担当者より:お笑い評論家として雑誌やネット媒体でご活躍中のラリー遠田さんに一発屋芸人について論じていただいた原稿です。また、著書『この芸人を見よ!』(サイゾー)が刊行されたばかりですので、昨今のお笑い業界に関しての分析はそちらでもじっくり堪能できると思います。

配信日:2008/10/15


新しい芸人がどんどんテレビに出てきて、すぐに消えていく。めまぐるしくて、とてもじゃないがついていけない。そんな印象を抱いている人は意外と多いのではないだろうか。

今人気の『爆笑レッドカーペット』という番組では、次々に若手芸人が舞台に現れては、1分程度の短いネタを披露して、あっという間に去っていく。本来、漫才やコントはそんな短時間で見せることを想定して作られてはいない。だからこの番組に出る芸人は、5分くらいあるネタをおいしいところだけ抽出して1、2分にまとめる、といった工夫をしなくてはいけない。たった1分だけでも視聴者にインパクトを残せるような、器用さとしたたかさを兼ね備えた芸人が求められているのだ。

こんな番組が成立するようになったのは、市場に供給されるお笑い芸の質と量が、かつてない勢いで向上して膨大になってきているからだ。テレビでお笑いは公然と切り売りされており、切り売りだけでも十分な質と量を確保できるくらい、お笑い文化が成熟しつつある。

そんな中で、一時的なブームで人気を博して、流行が過ぎ去るとともに消滅していく「一発屋芸人」というもののあり方にも微妙な変化が起こっている。

昔は、一発屋の認定はあくまで事後的に行われていた。すなわち、普通に表舞台に出てきている面々のうち、ある芸人が売れる一方で、別の芸人は売れなくて結果的に一発屋になる、というのが通常の流れだった。当たり前のことだが、一発屋とは消えてしまうからこそ、消えてしまった後の時点で「一発屋」として認定されていたのだ。

ところが、今は違う。現代においては、一発屋芸人は初めから「一発屋然とした姿」で私たちの目の前に現れてくる。そして、本人もそれを自覚した上で、一発屋であることを絶えずネタにしながらテレビに出続ける、という現象が見受けられるようになっている。

つまり、彼らは旧来の意味での「一発屋」ではないのだ。「一発屋枠」という枠に当てはめられ、その役割を与えられた普通の芸人に過ぎないのである。だからこそ、その後の行く末も人それぞれである。

「そんなの関係ねえ」でおなじみの小島よしおのように、一発屋であることを他の芸人にもさんざんネタにされながら、いつのまにかずいぶん長い間テレビに出続けている、という人もいれば、SMの女王様漫談をやっていたにしおかすみこのように、あるときから急に衣装をがらっと変えて普通のタレントっぽくふるまうようになる人もいる。また、ハードゲイキャラで世に出たレイザーラモンHGのように、バラエティ番組の第一線からはきれいさっぱり消えてしまった人もいる。文字通りの一発屋と呼べるのは最後のケースだけだ。

さらに言えば、そうやって一発屋芸人の行く末までもが多様化しているからこそ、「最近のお笑いはサイクルが速い」「次々に新しいのが出てきては消えていく」というような印象を世間の人が抱いているのだろう。

奇抜な衣装や派手な一発ギャグを武器にして、一直線に消滅に向かって突き進むだけが一発屋芸人の道ではない。彼らは彼らなりに、お笑い界の市場原理に応じて、与えられた「一発屋芸人」という役割を演じながら、次にたどるべき道筋を冷静に模索している。

高度な消費社会となったお笑い市場では、一発屋という単語の意味さえも徐々に変わりつつあるのだ。


●ラリー遠田(らりー・とおだ)
おわライター、お笑い評論家。
雑誌やブログを通じてお笑いに関する分析、評論活動を行っている。
著書に『この芸人を見よ!』(サイゾー)がある。
ブログ:おわライター疾走