担当者より:メディア論などの研究者である大澤聡さんに原稿料にまつわる問題について歴史を振り返りつつ論じていただいた原稿です。現在の出版業界にも深く関係するテーマですので、ぜひご一読ください。
配信日:2010/03/03
2009年12月17日、千駄木にある古書店「古書ほうろう」で開催されたトークイベントを聞きに出かけた。参加したのは、研究者的関心からつねづね気になっている「原稿料」が主なテーマだったからだ。
「モクローくんトーク2「なぜか、原稿料の話」」と題し、ライター・編集者の南陀楼綾繁(=モクローくん)、イラストルポライターの内澤旬子、評論家の栗原裕一郎の3名が登壇。わたしが到着したときには、店内に設えられたスペースはすでに超満員だった。古本の詰まった本棚のわきのイスに腰かけ拝聴することに。
前方に知り合いの編集者を何人か見つけ、あいさつをすると、わたしと同様、南陀楼さん関連のイベントに参加するのははじめてなのだという。示し合わせたわけでもないらしい。まさに、「原稿料」というトピックの魅力をものがたっていると思った。みんな気になるのだ。他人(他社)の原稿料事情が。
これは原稿料にかぎらない。出版業界以外でも同じ。他人の収入は基本的に秘されている。だからこそ興味を引く(たとえば、芸人の月給トークを想起せよ)。誰しも、自分だけ損をしていないか確認したがっている。対話は、各者の原稿料の支払い(/不払い)をめぐる不幸体験の紹介を中心に進行した。フリーランスの書き手のおかれた厳しい環境が次々とうきぼりになっていく。ある程度の推測はしていたが、支払いをめぐるずさんさにあらためて驚く。ひどすぎる。
さて、イベントの数日前には、書評家の豊崎由美による責任編集の同人雑誌『書評王の島』vol.3(2009年12月)が発行されていた。同号は、巻末に特集「あなたの知らない原稿料の世界」を掲載。マル秘印つきの「袋とじ」(!)になっており、購買欲をあおる。覗いてみたい。会場でも販売され、飛ぶように売れていた。やはり、他人の原稿料は気になるのだ。有志の書き手たちから収集したデータが一覧表にまとめられ、103の媒体の原稿料が一望できる。趣旨文の冒頭に、「いにしえより、ライターにとって原稿料はブラックボックスでした」とあるとおり、旧来、ほかの書き手がいくらの値段で仕事をしているのかは、ほとんど偶発的にしか知りえない情報だった(ちなみに、いま、Googleの検索ボックスに「原稿料」と入力してみたところ、関連検索キーワードの候補として「相場」が表示された!)。それが非公式的にではあれ、公開されたのである。
もっとも、類似企画はこれまでにも存在した。だが、具体的な媒体名をあげた例は稀有である。その例外ぶりがこの特集を貴重な資料たらしめている。原稿依頼を引き受ける際の判断材料、あるいは交渉基準として十分活用できるはずだ。
袋とじ企画をきっかけとして、Twitter上では、「#genkouryo」というハッシュタグ(=特定の話題にそったコメント群を自動的にグルーピングし、検索可能にする機能)をつけ、さまざまな関連情報が交換されはじめていた。その後もしばらく盛りあがりを見せたようだ。タグ設定者の豊崎自身もしばしば投稿しており、当日のイベント会場にも来ていた。演者からマイクを回され、原稿料にまつわる自身の理念を披露する。豊崎の主張はいたってシンプル。イベントでも、袋とじの説明文でも、次のように説いた(以下、大澤による要約。カッコ内は袋とじの表紙文章から)。
依頼時に原稿料が明示されないケースは頻繁にある。その場合、原稿が活字になったのちに、振り込み額を確認してはじめて自分の仕事の値段を知ることになる。こうした契約(ならぬ契約)関係は世間一般ではおよそ考えがたい。しかし、それがこの業界では慣例的にまかりとおってしまっている。のみならず、おりからの出版不況で原稿料引き下げ現象まで見られる。書き手たちはいまこそ「共闘」するべきなのだ。「人間らしい生活」を獲得するために。
そう熱弁した。では、書き手たちは具体的に何をすればよいのか。豊崎はいう(やはり、概略)。
おのおのがなすべきことはふたつ。事前に対価を訊く習慣を身につける。そして、中堅クラス以上の媒体の場合、提示額が最低ライン(豊崎は「400字1枚5000円」という)を下回るようなら引き受けない。
