担当者より:『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(築地書館)の著者、紙屋高雪さんに昨今のマルクスブームといわれる現象について論じていただいた原稿です。

配信日:2009/11/27


大きな本屋にいくとマルクス関連本が並べられていて、ちょっとしたブームなんだな、とわかる。しかし「マルクスブームは来ているか?」という問いの答えを言ってしまえば、「本格的なものは未だ来らず」というのがぼくの答えである。

主に二つの理由をあげたい。

一つ目は、まあ言うまでもないことだけど、マルクス自身の文章が難しすぎる、という至極単純な理由による。『資本論』を手にとったものの数ページで挫折をしたという経験は少なからぬ人が持っているはずだ。『蟹工船』のわかりやすさ、読書としての興奮を考えると、比べ物にならぬほどである。

現在巷間にあふれている「マルクス本」は、このマルクスの難解さを「やさしく読む」ということにむけて書かれたものが圧倒的に多い。「だいたいお前が解説と構成をした『理論劇画 マルクス資本論』(かもがわ出版)からしてそうではないか」と言われそうだが。

こうした解説本では、学者ではなく、学者以外の職業の人々が解説したもののほうがわかりやすく書けている、というのは皮肉なところだ。『マルクスる?』(マトマ商事)を書いた木暮太一は広告代理店のサラリーマンだし、嶋崇『いまこそ『資本論』』(朝日新書)は大衆誌の編集者である。

ぼくが「本格的なマルクスブームは未だ来らず」と思うもうひとつの理由は、現代の最も根源的な資本主義の病理の一つである恐慌についてマルクスの見解であるとするものが「定まっていない」ということにあると見ている。

マルクスブームの到来ではないか、と一部で言われ始めたのは2006~07年くらいからだろうと思うのだが(出版物が多く出始めたのはその直後)、この時期は日本で「格差と貧困」が大きな問題になってきた時期でもある(実はマルクスブームは海外でも見られるのだがここでは度外視する)。

この「格差と貧困」をマルクスが説明してくれるのではないか、という声がふくらみ、その声に応えて多くのマルクス本が出版されたのではないかとぼくは見ている。

マルクスは『資本論』を書いた、とよく言われるが、実際にマルクスの生前に出版までこぎつけたのは3部あるうちの第1部でしかない。

マルクスはくり返しこの第1部の改稿を試み、自分の満足するものに仕上げることに余念がなかった。しかし余念がなさすぎて、盟友エンゲルスが「早く後の巻に取りかかれ」と忠告したにもかかわらず、2部、3部を出版する前に死んでしまった。

今回マルクス本で出版されているものにはこの第1部までを解説しているものが目立つ。そして「資本主義的蓄積の一般的法則」と呼ばれる部分であるが、生産力を巨大に解放して物質的には未曾有のものがつくられるはずの資本主義のもとでなぜ「格差と貧困」が生まれるのかを、堅牢な論理のもとで説明しているのが、第1部である。

だから、「格差と貧困」を説明してくれる人としてマルクスを読むと大変スッキリするのだ。

ところがである。2008年秋におきたリーマン・ショックを本格的な契機として世界的恐慌が始まった。「派遣切り」や「生産休止」などが次々起きるようになった。

では、この「恐慌」の説明主として、マルクスは適任者だろうか。前述のとおり、マルクスは2・3部の刊行をせずに死んだのだが、あとには2・3部の準備用メモが膨大に遺された。エンゲルスは、稀代の悪筆であったマルクスの「象形文字」のメモと暗いランプのもとで格闘したために、すっかり目を悪くしてしまったほどだ。

マルクスの恐慌論の中心は実は2・3部に収められている。ところがたとえば「恐慌」みたいなタイトルでまとまって論じている箇所はなく、遺されたメモを扱ったエンゲルスはマルクスの意図を十分にくみきれなかった。採用しなかった原稿のほうに大事な部分があったり、恐慌にかかわる信用を論じた部分では、膨大な「注」を本文に組み込んでしまったり、研究のための議会報告書の抜粋を載せてしまったりしているのだ。

これではわけがわからないものに仕上がるはずである。「格差と貧困」についての説明は、今回出たマルクス本はかなりそろっているのだが、恐慌をマルクスはどう説明したか、という点になると驚くほどバラバラになってしまうのはこうした理由からだ。

ただし、「マルクスは生産と消費の矛盾を恐慌の原因として論じた」というのは有力な定説の一つになっている。利潤を求めて爆発的に解放される生産力にたいし、貧困に沈められている労働者大衆の消費の狭さが恐慌の究極的な原因なのだ、と。

しかし、「2008年の恐慌は金融恐慌であり、それが実体経済に波及した」と考える論者が多いから、実体経済における恐慌について論じたマルクスの恐慌論本体にはあまり出番がない、とひそかに思っている論者が少なくないのではないか。

そうすると、今回出たマルクス本の多くが2008年恐慌についてはほとんど論じないか、マルクスが信用や貨幣について論じた部分をあれこれ使って、もっと直裁にいえば、マルクスの言及に「ひっかけて」今回の恐慌を論じるというものが圧倒的多数になってしまうのだ(ぼくの解説した『理論劇画…』もこの範囲のものであると見なされても仕方がないだろう)。

マルクスの恐慌論そのものから2008年の恐慌を論じたマルクス解説本はほとんど存在しない。その唯一例外といってよい試みは、不破哲三『マルクスは生きている』(平凡社新書)であろう。

マルクスの恐慌論には、(1)恐慌の可能性――物々交換ではない市場経済では売りと買いが分離しているので、どれだけ売れるか分からずにモノをつくるのでそれが恐慌を起こす火種となる(2)恐慌の原因――利潤を求めて過剰な生産がなされ、搾取によって貧困に押しとどめられた労働者大衆の消費が矛盾する――という二つの柱がある。しかし不破によれば、それだけでは恐慌の説明にならない、という。

資本主義の市場のもとでは需給メカニズムが働くので、モノをつくりすぎたと思ったら普通は資本は撤退する。恐慌の場合、それがなぜ修正不能のところまで不均衡が累積してしまうのかが説明されなくてはならない、と不破は主張する。

そして、その不均衡を累積させるメカニズムを、マルクスは『資本論』の各種草稿で論じている、というのが不破の研究の結論なのだ。それを一言でいうと、「架空の需要」が積み重なっていくということである。実はマルクスはこのメカニズムを『資本論』草稿のなかで論じているのだが、エンゲルスの編集の不十分さもあって、うまく反映されなかった、と不破は考える。

そこで、不破は08年恐慌の発端であるサブプライムローンの問題を、「架空需要の累積」として説明し、マルクスの恐慌論の本体から説明するという挑戦をおこなっている。

いまマルクス派に圧倒的に不足しているのは、08年恐慌をマルクスそのものから説明する試みである。しかもそれはマルクスのあれこれの言及にひっかけて論じるのではなく、マルクスの恐慌論そのものを復元し、それと現実との距離をきちんと計ることなのだ。

本稿の最初の問いに帰れば、マルクスブームが本格的なものになるかどうかは、その努力にかかっているのだろうとぼくは思う。


●紙屋高雪(かみや・こうせつ)
紙屋研究所所長。
著書に『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(築地書館)がある。
また、『理論劇画 マルクス資本論』(かもがわ出版)では、構成・解説を担当した。
サイト:紙屋研究所