担当者より:評論・翻訳などの分野でご活躍中の山形浩生さん。先日刊行された『訳者解説』(バジリコ)も話題になっています。「週刊ビジスタニュース」では月に一度、書評の連載をご執筆いただいております。この原稿はその連載「山形月報!」の第1回目のもので、数年前のものではありますが、当連載における山形さんのスタンスも記されているために掲載いたしました。
配信日:2006/01/25
どうも。今回からぼくが駆け足書評みたいなのを連載することになったので、よろしく。まずは前口上から。
ぼくはしょせん、リーマン稼業の片手間に雑文を書いたり翻訳をしたりしているだけの人間だし、本来であればこんなメルマガの書評欄としては、まあ話題のビジネス書でも軽くふれて、時々ご期待に添って変なサブカルがかった変化球でも投入しておけばいいことになるんだろう。
でも、いまのメディアの状況を見ると、それじゃ足りない。一般読者は、まともな書評サービスを受けていない。主流文化の中心できちんと評価を下されるべき本が、ちっともきちんと論じられていない。問題作になればなるほど、専門家たちはあえて猫に鈴をつけるようなことをしたがらないからだ。
おかげで一般読者は、そうした本の重要性をきちんと認識させてもらえないまま、どうでもいい本のはなしばかり読まされる。そして日本の文化風景に、その分ぽっかりと大穴があいてしまうのだ。しょうがない、ぼくがやる。及ばずながらこの欄でも、すこしでもその穴をうめるように重い本も扱うようにする。うっとうしいだろうが、でもそれはビジネスマンとしても持っておくべき文化的教養となるものだから、がまんするように。
現在、その代表格はユン・チアン&J・ハリデイ『マオ』(上下、講談社)。これは、欧米では昨年のベストセラーにして最大の話題作だし、中国の存在感が世界的に高まっている今、その開祖について知っておくのはビジネス的にも重要だ。そしてこれをどう評価するかで、中国に対するスタンスも変わってくる。ところがこの本、日本では売れてはいるのに、発売後二カ月たってもまともな書評がほとんどない。
この本によれば、現代中国が国民統一手段として使っている毛沢東像――革命の英雄、人民の父、天才的ゲリラ戦術家――はまったくのウソだという。毛沢東はあらゆる点で無能で、残虐で好色で権力欲が強く他人の足を引っ張って手柄を横取りし、後でそれを粛正して抹殺するのがうまかっただけ。そしてその手口の悪辣さときたら、読みながら胸が悪くなるほどだ。チアンとハリデイは、旧ソ連の資料を大量に使い、さらに無数のインタビューによってそれを補強しており、力作であるのはまちがいない。
が、その描き方はきわめて疑問。新資料に頼る一方で、本書は毛沢東自身の著作その他をほとんど顧みない。毛沢東思想の形成や発展についても、まったく検討がない。毛沢東のやった蛮行の中で最悪のものは、数千万人を餓死させた大躍進と、そして文化大革命だった。ところがチアンはこれらを毛沢東の権力闘争の一部として描こうとして、それ自体が持っていた意味を見過ごす。
毛沢東は、古い中国文化を破壊したがる野蛮人だった、と本書は描く。でも、なぜそれを破壊したかったの? 本書はそれを分析できない。野蛮人だったと述べてそれでおしまい。それでは現在の伝記としては役に立たないのだ。
ほかにも書きたい点はあるがすでに長くなりすぎている。が、本書の内容については、すでに欧米や台湾などではかなりの批判が起きていることは念頭におくべし。今後、日本でもそうした状況が伝えられることを願いたいけれど、どうかな。2006年1月現在ではいちばん長くてまともな書評は『CUT』(2006年2月・3月号)掲載のぼくの書評だったりする。
まったく、何でこんな重要な本のまともな書評がサブカル芸能雑誌にしか出ないんだい。本書は、その存在は知らなきゃいけないし、中身についてちょっときいたふうなことがいえたほうがいい。読めば無法におもしろいことも保証しよう。でも、内容を鵜呑みにしないこと。その意味で必読か、といえばそうじゃない。ただし手には取るべし。重さを味わうだけでもいいから。
