担当者より:コラムニストのオバタカズユキさんが「食」に関する書籍を論じる連載の第4回目です。なお、本文では『孤独のグルメ』は「文庫で読める」とありますが、その後に新装版も発売されました。
配信日:2005/05/18
食に関する常套句のひとつに、「こうしてみんなで食べるご飯が一番おいしいよね」がある。
まるでホームドラマの脚本家がやっつけで書き飛ばした安ゼリフのようだが、現実世界でもけっこう頻繁に使われていないか。久しぶりの帰省で子どもらが顔を揃えると、晩酌の酔いでこの種の繰言をしてしまう田舎の父とか。いつも終電帰りのパパがたまに夕飯をウチで食べると、皮肉交じりなのに声色を弾ませて言わずにはいられない専業主婦のママとか。
使われるのはたいてい「家庭」の食卓で、なのだろうけれど、大学生の鍋パーティーあたりでも言われていそうだ。ひと盛りあがりしたあとに、地方出身の一人暮らしのコがぽつりと漏らす。「ご飯って、誰かと一緒に食べるからおいしいんだよね」と。で、目ざとい男子が頭にしっかりメモる。「このコは落とせそうだ」(注:まぁ、そのコだって、狙いで漏らしてんだろうけどさ)と。
そんなこんなの常套句は、今宵も方々で発せられていることでしょう。凡庸に過ぎるぞ、押しつけがましさが無神経だ、オレに対しては使わないでくれ……と思わないではないが、別段、難ずるつもりもない。いちいち注文をつけてしまったら、場が凍るから。食は人間関係の消化作業でもあるのだからして、それはそれで良しにしたい。スルーしたい。
でも、ひとつだけ注文をつけておくと、「みんなで食べるのが一番おいしい」は間違いだろう。「みんなで食べるのが一番楽しい」というもの言いなら、それもひとつの価値観だが、「おいしい」かどうかは極めてパーソナルな知覚の問題だ。自分以外の誰かと食事をともにすれば、相手の顔色とか自分の立ち位置とか、そういうほうにも意識がいく。
そのぶんだけ、咀嚼や嚥下といった食の行為そのものへの集中力は減じられてしまう。理屈っぽくて恐縮だけれど、論理的にはそうである。だから、料理をマジで味わえるのは、むしろ独り飯のときなのである。
さて、以上を前置きに名作を紹介しよう。独り飯の醍醐味が、理屈じゃなくてよくわかる『孤独のグルメ』だ。久住昌之×谷口ジローのコンビが、10年程前に『PANjA』という月刊総合誌で連載していた短編マンガ集。今でも文庫で読める。
<輸入雑貨の貿易商を個人でやっている俺>が、腹をすかせては飯を食らう。街角でたまたま見つけた外食店の料理を独りで食べる。ドヤ街の定食屋に出入する常連客たちの慣わしなど、ちょっとしたサイドストーリーもいい味つけになっている。だが、あくまでもメインは、入店、注文、咀嚼、嚥下、満腹、の単純きわまる独り飯ストーリーだ。
『美味しんぼ』などとは対極で、グルメうんちくの類はゼロ。30代後半と思わしき主人公が、その頑強な胃袋に大衆料理をひたすら詰めこむ。<俺>はハードボイルドなので、思索はめぐらしても無駄口はきかない。店主と交わすセリフも少ない。
ただ、飲食業モラルに欠ける洋食屋のオヤジに対して、こんな注文をつけているシーンがある。
「モノを食べている時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃあ、ダメなんだ」
なんというか、そうなんだと私も思う。孤独の豊かさを、食において表した不朽の名作に同感する。
●オバタカズユキ(おばた・かずゆき)
物書き。
著書に『何のために働くか』(幻冬舎文庫)、『ペットまみれの人生』(扶桑社文庫)などがある。
配信日:2005/05/18
食に関する常套句のひとつに、「こうしてみんなで食べるご飯が一番おいしいよね」がある。
まるでホームドラマの脚本家がやっつけで書き飛ばした安ゼリフのようだが、現実世界でもけっこう頻繁に使われていないか。久しぶりの帰省で子どもらが顔を揃えると、晩酌の酔いでこの種の繰言をしてしまう田舎の父とか。いつも終電帰りのパパがたまに夕飯をウチで食べると、皮肉交じりなのに声色を弾ませて言わずにはいられない専業主婦のママとか。
使われるのはたいてい「家庭」の食卓で、なのだろうけれど、大学生の鍋パーティーあたりでも言われていそうだ。ひと盛りあがりしたあとに、地方出身の一人暮らしのコがぽつりと漏らす。「ご飯って、誰かと一緒に食べるからおいしいんだよね」と。で、目ざとい男子が頭にしっかりメモる。「このコは落とせそうだ」(注:まぁ、そのコだって、狙いで漏らしてんだろうけどさ)と。
そんなこんなの常套句は、今宵も方々で発せられていることでしょう。凡庸に過ぎるぞ、押しつけがましさが無神経だ、オレに対しては使わないでくれ……と思わないではないが、別段、難ずるつもりもない。いちいち注文をつけてしまったら、場が凍るから。食は人間関係の消化作業でもあるのだからして、それはそれで良しにしたい。スルーしたい。
でも、ひとつだけ注文をつけておくと、「みんなで食べるのが一番おいしい」は間違いだろう。「みんなで食べるのが一番楽しい」というもの言いなら、それもひとつの価値観だが、「おいしい」かどうかは極めてパーソナルな知覚の問題だ。自分以外の誰かと食事をともにすれば、相手の顔色とか自分の立ち位置とか、そういうほうにも意識がいく。
そのぶんだけ、咀嚼や嚥下といった食の行為そのものへの集中力は減じられてしまう。理屈っぽくて恐縮だけれど、論理的にはそうである。だから、料理をマジで味わえるのは、むしろ独り飯のときなのである。
さて、以上を前置きに名作を紹介しよう。独り飯の醍醐味が、理屈じゃなくてよくわかる『孤独のグルメ』だ。久住昌之×谷口ジローのコンビが、10年程前に『PANjA』という月刊総合誌で連載していた短編マンガ集。今でも文庫で読める。
<輸入雑貨の貿易商を個人でやっている俺>が、腹をすかせては飯を食らう。街角でたまたま見つけた外食店の料理を独りで食べる。ドヤ街の定食屋に出入する常連客たちの慣わしなど、ちょっとしたサイドストーリーもいい味つけになっている。だが、あくまでもメインは、入店、注文、咀嚼、嚥下、満腹、の単純きわまる独り飯ストーリーだ。
『美味しんぼ』などとは対極で、グルメうんちくの類はゼロ。30代後半と思わしき主人公が、その頑強な胃袋に大衆料理をひたすら詰めこむ。<俺>はハードボイルドなので、思索はめぐらしても無駄口はきかない。店主と交わすセリフも少ない。
ただ、飲食業モラルに欠ける洋食屋のオヤジに対して、こんな注文をつけているシーンがある。
「モノを食べている時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃあ、ダメなんだ」
なんというか、そうなんだと私も思う。孤独の豊かさを、食において表した不朽の名作に同感する。
●オバタカズユキ(おばた・かずゆき)
物書き。
著書に『何のために働くか』(幻冬舎文庫)、『ペットまみれの人生』(扶桑社文庫)などがある。
