担当者より:山形浩生さんの書評連載第3回目です。ちなみに山形さんの現時点でのもっとも新しい訳書は『現代の二都物語』(日経BP社)です。『訳者解説』(バジリコ)を読んで山形さんの訳した書籍に関心を持たれた方にもお薦めです。
配信日:2006/03/22
こないだ近所の後楽園にいったら、コスプレ大会に迷い込んでしまい、浦島太郎状態。コスプレやってると遊園地の乗り物も無料(一部を除く)なので、へんなコスチュームの連中がそこらじゅうにうろついている様子はなかなか非日常的。ディズニーランドの着ぐるみ部隊など圧倒するすさまじいボリュームで、遊園地側としてもこれは雰囲気盛り上げられてお得だなあ。そしてそうした連中が、コミケと同じく非常に楽しげに写真をとりあって交流している様はなかなかかわいらしくてよろしい。
とかく年寄りの支配するメディアでの若者論といえば、キレやすいだのゲーム脳だの道徳意識が薄いだの犯罪が多いだの、おたくのヒッキーでつきあいが希薄だのというものだけれど、この現場をみるとおたくでもそれなりのつきあいはある。それを含め、各種の若者論を検証して見直しているのが浅野智彦編『検証・若者の変貌』(勁草書房)。ちまたで言われるほとんどすべての通俗若者論について、データに基づいた反証をしてくれる非常にためになる本。環境変化にともなって形態は変化しても、友情も道徳も道義心もすべて健在。すばらしい。
が、そうした通俗若者論は単に実態を見ない年寄りの冷や水なのか、という点をもっと怖い視点で掘り下げたのが芹沢一也『ホラーハウス社会』(講談社プラスα新書)。これもまた、少年犯罪についての世間的な認識を一つのテーマにしている。もう一つは精神障害者。少年の凶悪犯罪はちっとも増えてない。精神障害者の犯罪も増えていない。にもかかわらず、思いついたように問題視されて制度が変えられてしまう。それはむしろ、社会が変わったのだ、というのが著者の主張だ。社会が勝手にハードルを上げたがために、これまで問題でなかったものが問題視されるようになったのだ、と。
昔ポール・オースターにインタビューしたとき、かれの「人間心配事一定の法則」なるものをきかされたことがある。あらゆる時点において、人がかかえている悩み事の主観的な重みの総量は一定である、という法則だ。昔の人は、明日の食い物が手に入るか、病気はどうすれば直るか、といった大きなことで悩んでいた。でもそういう大きな悩みが消えても、人は悩みが減るわけではなく、ネクタイが曲がっているとか、化粧ののりが悪いとか、くだらない心配をたくさんするようになったり、あるいは昔ならどうでもよかった小さな悩みをやたらに重要視するようになる。かつて生死にかかわる問題について悩んだのと同じくらい真剣に、携帯電話の電池の減りだの狂牛病だの地球温暖化だのを悩むようになる。結果として、それらを足してみると(端から見れば単なるせこいグチでしかなくても)主観的にはまったく同じだけ悩みを人は持ち続けるのである、と。
これはあくまで笑い話だったんだが、『ホラーハウス社会』が述べているのはまさにそういうことだ。大きな問題がどんどん片付くにつれて、人は小さい問題を心配するようになる。心配するべきことがなければ、自分の基準をあげてでもそれを捏造する。そして社会の機能とはひょっとするとまさに、人々のために(お化け屋敷が次々に新しいお化けを繰り出してくるように)新しい心配事を作ってあげることなのかもしれない。すると人々がホラーハウス社会から出ることは永遠に……。
さて歴史の保存なんてのも、そうした社会のでっちあげた新しい(が実はどうでもいい)悩みの一つかもしれない。最近オープンした表参道ヒルズは、前に建っていた同潤会の汚らしい場違いな西洋長屋に不健全なフェティシズムを抱く人たちにぎゃあぎゃあ言われて、そのために町並みに配慮したとか保存がどうしたとか能書きをたれている。肝心の表側は全然だめ。特にあの昔のアパートを復元した部分は最低。あれは復元する価値なんかない建物だったんだから。まちがったところで保存しなくていいものを保存してどうするね。ノスタルジーだけで保存を云々しちゃいけない。坂口安吾「日本文化私観」(新潮文庫に入っている『堕落論』が、ほかの名エッセイも収録してお得用だと思う)を読み直そう。役に立たないものは壊せ、というあの論を、何か反語的に解釈したり、隠喩的に解釈したりするジジイどもが多いけれど、あれは本当に素直に文字通り解釈すべきだと思う。
でも、表参道ヒルズは、あまり人が出向かない裏通りのほうを歩いてみるようおすすめする。こっちは道を挟んだ建物同士の会話があって、なかなかよい町並みができている。名前だけ使われてあまり腕を振るえなかったとおぼしき安藤忠雄の、精一杯の自己主張かな。ちなみに、今出ている『Domani(ドマーニ)』2006年4月号に、藤原紀香と安藤忠雄の対談という、とうていかみ合うとは思えないシロモノが出ていて、賢そうなことを言おうとして滑っている(それもかなりの部分が加筆改訂済みと思しいのに)藤原紀香の痛々しさのために立ち読みする価値はあるかも(重くて腕が疲れる雑誌ですが)。ではまた。
●山形浩生(やまがた・ひろお)
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。