さて、もう少し一般のビジネスマンに近いところでは、菊池信輝『財界とは何か』(平凡社)。『マオ』は教養なので、読んだふりさえできればある意味で十分だけれど、本書はちゃんと読んでおいたほうがいい。
財界というと、経団連があれこれ発表したりという以外に具体的なイメージを持つ人は少ない。でも、財界の意向こそが常に戦後の日本の政治を左右してきた。そしてそれは、なにやら料亭の奥座敷でナントカ老と政治家が談合というような話じゃない。財界は政治と癒着していると思われがちだけれど、でも利用するということは借りを作ることだ。それは将来、企業活動に政府が介入する口実になる。財界はそれを避けようとしてきた! そして現在は、トヨタの奥田会長が下手に政府の各種委員会で活躍して政策に関与しているが故に、財界は靖国問題なんかで言いたいことが言いにくくなって、かえって困っているのだ、という分析。公開資料だけでここまでの分析ができるとは驚くばかりで、今後の日本の政治動向を考えるにも重要。これは買って、流し読みでも目を通すべき本。
もうちょっとすぐに目先の利用ができそうな本が、アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義』(勁草書房)。日本は諸外国に比べて地方分権が遅れているとか、公務員が多いとか、女性の社会進出がないとかいう議論はよくきくし、そのたびにその議論に都合のいい外国が例として持ち出される。でも、どんな面でも日本より優れたところはあるだろうけれど、何でも一番でなきゃいけないわけじゃない。バランスってもんもあるんだし。全体として日本の政治って世界の中でどのあたりの位置づけなの?
本書は世界三十六カ国の中での各種位置づけを行った政治研究だけれど、意外や意外、日本ってなんでも中庸で、何で見てもそんなに悪くないんだね。外国と比べたがり病の人に対抗するためのネタ本として、手元に持っておこう。とりあえず、図表だけざっと流して見ておけばすむ。
手軽に読める本としては原田泰、鈴木準『人口減少社会は怖くない』(日本評論社)。日本の人口が減少に転じて、変に危機をあおりたがる人が多いけれど、人口が減ってもそんなに悪いことはないのだと冷静に教えてくれるよい本。特に最後の、江戸時代における人口減少社会の理想は隠居だった、というのは示唆に富んでいる。このくらいの本は、通勤途上に読みなさい。新事業のヒントなんかもあることだし。
さて最後は小説で息抜き、といいたいところだけれど、なかなか息がぬけないのがナボコフの新訳『ロリータ』(新潮社)。ロリコンの語源となった『ロリータ』は、これまで翻訳が悪いと言われ続けていた。原文は、古今の名作のパロディやことば遊びがテンコ盛りだが、そうした部分が全部消えている、と。だから言葉遊びに長けた若島正が改訳版を出すときいて小躍りした人は多いんだが……出てみるとこれが拍子抜け。
まず、既存の訳は文庫に入るときに大幅に改訂されていて、実はそんなに悪くなかった、と若島は言う。そして新訳では、原文のへんな英語やことば遊びを重視したとは言うものの、冒頭のL音の連続という最もあからさまな遊びをあっさり黙殺している。うーん……確かに、翻訳としての質は上がってるんだが、でも改訳するほどの向上だろうか。特に前の訳がそんなに悪くなかったんなら、ぼくはもっと超絶技巧翻訳を期待していたんだが、その期待が非現実的だっただけかもしれない。でもこれなら改訳しなくても……と言いつつ、久々に通して読んだ『ロリータ』はとても楽しく、そして若島が解説で指摘する、ロリータのその後の運命というのにも今回初めて気がつかされたという点でとても有益ではあったのだけれど。
まあよい訳なのはまちがいないので、萌えがどうしたとかいう軽薄な物言いが跋扈している現在、その原点に帰る意味で一読なさっちゃいかが。これも世間的な教養の一部ではありますので。
今回はえらく長くなってしまったが、前振りが長かったので許してくださいな。次回からはもっと手短にいきます。
●山形浩生(やまがた・ひろお)