思えば、ノンフィクションライターの日垣隆も『売文生活』(ちくま新書、2005年)などで、ほぼ同じ主張を展開していた(同書の帯文は「業界のタブー「原稿料」の真実」とうたい、やはり購買欲をそそった)。物価の上昇にかかわらず、ある時期以降は原稿料がすえ置きのままであるのはおかしい、と日垣は強調する。現状を打開するべく、必ず事前に原稿料の交渉をしてきたのだという。
これを日垣は「後輩たちのため」でもあると記す。個々の習慣改善が、全体のシステム刷新に直結するというわけだ。フリーライターという業種には互助的機関が存在しない。ならば、選択肢はそれくらいしかない。書き手たちによる、ゆるやかで間接的な「共闘」。そうした試みは、歴史的にも観察できる。新聞・雑誌メディアの歴史を研究するわたしは、古い記事を通覧する迂遠な作業を日々続けている。そのなかで類似する事例をたびたび目にしてきた。たとえば、いまから80年ほど前の記録。『東京朝日新聞』1932(昭和7)年5月10日朝刊に掲載された「原稿料請求に初ての訴訟」という見出しの記事である。そこにはこう記されている。
不況のために「原稿料不払ひ」が横行している。しかし、「区々たる文筆者は、出版業者に対して極めて弱い立場にあるため、不払ひにも泣寝入りの形であつた」。そこで、作家の加藤武雄、龍胆寺雄ら8名が雑誌社である創造社の社長を相手取り裁判を起こした。状況改善のために立ちあがったのである。
しかし、この記事にはオチがつく。じつは誤報だったのだ。3日後の5月13日同紙朝刊に小さな訂正文が載る。同月4日の段階ですでに、「示談取下となり円満に解決」していたらしい。経緯詳細は不明。だが、問題はもはや裁判の有無ではない。小粒の(ただし、上記ふたりは、当時まずまずの売れっ子ではあった)書き手たちが「共闘」して声をあげた事実こそが重要なのだ。
誤報記事はこう結ばれている。「今後は原稿売買問題にも一般商取引と同じく契約書の取かはし等のせち辛い商慣習を生ずることになるかも知れぬと注目されてゐる」。この表現は、「原稿売買」が「一般商取引」には属さないことを前提としている。ふつうの「商取引」は「せち辛い」ものだ。けれども、「原稿売買」は本来そうではない。たとえば、文学。それは神聖な営為であり、カネのことをとやかくいうのは汚いことである。そういった社会的通念が存在する。芸術性は金銭に還元できない。文学はいま以上に神聖視されていた。
しかし、いわゆる円本ブーム(=関東大震災後に発生した1冊1円の格安全集の大流行)以後の、文学・出版が完全に大衆化した環境にあって、その神話を崩すことこそを得意とした評論家たちも出てきた。杉山平助や大宅壮一がそれである。現在の感覚からすると、評論家というよりライターといった方が実相にちかい。彼らは、出版事業をとりまくベールを次々と剥がしていった。その暴露ぶりが人気を博した。
たとえば杉山は、論説「商品としての文学」(『東京朝日新聞』1931年9月19・20日朝刊)などにおいて、文学の「商品」としての側面にきちんと目をむけるよう主張する。創作にせよ批評にせよ、それが売買の対象である以上は値段に還元される。そして、「芸術的価値」は「商品的価値」と必ずしも比例しない。こうした議論の延長で、論説「評論と小説の稿料」(『読売新聞』1934年6月15~18日朝刊)では、評論の原稿料が小説のそれよりも総じて低いことの理由を考察している。いわく、商品の価格は「それを生産するために費された労力に比例」しない。「需要供給の関係」によって習慣的に決定しているのだ、と。
こうした杉山や大宅の経済合理的な「文学商品論」に対して、多方面から猛烈な反論も殺到した(林房雄など)。にもかかわらず、彼らへの執筆依頼が途絶えることはなかった。つまり、こう整理できるだろう。一般読者たちは業界のカラクリを覗き見ることを望んだ。しかし一方で、業界内部の人間たちは、文学や文章をとりまく神聖性を維持したがった。先の新聞記事の「せち辛い」という否定的な表現の背後には、そうした当時の一連の議論が透かし見える。
