理解の範疇を超えるという意味ではレベルが高いのですが、見た目がすでに悪女然としている辺り、まだ率直な自己表出といえます。やはり叶姉妹をしてもかなわないのは、死んだ小平次について、彼は幽霊になっても自分に惚れているから「あの人にはきっとわたしは殺せない」とたおやかに平然と口にする、八千草薫です。この可憐で上品に泥沼へ引っ張り込む恐ろしさは、悪女の最上ステージでしょう。
悪女は関わった人間の人生に波風を立てにやってくる、嵐のような存在です。しかし美貌やグラマラスな肉体、そしてあれよあれよという間に男性を絡めとる情念など、どのタイプであれ突出した引力を持つもの。彼女らの危険度を察知して、人生設計が破綻するような深みにさえはまらなければ、お付き合いはその魅力を堪能できる蠱惑的なひとときのはず。
ぜひ人生のうち一度くらいは、悪女にいざなわれて日常を逸脱する瀬戸際な経験もしておきたいですね。でも、その際も財布のヒモだけはくれぐれも、きっちり締めておいてください。
●真魚八重子(まな・やえこ)
ライター。
『映画秘宝』や『TRASH UP!!』などで映画に関する原稿を中心に執筆。
共著に『戦う女たち』(作品社)、『リビドー・ガールズ』(パルコ)、『市川崑大全』(洋泉社)などがある。
ブログ:アヌトパンナ・アニルッダ