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。
サイト:YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page
配信日:2006/01/25
どうも。今回からぼくが駆け足書評みたいなのを連載することになったので、よろしく。まずは前口上から。
ぼくはしょせん、リーマン稼業の片手間に雑文を書いたり翻訳をしたりしているだけの人間だし、本来であればこんなメルマガの書評欄としては、まあ話題のビジネス書でも軽くふれて、時々ご期待に添って変なサブカルがかった変化球でも投入しておけばいいことになるんだろう。
でも、いまのメディアの状況を見ると、それじゃ足りない。一般読者は、まともな書評サービスを受けていない。主流文化の中心できちんと評価を下されるべき本が、ちっともきちんと論じられていない。問題作になればなるほど、専門家たちはあえて猫に鈴をつけるようなことをしたがらないからだ。
おかげで一般読者は、そうした本の重要性をきちんと認識させてもらえないまま、どうでもいい本のはなしばかり読まされる。そして日本の文化風景に、その分ぽっかりと大穴があいてしまうのだ。しょうがない、ぼくがやる。及ばずながらこの欄でも、すこしでもその穴をうめるように重い本も扱うようにする。うっとうしいだろうが、でもそれはビジネスマンとしても持っておくべき文化的教養となるものだから、がまんするように。
現在、その代表格はユン・チアン&J・ハリデイ『マオ』(上下、講談社)。これは、欧米では昨年のベストセラーにして最大の話題作だし、中国の存在感が世界的に高まっている今、その開祖について知っておくのはビジネス的にも重要だ。そしてこれをどう評価するかで、中国に対するスタンスも変わってくる。ところがこの本、日本では売れてはいるのに、発売後二カ月たってもまともな書評がほとんどない。
この本によれば、現代中国が国民統一手段として使っている毛沢東像――革命の英雄、人民の父、天才的ゲリラ戦術家――はまったくのウソだという。毛沢東はあらゆる点で無能で、残虐で好色で権力欲が強く他人の足を引っ張って手柄を横取りし、後でそれを粛正して抹殺するのがうまかっただけ。そしてその手口の悪辣さときたら、読みながら胸が悪くなるほどだ。チアンとハリデイは、旧ソ連の資料を大量に使い、さらに無数のインタビューによってそれを補強しており、力作であるのはまちがいない。
が、その描き方はきわめて疑問。新資料に頼る一方で、本書は毛沢東自身の著作その他をほとんど顧みない。毛沢東思想の形成や発展についても、まったく検討がない。毛沢東のやった蛮行の中で最悪のものは、数千万人を餓死させた大躍進と、そして文化大革命だった。ところがチアンはこれらを毛沢東の権力闘争の一部として描こうとして、それ自体が持っていた意味を見過ごす。
毛沢東は、古い中国文化を破壊したがる野蛮人だった、と本書は描く。でも、なぜそれを破壊したかったの? 本書はそれを分析できない。野蛮人だったと述べてそれでおしまい。それでは現在の伝記としては役に立たないのだ。
ほかにも書きたい点はあるがすでに長くなりすぎている。が、本書の内容については、すでに欧米や台湾などではかなりの批判が起きていることは念頭におくべし。今後、日本でもそうした状況が伝えられることを願いたいけれど、どうかな。2006年1月現在ではいちばん長くてまともな書評は『CUT』(2006年2月・3月号)掲載のぼくの書評だったりする。
まったく、何でこんな重要な本のまともな書評がサブカル芸能雑誌にしか出ないんだい。本書は、その存在は知らなきゃいけないし、中身についてちょっときいたふうなことがいえたほうがいい。読めば無法におもしろいことも保証しよう。でも、内容を鵜呑みにしないこと。その意味で必読か、といえばそうじゃない。ただし手には取るべし。重さを味わうだけでもいいから。
さて、もう少し一般のビジネスマンに近いところでは、菊池信輝『財界とは何か』(平凡社)。『マオ』は教養なので、読んだふりさえできればある意味で十分だけれど、本書はちゃんと読んでおいたほうがいい。