「せち辛い商慣習」はついに定着しなかった。なぜ、定着しなかったのか。理由のひとつには、カネにこだわるようで汚いという観念が拭い去れなかったことがあげられるだろう。文章を書く行為自体が自己実現の手段になってしまっている(「清貧でもいいから書きたい!」)。もうひとつは、先の誤報記事が記したとおり、書き手の「弱い立場」が解消されなかったこと。とくに媒体の減少期には、書き手はきびしい条件に晒される(「お前の代わりはいくらでもいる!」)。
この裁判のような「文章と金銭」に関する話題が湧きあがるたび、必ず「せち辛い商慣習を生ずることになるかも知れぬと注目されてゐる」に似た文句が記されはするのだが、といって、それはあくまで思考停止の定型表現にすぎないため、誰が「注目」しているのかもはっきりせず、課題が具体的に検討されることもないまま、しだいに忘れ去られていく。そして、時をおいて類似の出来事が再演される。
そもそも、先の記事が見出しに「初ての」と強調したことも、歴史的に見て正しくない。原稿料裁判はこれが最初ではないからだ。それ以前の裁判の存在が忘却されている。そして、この裁判騒動そのものもまた忘却される。
ならば、現在のいくつかの小さな盛りあがりも、一過性のものに終わってしまうのだろうか。それはわからない。歴史から判断すれば、そうなる可能性は高い。とはいえ、希望もある。たとえば、インターネット環境の成熟。上述した「#genkouryo」に象徴的なように、ネットは断片化した個別事例のデータを収集可能にする。従来ならばその場の伝聞に終わったはずの情報を(書き記す人間がいるかぎり)拾い集め、容易に可視化することができる。それは個々の戦略に役立つだろう。こうした点は以前と大きく異なる。
わたし自身は原稿料で生活しているわけではない。ジャーナリズム史や批評史を専門領域とする研究者であり、ライターの人たちからすれば外部の人間かもしれない。だが、わたしとしては、「文章と金銭」に関する歴史的事例を調査・紹介することで、多少なりとも議論や知識の共有ができないかと考えている。文学史や出版史研究の周辺では、原稿料調査は基礎研究としてある程度の蓄積がある(古くは、原稿料関係の証言を再録した松浦総三編『原稿料の研究』[みき書房、1978年]。最近では、印税契約を調査した浅岡邦雄『〈著者〉の出版史』[森話社、2009年]などが存在)。ところが、調査されてきたのは、あくまで小説家、それもビッグネームばかりなのである(夏目漱石や谷崎潤一郎など)。
ライターや評論家の原稿料は、いつも研究の対象外であり続けた。彼たち彼女たちはエッセイや座談会のなかで、原稿料にまつわるエピソードを豊富に残してくれているのに。そう、ここには大きなねじれがある。リアルタイムでは、ライターの原稿料が問題となる(切実な生活問題)。にもかかわらず、歴史的には大作家にばかり注目が集まる(学者による偶像崇拝)。「現場」と「研究」とを接続させるためには、このねじれを解消しなければならない。
ここで、「戦略を立てるにはまず歴史に学べ」といった、おざなりな結論を提出するつもりはない。ただ、光のあて方しだいでは、歴史のなかにリサイクル可能な事例を発見することができる(かもしれない)。有効なのは、大作家に関するトリビアではない。むしろ、二流三流の物書きたちの生活実態の記録の方だ。忘却されてきた歴史上の小さな失敗の数々。それを、日々更新される個別体験の集積(ネット空間!)へと接続してみること。ねじれ解消のためには、そうした作業からはじめる必要がある。
ともかく、機会があれば、手元にある調査成果のいくつかを紹介したいと考えている。せっかくの盛りあがりを持続させるためにも。研究(者)が介入することで、少しでも立体的な議論へとバージョンアップしていくことができるのであれば、そんなに悪いことではないと思う。もちろん、これは余計なお世話ではないのか、といささか不安にかられはするのだけれども。
●大澤聡(おおさわ・さとし)
1978年生まれ。日本学術振興会特別研究員(東京大学)。メディア論/文学を専門とする。
主な仕事に、仲正昌樹らとの共著『教養主義復権論』(明月堂書店)、小林英夫らとの共著『一九三〇年代のアジア社会論』(社会評論社)などがある。
