担当者より:人気ブログ「空中キャンプ」で多くの映画についても書いている伊藤聡さんにシネコンに関する原稿をご執筆いただきました。

配信日:2008/09/03


〇八年八月二日、池袋にある単館系の映画館シネマ・ロサ。この日、レイトショー上映で封切りになったのは、井口昇監督の新作『片腕マシンガール』である。やくざに左腕を切り取られた少女が、失った片腕にマシンガンを取りつけて復讐に挑む。メインとなる激しいアクションシーンでは、首がもげ、からだがまっぷたつに斬られ、派手に返り血を浴びたセーラー服の女子高生が、それでもなお、次々に敵を惨殺していく。こんな映画を見ていては、お母さんに叱られるのではないかと心配になるような内容である。

初日、舞台あいさつのおこなわれた回では、約180席ある座席が満員、補助の椅子が置かれるほどの盛況ぶりで、上映後、舞台に上がった井口監督は、「この映画をぜひデートに使ってください」と笑顔でアピール。客席にきていた監督のご両親も紹介され、会場からは大きな拍手がわき起こった。見たところ、いくぶんご高齢でいらっしゃったおふたりだが、劇中の「やくざの情婦が胸に取りつけた『ドリルブラ』がするどく回転し、女子高生のからだを抉りながら血まみれにする場面」など、どのような気持ちでご覧になったのだろうか。息子の仕事がドリルブラ。ぜひ感想を訊いてみたいところである。

『片腕マシンガール』とほぼ同時期に公開され、こちらもヒットとなった英映画『HOT FUZZ』など、輸入DVDが先行して映画ファンのあいだで話題になり、劇場公開へとつながっている作品が増えてきているのは興味ぶかい(『片腕マシンガール』は海外資本で作られた映画のため、国内上映より先に輸入DVDが入手できた)。

輸入DVDのマーケットは広がってきており、リージョンフリーの再生機を持ち、輸入されたDVDを見る映画ファンはかなり増えている。日本語字幕をつけた海外盤DVDも数多く販売されており、それらは日本国内のマーケットを視野に入れて作られている。

こうしたマニアックな映画ファンたちの動きに合わせるように、単館系の映画館も、ある一定の客層を意識しながら上映作品を選ぶことで、それぞれの独自性を打ちだしてきている。

渋谷の映画館シアターNは、ホラー路線を前面に押しだすことで成功した例だ。ここでは連日、特大の斧やチェーンソーで首を刎ねたり、ライフルで人のからだに穴を開けたりする映画が、入れ替わりで上映されている。ゆかいなことです。

ホラーファンにとっては古典といえる傑作『悪魔のいけにえ』(一九七四年)を爆音上映するなど、シアターNの独自路線はユニークだが、こうした単館系の動きは、その対極にある巨大化したシネコンが、作品を「鑑賞」するというよりはむしろ、音響や劇場設備を含めて「体感」するものへと変化していく大きな流れの裏側で、相対的に進行しているものだ。

大作を中心に上映されるシネコンは、なによりも快適さを第一に追求している。ネットで席が予約できる点や、各人の座席がすべて指定されて、じゅうぶんに広いスペースが確保されているところ。スクリーンは大きく、デジタルシネマプロジェクターが使用された映像はきわめてうつくしい。

音響も、THX基準をクリアした強力なサウンドがたのしめる。こうした設備を用いて映画を見ることでわれわれは、「座席がふわふわしてて、音がずしんずしん響いて、映像がぴかぴかしてて、とにかくすごかった」という、五感を通じた「体感」が可能になる。3Dメガネを使用した立体映像の作品も増えており、よりアトラクションに近い感覚で映画を見せようという、シネコン側の意図が読み取れる。3Dのクオリティもすごいんですよ。おもわず「びくっ」とからだが反応して動いてしまうくらいに飛びだしてくる。怪獣とかが。

また、帝国劇場やNHKホールなどにおいてすでに導入済みである「携帯電話抑止装置」(あるエリア内の電波を強制的に圏外にするシステム)が組み入れられる可能性もある。上映中の着信音を防ぐこのシステムは、劇場やシネコンにおけるサービスの方向性を象徴的に示唆しているようにおもえる──それとは気がつかないうちに、自分の持っている携帯の電波が入らなくなっていること。

この点については、いくつかのシネコンに問い合わせてみたのだが、「防音設備が電波を入りにくくするので、圏外になってしまうことが多い」といった返答で、現時点での導入については訊けなかった。

あと、問い合わせの電話をかけたわたしが、いかにも不審な誘導尋問だったという反省点もある。なにしろ「劇場内はもう、いきなり圏外なんですよねー」といった訊き方だった。ともあれ多くのシネコンが、観客にとって快適なアーキテクチャを、ある部分では目に見えないかたちであらかじめ構築し、それを徹底して管理することによって、サービスの質を向上させていく方向性を持つことは確実である。

しかし、こうしたシネコンの方向性は、コアな映画ファンからは意外に評判がわるい。より頻繁に映画館に通う人ほど、シネコン型の環境管理をきらう。彼らはシンプルな鑑賞を望んでいるのであり、映画館にでかけて適当な座席にすわり、ふつうに作品を見る。そこでいちいち座席を指定されたり、そのために行列をつくって手続きをしたりすることがかったるい。求めているものと供給されるものにずれが生じているようにも見える。

ここに、単館系における「鑑賞」という従来的なスタイルと、シネコンにおける「体感」との乖離を見ることができるようにおもう。独自性を打ちだすようになった単館系の作品と、環境管理されたシネコンで見る大作映画はいかにも対照的である。そう考えたとき、クエンティン・タランティーノの「グラインドハウス」という着眼点は、決して表層的ではなく、すぐれて現代的なテーマを含んでいるのだと感心させられる。

ほんらい、B級映画を中心に上映する、場末の映画館を意味する言葉であった「グラインドハウス」から、映画『グラインドハウス』(二〇〇七年)はインスパイアされている。劇中で強調されるのは、フィルムの傷や劣悪な上映環境、もしくはリールの紛失といった事故までもを、作品の一部として含めていこうとする姿勢である。ノイズを許容するということ。

現在、シネコンは「非グラインドハウス化」を目指し、観客にとって不快な要素をできるだけ排除していこうとしており、その流れはこれからも進んでいくはずである。この方向性は否定しがたい。しかし、旧来の映画館における「グラインドハウス的なもの」がすべて淘汰されるとも考えにくい。シネコンってどうも落ち着かないんですよ。それは、映画館という場所が本質的に持っている「親密な闇」とでもいうべきほの暗さの有無であって、すべてのノイズがたんねんに排除された場所では、そうしたほの暗さは生まれないような気がするためだ。


●伊藤聡(いとう・そう)
ブロガー。
ブログ:空中キャンプ