担当者より:オバタカズユキさんは会社、資格、大学、ペットといった硬軟問わず多くのジャンルで活躍されている書き手です。著書は『何のために働くか』(幻冬舎文庫)、『ペットまみれの人生』(扶桑社文庫)など多数あります。この原稿は「食」にまつわる書籍についてレビューしていただく全6回の連載の第1回目のものです。

配信日:2005/02/16


「ウィトゲンシュタインは、哲学を、浮力に逆らって水中深く進みゆく潜水に例えた」

当コラム一発目として、知的な引用文から入ってみた。書名、著者名はちと難しいと思うので、何ジャンルの本からの引用か考えてみてください。当てられるかな?

(ヒント1:人文系でも評論でも文芸でもビジネス書でもない)
(ヒント2:書店の棚でいうと「実用書コーナー」)

面白いから、別の一文も引用してみる。ちなみに著者は学者ですらない。

「私どもは、先祖の遺産である体験科学と現代の実証科学の落差の間を、知識と、特に感覚を目一杯駆使して、生きてゆきやすい方法を身辺に確立してゆかねばならない」

この一文は、次の文章へと続く。これで、ややわかるはず。

「食に対する責任は、男女、老幼を問わず、わがまま、怠慢はゆるされない。何事か成しえたい志を持つ人は、日本の出汁くらい、楽々ひけるようでなければ、その志はむなしい」

そう、正解は料理本です。書名は『あなたのために いのちを支えるスープ』(文化出版局)。味噌汁からガスパチョまで、世界のスープの作り方を説明しているレシピ集。

著者の辰巳芳子は、料理が趣味のインテリじゃない。1924年生まれで、NPO法人「良い食材を伝える会」代表理事などの肩書きも多数ある、現役バリバリの料理家だ。彼女の名も知らぬグルメ気取りがいたら、そいつはチンケな舌先野郎にすぎないといえる、そういう料理界の大御所である。 

辰巳芳子は料理の中でも、家庭料理を専門としている。その経験知には躊躇がない。例えば、スープを作る場合の火力について、冒頭からこう断言。
「親の代からの台所仕事を見て、七〇年、くらくら、ぐらぐら煮てよいものなど一つもないと考えている」。

その教育法には甘えがない。例えば、ポトフの作り方において、「洋風スープの母胎であるから、むずかしく考えず作られるとよい」と前ふりしながら、こう伝授。「二日にわたるポトフ作りの仕事の、段取りは以下のとおりである」。以下、8ページにも渡るレシピ本稿となる。

あなたが女であろうが男であろうが、ぜひ実際をご覧いただきたい。貞女への道を説く鬼、がそこにいる。仕事論としても読めるし、上流階級の矜持とは何か、なんてことも読みとれる本である。

日本の食の世界は怖いほどに広い。その感触を伝えたくて、辰巳本から紹介した。次号以降も、食の書を通じて、あれこれ書いていきます。



●オバタカズユキ(おばた・かずゆき)
物書き。
著書に『何のために働くか』(幻冬舎文庫)、『ペットまみれの人生』(扶桑社文庫)などがある。