ブログ:sat_osawaの近況
twitter:http://twitter.com/sat_osawa
配信日:2010/03/03
2009年12月17日、千駄木にある古書店「古書ほうろう」で開催されたトークイベントを聞きに出かけた。参加したのは、研究者的関心からつねづね気になっている「原稿料」が主なテーマだったからだ。
「モクローくんトーク2「なぜか、原稿料の話」」と題し、ライター・編集者の南陀楼綾繁(=モクローくん)、イラストルポライターの内澤旬子、評論家の栗原裕一郎の3名が登壇。わたしが到着したときには、店内に設えられたスペースはすでに超満員だった。古本の詰まった本棚のわきのイスに腰かけ拝聴することに。
前方に知り合いの編集者を何人か見つけ、あいさつをすると、わたしと同様、南陀楼さん関連のイベントに参加するのははじめてなのだという。示し合わせたわけでもないらしい。まさに、「原稿料」というトピックの魅力をものがたっていると思った。みんな気になるのだ。他人(他社)の原稿料事情が。
これは原稿料にかぎらない。出版業界以外でも同じ。他人の収入は基本的に秘されている。だからこそ興味を引く(たとえば、芸人の月給トークを想起せよ)。誰しも、自分だけ損をしていないか確認したがっている。対話は、各者の原稿料の支払い(/不払い)をめぐる不幸体験の紹介を中心に進行した。フリーランスの書き手のおかれた厳しい環境が次々とうきぼりになっていく。ある程度の推測はしていたが、支払いをめぐるずさんさにあらためて驚く。ひどすぎる。
さて、イベントの数日前には、書評家の豊崎由美による責任編集の同人雑誌『書評王の島』vol.3(2009年12月)が発行されていた。同号は、巻末に特集「あなたの知らない原稿料の世界」を掲載。マル秘印つきの「袋とじ」(!)になっており、購買欲をあおる。覗いてみたい。会場でも販売され、飛ぶように売れていた。やはり、他人の原稿料は気になるのだ。有志の書き手たちから収集したデータが一覧表にまとめられ、103の媒体の原稿料が一望できる。趣旨文の冒頭に、「いにしえより、ライターにとって原稿料はブラックボックスでした」とあるとおり、旧来、ほかの書き手がいくらの値段で仕事をしているのかは、ほとんど偶発的にしか知りえない情報だった(ちなみに、いま、Googleの検索ボックスに「原稿料」と入力してみたところ、関連検索キーワードの候補として「相場」が表示された!)。それが非公式的にではあれ、公開されたのである。
もっとも、類似企画はこれまでにも存在した。だが、具体的な媒体名をあげた例は稀有である。その例外ぶりがこの特集を貴重な資料たらしめている。原稿依頼を引き受ける際の判断材料、あるいは交渉基準として十分活用できるはずだ。
袋とじ企画をきっかけとして、Twitter上では、「#genkouryo」というハッシュタグ(=特定の話題にそったコメント群を自動的にグルーピングし、検索可能にする機能)をつけ、さまざまな関連情報が交換されはじめていた。その後もしばらく盛りあがりを見せたようだ。タグ設定者の豊崎自身もしばしば投稿しており、当日のイベント会場にも来ていた。演者からマイクを回され、原稿料にまつわる自身の理念を披露する。豊崎の主張はいたってシンプル。イベントでも、袋とじの説明文でも、次のように説いた(以下、大澤による要約。カッコ内は袋とじの表紙文章から)。
依頼時に原稿料が明示されないケースは頻繁にある。その場合、原稿が活字になったのちに、振り込み額を確認してはじめて自分の仕事の値段を知ることになる。こうした契約(ならぬ契約)関係は世間一般ではおよそ考えがたい。しかし、それがこの業界では慣例的にまかりとおってしまっている。のみならず、おりからの出版不況で原稿料引き下げ現象まで見られる。書き手たちはいまこそ「共闘」するべきなのだ。「人間らしい生活」を獲得するために。
そう熱弁した。では、書き手たちは具体的に何をすればよいのか。豊崎はいう(やはり、概略)。
おのおのがなすべきことはふたつ。事前に対価を訊く習慣を身につける。そして、中堅クラス以上の媒体の場合、提示額が最低ライン(豊崎は「400字1枚5000円」という)を下回るようなら引き受けない。