財界というと、経団連があれこれ発表したりという以外に具体的なイメージを持つ人は少ない。でも、財界の意向こそが常に戦後の日本の政治を左右してきた。そしてそれは、なにやら料亭の奥座敷でナントカ老と政治家が談合というような話じゃない。財界は政治と癒着していると思われがちだけれど、でも利用するということは借りを作ることだ。それは将来、企業活動に政府が介入する口実になる。財界はそれを避けようとしてきた! そして現在は、トヨタの奥田会長が下手に政府の各種委員会で活躍して政策に関与しているが故に、財界は靖国問題なんかで言いたいことが言いにくくなって、かえって困っているのだ、という分析。公開資料だけでここまでの分析ができるとは驚くばかりで、今後の日本の政治動向を考えるにも重要。これは買って、流し読みでも目を通すべき本。
もうちょっとすぐに目先の利用ができそうな本が、アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義』(勁草書房)。日本は諸外国に比べて地方分権が遅れているとか、公務員が多いとか、女性の社会進出がないとかいう議論はよくきくし、そのたびにその議論に都合のいい外国が例として持ち出される。でも、どんな面でも日本より優れたところはあるだろうけれど、何でも一番でなきゃいけないわけじゃない。バランスってもんもあるんだし。全体として日本の政治って世界の中でどのあたりの位置づけなの?
本書は世界三十六カ国の中での各種位置づけを行った政治研究だけれど、意外や意外、日本ってなんでも中庸で、何で見てもそんなに悪くないんだね。外国と比べたがり病の人に対抗するためのネタ本として、手元に持っておこう。とりあえず、図表だけざっと流して見ておけばすむ。
手軽に読める本としては原田泰、鈴木準『人口減少社会は怖くない』(日本評論社)。日本の人口が減少に転じて、変に危機をあおりたがる人が多いけれど、人口が減ってもそんなに悪いことはないのだと冷静に教えてくれるよい本。特に最後の、江戸時代における人口減少社会の理想は隠居だった、というのは示唆に富んでいる。このくらいの本は、通勤途上に読みなさい。新事業のヒントなんかもあることだし。
さて最後は小説で息抜き、といいたいところだけれど、なかなか息がぬけないのがナボコフの新訳『ロリータ』(新潮社)。ロリコンの語源となった『ロリータ』は、これまで翻訳が悪いと言われ続けていた。原文は、古今の名作のパロディやことば遊びがテンコ盛りだが、そうした部分が全部消えている、と。だから言葉遊びに長けた若島正が改訳版を出すときいて小躍りした人は多いんだが……出てみるとこれが拍子抜け。
まず、既存の訳は文庫に入るときに大幅に改訂されていて、実はそんなに悪くなかった、と若島は言う。そして新訳では、原文のへんな英語やことば遊びを重視したとは言うものの、冒頭のL音の連続という最もあからさまな遊びをあっさり黙殺している。うーん……確かに、翻訳としての質は上がってるんだが、でも改訳するほどの向上だろうか。特に前の訳がそんなに悪くなかったんなら、ぼくはもっと超絶技巧翻訳を期待していたんだが、その期待が非現実的だっただけかもしれない。でもこれなら改訳しなくても……と言いつつ、久々に通して読んだ『ロリータ』はとても楽しく、そして若島が解説で指摘する、ロリータのその後の運命というのにも今回初めて気がつかされたという点でとても有益ではあったのだけれど。
まあよい訳なのはまちがいないので、萌えがどうしたとかいう軽薄な物言いが跋扈している現在、その原点に帰る意味で一読なさっちゃいかが。これも世間的な教養の一部ではありますので。
今回はえらく長くなってしまったが、前振りが長かったので許してくださいな。次回からはもっと手短にいきます。
●山形浩生(やまがた・ひろお)
大手シンクタンク研究員、評論家、翻訳家。
サイト:YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page