サイト:YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page
配信日:2006/03/22
こないだ近所の後楽園にいったら、コスプレ大会に迷い込んでしまい、浦島太郎状態。コスプレやってると遊園地の乗り物も無料(一部を除く)なので、へんなコスチュームの連中がそこらじゅうにうろついている様子はなかなか非日常的。ディズニーランドの着ぐるみ部隊など圧倒するすさまじいボリュームで、遊園地側としてもこれは雰囲気盛り上げられてお得だなあ。そしてそうした連中が、コミケと同じく非常に楽しげに写真をとりあって交流している様はなかなかかわいらしくてよろしい。
とかく年寄りの支配するメディアでの若者論といえば、キレやすいだのゲーム脳だの道徳意識が薄いだの犯罪が多いだの、おたくのヒッキーでつきあいが希薄だのというものだけれど、この現場をみるとおたくでもそれなりのつきあいはある。それを含め、各種の若者論を検証して見直しているのが浅野智彦編『検証・若者の変貌』(勁草書房)。ちまたで言われるほとんどすべての通俗若者論について、データに基づいた反証をしてくれる非常にためになる本。環境変化にともなって形態は変化しても、友情も道徳も道義心もすべて健在。すばらしい。
が、そうした通俗若者論は単に実態を見ない年寄りの冷や水なのか、という点をもっと怖い視点で掘り下げたのが芹沢一也『ホラーハウス社会』(講談社プラスα新書)。これもまた、少年犯罪についての世間的な認識を一つのテーマにしている。もう一つは精神障害者。少年の凶悪犯罪はちっとも増えてない。精神障害者の犯罪も増えていない。にもかかわらず、思いついたように問題視されて制度が変えられてしまう。それはむしろ、社会が変わったのだ、というのが著者の主張だ。社会が勝手にハードルを上げたがために、これまで問題でなかったものが問題視されるようになったのだ、と。
昔ポール・オースターにインタビューしたとき、かれの「人間心配事一定の法則」なるものをきかされたことがある。あらゆる時点において、人がかかえている悩み事の主観的な重みの総量は一定である、という法則だ。昔の人は、明日の食い物が手に入るか、病気はどうすれば直るか、といった大きなことで悩んでいた。でもそういう大きな悩みが消えても、人は悩みが減るわけではなく、ネクタイが曲がっているとか、化粧ののりが悪いとか、くだらない心配をたくさんするようになったり、あるいは昔ならどうでもよかった小さな悩みをやたらに重要視するようになる。かつて生死にかかわる問題について悩んだのと同じくらい真剣に、携帯電話の電池の減りだの狂牛病だの地球温暖化だのを悩むようになる。結果として、それらを足してみると(端から見れば単なるせこいグチでしかなくても)主観的にはまったく同じだけ悩みを人は持ち続けるのである、と。
これはあくまで笑い話だったんだが、『ホラーハウス社会』が述べているのはまさにそういうことだ。大きな問題がどんどん片付くにつれて、人は小さい問題を心配するようになる。心配するべきことがなければ、自分の基準をあげてでもそれを捏造する。そして社会の機能とはひょっとするとまさに、人々のために(お化け屋敷が次々に新しいお化けを繰り出してくるように)新しい心配事を作ってあげることなのかもしれない。すると人々がホラーハウス社会から出ることは永遠に……。
さて歴史の保存なんてのも、そうした社会のでっちあげた新しい(が実はどうでもいい)悩みの一つかもしれない。最近オープンした表参道ヒルズは、前に建っていた同潤会の汚らしい場違いな西洋長屋に不健全なフェティシズムを抱く人たちにぎゃあぎゃあ言われて、そのために町並みに配慮したとか保存がどうしたとか能書きをたれている。肝心の表側は全然だめ。特にあの昔のアパートを復元した部分は最低。あれは復元する価値なんかない建物だったんだから。まちがったところで保存しなくていいものを保存してどうするね。ノスタルジーだけで保存を云々しちゃいけない。坂口安吾「日本文化私観」(新潮文庫に入っている『堕落論』が、ほかの名エッセイも収録してお得用だと思う)を読み直そう。役に立たないものは壊せ、というあの論を、何か反語的に解釈したり、隠喩的に解釈したりするジジイどもが多いけれど、あれは本当に素直に文字通り解釈すべきだと思う。
でも、表参道ヒルズは、あまり人が出向かない裏通りのほうを歩いてみるようおすすめする。こっちは道を挟んだ建物同士の会話があって、なかなかよい町並みができている。名前だけ使われてあまり腕を振るえなかったとおぼしき安藤忠雄の、精一杯の自己主張かな。ちなみに、今出ている『Domani(ドマーニ)』2006年4月号に、藤原紀香と安藤忠雄の対談という、とうていかみ合うとは思えないシロモノが出ていて、賢そうなことを言おうとして滑っている(それもかなりの部分が加筆改訂済みと思しいのに)藤原紀香の痛々しさのために立ち読みする価値はあるかも(重くて腕が疲れる雑誌ですが)。ではまた。
●山形浩生(やまがた・ひろお)
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。
サイト:YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page