思えば、ノンフィクションライターの日垣隆も『売文生活』(ちくま新書、2005年)などで、ほぼ同じ主張を展開していた(同書の帯文は「業界のタブー「原稿料」の真実」とうたい、やはり購買欲をそそった)。物価の上昇にかかわらず、ある時期以降は原稿料がすえ置きのままであるのはおかしい、と日垣は強調する。現状を打開するべく、必ず事前に原稿料の交渉をしてきたのだという。
これを日垣は「後輩たちのため」でもあると記す。個々の習慣改善が、全体のシステム刷新に直結するというわけだ。フリーライターという業種には互助的機関が存在しない。ならば、選択肢はそれくらいしかない。書き手たちによる、ゆるやかで間接的な「共闘」。そうした試みは、歴史的にも観察できる。新聞・雑誌メディアの歴史を研究するわたしは、古い記事を通覧する迂遠な作業を日々続けている。そのなかで類似する事例をたびたび目にしてきた。たとえば、いまから80年ほど前の記録。『東京朝日新聞』1932(昭和7)年5月10日朝刊に掲載された「原稿料請求に初ての訴訟」という見出しの記事である。そこにはこう記されている。
不況のために「原稿料不払ひ」が横行している。しかし、「区々たる文筆者は、出版業者に対して極めて弱い立場にあるため、不払ひにも泣寝入りの形であつた」。そこで、作家の加藤武雄、龍胆寺雄ら8名が雑誌社である創造社の社長を相手取り裁判を起こした。状況改善のために立ちあがったのである。
しかし、この記事にはオチがつく。じつは誤報だったのだ。3日後の5月13日同紙朝刊に小さな訂正文が載る。同月4日の段階ですでに、「示談取下となり円満に解決」していたらしい。経緯詳細は不明。だが、問題はもはや裁判の有無ではない。小粒の(ただし、上記ふたりは、当時まずまずの売れっ子ではあった)書き手たちが「共闘」して声をあげた事実こそが重要なのだ。
誤報記事はこう結ばれている。「今後は原稿売買問題にも一般商取引と同じく契約書の取かはし等のせち辛い商慣習を生ずることになるかも知れぬと注目されてゐる」。この表現は、「原稿売買」が「一般商取引」には属さないことを前提としている。ふつうの「商取引」は「せち辛い」ものだ。けれども、「原稿売買」は本来そうではない。たとえば、文学。それは神聖な営為であり、カネのことをとやかくいうのは汚いことである。そういった社会的通念が存在する。芸術性は金銭に還元できない。文学はいま以上に神聖視されていた。
しかし、いわゆる円本ブーム(=関東大震災後に発生した1冊1円の格安全集の大流行)以後の、文学・出版が完全に大衆化した環境にあって、その神話を崩すことこそを得意とした評論家たちも出てきた。杉山平助や大宅壮一がそれである。現在の感覚からすると、評論家というよりライターといった方が実相にちかい。彼らは、出版事業をとりまくベールを次々と剥がしていった。その暴露ぶりが人気を博した。
たとえば杉山は、論説「商品としての文学」(『東京朝日新聞』1931年9月19・20日朝刊)などにおいて、文学の「商品」としての側面にきちんと目をむけるよう主張する。創作にせよ批評にせよ、それが売買の対象である以上は値段に還元される。そして、「芸術的価値」は「商品的価値」と必ずしも比例しない。こうした議論の延長で、論説「評論と小説の稿料」(『読売新聞』1934年6月15~18日朝刊)では、評論の原稿料が小説のそれよりも総じて低いことの理由を考察している。いわく、商品の価格は「それを生産するために費された労力に比例」しない。「需要供給の関係」によって習慣的に決定しているのだ、と。
こうした杉山や大宅の経済合理的な「文学商品論」に対して、多方面から猛烈な反論も殺到した(林房雄など)。にもかかわらず、彼らへの執筆依頼が途絶えることはなかった。つまり、こう整理できるだろう。一般読者たちは業界のカラクリを覗き見ることを望んだ。しかし一方で、業界内部の人間たちは、文学や文章をとりまく神聖性を維持したがった。先の新聞記事の「せち辛い」という否定的な表現の背後には、そうした当時の一連の議論が透かし見える。
「せち辛い商慣習」はついに定着しなかった。なぜ、定着しなかったのか。理由のひとつには、カネにこだわるようで汚いという観念が拭い去れなかったことがあげられるだろう。文章を書く行為自体が自己実現の手段になってしまっている(「清貧でもいいから書きたい!」)。もうひとつは、先の誤報記事が記したとおり、書き手の「弱い立場」が解消されなかったこと。とくに媒体の減少期には、書き手はきびしい条件に晒される(「お前の代わりはいくらでもいる!」)。
この裁判のような「文章と金銭」に関する話題が湧きあがるたび、必ず「せち辛い商慣習を生ずることになるかも知れぬと注目されてゐる」に似た文句が記されはするのだが、といって、それはあくまで思考停止の定型表現にすぎないため、誰が「注目」しているのかもはっきりせず、課題が具体的に検討されることもないまま、しだいに忘れ去られていく。そして、時をおいて類似の出来事が再演される。
そもそも、先の記事が見出しに「初ての」と強調したことも、歴史的に見て正しくない。原稿料裁判はこれが最初ではないからだ。それ以前の裁判の存在が忘却されている。そして、この裁判騒動そのものもまた忘却される。
ならば、現在のいくつかの小さな盛りあがりも、一過性のものに終わってしまうのだろうか。それはわからない。歴史から判断すれば、そうなる可能性は高い。とはいえ、希望もある。たとえば、インターネット環境の成熟。上述した「#genkouryo」に象徴的なように、ネットは断片化した個別事例のデータを収集可能にする。従来ならばその場の伝聞に終わったはずの情報を(書き記す人間がいるかぎり)拾い集め、容易に可視化することができる。それは個々の戦略に役立つだろう。こうした点は以前と大きく異なる。
わたし自身は原稿料で生活しているわけではない。ジャーナリズム史や批評史を専門領域とする研究者であり、ライターの人たちからすれば外部の人間かもしれない。だが、わたしとしては、「文章と金銭」に関する歴史的事例を調査・紹介することで、多少なりとも議論や知識の共有ができないかと考えている。文学史や出版史研究の周辺では、原稿料調査は基礎研究としてある程度の蓄積がある(古くは、原稿料関係の証言を再録した松浦総三編『原稿料の研究』[みき書房、1978年]。最近では、印税契約を調査した浅岡邦雄『〈著者〉の出版史』[森話社、2009年]などが存在)。ところが、調査されてきたのは、あくまで小説家、それもビッグネームばかりなのである(夏目漱石や谷崎潤一郎など)。
ライターや評論家の原稿料は、いつも研究の対象外であり続けた。彼たち彼女たちはエッセイや座談会のなかで、原稿料にまつわるエピソードを豊富に残してくれているのに。そう、ここには大きなねじれがある。リアルタイムでは、ライターの原稿料が問題となる(切実な生活問題)。にもかかわらず、歴史的には大作家にばかり注目が集まる(学者による偶像崇拝)。「現場」と「研究」とを接続させるためには、このねじれを解消しなければならない。
ここで、「戦略を立てるにはまず歴史に学べ」といった、おざなりな結論を提出するつもりはない。ただ、光のあて方しだいでは、歴史のなかにリサイクル可能な事例を発見することができる(かもしれない)。有効なのは、大作家に関するトリビアではない。むしろ、二流三流の物書きたちの生活実態の記録の方だ。忘却されてきた歴史上の小さな失敗の数々。それを、日々更新される個別体験の集積(ネット空間!)へと接続してみること。ねじれ解消のためには、そうした作業からはじめる必要がある。
ともかく、機会があれば、手元にある調査成果のいくつかを紹介したいと考えている。せっかくの盛りあがりを持続させるためにも。研究(者)が介入することで、少しでも立体的な議論へとバージョンアップしていくことができるのであれば、そんなに悪いことではないと思う。もちろん、これは余計なお世話ではないのか、といささか不安にかられはするのだけれども。
●大澤聡(おおさわ・さとし)
1978年生まれ。日本学術振興会特別研究員(東京大学)。メディア論/文学を専門とする。
主な仕事に、仲正昌樹らとの共著『教養主義復権論』(明月堂書店)、小林英夫らとの共著『一九三〇年代のアジア社会論』(社会評論社)などがある。
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